022 勇者レックス、レベルが上がらない。


 森の浅層で赤髪の少年レックスは木剣片手に呆然としていた。

 森中を歩き回り、足はくたびれ。周囲の警戒をずっと行っていたために神経は疲弊している。

 だけれど成果はゼロだ。ゼロだった。

「モンスターが、いない。なんでだ? なんでなんだよ」

 あの教会の事件から二週間が経っていた。

 だがレックスが倒せたのはたまたま遭遇したゴブリンやツノウサギが一匹二匹だ。

 剣を構えた彼が、周囲を警戒しつつ、森のどこを探してもモンスターは影も形も見えない。

 当然である。

 村周囲のモンスター討伐を任されているバスタが、早朝からモンスターを高速で処理している。

 モンスターの発生場所に発生間隔を調べている悪童バスタは、小さなモンスター一匹すらけして見逃すことなく効率的に、確実に、処理しきっていた。


 ――そこに、不慣れで低レベルな少年が入り込む隙はない。


 レックスが倒せるのは、せいぜいが処理漏れの低レベルモンスターが一日に一体か、二体、丹念に森を歩き回った結果見つかる程度である。

「全然だ。全然見つからない。今日もだ。どうしてなんだよ」

 スタンピード前なら、森に30分もいれば確実に、探さなくても低レベルのモンスターに遭遇することができたのに。

 疲れからレックスは座り込んだ。せめて家の役に立つために野草や果物でも取るべきか、と考え、手を出すのをやめる。

 森のものは村の財産で、勝手に取ったことがバレると面倒なことになる。

 森に勝手に湧いて、人を傷つけるモンスターを討伐したならよくやったと褒められるだろうが、森の資源を勝手に採集すれば父親に殴られるだけでは済まない。

 肉体と意志を補強する謎の力。奇妙に心の奥底から湧き上がる活力に目覚めたレックスならば父親ぐらい殴り返すこともできるが、そういう問題でもなかった。

 共同体に所属するというのはそういうことだ。

 無論、採集しても良い場所というのが村人のために開放されている。だが、それだって勝手にとっていいわけじゃない。とっていい日や、とっていい場所が決まっていて、レックスが今いる場所はその対象外だった。

 ここで採集すれば密猟になる。重罪だ。

 これはバレるバレないの問題ではなく、村に所属し続けたいなら、けしてやってはいけないことに該当する。

 はぁ、とため息を吐いたレックスは足元に空の木の籠を見つけた。箱罠に見える。なんだろうか? それを手に取ろうとして、籠に小さく刻まれた教会の印に気づく。

 舌打ち。レックスは木の籠に手をだすのを止めた。

 親を殴り、自分に任された仕事である農作業を放棄して捗らないレベル上げに邁進しているレックスだが女神教の信仰を忘れたわけではない。

「箱罠、だよな」

 しげしげと眺める。おそらくこれはレックスが住むアーガス村周辺の魔物討伐を任されたバスタが使っているものだ。以前は見なかったものだから。

(これを壊せば、たぶんバスタの邪魔ができるし、俺がモンスターを倒せるようになるかもしれない……けど)

 だが破壊するなり、盗むなりすれば悪徳が上昇し、悪党へと落ちるだろう。

 女神教の刻印がある品ということは、村人バスタの財産に手を出して受ける悪徳の比ではないだけの悪徳を積むことになる。

 そして当然だが神聖魔法には対象のカルマを感知する魔法がある。壊せば教会が調査を行う。バレる。

 それに加え、バスタは毎日森の巡回をやっている。これがなくなればすぐにバスタは明日にも気づくだろう。

 レックスが木刀片手に森に入っていることも父親や母親は知っているし、おそらく村を移動中にレックスが森に入るところは他の人間にも見られている。

 この罠は破壊すれば即日バレるのだ。確実に。絶対に。壊すのはレックスしかいないのだから。

 そして壊せば、鞭打ちや奴隷落ちがあるかもしれない。信仰をないがしろにするというのはそういうことだ。村の仲間ではなくなるということだ。最悪追放刑を食らうかもしれない。

「……くそ……なんでなんだよ……少しぐらい、いいじゃないか……」

 どこまでもバスタが邪魔をしてくる。自らを高めるためにレベルを上げることさえできない。

 だがこの狭い村で女神教の印のついたものを破壊すれば、償えないぐらいのリスクが発生する。

 それは未だ幼いレックスでも理解できるように、口を酸っぱくして父母から教えられている。


 ――追放刑。


 それを口にして、レックスの体がぶるりを震えた。

 粗末な衣服と椀に入れられた一杯の水だけを持っていくことを許され、あとは体の目立つ場所に追放印を刻まれたあとに、手を縛られ、村の外の平野に放置される最悪の刑罰だ。実質的な死刑である。

 一年前に、村の食料を盗んだ罰として、鞭を打たれてから追い出された若い未亡人を思い出す。水の椀の代わりに、飢えて死んだ赤ん坊の死体を片手に、ボロボロの姿で村から追い出された姿を思い出す。

(荒野に、骨だけが見つかったって聞いたな)

 モンスターに殺されたのか、絶望しながら餓死したのか。

 どちらにせよ、重すぎる罰を思えばこの罠に手をだすことはできなかった。

(そうだ。ルナとマナを取り戻すんだ。俺が、俺が祝福を受けて、結婚をするんだから。そのためには俺のレベルを罪に問われない方法で上げるしかないんだから)

 レックスは、女神聖魔法使いが生涯に一度、ただ一人にしか祝福を授けられないということを忘れ、自分に都合の良いことだけを考えている。子供らしい、浅い考えだった。

 森の資源を勝手に採集すれば罪だが、モンスターを殺すだけなら問題がない? そんなわけはない。

 許可をとっていない子供が、一人で森に入り込むことは違法ではない。だが、道義には反している。

 彼が見逃されているのはレックスの親のメンツを考えてのことだ。

 そんなことも知らないレックスは、バスタよりも強くなればバスタがやっている仕事を自分が奪えるかもしれない。あんな悪童よりも自分の方が村の人たちの信頼を得られているはずだ、なんて妄想をしている。してしまっている。

 レックスはスタンピードが起きる前を思い出す。父親がバスタのことを悪童と罵っていたことを思い出す。ルナとマナが眉をしかめてバスタの所業に迷惑していたことを思い出す。子供たちが乱暴者のバスタを嫌っていたことを思い出す。


 ――レックスの方が、村の人たちから信頼されている。


 だからレベルを上げるのだ。俺がバスタより強くなって、奴の仕事を奪ってやる。

 その決意でレックスは森の浅層を歩き回った。

 だが中層には行けなかった。森の中層は危険すぎる。レックスには心中より湧き上がる謎のパワーがあったが、だからといってレベル一桁で森の中層に挑む気にはならなかった。謎のパワーに備わっている危機感知の力もそれを教えてくれていた。焦るな。地道に強くなれ、と。

(俺は、まだ弱い……)

 加えて装備もだ。こんな木刀で強力なモンスターに勝てるわけがない。

 だからモンスターを討伐して手に入れたドロップアイテムを売るなり交換するなりして、村の鍛冶屋で金属の武器や盾を手に入れなければ中層に挑むことはできない。

 今のレックスは低レベルで、装備もきちんとしていない。

 それで強敵に挑めば、自殺と同じだけの結果しか得られない。

 レックスは剣術Ⅰのスキルを得るぐらいには努力した。

 ゆえに、そのことぐらいはレックスにも理解できた。

 第一の勇者レックス。

 彼はいまだ年若く、経験の浅い勇者・・だった。

 覚醒したことで破邪の力を持ち、邪悪に対する高い攻撃力と耐久力を持っている、未熟で幼い勇者。

 とはいえ、それは彼が強力なモンスターを何もせずに倒せるようになったことを意味しない。

 勇者には時間が必要だ。

 勇者には経験が必要だ。

 勇者には武具が必要だ。

 勇者には仲間が必要だ。

 相応の結果を得るには、相応の努力を積み重ねなければならない。


 ――だが、幼き勇者は、その端緒を掴むことすらできないでいる。


 バスタ・ビレッジ。

 死すべき悪童。それが原因だった。彼がこの森に湧き出る魔物から村を守っていた。

 複数の移動や探索効果を含む武術系スキルを内包する『剛勇』スキルを持つバスタが、レベルが15を超えた強者が、本気で、サボらず、徹底的に毎日の討伐を行っている。

 もちろんそれは熱意じゃない。やるべきことが多すぎるがゆえの時短でだ。

 だが、バスタの努力は本人が意図せずとも結実していた。正しき努力。正しき結果。

 森に不慣れでレベルも低いレックスは今日も無駄に時間を使い、ゴブリンを一匹だけ見つけると、鬱憤を晴らすように木刀を叩きつけて、その日の活動を終えるのだった。

 本来自分に任されている、農地の管理を放棄して。


                ◇◆◇◆◇


「ほら! 水くみ行ってきな!! 早く!! この恩知らずが!!」

 早朝のアーガス村、小さな壺を持たされたライナナ・アーガスは叩き出されるようにして家から追い出された。

 まだ陽も上がっていない、薄暗い時間だった。いつものように床で惨めに寝ていたところを叩き起こされたのだ。

 ライナナはとぼとぼと、壺を片手に村にある井戸に向かっていく。薄暗さが不気味だった。

「……ぅう……」

 義母がこうなったのはレックスが教会で糞と小便を漏らしてからだった。それまでは、優しい女の人だったのに。

(なんで……こんなことに)

 レックスが暴力を振るうようになった。

 義父もレックスに負けたショックから、レックスに何も言わなくなってしまった。

 レックスが農地の作業を放棄し、遊び歩くようになってしまった。

 義父と義母は嘆き悲しみ、どうにかならないかと毎日顔を突き合わせていた。

(うぅ、早く水を汲まないと……)

 薄暗さと低い気温がライナナの小さな身体を震わせた。怖い。寒い。ライナナは壺を片手に村にある井戸のところまでとぼとぼと歩いていく。

 疲れと空腹。叩き起こされ、朝食は食べていない。

 この壺いっぱいになるまで水を汲み、掃除や農地の雑草取りを終えたあとでないと食事は与えられない。

(……つらい、つらいなぁ……)

 あの事件が起きる前は小さくともきちんとしたベッドで眠れていたのに、あの事件のあとは玄関の床にボロい毛布を敷いて眠っている。

 体はギシギシと悲鳴を上げている。ちゃんとした大人に成長できるのか不安になる。よく食べてよく寝ないと大きくなれないと死んだ両親によく言い聞かされた。

 そして優しかった義母の顔を思い出す。なんであれ・・はこんなことを自分にするのだろう。自分は正しく判断をして、正しくレックスを連れ帰れたはずなのに。

 どうしてこんな目にあうのだろうか。

 わかっていた。頭では。

 もちろん心は納得していない。

 義母が怒っているのは、あの事件のときにライナナがレックスをおいて義父を連れに家に戻ったからだ。

 正しくあの場面は義父を呼ぶしかライナナには対処はできなかったのに。

 自分だけがあの場にいたところで何の役にも立てなかったのに。

 だけれど、義母は自分たちの教育が悪いのだと信じたくなかったらしい。

 レックスがあんなことになったのは、ライナナがレックスを裏切ったことが原因だと思ったらしい。

 ライナナは、よくわからなかった。

 自分は、正しく対処をしたはずだった。逃げたのではない。なんとかできる、絶対にレックスの味方になってくれる大人を連れに戻っただけなのに。

 なぜ自分はあのときレックスに殴られたのか。

 なぜ義母はライナナに辛く当たるのか。

 なぜ義父は申し訳無さそうにしながらも、ライナナを守ってくれないのか。

 自分は義父の親友の娘で、だから義父に引き取られたのだと聞いていた。

 大事に育てると、大事にすると、義父はライナナに約束してくれた。

 だけれど今は下働き同然の、奴隷のような待遇になっている。

 幼心にも思う。約束が違う。おかしい。正しくない。大事に育ててくれるとはなんだったのか。

 ライナナは、今の状況がおかしいと思っている。力も金も権力もない自分にはどうにもできないことだと諦めるしかないが、おかしいことはおかしいと思っていた。

 ライナナは自分がわがままを言っているわけではないと思っている。

 だって重税や義父の怪我で、レックスの家に収入がなかったころは、我慢をした。

 皆が辛いのだからわがままを言うべきではないとわきまえた。少ない食事でも文句を言わなかった。従った。自分に与えられた仕事もした。

 だけれど今は違う。

 今は豊かだ。村長一家が十分に食料をくれていることをライナナは知っている。

 義父も義母も、それどころか遊び歩いているレックスでさえ満足に食事をとっている。三食食べて、甘い果物さえも口にしている。


 ――私には、くれないのに。


 ライナナの食事は残飯のようなものしかない。レックスたちの食べ残しを少量、小汚い皿に盛ったものを与えられるだけだ。義母がそうした。義父はレックスの反抗からか、義母に申し訳ないと思っているのか何も言ってくれない。

(私の、私のせいじゃないでしょ!!)

 ライナナ・アーガスはなんでこんな目にあっているのかと、自分が悪いのかと、小さな体を不満と怒りと不信と悲しみでいっぱいにし、精一杯に井戸水を汲んで、小さな壺に入れ、それを担いでふらふらとした足取りで家に戻っていく。これを持ち帰り、家にある大きな水瓶にいっぱいにしなくてはならない。重い。辛い。

 これは今までレックスが率先してやっていた仕事だ。

 重さに苦痛。本当の両親が生きていれば、こんなことにはならなかった。

 戦争、重税、苛政は仕方がないことだ。それは天の采配だからだ。でもこれは人災だ。どうにかなったかもしれない出来事。年齢の割に賢い――なにがしかの素質があるのか――少女は仕方がないことを仕方がないと割り切ろうとして割り切れないままに、それでも涙と汗を流しながら小さな体で重い水を家に運んでいく。

 何度も何度も、往復する。夜空の月は消え、太陽が昇ってくる。

 惨めな気持ち。

 辛い気持ち。

 苦しい気持ち。

 悲しい気持ち。


 ――絶対に許さない。絶対にだ。


 ライナナは小さな体に、恨みと憎しみを溜め込んでいた。

 だが、勇者の両親は気づくべきだった。

 息子の変わりように冷静な判断を失っていた彼らは知るべきだった。

 村人たちは見ていたのだ。

 レックスの両親が、親友の子供だからと引き取った少女を、奴隷のように酷使する様を村人たちは見ていた。

 見ていたのだ。


 ――自分が雇っている未亡人の一人からそれを聞いた悪童が、口角を吊り上げた。


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