第28話 貴女の御心のままに
その言葉に部屋中の視線がシンに集中した。
慄かなかったと言えば嘘になるがシンは目を逸らさずそれらを真っ向から受け止めた。
「何とかするって……どうするの?」
「ヴァルカン博士が言っていたことを思い出したんです。あの方法ならベレロフォンくんを助けることが出るんじゃないでしょうか?」
「あの方法って、あ……」
思い起こされるのは約一週間前の記憶。シンの『
『君の能力の一つは細胞の遺伝子情報を読み取り、それと同一のものを生み出してしまうものだ。だがもし、生み出す細胞に手を加えれるなら、ワクチンの開発なんかも出来るかもしれないね』
ワクチンは病原性を弱めたウィルス、またはそれを構成するタンパク質からできており、これを摂取することで人(に限った話ではないが)は抗体を獲得し、ウィルスへの耐性を得ることが出来る。
そして、ヴァルカンが言っていたのはシンがウィルスの遺伝子情報を『創造』でコピーする際、意図的にその病原性を弱体化させることが出来ればワクチンとして利用できるのではないかということだ。
「しかし、ウィルスに関して素人の貴様が膨大な遺伝子情報の中から病原性を区別し、それを取り除いた上で抗体を『創造』するなど可能なのか?」
「出来る出来ないかじゃなくてやるしかないでしょう。出来なければベレロフォン君が死んでしまうだけです」
疑る様子を見せるカストルであったが、フォルトゥナのストレートな物言いに口を引き結んだ。
今は時間がない。そんな中で出来るか、出来ないかで実行を躊躇うのは愚の骨頂。
他の解決策がいない以上フォルトゥナの言う通りやるしかないのだ。
「助かる可能性があるなら実行して下さい!シン殿、お願いします!」
「私からもお願いします!」
頭を下げ、懇願するアーガスとフローラにシンは力強く頷いて答えた。
「ええ……やってみせますとも」
◇
ベレロフォンの側に立ち、その額に触れたシンは静かに目を閉じ、能力を発動させた。
「――『創造』」
背中の紋様が魔力を帯び、熱を感じる。
『創造』で物体を生み出す際シンは無意識ながら対象となるものの遺伝子情報を読み込み、模倣を再現しているが、今回は模倣ではなく、別のものを『創造』する必要がある。
そのため自分の意思で遺伝子情報を読み込み、解析しなければならないが、一から十まで理解する必要はない。
ベレロフォンの体内にあるウィルスの病原性がどれかかさえ見分けられればいいのだから。
(――あった!これか?)
一瞬にも永遠にも思える時間の末、遂に病原性を見分けることに成功した。
科学的な根拠はない。ただ、人の命を蝕むようなそんな邪悪な魔力がそれにはあったように感じたのだ。
あとはこれを取り除いたもの『創造』するだけでいい。そう思った刹那だった。
「ぐっ――!」
頭の一部が爆発したような、そんな痛みがシンを襲った。
「シンくん!?」
突如膝を折り、苦悶の表情を浮かべたシンにアストレアが駆け寄る。
「
フォルトゥナはその症状に心当たりがあった。
『
シンの場合、『創造』による遺伝子情報の解析がこれにあたるのだが、その際に頭への負荷がかかり過ぎると
最初は頭痛と言った軽い症状から始まり、次第にそれは悪化、最終的には脳が焼き切れることもあるという。
「――――うう、うっ」
頭痛に呻くシン。
「――っ〜〜!」
それでも、シンは能力を止めようとはしなかった。頭痛を厭うことなく情報演算と抗体の構築を続ける。
「ダメよシンくん!すぐに能力を使うのを止めて!」
「出来ません……今ここで能力を止めても振り出しに戻るだけです……」
「それは――」
その言葉に口籠もってしまうアストレア。
シンの言う通りここで『創造』を中断しても根本的解決にはなり得ない。問題が先送りになるだけだ。
そしてそれはベレロフォンを見捨てるのに等しい。
無論、シンの身を優先するならすぐに中断するべきだろう。ミイラ取りがミイラになってしまっては本末転倒だ。しかし――、
「おれを……信じて下さい!」
シンはそれを拒んだ。ベレロフォンから目を離さないまま、されど声をこちらに向けて。
「おれは誓ったんです!貴方の力になると!それなのに子どもの一人も救えないなんてことはあってはなりません。だから……おれを信じて下さい!」
シンの目から赤いものが流れ落ちる。脳へのダメージが進行し、それが血涙という形で現れ始めたのだ。
常人なら能力を止める以前に気を失っていてもおかしくないほどの痛みが絶えず襲いかかっている状態だった。
「いや、駄目だ。今すぐ『創造』を中断し……」
「――分かったわ。続けなさい」
「アストレア様!?」
止めようとした矢先、続行を命じた主人にカストルは素っ頓狂な声を上げた。
一方、アストレアの目にはもう迷いはなかった。
「ただし、絶対に死なないで」
そして、いつもとは違う厳粛な、王族としての空気を纏い告げる。
「アストレア・ゲンチアナ・オブ・ザンザスが告げる。これは命令よ」
それ以上の言葉は不要だった。
告げられた主君としての命に
「
演算を再開する。
あとは病原性をなくした状態のウィルスの『創造』するだけだ。
これだけを言うといつもとやっていることは同じ、あとは簡単な作業だろうと思うかもしれないがそうではない。
先述の通り今回は模倣ではなく、違ったものを生み出す必要がある。そのため無意識での『創造』が出来ず、自意識で行わなければならない。
何も詳細が理解出来ない遺伝子情報を読み取り、それを自分の意思で『創造』するなど見聞きしたことのない異国の言語を紙に書き写していくに等しい。
決して出来ないことではないが時間がかかる。
そして、時間をかければかけるほど、
つまりこれはスピード勝負。抗体を『創造』するのが先か、シンがくたばるのが先か。
「ぐうううう……」
目からとめどなく血が溢れ出してくる。それはそのままシンの命数が流れ落ちているようにも見えた。
頭痛は酷くなる一方だし、意識も朦朧としてきている。
しかし、シンは構わず演算を続けていく。
演算して、演算して、演算して、演算して、演算して、演算して、演算して、演算して、演算して、演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して演算して――
「――――、あ」
シンの身体がぐらりと揺らぐ。そして、
「シンくん!」
まるで魂が抜けたように床へ崩れ落ちた。
急いで駆け寄ったアストレアが体を揺らすも微動だにしない。
その顔は血の気を失ったように青白く、力尽きたという表現がこれ以上にないほど似合っていた。
「シンくん!シンくん!」
「駄目だったか……」
最悪の結末にアーガスが頭を抱える。
シンは死んでしまったし、ベレロフォンも助けることが出来なかった。
部屋中に諦めと絶望、そして悔恨の念が入り混じった重い空気が漂い始めたその時だった。
「――――、うっ……」
声が聞こえた。
死の淵から帰還した生命の息吹が。
「あ……アストレア……様?」
声の主――シンは瞼を開け、自身の顔を覗き込むアストレアを視認する。衰弱してはいたが、その黄眼にはちゃんと光が灯っている。生きている証拠だった。
「シンくん――良かった!」
空色の瞳に涙を湛え、シンに力強く抱きしめるアストレア。胸を脈打つ命の鼓動を確かめるように、喜びを噛み締めるように。「本当に良かった」と繰り返し呟いた。
「……痛いです……アストレア様」
「あ……ごめんさない!」
シンの訴えに慌てて腕を解くアストレア。
解放されたシンはゆっくり体を起こすとアストレアに尋ねた。
「おれ、どれくらい眠っていましたか?」
「1分も経ってないわ」
「そうですか。ならまだか……」
「まだって、何が?」
「いえ、抗体の『創造』に成功したのでベレロフォンくんは大丈夫かなと……」
「「本当ですか!?」」
さらっと告げられた朗報にアーガスとフローラが喜色を露わにする。
「はい、症状がおさまるのは少し時間がかかると思いますけど……」
「驚いたな……私は力尽きて失敗したとばかり思っていたぞ」
「倒れたのは単に『創造』が完了して気が抜けたからですよ。ちょっと頭は痛いですけど命に別状はないです。多分……」
自信のなさが滲み出る最後の一言に呆れた様子を見せるカストル。だが、いつものような小言は言わなかった。
「ありがとうございますシン殿!何とお礼を申し上げていいか……」
「本当にありがとうございます!」
アーガスとフローラが床に膝をつき、頭を下げる。所謂土下座でシンに感謝の意を伝える。
俯き加減の顔からは雫がこぼれ、その体は歓喜と安堵の気持ちで震えていた。
そんな二人を見てシンは疲れたように笑うと、
「それじゃあ……一つだけおれの願いを聞いてもらっていいですか?」
「なんなりと」
「アストレア様の……支持者になってくれませんか?」
恐る恐る投げかけられたシンのお願い。
それを聞いたアーガスはしばらくキョトンとしていたがそれはすぐに笑い声ともに笑顔へ変わった。
「シン殿に頼まれては断ることなど出来ませぬな。分かりました。これから私はアストレア様の麾下に入りましょう」
「ありがとう……ございま……」
その返答を聞くとシンは全部を言い切る前に意識を手放した。
「シンくん!?」
「大丈夫ですよ。疲れて眠ちゃっただけです」
安らかな寝息を立てる顔を覗き込みながらフォルトゥナが言った。
「良かった……」
「それはそうと――」
フォルトゥナはアーガスの方を見た。
「よろしかったのですか?本当に」
「勿論ですとも」
アーガスは頷いた。
「元よりアストレア様のことはお慕いしておりました。シン殿のおかげでようやく決心がついたというだけです。それに――」
アーガスはそう続けると、
「娘がアストレア様のファンでして。きっと喜んでもらえるだろうと」
「それは嬉しいわ。その娘さんはどこに?」
「今は王都の陸軍士官学校に通っています」
「そう、それなら今度――」
その後、ベレロフォンの病気は完治。アーガスはアストレアの支持者になった。
食料問題を解決しただけでなく、支援者を得ることにも成功したアストレアは勢いそのままに共和国との戦争に臨むのだった。
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