第十話 指導者

「アカネを助けたい」


 微妙な空気が場を支配する中、耐え切れずクロノはそうこぼした。

 しかし、それを一番に否定したのは他でもない、彼自身なのである。


「僕も、それには賛成だよ。アカネちゃんを助けたい。だけど、さっきクロノさんも言っていたじゃないか。連中の武器防具は洗練されている。とても、僕たちが敵うような相手じゃない」


 シアンの言う通りだ。それが分かっているからこそ、クロノもあの場で咄嗟に止めたのだ。


 クロノは他の連中に比べればまだ食事を摂れている方だ。だから、彼が俺を止めたのは大男の誘惑に流されたからではない。


 俺が、ここにいる闘技場奴隷の全員が、奴らにはまだ勝てないことを知っていたからだ。


 闘技場奴隷は、皆が皆魔法を扱えるわけではない。俺やクロノのように、素手で立ち回れるものは少ないのだ。そしてそれは、衛兵も同じことである。ゆえに、武器や防具の差が顕著に現れるのだ。


「なあ二ノ瀬、アカネは今、何をされていると思う? お前は正直でまっすぐな奴だ。俺に気を遣わず、思うままを教えてくれ」


 わざわざ釘を刺してくるなよ。


 俺がコイツを気遣って、本当のことを言わないと分かったんだな。この一年で、随分お互いを知ったものだ。最初は嫌っていたのに。


「十中八九、娼婦のような扱いを受けているだろうな。アカネは綺麗な顔を持った女性だ。それに、あのやせ細った身体も、ここのイカれた連中が好むものだろう」


 この国の男は、征服しやすい女性に性的興奮をそそられるらしい。


 日本でもそういう男性は珍しくないが、ここは特にそれが強い。身長が低く痩せていて、魔法もあまり得意でないような女性が好まれる傾向にある。


「聞きたくなかったが、やはりそうか。いや、分かっていたんだ。俺の妹は、時期が来ればそういう扱いを受けるのだと知っていた。最近、昔よりも女性らしくなったのを感じていたから、そろそろなのだろうとも思っていたんだ」


 当然だな。闘技場奴隷として価値を見いだせない奴は、他のところで利用するしかない。


 実際、俺が来る以前ここにいた男性が、農耕奴隷としてここを出ていったと聞いている。


 それに、俺が来てから他の奴隷の需要は低下している。皆俺の活躍にばかり目を向けて、一方的な試合を望まなくなったのだ。

 それは良いことでもあるのだが、今回のような結果を生んでしまうこともまた、想像できていた。


 性奴隷がどのような扱いを受けるかなど、想像もしたくない。元々人間のようには扱われてこなかったのだ。それが、性行為という現場にも現れるとしたら……。


 アカネは今、どんな苦痛を味わっているのだろうか。彼女がこの大部屋に戻ってきたとき、果たして俺は彼女を慰めてやれるのだろうか。俺にその資格など、あるのだろうか。


「なんで、僕たちは願うことしかできないんだ。今まで必死に戦ってきたのに、結局こんな悲劇を回避することができなかった。女の子一人、守れやしなかった……」


 シアンは、俺たち戦闘組の中でも一番勝率の低い選手だ。だから、自分の無力さにいつも嘆き憤っていた。その思いをぶつけるために、何度もあの大男に突っかかっていたのだ。


 彼は素晴らしい才能を持っているが、どうにもそれを磨ききれない。


 身体強化も属性魔法も、何かが俺やクロノとは決定的に違っている。俺たちのように訓練し鍛えても、同じように成長できないのだ。


 それに、彼は今年で17歳になるが、その割には体格が小さい。ロクな食事を与えられていないのだから当然と言えば当然であるが、それでも異常なほど、彼は小さかったのだ。

 まるで、まだ成長の第一段階だとでも言うかのように。


「諦めるのはまだ早い。何も、アカネが今すぐ殺されるわけではないんだ。闘技場に出ろと言われていたら確実に死んでいただろうが、あの子はまたここに帰ってくる。その時に、俺たちができることを考えよう」


「クロノの言う通りだ、シアン。アカネはあれでメンタルの強い女性だからな。きっと、ここの軟弱な男どもに折られはしない。優しく出迎えてやろう」


「そう、だよね。ありがとう二人とも。一番つらいのは僕じゃなくて、アカネちゃんなんだ。なら、僕がへこんでちゃダメだ」


 シアンはどうやら、少し持ち直したようだな。それを見たクロノもまた、表面上には出していないが立ち直っているようである。

 コイツは、自分の弱い部分も強い部分も隠そうとする癖がある。


 しかし、こんな気持ちの切り替え程度では、表の部分しか解決になっていない。俺たちはもっと、根本的な部分を解決する必要があるのだ。例えば……。


「俺の勝率を敢えて操作するか? 勝率が下がれば……」


「ふざけるな! 俺たちにまたあんなことをしろって言うのか!?」

「強い連中にはわからない! 一方的に殴られる苦しみが、その痛みが!」

「お前たちは良いよな、抵抗できるんだから! 俺たちは抵抗することすら許されないんだぞ!」

「二ノ瀬くんが来てから生活は楽になったけど、それで私たちの行動をコントロールできるとは思わないで欲しい!」


 しまった。俺の勝率が下がるということは、当然彼らの負担が増えるということだ。

 俺はいったい、何を口走ってしまっているのか。


「す、すまなかった。皆のことを何も考えていない、無神経な発言だった。撤回する。俺はこれからも、ずっと闘技場で勝ち続けることを約束するよ」


 凄く非情な考え方をするのならば、アカネ一人の犠牲でここにいる全員が最低限の食事を得られるのだ。人数比で言えば、アカネ一人などなんということはない。しかし……。


「なら、お前たちが立ち上がれ! 抵抗する権利がない? それは、お前たちがその権利を自ら放棄しただけだ! お前たちは知っているのか、二ノ瀬がどれほど必死に訓練したのか。シアンがその身にどれほどの傷を負って今の力を手にしたのか!」


 一喝、クロノが吠えた。どこまで言っても他力本願な彼らの考え方に、我慢の限界だったのだろう。何より、今回は彼の愛する妹が犠牲になっている。


「さっき、二ノ瀬さんが言っていたよね。アカネちゃんの犠牲で得た食事がうまいのかって。そんなの、美味しいわけないよ。アカネちゃんの涙が、どんなに山もりのご飯も腐らせるんだ!」


 続いてシアンも言い放つ。シアンはこの場で誰よりも努力し、そして一度もそれが実を結ばなかった男だ。だからこそ、彼らの言動に憤りを隠せない。何もしようとしない人間を、許すことができないのだ。


「二ノ瀬はこれから、闘技場の勝率を下げる。その分俺が勝って、他の闘技場奴隷にも何か価値があるのだと思わせるんだ。そしたら、アカネの負担が軽くなるかもしれない。それが嫌だというのなら、立ち上がれ。武器は俺たちが用意する。戦い方も教えよう。最後に踏み出すのはお前たちだ」


 クロノの発言権は強い。俺がここに来る以前は、全ての奴隷を彼が仕切っていたのだ。


 その名残が、今も残っている。だからこそ、誰もクロノの発言を無視できない。それをしてしまえば、ここに居場所はなくなる。


 いじめだの弾圧だの嫌な言い方はできるが、ここではそれが最善なのだ。皆の意志が一方に向かっていなければ、奴隷はただの烏合の衆に成り下がる。集まっているだけの群れには、何も成すことなどできはしない。


 闘技場奴隷の考えは二分されつつある。クロノに従い、アカネの負担を軽くしようと動くもの。それに反発し俺に勝利しろと圧力を掛けるもの。


 しかし、そう遠くないうちに全員がクロノ派に映るだろう。何せ、そちらには指導者がいない。賢い者は皆、クロノの側に付くのだ。奴隷としての生き方を受け入れた穏健な連中に、安らかな明日など待っているはずがない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る