第一章 夢から覚めた日

夢から覚めた日(1)

 開演までのカウントダウン。シンガーソングライター『Iruアイル』のライブ会場に、客入れBGMが流れた。アリーナ、一階、二階。薄らとスモークが焚かれた場内には流れ込むように観客が入場し、およそ三十分後には万を超える数多の人々で埋め尽くされることになる。

 みぞおちが降下するような緊張感を抱え、俺は楽屋の鏡の前に立った。

 細身に見繕みつくろわれた黒いシャツは袖口にカフスボタンが飾られ、スキニーパンツは普段自分では選ばないであろう白いカラー。綺麗めなコーディネートにやや気後きおくれするも、いつも通り最後に黒いファントムマスクを着けると歌手としての自分の輪郭が際立ち、戦地におもむくような覚悟が決まる。

 そしてそっと胸に手を当てると心臓の音がバクバクとてのひらに伝わってきた。元々、人前では緊張しやすい性分だったせいか、ステージに上がる前の心臓は毎度のことながら騒がしい。

 昔、この鼓動は一種の呪いだと思っていた。鳴り始めると、口下手くちべたになって人に想いを上手く伝えられなくなるもどかしい呪い。

 でも今は違う。この鼓動は自分の歌、想いを伝えられるあかしとなった響きだ。

 ――今日も、皆に届けられる。

 歌に救われた自分だからこそ、皆に伝えられるものがある。今日という一日が、誰かの思い出のワンシーンとして強く残るようにと、胸の鼓動に願いを託した。

 会場に流れていたBGMのボリュームが瞬間的に大きくなる。


 それは、幕開けの合図。

 暗転した会場は歓声に包まれ、BGMはフェードアウトする。

 しかしそれもほんの一瞬、ピアノの音が物悲しく響き渡ると会場は水を打ったようにしんとなった。暗闇の中で前方モニターに映し出される映像、サウンドエフェクト。ツアータイトルの文字がステージ奥に映し出され――中心には、黒い衣装に身を包んだ俺が照明に照らされる。

 たかぶる気持ちに間隔の短くなる呼吸。全てが始まる、そのまばゆい光が好きだった。

 マイクを包む手には力を。声には想いを込めて。

 歌声が波紋のように広がる開幕のバラード曲に、再び拍手と歓声が巻き起こった。

 本編に繋がる短い導入曲を歌い終えると、今度は一気にロックサウンドへと切り替わる。疾走感しっそうかん溢れるドラム。ギターのカッティングに、まばたきさえ惜しいソロパート。心臓にまで響くベースの重低音も、何もかも。どの一瞬を切り取っても最高で、たまらない。

 観客も勢い良く手を上げ、テンションは序盤から惜しみなく沸点ふってん目掛けて加速していった。

 いつまでも歌い続けたい。一体感が生まれるこの空間で、いつまでも。

 レーザー光線で彩られたステージの中心でどんな音よりも強く鮮明に、願うように、歌う。

 これが俺の生きている証なんだ――。



 かつての栄光はこうして幾度となく夢の中で繰り返される。

 現実に引き戻されたもちづきかなめは息が乱れていて、起き上がる気分になれず額に手を当てた。ベッドの海で夢の中に潜り、地上に浮かび上がった瞬間に呼吸が上手く出来なくなるのはいつもの事。

 呼吸が整った後もしばらく放心状態が続き、カーテンの隙間から夕日の光が入り込む仄明ほのあかるい部屋では時だけが静かに流れてゆく。

 ぼうっとして。目覚めてもなお、夢の中の映像に翻弄ほんろうされてしまいそうになる。

 ひたってはいけない。これは悪夢だ。

 そう言い聞かせて起き上がっても、余韻に浸りたくなる自分がみじめだった。

 そんな風に何度繰り返しても慣れないまま悪夢にうなされ続けて、もう三年。

 容赦なく突き付けられる現実から目を背けられないのなら、いっそのこと目を覚まさない方が良い。それが無理ならば眠りたくない。思えば思う程夜眠りに就く時間は次第に遅くなっていき、今となっては窓の外が薄明るくなる朝方、睡魔に負けて眠る生活が染み付いてしまっている。

 本当に嫌という程、過去の輝かしかった自分と再会する夢を見た。

 国内の年間アルバム売上ランキングが一位だったことや、歴史ある賞を受賞したこと。

 程度の差こそあれ全てが昨日の出来事のように感じられる、希望みたいに錯覚してしまう残酷な夢を幾つも。

 その中でも今日は一段と生々しく、堪えるものだった。

 ステージに立ち無我夢中に歌う夢。それはかつて紛れもない現実だった戻りたくなる遠い過去。

 確かにこの手で掴んでいたはずなのにと、ぶつけようのない悔しさが込み上げては静かに涙を流すだけ。悔しさと上手く付き合いながらまた音楽の道に戻る自分は、もうイメージ出来なかった。

 昨日使ってから置き場所も変わっていないグラスで、渇いた喉に水を流し込む。

 結局、いくら歌おうと努力しても結果は出なかった。

 かろうじて保てていた希望さえ年月と共にフェードアウトして、今では無いものと等しい。そんな自分を見兼ねたかつての同志からは歌以外のことを勧められることもあったが、音楽を諦めろと言われているようで。ありがとうと苦笑いで誤魔化ごまかしながら耳を塞いだこともあった。

 あの頃みたいに歌えない自分に、何が残されている?

 もう、二〇四〇年。この三年間は只管ひたすらに辛酸を嘗めて過ごすような絶望の日々でしかなかった。

 虚しく自問自答をするくせに、性懲しょうこりも無くまた無意識に防音室に入りマイクに向かっていた。

 夢で見たあの頃の自分に、戻りたい。ただそれだけなのに。

 絞り出した歌声は掠れ、何度も願った想いはその晩も届かなかった。


 そうか。歌なんて、好きにならなければ良かったんだ。



 数週間経って、外には四月の香が広がり、鳥のさえずりが響き渡っていた。高層マンションの外に出て向かった先、薄暮の横浜駅よこはまえきで久し振りに春風を感じながら藤沢行きの電車を待っている。

 このまま線路に飛び込んだ方が早いのにな。

 ホームに勢い良く入ってくる東海道本線とうかいどうほんせん。勇気が無いのは重々承知の上で胸の内で嘆いた。

 途中で江ノ電に乗り換えて、目的地の江ノ島駅で降りた後は石畳の小道を南に向かって歩く。

 人々の笑顔から目を背けるように、一人ずっと足元だけを見ながら。楽しげな声を聞かぬように耳にはイヤフォンを。音楽を流すことはない、あくまで耳栓の代用品でしかない。

 行き交う人の中に、自分の歌を聴いてくれていた人がいてもおかしくないと思ってしまうのは、歌手ならば仕方のないことなのか。それともこのに及んでまで、そうであってほしいと願わずにはいられない孤独な自分の弱さ故なのか、分からなかった。

 マップを確認しながらものの数分歩くと、交差点の角地に五階建ての白い建物が見えた。

 全国に十数ヶ所点在するという『ラストリゾート』。

 最後の拠り所という意味で名付けられた、安楽死希望者とアシスターが面談をする施設だ。

 建物の前、数本並ぶ電線はまるで五線譜みたいで、そこに留まる数羽のからすが音符になりきったかのように鳴いていた。そう見えてしまうのは、きっと音楽に呪われているからだろう。

 溜め息を吐いて辺りを見渡すと、傍では江ノ島が浮かぶ湘南しょうなんの海が太陽にきらめいていた。

 届いた浜風に連れ去られて、何処か遠くへ行ってしまいたくなるくらい心地良い。

 ここで、何人の安楽死希望者が安楽死したのか。ラストリゾートの前で他人事ひとごとのように考えているのは、まだ安楽死の――REN取得申請をしたことに実感を持てていないからかもしれない。

 四階に案内されて重たい足を引きる。外観だけでなく内装も白基調。防音が完備されているのかと思うくらい静寂が立ち込めるここは、想定していた以上に落ち着けそうな環境だった。

 そして着いた部屋の前、扉を開ければいよいよ死へのカウントダウンが始まる。もう恐れるものなど無いはずなのに、ノックをする前に無意識に生唾なまつばんでいた。

 意を決して部屋に入ると、純白のフリルブラウスに淡紅色たんこうしょくのロング丈スカートをまとった華奢な女性が姿勢を良くして立っていた。

 まだ学生とも見て取れそうな、童顔で小柄な女性。

「初めまして、望月要さん。お名前に間違いはないですか?」

 落ち着きのある冷静な話し方。高過ぎず、綺麗な響きを持った心地良い声だった。

 安楽死しようとしている者と向き合うアシスターならばもう少し年齢が上だろうと思っていたのは、偏見だったのか、あまりの若さに呆気あっけに取られる。

 返事を出来ずにいるとアシスターは少しだけ不安気な面持ちに変わり、持っていた電子端末を確認するように一度視線を落とした。

「えっと……」

 彼女が顔を上げたタイミングでまた目が合い、こくりとうなずいてみせる。

「あ……ありがとうございます。今日から担当させていただく、アシスターの東峰渚と申します」

 今し方、垣間かいま見た表情は思い過ごしだったのか、アシスターは愛想良く微笑んで「よろしくお願いします」と付け加える。次いで椅子に腰を掛けるようにうながしてきた後、彼女は「少々お待ちください」と言ってその場を少し離れた。

 アシスターの後ろ姿を目で追う。

 細くて白い肌。今年三十歳になる自分と一回りまでは違わないだろう。小柄な体付きはか弱く見えるが、歩き方など落ち着き払った姿や話し方は芯があるようにも思える。実は気が強い人なのかもしれない。二十歳を少し超えたくらいだろうかと推測しながら、椅子に腰を下ろしてじっくりと室内を見渡した。

 白い壁に囲まれた部屋。床は大理石調、天井には暖色のダウンライトとスポットライトタイプのシーリングライトが備え付けられていて、清潔感の溢れる綺麗な空間だ。

 極め付けは壁の三分の二を占める大きな窓。申請を取り下げた人の話を事前にネットで見たが、江ノ島が浮かぶ湘南の海を一望すれば「本当に素敵な場所だった」と書いてあったのも頷ける。

 この場所を最後にして死ねるなら悪くはない。

 生きることの諦めさえ許してくれそうなくらい、いろの海は煌々こうこうとしていて。窓枠でかたどられたノスタルジックな景色、江ノ島と輝く海は、唯一無二の一枚絵だった。

 アシスターは戻ってくると「どうぞ」と温かい珈琲コーヒーを差し出してきた。

 言葉を発する代わりに軽く頭を下げて礼を伝えると、彼女はようやく腰を掛ける。

 散々大勢の前で歌ってきた身であるにも関わらず、初対面の相手との一対一の状況に若干戸惑った。最近は会話をすることは疎か、誰かと目を合わせることさえ真面まともにしていない。

 誤魔化すように見始めた窓の外、落日に染められた空に魅入られていく。

 あの景色に溶け込んで消えてしまえたら良いのに。

 そんな、叶うはずもない願いを浮かべながら。

「江ノ島は初めてでしたか?」

 アシスターの問いには反応せず景色に目を向けたまま、昔活動していた時にミュージックビデオの撮影で一度訪れたことを思い出す。

 あの時は人気の女優と共演し、一緒に江ノ島本島を巡るのがメインだった。撮影がスムーズに進んで時間を余した後は散策をして。切ないバラード曲の撮影に似つかわしくないほど雰囲気は賑やかで。いつか海外デビューしたら、なんて話で盛り上がっていたのがひどく懐かしい。

 皆と話した明るい未来はもう無くて、今は悲しい現実しか見えなくなった。

「私、最初に来たときはちょっと綺麗だなくらいの感想だったんですけど、来る度に好きな所が増えていく場所なんです。江ノ島に花が綺麗に咲く所があって。あまり知られていないと思いますが桜も咲きますし、彼岸花ひがんばなとか日々草にちにちそう、サルビアも。沢山咲くんですよ」

 彼女は想いを馳せるように、同じく日が差し込む方を見ていた。

「一方的にしゃべってすみません……ご説明が遅れてしまいましたが、お話しして大丈夫ですか?」

 声を出さない理由を訊かれたら何と答えようか迷っていたが、気を遣っているのか一向に訊いてこない。まだ安心するには早かったが、声には出さずに頷いた。

「ありがとうございます」とアシスターは一瞬表情をやわらげ、少し間が空く。

「……既にご存知かもしれないですが、要さんには今日を含めて一年間で最低十回の面談をしていただきます。申請してから一年間は検討期間となっているので……一年後、最終日の翌日から三日以内に改めて最後の意思確認面談をさせていただくことも、要件の一つとなっています。もしそれまでに私以外の者と面談したいとご希望があれば、アシスターを変更することも出来ますので」

 それを聴く度に少なくとも一年間は生きなければいけないことを思い知らされる。

「面談する場所を変えたい時はラストリゾート以外の場所を指定していただければ駆けつけます。お役に立てるか分かりませんが、出来る限りのことをさせてください」

 言葉の合間合間でアシスターは自分の反応を窺うようにこちらを見てきた。

「あの――」

「……」

「要さん、携帯電話は持っていますか?」

 唐突な質問に意図がれず反応出来なかったところ、彼女は続ける。

「もしお話しするのが難しければ、メールとかでやりとりしませんか?」

 日頃から使い慣れているのに、その案は浮かんでいなかった。

「私もまだ面談の時にメールでお話ししたことはないんですけれど……昔、自分の悩みを言葉にするのが辛かった時に、文字に起こすと楽になったことがあって。私の場合それは日記で、誰にも見せられないものでしたが……」

 目を逸らして話し辛そうに言った後、視線をこちらへ戻してくるアシスター。

「すみません、日記とは違いますがメールだとどうでしょう。勿論、これは私の一案なので。気が進まなければ打った文章を画面で見せていただいても大丈夫ですし……要さんがお話ししやすい方法は何かありますか?」

 何故話さないのかと訊かずに話すための手段を提案してくれる。そして彼女が心配そうに見つめてくるものだから、優しさが真っ直ぐ伝わって沁みた。

 アシスターという職業を深く知らなくとも、きっと良い人なのだということくらいは分かる。

 それにしても、業界人以外からメールアドレスを訊かれたのはいつ以来のことか。アシスターは自分のことを知らないのだから当然だが、突拍子もない質問をされて一瞬動揺してしまった。

 話すかどうかは別として、メールだとデータが残ってしまうかもしれないと懸念けねんがよぎる。データが思いも寄らない形で流出してしまうことだって、可能性ゼロではない。

 一世を風靡ふうびしていたアーティストが安楽死をしようとしている。

 その情報が世間に露呈ろていした時、どうなるだろう。

 それ自体は許せても、また心無い言葉を浴びせられるのはもう御免だ。

 黙り込んでいると「……どうでしょうか?」と遠慮がちに様子を窺ってきた。

 ――そもそもこの子は俺を知っているのか。

 ファンも同じくらいの年齢層が多かったことを踏まえると、最低限の確認はしておきたい。もし知られているのなら自分が当の本人であることは隠した方が互いの為になるだろう。

 考えながら携帯電話を取り出すと、暗いディスプレイに反射して映る元歌手と目が合った。

 歌えていた頃の自分など、今では見る影も無かった。毛先が傷んだ黒漆こくしつの長髪や、手入れもしていない眉毛。昔のように抜かり無く整えたとしても、光の宿らなくなった奥二重の目はもうどうにもならないだろう。肌や薄めの唇だけでは飽き足らず、心までもうるおいを失い枯れさせてしまった。

 どうせもう、これで最後なんだ。

 ゆっくりと文字を打ってアシスターに見せた。


《アーティストのIruを知っていますか?》

 彼女は首を横に振りながら「いえ……すみません」と小声で言う。

「アーティストって、音楽ですか? そういうのはうとくて……」

 自意識過剰だったのだろうと、音の無い息が漏れた。

 昔ならもっとショックを受けつつも、これから知名度を上げようと活動に心血を注いだはずだ。

 残念ながら今は仕方ないと素直に受け入れられる上に、どこか安堵あんどしてしまった自分もいる。

 世間体を深く考え過ぎていた。自分だけが音楽の世界に執着したまま取り残されていただけだったと嘆きながら、再び画面を見せる。


《連絡先は交換しても大丈夫なんですか?》

 アシスターはまた少し表情が和らいで「はい」と心地良い声で答えた。

「私は基本的に勤務時間中しか使えませんが、これが私のアドレスなので、是非」

 あれこれと考えて、死に向かう途中で正体を隠す必要などもう無いのだと気付く。この痛みを独りで抱えたまま終わりを迎えるのもれないと、メールで一文送った。


《僕はIruという歌手だったんです》

 通知が届いた電子端末を見て、アシスターは戸惑いながら画面と自分の顔を交互に見た。

「えっ…………その、言わせてしまって、申し訳ありません……」

 気まずそうにした表情は、やがて何かを察したような面持ちへと変わる。

「……もしかして、要さん――」

 声を出さない安楽死希望者が、元々歌手だった。

 その二つが結び付いたのか、聞こえるはずのない彼女の息を呑んだ音が聞こえた気がした。

 苦衷くちゅうの原因を確かめずにはいられないが勇気も出ないといったところだろうか。彼女の方をちらと見ると唇を小さく開き、閉じてはまた開いて何かを躊躇ためらっている。

 そしてゆっくりと、とても申し訳なさそうにアシスターは声を出した。

「どうして、安楽死を……REN取得申請をされたんですか?」

 その質問に対する答えは、この三年間を凝縮したものだ。

 歌手だったのに、思い通りの歌声を出せなくなった。申請を決意するまでの経緯は長かったが、ここに来た理由は要約すると単純なもので、安楽死を希望するに足る理由とは言えないかもしれない。ただ、ずっと歌と一緒に生きていくつもりでそれが出来なくなっただけ。

 でも自分にとって歌うことは何よりも大切で、生きている証だった。

 そこまで想っていたのに突然歌声を取り上げられてしまえば歌に見捨てられたのも同然。

 歌が生きる理由だったのに、それを奪っておいて心臓を止めてくれないだなんて、俺は何をして生きていけばいい。根本的には歌のせいで安楽死を望んでいると言っても過言ではなかった。

「あの……」

 アシスターの声でハッとなる。瞬きさえ忘れたかのようにじっと自分を見つめる彼女の瞳には、憂いが含まれていて何処か遠くを見ているようでもあった。

「……訊かれても、困りますよね。申し訳ありません」

 打ち明けても何も変わらないのに、思い出すと胸が圧迫されて気付けば指が動いている。

 一つずつ打たれていく文字は、やがて見るに耐えない惨めな文を作り上げていった。


《何をやってみても歌声がもう出ないんです。歌が大好きで、歌うことが自分の全てだったのに》

 アシスターは困惑と悲しみがいっぺんに広がった顔で、言葉に詰まっているようだった。

「いつから、ですか……」

 頼むから、そんな目でこっちを見ないでくれ。

 辛いのは俺の方なんだと、喉元まで上がった言葉が途中でつかえて心が苦しくなる。 

 藍色あいいろが深くなりゆく空を見ながら、時をさかのぼった。


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