第9話 難波の防人


 藤原式家、宿奈麻呂すくなまろと、大伴おおとも家持やかもちは、古い付き合いだった。


 宿奈麻呂は、あわれを解することができる性格だった。時折、歌を詠むこともあった。家持は、彼の歌を笑って聞いているばかりだったが。



 藤原式家は、長男の広嗣ひろつぐが謀反を起こしてから、長い不遇が続いている。それで、弟の宿奈麻呂も、相模の国に飛ばされ、そこで、軍の管理などを任せられていた。


 軍と言っても、宿奈麻呂に任せられていたのは、徴収されてきた民、即ち防人だった。



 そんな折、宿奈麻呂は、配下の防人たちを、難波へ連れていくことになった。彼らは難波での閲兵の後、遠く九州へと送られるのだ。


 閲兵に訪れる兵部使ひょうぶのつかいは、畏友、大伴家持だった。


 友人が、行く先々で、名もなき人々の歌を集めていることを、宿奈麻呂は知っていた。

 それで、自国の防人が難波へ赴く際、彼らに、歌を詠ませてみた。文字の書けない者は、役人に命じて書きとらせた。


 なかでも特に秀逸と思われた八首を、宿奈麻呂は、家持に献じた。





 「どうだ。わが国人たちの歌は」


難波に到着し、宿奈麻呂が尋ねると、家持は、眉を寄せた。


「ううむ。読むに耐えるのは、5首だな。これは、と思えるのは、3首だ」

「3首? 手厳しいな。ろくに読み書きもできない防人たちの歌だぞ?」

「五七五七七の歌としては、だ。その心情は、読む者の胸を打つものがある」

「別れてきた家族への想いを歌ったものが多かったろう?」

「というか、それに尽きるな」


「なあ、家持」

宿奈麻呂は、膝を勧めた。

「この国のやり方は、間違っていると思わぬか?」


「帝に異議を申し立てるのか?」

 面白そうに家持が問う。


 時代は、孝謙女帝の治世に移っていた。


 宿奈麻呂は、ぐいと、盃を干した。

「聞け、家持。繰り返される都移りや、寺院建立で、諸国は疲弊している。3年前に落成した東大寺の大仏も、多大な負担を、民に強いた」


 家持の顔色が変わった。

「宿奈麻呂、いくらお前でも、聖武上皇を揶揄することは、許さぬぞ」


 既に聖武は、孝謙天皇に譲位している。だが、宿奈麻呂が指摘したのは、聖武時代からの圧政だ。


「それに、負担だと? 何を言う。廬舎那仏るしゃなぶつこそ、この国の民をあまねく救い給う、仏の化身、」


「金を塗る過程で、死人が大勢出たと聞く。死んでいったのは、各地から集められた人足たちだ」


 すかさず、宿奈麻呂が切り込んだ。

 ぐっと、家持の喉が詰まる。

 宿奈麻呂は、さらに追い打ちをかけた。


「人夫や防人として男手を取られ、田舎に残されるのは、女や年寄り、子どもばかりだ。育てる者もなく、置き去りにされる子もいると聞く。残された家族は、生計たつきの道さえ危うい」

「しかし、」

「いいから聞け」


なおも聖武上皇を擁護しようとする家持を、宿奈麻呂は抑えつけた。


「徴収された男たち自身、生きて帰れるかどうか、わからない。任が果てれば、路銀も渡されず、そのまま放り出される例もあったと聞く。国へ帰る街道のあちこちで、彼らは、屍を晒しているのだ。かりにも、豊葦原とよあしはら瑞穂野国みずほのくにの民だぞ? そのように、使いつぶされるようなことが、あっていいものか」


「……」

さすがに、家持は、黙り込んでしまった。


 それぎり、会話は進まなかった。

 連れてきた国人たちを難波に残し、宿奈麻呂は、相模に帰っていった。





「海行かば

 水浸みづかばね

 山行かば

 草かばね

 大君の

 にこそ死なめ

 かへりみはせじ」


 一人になった家持の脳裏に、大伴家の言立てが、しきりと鳴り響いていた。

 言立てとは、一種の見得のようなものである。いわば、大伴氏の決まり文句だ。


 6年前、大伴家当主でもある家持は、この言立てを、自身の歌に詠みこんだ。

 陸奥の国から、金が出土した折のことだ。金は、東大寺に建立中の廬舎那仏に塗布するのに、どうしても必要だった。



 東大寺の廬舎那仏像建立の発願は、聖武天皇によるものだった。



 聖武の人生は、苦しみに彩られていた。

 彼の母親は、長く心の病に苦しめられており、聖武は、不惑近くなるまで、母と会うことも叶わなかった。

 その治世の初期には、長屋王の変、藤原広嗣の乱などの変事が、彼の精神を揺るがした。


 また、干ばつ、飢饉、火災が相次ぎ、ついには、天然痘が大流行した。これにより、藤原4兄弟など、政府高官の多くが身罷みまかった。まさに国の屋台骨を揺るがしかねない事態だった。


 相次ぐ国難の中、聖武は、5年もの間、各地を彷徨し、また、遷都を繰り返した。


 跡継ぎの皇子を失ったのも、痛手だった。

 彼には正室と側室腹、それぞれ一人ずつ、男の子が生まれた。

 しかし、正室の産んだもといは、1歳を待たずして夭折し、側室腹の安積あさかは、聖武の彷徨中、17歳で亡くなった。


 聖武は、仏教に帰依することで、この国難を乗り越え、人心を安定させようとした。



 廬舎那仏の建立は、河内の知識寺が、建立のきっかけになったという。


 「知識」とは、信仰を同じくする者の集団である。その連帯感と、信仰の厚さ、また、身分を度外視した考え方が、聖武の心を打った。


 それゆえ彼は、東大寺の大仏造営に関して、信仰の心さえあれば、草一本、土一握りの喜捨であっても、これを許した。反面で、民から無理やり取り立ててはならぬと諫めている。



 しかし、家持にとって、大仏建立は、別の意味があった。


 ……安積皇子。


 17歳で亡くなった、聖武の皇子である。

 廬舎那仏は、家持にとって、今や天上を治めていらっしゃるであろうこの皇子の、まさに化身であった。


 ……わが国土から、金が出土したのは、まさしく、安積皇子からの親書。


 冥界におられる皇子が、大仏建立を喜んでいらっしゃる証なのだと、家持は思った。


「葦原の 瑞穂の国を 天下り らしめしける 皇御祖すめろきの 神のみことの 御代重ね 天の日嗣ひつぎと らしる ……」*


 有頂天になり、家持は、一気に長歌を書き上げた。中に、大伴家の言立てを織り込み、天皇家への忠誠を示した。

 反歌3首を添え、献上した。


 この年、聖武は、娘の阿倍内親王あべのひめみこに譲位している。



 陸奥の国から金が掘り出された3年後。

 廬舎那仏は完成し、開眼供養が行われた。


 菩提僧正が点眼に使用した筆には、長い(紐)が結びつけられていた。出席した人々は、帝も上皇も、貴族も、一介の僧侶も、みな、この紐を握り、仏との縁を結んだ。




 その廬舎那仏建立が、民の苦しみの元になったと、宿奈麻呂は言う。

 家持は、考え込んでしまった。

 彼が残していった防人の歌を、繰り返し読んだ。


 宿奈麻呂にはああ言ったが、どの歌も、ひどく心に響く。

 試みに、彼らの身になって、自分でも、幾つか歌を作ってみた。だが、あの素朴な方言に勝る言葉は、どうしても出てこなかった。


 難波に集った全国の防人たちに、歌を作らせてみよう。

 家持は、さっそく、聞き取りの役人を集め始めた。







 相模の国に帰り着いた宿奈麻呂の元へ、家持から、文が届いた。


 防人の歌は、反逆である。文学の反逆だ。私は、畏れ多くも。大君のまつりごとへの批判をこめて、防人達の歌を編もうと思う。


 勇ましくある筈の防人が、いざ出発の期に及んで、親を慕い、妻を恋い、めそめそじくじく、思い煩う。だが、彼らの歌は、心を穿つ。

 これが、人間の姿なのだ。家族や恋人と過ごす幸せを、彼らから、奪ってはならぬ。

 かえりみの人々から引き離し、命がけの任務を負わせることは、お前の言う通り、間違いである。


 聖武の君は、賢帝であられた。

 賢帝にしてからが、国の宝であるべき、民の苦しみに、お気づきにならなかった。ご自身の苦悩で、せいいっぱいだったのだ。

 ましてや、暗愚の輩が権力を握った暁には、いかなる悲惨が、この国を襲うだろう。


 防人の、名もなき民の言の葉を残すことによって、為政者が、己の圧政に気づくことができるように。

 願いを込めて、私は彼らの歌を、後世に残したいと思う。


 歌集が仕上がった暁には、まずは、衷心をこめて、聖武上皇に奉るつもりだ。

 帝を諫める行為は、大罪に値するやもしれぬ。だが、上皇を聖帝であらしめるために、いかなる責めをこの身に負おうとも、私は、諫臣とならねばならぬ




 だが、翌年、家持が防人の歌をまとめきらないうちに、聖武上皇は亡くなった。








☆―――――――


* 巻一八 4094




※この時代の系譜について、「近況ノート」に、系譜を用意してございます


①天皇家の系譜

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817139557316531902


②藤原氏の系譜

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817139557316695694



ちょっと、いや、かなり見えにくいようでしたら、NOVEL DAYS さんのを参照頂いてもいいですよね、カクヨムさん。

https://novel.daysneo.com/works/episode/3147742d0a623a496faa9a24ca999899.html














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