第17話 氷上川継の乱

桓武かんむの帝を、弑し奉りたいと思います」

 大伴家持を訪れ、氷上川継ひかみ かわつぐは告げた。



 川継の母は、井上廃后の同母妹である。*1

 それだけではない。

 謀反に加わり処刑されてはいるが、川継の父も、天武系だ。*2

 両親を天武系に持つ川継は、桓武王朝に対する抵抗勢力の期待を、一身に集めていた。



 「井上内親王伯母上他戸親王いとこは、毒を盛られたのでしょう。さもなくんば、同日に薨去するなど、考えられない! 不名誉な噂を流され、呪詛の讒言を被せられた上の、この狼藉!」


 まくしたてる川継を、家持は、黙って聞いているだけだ。


「一件には、藤原式家が絡んでいます。藤原百川ももかわは、ひどく、桓武天皇に肩入れしている。家持殿。確かにあなたは、百川の異母兄、良継よしつぐとは、昵懇の間柄であられるが……」


 ちょうど20年前、家持は、藤原宿奈麻呂(良継の始めの名)の乱に加担している。*3


 家持は静かに首を横に振った。

光仁こうにん帝即位の折は、私は、宿奈麻呂(良継)に全面的に賛成した。しかしそれは、光仁帝に、他戸おさべ皇子が、あられたからこそ」


「他戸皇子は、母上の井上内親王とご一緒に、廃太子されてしまいました」


良継宿奈麻呂は、百川異母弟の暴走を止められなかったのだ」

 深く、家持は息を吸った。

「よろしい。氷上川継殿、あなたに助太刀しましょう」


「感謝します、家持殿。母も、どれほど喜ぶか」

 感極まって、川継は、嗚咽を漏らした。


 自分で計画を持ち掛けておいて、しかし、彼は、心のどこかで不審を感じていた。

 この、大伴家の当主は、どうして、自分に賛同してくれるのか。


 川継に浮かんだ疑問が、家持に伝わったのか。家持は、青年の目を真っ直ぐに見返した。

「私は、ただ、主君に忠実であるだけだ」


「あなたの御主君は……」

 それは、光仁帝だと、川継は思っていた。光仁帝の御代になってから、家持の出世が続いたからだ。

 あるいは、もっと前、賢帝・聖武天皇か……。


安積あさか皇子である」

きっぱりと、家持は宣した。


「安積……皇子」


 川継には、叔父に当たる。母、そして、井上廃后伯母の、同母弟だ。

 若くして亡くなったこの叔父の話を、母は、時々してくれる。

 ……あの子さえ、生きてさえいてくれたら!

 そんな嘆きと共に。


「私が聖武帝に仕え続けたのは、安積皇子の御父上だから。光仁帝の御代での出世は、安積皇子の姉上、井上内親王のお力があってこそ」

「では、私の謀反に名を連ねて下さるのは……」


 川継が尋ねると、ふてぶてしい笑みを、初老の男家持は浮かべた。


「御身が、安積皇子の甥御様だからだ。他に理由はない」





 天応2(782)年、閏正月10日。


 その蔵人は、宮廷警護の衛士の不審を招いた。ひどくそわそわし、あまつさえ、懐に何度も手をやっていたのだ。まるで、何かの所在を確かめているかのように。

 見慣れぬ男だった。新たに雇われた者のようだ。しかし、それにしても、落ち着きがない。


「おい。そこの」

衛士が呼び掛けると、男は飛び上がった。


 明らかに怪しい。

 衛士は男をひっ捕らえ、詰め所に引っ立てていった。



 男の懐からは、鋭利な刃物が出てきた。

 大騒ぎになった。


 男は、氷上川継の従者だった。

 両親とも天武系であり、両親とも謀反の過去のある川継は、朝廷にとって、要注意人物だった。*4


 川継の従者への拷問は、苛烈を極めた。


 ついに従者は、あるじによる、桓武天皇暗殺計画を吐露した。

 これには、大伴家持ほか、右衛士督らも、名を連ねているという。


 川継は流刑、家持はまた懲罰人事を受け、陸奥むつへ飛ばされてしまった。








☆――――――――


*1

不破内親王


*2

塩焼王。橘奈良麻呂の乱で新天皇に名が挙げられたが、塩焼王は、処罰されることはなかった(「13 橘奈良麻呂の乱」参照)。後、臣下降籍したが、仲麻呂の乱で、一時的に新帝に担がれたため、討伐された


*3

良継の初名は、宿奈麻呂(「13 藤原宿奈麻呂の乱」参照)。また、宿名麻呂は家持に、自国の防人の歌を献じたこともある(「9 難波の防人」参照)。


*4

不破内親王は、義姉の称徳天皇を呪詛したとされる。後にこれは冤罪とされた


*5

当時、井上内親王は、伊勢の斎王だった為、弟・安積皇子が亡くなるまで、ついに、一度も会うことがなかった










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