027 勇者レックス、故郷を思う


「おらおらおらァッッッ!! バスタ様のターンだぜ!!」

 雄叫びを上げたジャイアントワームに対し、俺は長柄鶴嘴を片手に握ると、奴の胴体に向けて先制攻撃とばかりに突っ込んでいく――


                ◇◆◇◆◇


 TIPS:アーガスの森

 アーガスの森は神々が作成した神の試練たる迷宮ダンジョンではなく、地上に露出した地脈たる、巨大な魔力溜まりを中心にして発生した大森林型の超大型魔境エリアである。

 名前の由来は、発見した大賢者アーガスの名からとられた。


 なお、アーガスの森は勇者レックスの故国たるゼーブアクト王国が、国土の西方に抱える超大型魔境の一つであり、『人類が解決すべき二十七の迷宮・魔境』が一つに数えられている。

 とはいえ巨大すぎるこの森から魔物の群れが暴走することは稀で、国家の歴史上でも数えるほどしかない。

 では安全な地域かとそういうわけでもなく、この巨大魔力溜まりの瘴気に影響された周辺のダンジョンが迷宮暴走スタンピードをたびたび起こし、人類の生存圏を脅かすことで問題となっている。


 なお森型の魔境であるアーガスの森は奥へ進めば進むほどに、強力な動物や昆虫、植物型のモンスターが襲ってくるようになるためか、その奥地全てを探索した者はいない。


 探索の適正レベルは五段階に別れており、アーガス村の住民たちの採集エリアである最外周は0~4レベル。

 この最外周エリアでは怪物といった見た目のモンスターは出て来ない。

 せいぜいが凶暴化した小動物や大型の鹿、猪などが発生する程度である。

 アーガス村や他の森に隣接する村の住民などはこのエリアで薪や薬草、キノコなどを採集し、生活の糧にしている。


 生存に関わる難易度―魔境としての本質―が上昇するのは低層からである。低層エリアの適正レベルは5~10レベル。

 ここからゴブリンや小型の魔蟲などの、明確に人類の殺傷を目的として発生したモンスターが出現するようになる。

 また、このエリアからは強い薬効のある薬草や貴重な木材などが入手できるため、付近の村に住む森に慣れた狩人や森番、木こり、薬草取りなどが活動を行っている。

 辺境地のために冒険者などはやってこないため、モンスターと積極的に戦うのは森に慣れた狩人ぐらいのものである。

 また、ここで活動する人類のたいていは魔物避けのアイテムなどでモンスターと遭遇しないようにしているため、狩人以外のレベルはそこまで高くはならない。


 そして中層、適正レベルは10~20レベル。

 ここから魔蜂や大熊などの、騎士や高ランク冒険者などの、戦闘を専門とする人類でしか相手にできない強力なモンスターが出現するようになる。

 なお敗北者どもの魂と融合したバスタが普段行っている低層の間引きを行ったあとのレベル上げのために活動する地域がこのあたりである。

 また周辺地域のダンジョンでスタンピードが起きるなど、森に影響するなにかがあった場合、この中層の生息モンスターが低層に出てきて、押し出されるようにして低層のモンスターが付近の村を襲うことになる。


 ゲームである『魔王戦争 ―四人の勇者―』本編では、義妹ライナナが死亡し、悪童バスタを殺したボスモンスターを倒したあとから中層に侵入できるようになる。

 もっとも、経験値効率や取得アイテムが出現モンスターの強さからするとあまり効率的な場所ではないので、ここを探索するぐらいなら他のエリアを優先して探索したほうがいい。

 中層エリアの先にある深層エリアでは一般的に災害とされる30~40レベルのモンスターが――現代兵器に例えるなら一匹一匹が大国が保有する第三世代主力戦車一台分程度の強さ――出現するようになるものの、基本的にこの辺りのモンスターは滅多なことでは瘴気の薄い場所には出て来ないため、このクラスのモンスターに村が襲われるような事態にはならない。

 ゲーム本編で深層エリアに侵入できるようになるのは、勇者レックスが青年期に入ってからであり、それ以前に侵入しようとすると操作キャラクターが『危険だから戻ろう』と言って戻ってしまう。


 最深部のエリアの適正レベルは60。

 出現するモンスターには竜種や精霊などが交じるようになり、超高位霊薬たるエリクサー作成に必要な聖樹属性素材などが採取できるようになる。

 また他勇者プレイ時に勇者レックス敵対ルートに入ると勇者レックスと聖女ルナが最深部にボスエネミーとして出現する。

 周回プレイをするなら彼らを倒すことでドロップするレックスとルナ専用の準最強装備を獲得しておくと良いだろう。


                ◇◆◇◆◇


 バスタが『眩惑のジャイアントワーム』と戦いを開始したとき、アルゴ子爵領の領都アルゴに続く道の途中で、覚醒した勇者であるレックス少年はなにかに気づいたかのように立ち止まった。

「レックス、どうした?」

 父親であるダイナは自身も足を止め、立ち止まってしまったレックスに穏やかな口調で問いかける。

 ただし母であるヴェルラは立ち止まらない。

 村から出るときこそ家でレックスに誓ったように優しく接することができていたヴェルラだったが、こうしてモンスターが出現しかねない道を歩き続けることで強烈なストレスに晒されたせいなのか、自分が村を追い出されることになった原因である愛息子レックスに対し、憎悪に近い感情を抱くようになってしまっていた。

 自分たちを置いてずんずんと道を進んでいく妻の姿に複雑そうな表情を向けたダイナだったが、そんな彼も今は冒険者時代に使っていた長剣の柄を握りつつ、周囲の警戒は怠らない。

 ダイナは、立ち止まらずに歩くよう、努めて柔らかい声を出してレックスに命じる。

「レックス、この辺は街道で、騎士様の巡回があるからモンスターは出にくいが、全く出ないわけじゃないんだぞ。ほら、ぼうっとしてないで歩いてくれ」

「んん、ああ――なにかに呼ばれたような気がしたんだけどな」

「レックス、なんだって?」

「いや、なんでもないよ。そんなに何度も言わなくてもちゃんと歩くって、父さん」

 レックスは名残惜しそうな、なにかに引かれるような視線をアーガス村の方向に向けたものの、父親に何度も急かされるうちに、視線を街道の先に向け、しっかりとした歩調で歩き出す。

 そんな息子の様子にダイナは安心したように息を吐いた。

 やがて妻に追いつくも、その妻は疲れたわ、と言いながら切なそうな視線を夫に向け「もう一度頼んでみてよ」と懇願してくる。

「頼んでみてよって言われてもな」

 妻の視線は、自分たち同道している、村の買い出し要員である老人に向いている。

「…………」

 小柄な老人だ。香草タバコを咥え、美味そうに煙を吐き出している。

 そして老人はレックス一家のように、地面を地道に歩いていなかった。

 荷車に繋がれたロバの背に跨がり、家族の前を呑気な様子で進んでいるのだ。

 老人はバスタが村で大量に使っている塩や、鍛冶屋が使う鉄などを定期的に買い出しに行く、村長が雇っている人間だ。

 そんな老人が今回レックス一家に同道しているのは、ダイナ一家の領都行きのために、村長がわざわざ一緒に出発するように話をつけてくれたからである。

 ただしこの老人はレックスやダイナたちが立ち止まっても歩みを止めてはくれない。

「…………」

 ダイナは声をかけようとして、だけれど口を閉じた。


 ――過分な要求をして、あの老人の不興を買うわけにはいかない。


 村長が話をつけてくれたが、老人自身はダイナ一家に対しあまり好意的ではないのだ。

 この老人に置いていかれると、領都アルゴへの正確な道筋を知っているわけではないダイナたちでは、旅路に不安が残ってしまう。

 それに老人の腰で揺れている魔物避けの香炉がなければ――効果は絶対ではない――、ダイナたちは道中様々なモンスターに襲われて領都にたどり着くどころではなくなってしまうだろう。

 かつて冒険者をしていたとはいえ、ダイナのブランクは長い。

 加えて息子と妻の二人がいる。複数のモンスターに襲われたなら、ダイナの腕では二人を守り切るのは不可能だ。

(そもそも……この行程は遅れるわけにはいかないものだ)

 実質村からの追放に近いとはいえ、この領都行きは村長から正式に税として代官に報告が入っている。

 ゆえに期日までに領都に到着しなければ、ダイナ一家は厳罰に処せられてしまう。

(工員逃れや徴兵逃れなどは……例外なく死刑だったはずだ)

 ゼーブアクト王国とザライ帝国の戦争が長期化してから、徴兵逃れなどで民が逃げ出すことはしばしばあったため、法の厳罰化が進んでいた。

 ゆえにそういう意味でも、きちんと領都にたどり着くためにも、あの老人から離れるわけにはいかないのだ。

 なお老人がこれほどまでにダイナ一家を嫌うのはライナナを酷使していた件が村中に伝わっているためである。

 父母を失った幼い娘に過酷な労働をさせていた家族を楽させるために、自分のロバの体力を使いたいと老人は思ってくれないのだ。

 老人から覚える隔意から、どれだけ頼んでも無駄だとわかっているダイナは「無理だ。ライナナの件で俺たちは嫌われている。俺もお前もレックスも荷車に乗せてはもらえないよ」と妻ヴェルラに対して隠さずに言えば、妻は顔を歪めて「最後まであの娘も祟るわね」とだけ呟いた。

 そうして一家は老人を追って、無言で道を歩き始める。

 追放が決まった日の後悔など、妻の中からはとうに失せていた。

 それをダイナは責めようとは思わない。今のヴェルラは自身の苦境を誰かのせいにすることで心の平穏を保とうと必死なのだ。

(無理もないか……)

 自分もそうだが、妻の背にも重い荷物が背負われている。大型や中型の家財道具は村長に売ったが、それ以外の日用品や着替えなどをダイナとヴェルラが背負っているためだ。

 毎日毎日、限界まで歩き続けたことで二人の体は疲労でどうにかなりそうだった。

 正直なところ、ダイナとてあの荷車に荷物を載せて貰って楽をしたいという気持ちはある。

 だがあの老人はどれだけ金を払ってもその提案を受けてはくれないだろう。

 関わるだけで自分が汚れる。そう思われてしまうのが軽蔑である。

 深い溜息がダイナの口から漏れた。どうしてこんなことになってしまったんだろうか。そんな後悔を抱きながら、彼も無言で歩いて行く。


                ◇◆◇◆◇


 ――情けない背中だな。あれが俺の父親かよ。


 小さな呟き。

 家族の安全のために、連日緊張に神経をすり減らしている父親に対して吐き出される悪罵。

 家を出ることが決まったあの日、レックスはその追放が自分が原因であることを理解した。

 最初は両親に対してすまないという気持ちになったものの、それは最初だけだった。

 母親と同じだった。心と身体を休められる安全な村を追い出され、豊富な食料や温かい寝床から離れた生活を何日も続けていれば、当初あった反省の気持ちなどすぐに擦り切れて無くなってしまう。

 覚醒した勇者とはいえ、レックスは何もかもなくした復讐者ではない。

 妹を理不尽に奪われた美しい幼なじみが隣に立って、自分と同じ目線で、世界に対して怒りを抱いてくれているわけでもない。

 ここにいるのは、才覚はあれど幼い十歳の少年でしかない。


 ――玉と言えど磨かれなければただの石。


 ゆえに、未だ精神的な成長の機会や、その才覚に相応しいだけの師を得ていない少年は、この苦境は自分のせいだけではないという逃げ場を父親に求めた。そして、疲れた様子を見せるダイナの姿に悪態を吐くことで、なんとか精神の安定を得ていた。

 ヴェルラの変貌もレックスと同じだ。

 母に当初あっただろう息子レックスを守るという決意は、領都で始まるだろう生活に対する不安、モンスターに襲われるかもしれないという強すぎるストレス、重い荷物を背負って道を歩き続けるという苦痛によって、すっかりすり減ってなくなってしまっていた。

 ゆえにレックスが父親に呆れの感情を向けるのと同じように、母もまたレックスに対して強い憎悪を向けるに至ったのだ。

 ふと思った。振り返りはしないが、村の方向にレックスは意識を向ける。

 先程、呼ばれたような気がしたアレは……。

「あー、俺の無事を、ルナやマナは、ライナナは祈ってくれてるのかな……」

 村に残る心残り。こんな危険な場所にいる自分のために、彼女たちはきっと祈ってくれているだろうという願望。

 きっとそうかもしれない。さっき呼ばれたような気がしたのは、きっと俺のことをみんなが……――


                ◇◆◇◆◇


 村の教会にて、婚約者であり、未来の夫であるバスタの無事を祈っていたマナとルナのルーンプレイヤー姉妹は、森の中から響いてきた巨大なモンスターの雄叫びに、びくりと体を震わせた。

 森に強大なモンスターが隠れているだろうということは聞いていた。

 そしてバスタがそのモンスターと今日戦うということも。しかし、これほどの相手と戦っているのか、と二人は驚いてしまう。

「ものすごい圧力……村の中にいてもわかるぐらいの強敵なの?」

 呆然としながらも、なんとか平静を取り戻そうとしたマナが放った無意識の問いかけに、姉であるルナはうん、と応える。

「マナ、教会の結界がビリビリ震えてるよ。この相手が村を襲ったなら、きっとみんな殺されてた」

 弱いモンスターの侵入を防止し、強いモンスター相手でも足止め程度に教会の結界は機能する。

 だが、森でバスタと戦っているのはそんなもので防げるような弱小の手合ではないことはすぐにわかった。

 結界がまともに機能しないほどの、高位のモンスター。

 ならば、生命力の探知なども簡単に行えたことだろう。村のどこに隠れても見つかって殺されてしまったことだろう。

 そんな相手にバスタは挑むのだという。

 村の住人たちが無事に冬を越えられるように、森を安全にするために挑むのだという。

 マナは祈る。バスタが無事を。バスタの無事の帰還を。

 ルナは祈る。バスタが無事を。バスタの無事の帰還を。

 そこに、密猟をして村を追い出された赤毛の幼なじみレックスに対する祈りはない。教会の人間であるがゆえにライナナの事情も、ダイナ一家の事情も聞かされている二人にとって、レックスは幼なじみではあるものの、同情や想いを寄せる価値が消え去った人間だった。

 二人はレックスを蔑んだ。所詮は冒険者を父に持つ、田舎の、無学な少年だと。

 悪童と呼ばれてはいたものの、村長一家の次男として村の少年たちの中でも高度な教育を受けているバスタと、馬鹿で子供なレックスでは男としての価値など比べるべくもないのだと。

 そう、女神教は善なる英雄のための宗教だ。

 その教義の実践のために生きている二人にとって、すでにレックスは本当にやってはいけないことをやってしまったただの犯罪者でしかない。

 ゆえに二人はレックスのことなど欠片も頭に浮かべずに、強力なモンスターの気配を感じながら、ただ一心に祈りを捧げ続けていた。

 バスタの勝利を。

 バスタの帰還を。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る