第6話 缶詰と勧告
朝のジャングルは、獰猛なまでの生気に満ちていた。
草木の青臭さ、そして、南国の花の、甘い香り……。足元は、たちまち、朝露で濡れそぼった。
注意深く、一歩一歩、歩いて行った。
崖下のこの辺りは、比較的草木が少ない。
苔むした岩に足を滑らせ、急激に上下する山道を、僕は、息を切らせながら歩いて行った。
吐き気がするほど濃い緑の上に、それは、ふわりと覆いかぶさっていた。
赤と白の横縞、白い点を飛ばした青。
星条旗だ。
敵国の国旗を間近に捉え、さすがに、胸が、どきどきした。
同時に、こんなド派手な旗をわが陣近くに落とすとは、馬鹿に違いない、と思った。
星条旗は、高い木の梢にひっかかっていた。
枝の一部が折れ、重そうな籠が、ぶら下がっている。
あきれたことに、やつら、国旗を落下傘に仕立てたものとみえる。
わが国だったら、信じがたい非国民的な行為だ。
それとも、やはりこれは、罠なのか?
さらにしばらくの間、僕は、草の間に伏せ、様子を窺った。
人の気配はない。
俺は考えた。
たとえあの籠に危険物が入っていたとしても、無造作に空から落として、一つも爆発しなかった。
多分、恐るるに足らぬものなのだ。
なにより、斥候という任務を帯びている以上、敵のあからさまな挑発行為を、見過ごすわけにはいかない。
真下まで行って見上げると、落下の衝撃で旗はところどころ大きく裂け、為に、吊り下げられた籠は、かなり低い位置まで垂れ下がっていた。
それにしても、丈夫な布だ。もう日本では、こんな布は、軍需といえど、手には入るまい。
辺りを見回すと、ちょうど良いころあいの枝が落ちていた。今の衝撃で折れたものであろう。俺はそれを拾い上げ、しばしためらった。
意を決し、籠の真下へと行った。ちょいとつついてみる。
すわ爆発、と、思わず息を詰めた。
変化はなかった。籠はゆらゆらと揺れるだけだ。
それならと、籠を吊り下げた綱を枝にひっかけ、たわませ、もつれをほどこうとする。
籠は、かなりの重量があるらしく、難儀した。
崖下では、具合の悪い桐原が待っている。
僕は、焦った。
わずかな力の加減で、籠が大きく傾いだ。
はっと息を詰め、飛びのいた。どさりと重い音を立て、綱の外れた籠が降ってきた。
重く湿った着地音がした。
「……っ」
爆発はしなかった。
思わずぎゅっと閉じた目を、恐る恐る開いた。
柳で編んだらしい籠の上蓋が飛び、中身が草の上に散乱していた。
子どもの頃、配給のくじ引きで、それを見たことがある。
たった十数年前のことなのに、もう、遠い昔のことに思われる。
缶詰だ。
思わず、足元に転がってきたひとつを拾った。
缶詰だと思う。
しかし、何の缶か、わからなかった。缶には牛の絵が描いてあり、説明書きは、敵性語だった。BUTTER、ブター、と読めた。
しかし、その横に落ちていた缶は、何の缶詰か、すぐにわかった。その横のも。それぞれ、みかんと桃の絵が、色鮮やかに描かれていたからだ。
情けない話だが、俺は、夢中になって、缶を拾い集めた。熱い頭で、これで桐原は生きられる、と思った。桐原も、自分も、営巣地にいる仲間たちも。
水けをはらんだ重い風に草がそよめき、一枚の紙が、足にからみついた。
内地では、すでに紙は、貴重品だった。
拾い上げたそれには、へたくそな日本語で、なにか書いてあった。
「日本」「負」「投降せよ」……。
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