第九話 搾取

「それでクロノ、例の作戦はいつごろ始めるんだ? 俺の準備はもうできている。連中は俺ばかりに注目していて、クロノやシアンの実力を見誤っているはずだ。寝首を搔くのなら、もう充分だろう」


「俺もそう思っていたんだがな、二ノ瀬。どうやらここの警備が強化されたらしいんだ。俺と二ノ瀬とシアン、三人だけなら大丈夫だが、他の連中も連れていると危険だ」


 決闘の直後、俺は治療も受けずにクロノと話し合いをしていた。あの程度の魔法では、もう俺の身体に傷を付けることはできない。


 イグノは確かに強力な戦士なんだろう。戦場において、あれほど広範囲に魔法を放てるのがどれだけ強いか。


 しかし、炎系魔法に対して完全耐性を獲得した俺には相性が悪かった。イグノの実力など、半分も発揮できなかっただろう。


 ん? 覚えているとも、敵の名前くらい。どうでも良い奴ではあるが、一度拳を交えた相手だ。戦いが終わったのなら、憎む必要はない。


 ……倒した奴のことを考えるのはやめだ。そんなことよりも、これから先のことの方が重要である。あんな、注目を集めるためだけの競技に、何の意味もない。


「なら、やっぱり武器は必要だな。問題はどこから仕入れるかだが……外から持ってくるのは厳しいだろう。石材かなんかを切り出して、ここで作っちまうか?」


 俺たちはこんな場所に留まっているつもりはない。始めは闘技場で武勲を上げ衛兵にでもなろうかと思っていたが、こんな腐り切った国の犬になるなどまっぴらごめんだ。ならば、ここから脱出する以外に方法はない。


「そうだな。ただ、衛兵連中が持ってるのは金属の武器だぞ。二ノ瀬なら素手でも勝てるだろうが、ロクに戦闘したことのない奴もいる。武器のグレードで勝敗が決まることは、想像に難くない」


 ぐぬぬ、確かに。金属の武器が相手では、石製の武器などおもちゃに等しい。それに、石製の武器は加工に時間がかかる。バレてしまえばお仕舞だ。


 せっかくここまで準備してきたというのに、まだ俺たちは行動に移せないのか。


 クロノが必死に外部との連絡手段を作り出そうとしているが、やはり闘技場奴隷である俺たちでは厳しいところがある。


「奴隷ども、飯の時間だぞ!」


 俺たちが話し合っていると、いつぞやの大男が広間に入ってくる。その手には、恐らく食事が入っているだろう麻袋を持っていた。


「二ノ瀬、まずはお前からだ。今日の決闘はよくやったな。ギャラリーも大盛り上がりだった。だが、次回からはもう少し時間を掛けてくれ。お前の戦いは合理的すぎる。良いか、お前たちはあくまでも闘技場奴隷。ギャラリーを楽しませる舞台装置だ。それを忘れるな」


 そう言って、大男は俺に手のひらサイズのパンを渡す。


 ここでの食事は酷いもので、こんな小さなパンが、日によってはもらえないこともあるのだ。その時は、アカネの魔法で水を作り空腹を紛らわすしかない。


「次はクロノ、お前だ。二ノ瀬に続きお前も素晴らしい働きをしている。……だが、最近勝ち星が減ってきているな? ギャラリーはお前の戦いに飽きを感じ始めている。もっと上手く立ち回れ」


 クロノには、俺の半分程度の大きさしかないパンを手渡した。現在クロノは19歳。あの程度の食事で満足できるはずもなく、常に空腹と戦っている。


「そしてシアン、お前は本当に弱いな。魔法なしのルールにしないと勝てない。だが、近頃の客は魔法を使ったド派手は試合を期待しているのだ。お前には、そろそろ引退を言い渡すかもしれないぞ。もっと張り切れ」


 シアンにはさらにクロノの半分程度。彼も今年17歳になり、やはりあの程度の食事は食事とも呼べない年齢だ。


 ウチの主要な戦闘組は俺たち三人だけで、他のメンツは勝ち星を上げていない。ただ相手から一方的に嬲られる役を命じられ、その通りに傷を負っているのだ。


 この闘技場のルールで、敗者は治療を受けられない。生傷と古傷の絶えない者達だ。食事もまともにもらえず、彼らほど扱いの酷い奴隷は他にいないだろう。


 クロノと初めて会った時も、彼は圧し折れた鼻をそのままにされていた。


 元々自然治癒力の高いクロノではあるが、アカネの治癒魔法がなければ後遺症が残っていただろう。


 俺たちの番が終わると、次は彼らの番がやってくる。いつもなら、シアンと同じくらいのサイズを渡すのだ。しかし……。


「おっと、今のパンで最後か。悪かったな、道中腹が減ったから、つまみ食いをしてしまった。お前たちに食わせるパンはない。今日はせいぜい、水でも飲んで過ごすと良い」


 嫌な笑みを浮かべて、奴は俺たちを見下す。本当に、分かりやすい男だ。


 外部の情報を仕入れようと合作しているのだから、ある程度の知識は頭に入っている。昨今、小麦の収穫量が減っているのだ。当然、口減らしが始まるのは俺たち奴隷からだった。


 しかし、彼らは単純ではない。口減らしのために人を殺すのではなく、勝手に死ぬのを待っているのだ。どうしてそんな非人道的行為ができるのか、俺にはさっぱり分からない。


「それと、アカネ。お前はこっちに来い。闘技場管理者様からのお呼び出しだ」


「わ、私ですか……」


 赤毛の少女アカネが、男に呼び出され付いて行く。


 もう二日間何も食べておらず、やせ細っていた。意識も朦朧としている。今彼女に戦闘をさせれば、そのまま死んでしまうだろう。

 しかし、俺たちに奴を止める術はない。それができる段階ではないのだ。今はただ、祈るしかない。


 クソが。せっかくこんなに強くなったのに、あの大男をぶちのめして引き留めることもできないなんて。それじゃあ、俺は何のために強くなったんだ。


「良かったなぁお前ら。アカネに感謝しろよ。明日は全員、たらふく食事ができるぞ」


 大男の言葉に、周囲がざわめきだす。満足な食事、そんなものは人生で一度も経験したことがない。そういう人間が、ここには大勢いるのだ。


 しかし、どうしてアカネの活躍によりそれがなされるのだろうか。


 以前俺が衛兵に10連勝を達成したときも、粗末な根菜が全員に少量配られただけだった。あれ以上の功績をアカネが出せるのだとしたら……。


「……待て、待ってくれ。アカネにいったい、何をさせる気なん……!」


 事情を察した俺が引き留めようとすると、後ろから押し倒された。その上から5人もの青年が乗りかかり、俺を押さえつける。


「賢いな、俺に歯向かわないとは。良いかジャック、お前は飯を食えているが、周りの奴らは違う。どんな悪事であろうと目をつむるのだ」


「離せクソども! お前ら、これから何が起きるのか、まさか理解していないというのか! この薄情者ども、それで食う飯がうまいのか!」


「抑えろ二ノ瀬! もう、全員限界なんだ……」


 クロノの声によって周囲は勢いづく。彼の発言権は強く、この闘技場で一番武勲を上げている俺に流されつつあった連中は、彼の一声で規律を取り戻した。全員が全員、俺を抑えようという気持ちになっている。


 何より、アカネはクロノの実の妹だ。兄貴であるクロノがこう言っているのだから問題ないという雰囲気が、この場にはある。


 俺たちのひと騒ぎを無視して、大男はアカネを連れこの部屋を出ていく。最後まで、アカネは何も言わなかった。反抗しても良いというのに、それができる空気ではなかったのだ。


「……お前たちがそんな連中だとは思っていなかった。お前たちはどうして、今まで戦ってきたんだ。こんな不当な搾取を正当化しないためじゃないのか!」


「気持ちはわかる。だがお前も見ただろう。鉄の剣、鉄の盾に鎖帷子。あんな武装をした連中が何百といるんだ。今の装備じゃ勝てない。勝てなければ、無駄な被害を出すだけだ」


「なら、アカネは必要な犠牲だというのか、クロノ! 見損なったぞ! あれほど献身的に動いてくれた少女に、これ以上不幸な思いをさせようと……」


「俺が一番キレてんだ!! クソッたれ! ……だけどよ、考えてくれ。感情で動けるほど、俺たちは身が軽くないんだ」

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