第5話 アメリカ軍のヘリ

 次の朝、ばらばらという、ヘリの爆音で目が覚めた。

 ぎょっとして飛び起きた。

 崖から垂れ下がってくる幾筋もの蔓草をかき分け、そっと、上空を仰いだ。


 アメリカ軍のヘリだった。


 最悪だ。

 ここで死ぬのか、と思った。


 だが、爆撃にしては、様子が変だった。

 アメリカ軍のヘリは、ぐるぐると上空を旋回するだけで、一向に、爆撃してくる気配もない。



 「敵か?」

後ろから、苦しげな声がした。


「ああ」

「ここを探しているのだろうか」

「わからんね」


 ひと事のように、単簡に、俺は答えた。

 そうすることで、落ち着こうと思ったのだ。俺は努めて軽い調子で、付け加えた。


「地雷でも探しているんじゃないか」


 あらかじめ地雷を埋め込んでおいて、そこを狙って、空から爆撃すれば、大きな効果が得られる。

 つまり、この近辺に敵さんの地雷が埋まっていたら、俺らはおしまいだ、ってことだが……。


 自虐的に続けた。


「アメリカさんは、日本軍の駐屯地なんか、とっくの昔に割り出しているに違いない。そして、そこから出てくる奴を、粉々に吹っ飛ばそうとしているのさ。いわば、俺達は、袋のネズミってわけ」


「僕らが斥候に出たという情報が、漏れていたんだろうか?」

「わからんね」

同じ言葉を繰り返す。


 俺は、懸命に自分を落ち着かせようとした。

 心臓がばくばく鳴っている。あとどれくらい、生きられるのか。


 爆撃されたら、半端に生きていたくない。死ぬのは、痛いのか。苦しいのか。

 僕の死は、国元の母と妹に、きちんと伝わるだろうか。母と妹と、そして……。


 いいなづけの怒った顔が、脳裏に浮かんだ。

 君が好きだ。

 怒った顔も、大好きだ。

 でも、最後に思い出す君の顔が、こんな怖い顔なんて、俺はいやだよ。


 ……死んだら、許さない。

はっきり聞こえた。



 そう。最後の夜、彼女は、そう言ったんだ。


 ……戦争に行ったらだめ。私と一緒に逃げて。


 それはできない。俺は答えた。すると彼女は言った。


 ……絶対、帰ってきて。名誉の戦死なんて、許さないからね。



 ごめんよ。君との約束は、果たせないかもしれない。俺は、ここで死ぬのかもしれない。

 ふるさとから遠く離れた、恐ろしいジャングルの中で。



 「背嚢はいのう……」

桐原の、かさついた声が聞こえた。

「僕の背嚢を、……開けてくれ」


 ヘリの音に気を取られつつ、俺は、上の空で、桐原の、ぼろぼろになった背嚢を開けた。


 「……一番、下だ」


 さまざまな、重い装備の下に、それは、ひっそりと潜ませてあった。

 『万葉集』。

 ぼろぼろに擦り切れた、文庫本。


「こんなところにまで、持ってきたのか」


 さすがに呆れた。

 命がけの偵察に、本を持ってくるとは。


「ああ。恋人、だからね。みとってもらう、約束さ」


 頬を赤らめ、瞳がうるんで見えたのは、熱のせいだけだったろうか。


 『万葉集』を渡すと、桐原はそれを胸に抱き、瞼を閉じた。

 苦しそうな、ごろごろという胸の音が聞こえる。

 そのまま、桐原は静かになった。眠ってしまったらしい。あるいは、気を失ったのか。



 俺は再び、ささやかな寝所の入口まで這い寄った。蔓草をかきわけて、空を見上げる。

 眩しいほどに明るい、南国の空だった。


 充分な熱気と、しっとりとした湿度が、やわらかな青色を生み出していた。

 陽気な南の空に、禍々しい機体が浮いていた。

 アメリカ軍のヘリだ。

 あいつら、ここに爆弾を落とすつもりなのだろうか……。


 ふいに、ヘリのハッチが開いた。

 広々とした空に、黒い点が、ぱらぱらとばらまかれた。


 はっと、息を呑んだ。


 芥子粒のようなそれは、少しの間、勢いよく落下し、それから、ぱっと傘を開いた。がくん、と大きく揺れ、ゆっくりと舞い降りてくる。


 「なんだ、ありゃ」


 人の大きさではなかった。もっと小さい。だが、爆弾ではないようだ。

 爆弾に、落下傘をつけるわけがない。


 ヘリから落とされた落下傘は、次々と、地面に着陸していく。

 あきれたことに、ヘリは、それなり、北の方向へ飛び去っていった。


 「なんだったんだろう……」

俺のひとり言に、桐原が反応した。

「ヘリ、飛んでったね」

「ああ、何か、落としていったよ。……君、眠ってたんじゃないのか」


 桐原は答えなかった。


 「何を落としたか、見てこようと思う」


 万事、慎重な桐原のことだから、止めるものと思った。

 だが、振り返ってみると、あいかわらず、『万葉集』を胸に抱いたまま、目を眠っていた。

 暗い崖下で、その顔は、木彫りの像のように見えた。


 「罠、だろうか……」

俺の声は、ジャングルの静寂に吸い込まれた。


 遠くで、鳥が鳴いた。それに応えて、近くの茂みから、熱帯の、色鮮やかな鳥が、飛び立った。

 再びの静寂。


 罠ではなさそうだ、と、俺は思った。

 少なくとも、爆発物ではない。



 「……世話になったね」


 不意に、はっきりした声で、桐原が言った。

 ぎょっとした。

 桐原は、半身を起して、熱に浮かされた赤い顔で、こちらを見ている。


 「馬鹿、無理するな」


叱りつけるように言うと、崩れるように横になった。


「なんでも君は、栄養が不足しているんだ。だいじょうぶ、航空地上部隊と合流すれば、食べる物なんて、いくらもあるはずだ。なにしろ、やつらは、空を飛べるんだからね。食料の調達だって、ちょちょちょいのちょい、てなもんよ」


 不吉な予感を振り払うように、俺は、べらべらとしゃべりまくった。

 桐原は、悲しそうにほほ笑んだ。


「せめて、和歌のひとつも詠めたらいいんだが。ひどく頭が痛くて、言葉が思いつかない。辞世の句は、僕にはもう、無理だ」


「辞世、なんていうな」

強く咎めた。すぐに言葉をやわらげ、続けた。

「生きて復員して、君は、小説を書くんだろう? 今、歌を詠む必要なんか、あるものか」



 悲しかった。

 とてもとても、悲しかった。



 「じゃ、行ってくる」


 勢いよく、蔓草をはねのけて、外に出た。

 後ろで、桐原が何か言ったようだ。

 ありがとう、と聞こえた。







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