第17話 日輪公

 部屋に入ると一人の老人が扉のすぐ前で四人を出迎えるように立っていた。

 そして、洗練された所作で九十度腰を折る。


 「ようこそおいで下さいました。これはアストレア殿下、また一段とお美しくなられましてご機嫌麗しゅうございます」


 「もう、そんなにかしこまらなくていいわよアポロお爺様。プライベートなんだからいつも通りで大丈夫よ」


 この老紳士こそカストルの祖父であるアポロ・ソル・オブ・ルブラ。階級は陸軍大将

 顔には皺が刻まれ髪もほとんど白に染まっているが、六十五歳という年齢を感じさせない背筋の伸びた長身に加え、服越しでも分かるほど胸板は厚く、まるで全てを薙ぎ倒す戦車のような迫力に満ち満ちていた。

 髭を生やし厳めしい雰囲気を漂わせているが、よく見ると線が細くくっきりした目鼻立ちをしており、美青年の時代の名残を残していた。若い頃女好きプレイボーイと名を馳せたのも納得がいく。


 「ふむ、そうですか……では、アストレア様ご機嫌よう」


 先ほどより幾分か口調を崩して再度挨拶をするアポロ。


 「ご機嫌ようアポロお爺さま」


 アストレアはその態度に満足したようでにうんうんと頷いた後、挨拶を返した。


 「カストルも随分と久しぶりだな」 


 続いてアポロはカストルに体を向けた。


 「ええ……お久しぶりです……お祖父様」


 「最近はどうだ?仕事はしているか?ちゃんと食べているか?十分な睡眠はとっているか?」


 「お祖父様……もう子どもじゃないんですから……」


 「私からすればお前はまだまだ子供だ」


 困ったように笑うカストルと穏やかに笑うアポロ。

 二人の仲は関係相応に良好なようだ。


 「フォルトゥナ殿もお変わりないようですな」


 「ええ、この通り元気にやらせて頂いております」


 「そしてそこのお方が……」


 フォルトゥナからシンに視線を向けたアポロ。だが、


 「お祖父様?」


 どういうことかアポロはシンを見たまま固まってしまった。その顔には驚き、戸惑いと言った色が浮かんでいる。


 「アポロさん?どうしたの?」


 「……いえ、何でもありませぬ。それで用事というのは何ですかな?」


 しかし、次の瞬間には何事もなかったかのようにアストレアの方へ向き直る。その顔からは既に先程の色は引っ込んでいた。


 「はい!それはこの子についての相談で……」


 アストレアはシンのこれまでの背景、『聖痕スティグマ』の詳細、そして指南役を引き受けて欲しいことをアポロに話した。


 「なるほど……下手な者に事を明かすわけにといかず私に白羽の矢が立ったということですな?」


 「はい……どうかお願い出来ないでしょうか」


 「構いませんよ。引き受けましょう」


 「本当ですか!?」


 「お祖父様!?」


 二つ返事で了承することは予想出来なかったのかアストレアとカストルが驚きの声を上げた。


 「ええ、後進の育成は老骨の仕事ですから。それにアストレア様のお頼みとあっては無碍に断るわけにはいきませぬな」


 「ありがとうございます!」


 「お待ちをお祖父様!」


 だが、それにカストルが待ったをかける。


 「お祖父様は国軍省にして統合参謀本部総長というお立場!そのようなお方が一介の捕虜相手に時間を割かれるなどあってはなりませぬ!」


 若干演技臭さが拭えないがカストルの言っていることは筋違いではない。


 王国という国家を支える十二本の屋台骨たる国務卿の一翼を担う国軍卿。そして王国軍の頭と言っても過言ではない統合参謀本部総長。

 どちらの生半可な者では務めることの出来ない激務であり、重要ポスト。

 しかもこの二つを兼務するなど常軌を逸しており、優秀なアポロだからこそ出来る芸当だ。

 そんな重要人物を、ましてはこの戦時中に遊ばせておくにはいかない。


 以上がカストルの道理の通った主張なのだが、アポロはそれを是としなかった。


 「なるほど。カストル、つまりお主はこの私が仕事を休まねば子ども一人鍛え上げることが出来ぬと言っておるのか?」


 「そ、そのようなことは……」


 アポロの冷たい視線に一転して憔悴した様子を見せるカストル。

 そこに先程までの和気藹々とした祖父と孫の雰囲気はなかった。


 「私を誰と思おうておる?」


 更に畳み掛けるようにアポロが告げる。


 「三大公爵家の一つホークメイ家現当主【日輪公】アポロ・ミリカ・オブ・ルブラなのだぞ」


 静かだが、凄みを感じさせる声色。

 それに気圧されたカストルは押し黙ってしまう。

 こうなってはもう自分の非を認めたのと同義。

 カストルは大人しく引き下がるしかなかった。


 しかし、アポロがカストルの言葉に対して本当にそのような印象を抱いたのかと言うと答えは否だ。

 アポロとて自分の多忙ぶりや就いている立場の重さを自覚しているし、自分の働きが王国の情勢に大きく関わってくることも分かっている。

 だが、それを理由に他のことを蔑ろにすることの愚かさをアポロは識っていた。


 「――――」

 

 加えて、アポロは気付いていた。カストルの非難する声にどこか自分ではない誰かに対する悪意のようなものが含まれていたことを。


 (依存気質のあるカストルのことだ。アストレア様がシン殿を気に掛けているのが気に入らないのだろう)


 そして、見抜いていた。昔から変わらぬカストルの性分を。


 「どうされたんですかアポロさん?怒ったかと思ったら笑って……」


 そうアストレアに指摘され、アポロは初めて口元が綻んでいることを自覚した。


 「申し訳ありません。カストルは変わらないなと思いまして」


 アポロは笑いながらそう返した。

 カストルはそんな祖父の意図が分からず「また怒らせてしまったのだろうか」とビクビクしていた。


 「さて、話が逸れましたが……シン殿」


 「は、はいっ!」


 「早速手ほどきをしてあげましょう」


 「え!今から……ですか?」


 唐突な展開にシンは驚きと狼狽えが半分ずつ混じった声色で確認を取る。


 「当然です。そのために来たのでしょう?それに最近はデスクワーク続きだったので私も体を動かしたいのですよ」


 そう言うとアポロは不敵な笑みとともに指をパキパキと鳴らし始めた。

 その年齢に似合わない攻撃的な仕草にカストルはかつて味わった特訓を想起フラッシュバックさせ、震えていた。


 「はい、お願いします」


 一方何も知らないシンは有難いとばかりに頭を下げた。

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