第20話 家持の献身



 「死後20年ほどたってから、家持は、ようやく許され、復位しました。『万葉集』の成立は、それ以後のことです」


 まるで宙に浮く家持の霊をなだめるかのように、桐原の弟が言う。

 俺は首を傾げた。


「死後20年って……。ちょっと待て。『万葉集』の編纂者は、大伴家持じゃなかったっけ?」


 死んでいる彼に、歌集の編集など、できるわけがない。

 歴史や文学に疎い俺は、そもそもの根幹が怪しくなってきた。


「家持も、編纂者の一人だ、ということです。防人の歌を集めたのは、明らかに家持ですし」

 物わかりの悪い子どもに教えるように、辛抱強く、桐原の弟は説明した。

「古くは、持統天皇や柿本人麻呂も、関与しているようです。家持のほぼ同時代人でも、元正げんしょう天皇(*1)、市原王、大伴坂上郎女おおとも の さいかのうえ の いらつめ(*2)の名が挙がっています」

「……」



 『万葉集』について、俺は、自分が何も知らないことに気がついた。

 だから、家持の歌が軍歌に組み込まれ、防人の歌が戦意高揚に利用されても、受け容れるしかなかった。


 家持が献身を捧げたのは、帝ではない。帝が治める、日の本の国でさえない。

 安積皇子。

 家持自身は、「吾君おおきみ」と呼んだが、出世の道を封じられた、一貴公子だ。


 同じ献身でも、「天皇陛下、万歳!」といって、敵に突っ込んでいった我々20世紀の青年とは、様相が違う。


 あまりにも俺は、知らなすぎた……。








――――――――


*1 元正天皇

聖武帝の伯母で、ひとつ前の天皇


*2 大伴坂上郎女

家持の叔母で、姑にもあたる







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