012 悪童バスタ、人気者になる。


 ルナとマナは教会にて行われる老修道女ロザリカによる教養や神学の講義に、祈りや儀式、魔法に関するに教育。さらには様々な奉仕作業を昼も過ぎたあたりで終わらせ、燻製小屋のある作業場に向かった。

 もちろん二人ともこの規模の寒村では様々な仕事を与えられる年齢だ。

 通常ならば午後も様々な作業があるのだが、彼女たちは孤児たちの世話という名分があるので免除されている。

 ただ老司祭や老修道女たちはそのことについてはあまり良い顔をしていない。

 その良い顔をしない、というのは孤児院の世話ではない。

 迷宮暴走スタンピードで長く勤めていた院長を亡くした孤児院に、教会からきちんとした世話役を寄越すのは――そもそも前院長は領主の横槍で決められた人事だった――当たり前のことである。

 それが若年の修道女見習いというのはいくつか問題があるものの、徴兵による人材不足は深刻で、解決する目処は立っていない。

 なお老修道女が任されないのは体力的な問題もあるが、子爵領全体に点在する教会の統括を行っている老司祭が頻繁に外に出ている以上、この老修道女の手を孤児院の世話で埋めるわけにはいかなかったからである。

 孤児の世話はもちろん大事だが、教会が優先しなければならないのは村人たちへの布教や治療であるためだ。

 ただ、そういったどうしようもない現実があってなお、教会の老人二人が良い顔ができないというのは結局のところ、村の燻製小屋地域を占有し始めているバスタの手伝い、というのがあまりにも心象によくないためだった。

 バスタは最近の活躍によって村の人々から認められてきてはいるものの、もともとは悪童とまで呼ばれた評判の悪いクソガキである。

 強くなったせいか余裕のある振る舞いで徳を積むようになったが、それがいつ変心して悪童に戻るかわからないのだ。

 正直なところ、村の大人たちの心中には感謝よりも不気味さの方が多い者もいる。バスタが村長家の者で、村の為に大いに役立っているから言葉にすることはないが。

 そして、そんな少年に見目も良く優秀な神聖魔法使いである双子を向かわせていることに、老齢の教会関係者たちの心中はずっと苦いままだった。

 ただ現実としてバスタが二十八人の孤児の世話をしている以上、老司祭たちは双子の行動に許可を出すしかなく、また村長から孤児院について内々にだが要求されている案件もあって、老司祭はバスタの人物像について、双子を通して詳細な情報を得る必要があった。

 もちろん生涯に一人にしか使えない祝福まで与えてしまったことを老修道女からの手紙で知った老司祭は、あまりのもったいなさ・・・・・・に歯噛みはしている。

 老司祭の血統や人脈、双子の器量や優秀さを鑑みれば、如何に優秀とはいえ寒村の子供ではなく、この子爵領の、その上役である辺境伯の嫡男あたりと婚約関係を結べる可能性もあったからだ。

 老司祭は王都での教会上層部の腐敗に見切りをつけて隠遁するような形で辺境の地に来たものの、そのために息子夫婦の従軍にまともな教会騎士をつけられなかったことを後悔していた。

 だからこそ孫娘たちにはまともな縁談を用意してやろうと思っていたのだが……その二人がバスタに祝福をかけてしまった以上、双子の価値は相当に落ちてしまっており――教会の教義的にも婚約を整える必要があるぐらいの重大ごとである――、アンデッド問題に関する巡回の途上にある老司祭は、せめてバスタがまともになるよう、教養や礼法などを手ずからに鍛えてやるしかないのかと苦悩しているところでもあった。

 そんな祖父の懊悩にも気づかず、双子がうきうきした気分で燻製小屋がある作業場に向かえば子供たちの声が聞こえてくる。

「よっこいしょーーー!」

「うぉおー! 負けるかよぉおおお!!」

 燻製小屋が並んだ場所にある広場に、草が刈られ、円形に整えられた場がある。

 なお踏み固めれば固くなる土ではなく、頭を打ち付けても死なないように、足が沈むぐらいには深い砂に入れ替えられた広場だ。

 そんな砂の円形広場で孤児院のジョグとアデール――孤児の最年長である九歳男子だ――が半裸になって、がっぷりと、鼻先がくっつくような距離で取っ組み合っていた。

「おらー! やれやれー!」「ジョグ! 勝てー!! そこだー!」「アデール! ふんばれ! 負けるなよー!」

 喧嘩ではない。

 その証拠に周囲では他の孤児たちが二人を囲んで声援を投げかけあい、ぐぐぐむむむと二人の年長の少年たちは声援の中、唸りながらもお互いを投げ飛ばそうと力を込めあっている。

 与えられた作業が一段落しているのか、バスタに雇われている未亡人たちの一部が、飲み物の入ったジョッキ片手に熱狂する孤児たちを楽しげに眺めていた。

「おうッ! ルナにマナ、来たかッ!!」

 そんな輪に声をかけようかどうか迷っている二人を見かけてか、焼けた動物型モンスターの肉の串焼きを片手にバスタがやってくる。

 バスタも午前の周辺警備は終えたらしい。

 燻製小屋の中に作られたモンスターの解体場には、遠目でもわかるほどの巨大な牛型や、鹿型に猪型などの食用可能なモンスターが生きたまま吊るされ、解体技法に習熟しはじめた未亡人たちによって死なないように、肉や内臓を取り出されていた。

 なおモンスターが生きたままなのは、生きたままでないと素材を解体できないからである。

 死ねばモンスターの魔力は濃縮され、ドロップアイテムへと変わる。

 だが生きていればドロップアイテムではなく、そのままの肉や内臓がとれるのだ。

 マナは未亡人たちの手際を見て、どの程度のスキルランクなのかを推察する。

(あの手際の良さ、解体スキル、ⅠかⅡあたりかな……もう覚えたんだ)

 まだ一ヶ月程度しか経っていないというのに、屠殺業とは無縁だった未亡人たちがもうスキルまで習得していた。

 もちろん解体時にモンスターの殺害も行うためにそれなりの経験値が入ってレベルが上がっている影響もあるだろうが、未亡人たちは必死さが違う。

 うまくできなければ解体の仕事を外されるかも、という危機感が働いているのだ。

 もちろん最近のバスタは寛容だ。

 彼は解体がうまくできなくても他に仕事をくれるだろう。放り出されて野垂れ死ぬということはない。

 解体以外にも彼はいろいろと村の仕事を持っている。それに孤児の世話や洗濯、水くみ、食事の用意に燻製作業。人手が必要な作業はたくさんある。

 だが、皆、解体作業をやりたがる・・・・・

 ゆえに如何にバスタが寛容さを示しても、何度やっても下手くそな奴には解体の仕事が回ってこなくなる。

 仕事の割り振りを行っているまとめ役の女が解体作業を回さなくなるからだ。

 それが嫌だから担当者はどんどん熟達しようと努力をする。

 努力して解体の効率が良くなればバスタはもっとモンスターを引きずってくる。

 それを未亡人たちが処理して、作業が上手くなる。

 そういう循環ができている。

 もちろん解体作業は重労働だ。

 瀕死状態で拘束しているとはいえ、抵抗するモンスターによる怪我の危険がある。下手をすれば死ぬかもしれない。そういう恐怖もある。

 しかし旨味が大きかった。

 レベルが上がるという旨味。1レベル上がるだけでも、身体能力ステータスの上昇量は馬鹿にならない。解体を続けてレベルが5になれば、肉体の性能はレベル1の2倍以上になる。村での暮らしはずいぶんと楽になるし、一人で生きていけるかもという安心に繋がる。

 また解体作業は大変なだけに報酬も多い。

 危険な重労働なために基本報酬が高めで、うまく解体できればボーナスももらえるのだ。

 報酬はもちろん食料だ。

 自分たちで解体した肉に、バスタが森の奥で採取してきた果実や野草などの採取物。

 加えて、ここで加工された燻製肉も報酬の選択肢には入っている。

 彼女たちに一家の大黒柱たる夫はいない。実家を出ているために家族にも頼れない。

 彼女たちは冬に向けての保存食を今からでも獲得しなければならないのだ。

 もちろんまだ初夏で、対象は肉だ。今から保存していたら冬には腐っているだろう。だから食料を保管しながら、腐る前に古いものから食べていく形で保存していく。そうやって保たせる。そうして冬を乗り切る。彼女たちはそういう覚悟をしていた。

 絶対に生き延びるという彼女たちの覚悟が、彼女たちにスキルを習得させるほどの熱意を与えていた。

 なお解体スキルの習得には対象の肉体の構造や、実際の作業による習熟などの経験値の獲得などもあり、平凡な村人がⅠランクを獲得するまでにはその作業にかかりきっても、通常三ヶ月程度はかかるものである。

 その習得期間を餓死を身近に感じながらの必死さゆえにか、解体担当の女たちは数週間に縮めていた。

「おら、食えよ。あと飲め飲め」

 女たちの努力や執念を感じ取ったマナがすごいなぁと純粋に感心していれば、森の奥からとってきた果実を絞ったらしい甘いジュースと串焼きをテーブルからとったバスタが双子に押し付けてくる。

 ありがたくそれらを受け取ったマナはそういえば、とバスタが買った燻製小屋を見た。

「バスタ。小屋、また増えてるわね」

「あ? なんだ?」

 バスタ所有の燻製小屋は、かなり多い。

 ここ数年はほとんど誰も使っていなかったから、空いていた小屋がたくさんあったのだ。

「ねぇ、まだ保存食作ってるの?」

「つくってるよ。未亡人どもに仕事をくれてやらなきゃいけねぇからな」

 バスタだけでは消費しきれない肉も皆に配れば消費できるということだろうか? そんなマナの疑問に応えるように、バスタは補足を口にする。

「作った肉は兄貴にくれてやってんだよ。現状、小さな村なのに俺が活躍しすぎてるからな。だから変にこじれないように、兄貴から畑の復旧作業してる村人連中に肉やら果物やらを配ってやって、兄貴の次期村長の地位を固めさせてんだよ」

 マナがそんな繊細な真似がバスタにできるとは、と驚きの表情を浮かべれば、そのバスタはテーブルの上にあった燻製肉に手を伸ばしていたルナを自分の隣に抱き寄せているところだった。

 姉の小さな胸を揉みながらへへへと笑うバスタにマナは呆れた視線を向けてしまう。

「バスタにルナ……みんな見てるのに」

 孤児たちの格闘戦は続いているが、未亡人たちの視線は村の有名人でもある自分たちに時折向くため、マナは姉の姿が晒されることに羞恥を感じた。

「ん……バスタ、くすぐったい」

「あー、気にすんなって。ほら、キスしろキス」

 そして唇を貪られ、服の中を弄られるに任せているルナ。

 それが熱烈に愛し合う恋人同士のようにも見えてマナは奇妙な気分になる。

 ルナの性格は知っている。彼女は女神教の修道女だから、まともな倫理観や貞淑さを持っている。

 つまり嫌なら抵抗するのだ。

 だからマナは思う。ルナは本当にバスタが好きなんだと。

 もちろん、マナ自身がバスタにそうされたとしても抵抗はできない。ただそれはバスタに好意を持ってのことではない。

 もちろん嫌なら本気で抵抗するから、自分とてバスタに嫌悪はないのだろう。

 でもそれはやっぱり好意ではないのだ。


 ――自分のはただの自業自得・・・・だ。


 では姉がこんなふうにバスタと抱き合っていたりするのは?

 本当にバスタに好意を感じているの? ねぇ、ルナ。本当に?

「あーもう、外だから自重しなさいよね」

「あー、そうだな。そうかも」

 バスタは言いながらもルナを抱き寄せて唇を合わせたり、肉を食べさせ合っていたりする。

 マナは内心の疑問を口には出さない。出せばなにか、大事なものが壊れるような予感があったからだ。

 そんなふうにしていれば砂場の対戦の決着がついた。

「うぉおおおお、ジョグが勝ったぞ!! ジョグの勝ちだ!!」

 赤銅色の髪色をした少年であるアデールは倒れていた。

 それでも意識はあるのか、アデールは悔しそうな顔をして、両の足でしっかりと立った灰色髪の少年ジョグを睨んでいる。

 だがジョグがふっと笑って、アデールに手を差し伸べれば、アデールは舌打ちしながらも立ち上がり「ジョグ、お前の勝ちだ。だけど次は負けないからな」と宣言する。

「やってみろよ。次も俺が勝つがな」

 アデールは悔しそうにしながらもジョグの言葉に「俺の負け! ジョグの勝ちだ!!」と敗北を認め、ジョブも「アデールも強かったぜ! またやろう!」とアデールの肩をバシバシと叩く。

 戦いあっていた両者が称え合うのをマナが見ていれば、ルナから離れたバスタが肉とジョッキを片手にどかどかと砂場に乗り込んでいく。早業だった。マナは思わずバスタがいた位置を見てしまう。素早い。

「おうおう! 見てたぜぇ! 惜しかったなアデール。ジョグはよくやった! 今日のチャンプはてめぇだ!」

 勝者であるジョグにバスタから手渡されるのは、脂たっぷりのよく焼けた猪肉の塊に、なみなみと果実のジュースが入った木製ジョッキだ。

「おいお前ら! ジョグが勝ったぞ! 今日のチャンプだ! こいつは男だ!! がはははは!!」

 そしてバスタはジョグの戦いぶりを皆の前で激賞する。

 バシバシとバスタに肩を叩かれながらも褒められるジョグ。彼が持つジョッキからはバスタが肩を叩く衝撃でジュースがどろどろと地面に落ちるものの、兄貴分であるバスタに皆の前で褒められているジョグはそんなことは気にもしない。

 そうしてバスタに「おう、今日とれた肉の一番いいところだ。食え食え、飲め飲め」と急かされれば、ジョグは皆の前で美味そうに肉にかぶりつき「うめぇ!!」と叫び、ジュースを美味そうに飲み干し「うめぇ!!」と叫んだ。

「おう、負けたてめぇらも次は勝てよ! 勝ったらいいもんくれてやる!! 勝てるように鍛えろよ! 一位になれなくても頑張った奴にはそれなりにいいもんくれてやる!!」

 二位だったアデールにもバスタは小ぶりの肉とジュースが満たされた中ジョッキを押し付ける。

 それをアデールは悔しげに、だけれど美味そうに飲み干し、肉にかぶりつく。

 二位のアデールに負けた男子たち。彼らは悔しげに――だけれど羨ましそうに――バスタの激賞を受けるジョグとアデールを、ギラギラとした目で見る。

 そんな彼らにバスタは言う。

「おうおうおう、負けたお前らも俺は見ててやるからな! お前らががんばりゃ俺は評価してやる! 気合入れろ! やる気だせ! いつだってチャンスをくれてやる! つかむのはお前らだ! お前らが諦めなきゃ俺がいつだって見ててやる!」

 男子たちは興奮したのか。バスタに対して、おおおおお、と歓喜と闘争心に満ちた声を上げた。「バースタ! バースタ!」「兄貴ー! 兄貴ー!」うぉおおおおお!! 孤児たちはバスタに熱狂する。狂喜する。

 レックスが孤児院に来ていたときとは違う孤児たちの様子。

 レックスに対し、孤児たちは客に接するかのように丁寧に接していた。けしてこんな山賊みたいな粗暴さは見せなかった。

 だがこれが彼らの今の姿なのだ。

 マナは人望の差を自然と感じ取って、なんだかな、と複雑な気分になった。

 レックスに対する想いが消え去っていないがゆえの困惑だ。それに、うまくやっているバスタに対しての羨望もあった。

 だけれど、根底にあるのはバスタに対する頼もしさ。


 ――そう、別にバスタのことは嫌いではない。


 マナとて嫌なら祝福を捧げないように努力できた。

 だから祝福をバスタに捧げた以上、心のどこかにはバスタを認める気持ちはあるはずなのだ。

「すごい、ね。バスタ」

 ルナが言う。孤児たちの中心にいるバスタに向けて。

 うん、とマナは曖昧に言葉を返した。

 バスタはすごいと思う。

 もともとあの森での大熊との戦い以降、ケスカを始めとする実際に助けられた孤児たちからはバスタは勇者扱いされていた。

 だけれどそのあとに努力を積んだためか――あのバスタが――今では孤児全員の立派な兄貴分だ。

(それに……あの件だ。いつの間にか決まっていたアレ)

 祖父からバスタの性格を調べろと言われている件。


 ――バスタの孤児院院長内定の件。


 バスタはどういうわけか――ルナやマナがギャンブルを始めた時期に――孤児院の院長に就任するという内諾を村長から得ていた。

 そしてそんな彼が予め村長一家に言い含めていたから、困窮への対策で子供たちが奴隷として売られる事態は防がれた。

 もちろん奴隷が悪いわけではない。重税に喘ぐ寒村なのだ。子供たちには餓死する未来もあった。売られた方が生きられる未来があった。

(でも、バスタが助けてくれたから全員助かった)

 しかしマナは知っている。バスタは本心では孤児たちにさほど興味がない。

 今の彼はどうしてか村内の福祉に熱心だが、それは自分ができることをやっているだけのことで彼の本性は悪童のままなのだ。

 だからたぶん彼が孤児を助けているのは、子どもたちが売られたら嫌だな、とルナとマナが言ったからだった。

 そんなバスタが院長になる。

 それならばもうルナやマナが食料を集めなくてもいいのでは、という気がしているものの、最初に食料集めを始めた義務感に加えて、あの燻製小屋の中での楽しさが忘れられず、二人は現状維持に甘んじてしまっていた。

(まぁ……孤児院は教会の施設だから無関係というわけでもないし)

 それに院長に就任したバスタが飽きた辞めます宣言をした場合が怖かった。

 バスタには、まだまだ不安な面がある。今の姿を本当に一生続けてくれるのか。それとも急に元の悪童に戻るのか。

 彼が悪童に戻ったなら、教会の施設である孤児院に餓死した子供の死体が二十八人分転がることになる。

 だから孤児院への監視と補助のための人員は必要だ。

 もちろん二人には、バスタができすぎるがゆえに、バスタが嫌なら監視期間が終わったら任せきってしまえと、バスタをあまり好いていない老司祭や老修道女からの提案はある。

 孤児を切り捨てるような提案だが迷宮暴走スタンピードによる被害は大きい。

 いくらか私情は混じっているが、村全体が生き残るために孤児院を切り捨てるのはけして悪手ではないのだ。

 そもそも手伝いとしてルナとマナが貸し出されていたのは以前の院長のせいでもある。

 領主側の人間である院長に孤児院を完全に渡さないための政治として、手伝いが必要だったのだ。

 くだらない政治事情。

 だが迷宮暴走の前はそれを行えるだけの余裕がまだあった。

 今はない。バスタの助けがなければ孤児院はもう一日だって立ちいかない。

 マナは思う。くだらない・・・・・

 以前は政治があっただとか。以前の院長よりバスタは優秀だとか。

 バスタなら余裕があるから孤児たちの世話に未亡人を雇えるからだとか。

 不公平だと思った。

 彼の能力の高さがゆえに、自分たちを取り上げるのは不公平だろう。

 それに、それだとバスタの次に院長就任したものが平凡な院長だった場合がまずいとマナは思う。

 教会が孤児院に関するノウハウを喪失していると困る――はずだ。

 ゆえに以前と同じようにすべきなのだ。

 そういう言い訳を二人は考えた。

 だけれども実際を考えれば正直、自分たちがいなくてもバスタはこの問題をなんとかするだろうとも思われた。

 だいたい今の彼は誠実だ。彼なら飽きても孤児たちを放りだしはしない。人に任せるなりで、うまく回すだろう。

 とはいえ孤児たちは人間だ。

 犬猫を飼うわけではないのだ。孤児院に精通した二人による細かいフォローは絶対に必要なはずだった。

 そう、就任する予定の院長職以外にも、バスタには村の周辺警備の仕事もあるのだ。

 バスタには教会から補助は実際に必要……必要なはず……必要だよね?

(そうよね? バスタ)

 現状、バスタは孤児たちの心を掴みきっている。

 今もマナの視線の先で、がやがやわいわいと大騒ぎの子供たち。

 この砂場でのパンクラチオンなる――目潰し金的なし噛みつきなしの格闘戦――遊びは、バスタが院長になってから始めたものだ。

 どういう意味があるのかわからない。だがバスタは、男の子たちを集めて、戦闘訓練にも似た遊びをやらせている。

 お陰で開始当初は子供たちが生傷をたくさん作るようになって、ルナとマナは治療にちょっとだけ苦労したが、それを見たバスタが用意した回復機能付きのパンクラチオン用腰巻き――ルナマナが孤児たちに与えた服と同じ効果の布製だ――を子供たちに配ったことでそれらの作業はなくなった。

 もちろんあの服は重症には対応していないから、双子の監督は必要だ。なにかあれば即座の治療ができる態勢は整えてある。

 そうした遊びを午前にやらせ、昼になったら一日に一回、バスタは戦闘訓練の成果を発表する小規模大会を開くようになった。


 ――勝者に報酬を与えるために。


 バスタ曰く、子供たちの戦闘訓練に対する意欲をあげるためらしい。

(それがなんのためかはわからないけど)

 結果として男子たちはバスタに夢中になった。殴り合いに熱中するようになった。

 もちろんバスタは戦える男の子だけに注目しているわけじゃない。

 女の子たちにも教育が与えられた。

 裁縫やら料理やら解体やら、先人である未亡人たちによって、できる限りの知識提供と実践の場が与えられている。

 そうして様々な作業がうまくできれば、バスタは彼女たちにも肉や果物を渡し、皆の前で激賞した。

 どんな些細な成功でさえもバスタは褒めた。褒めて、褒めて、褒め倒す。言葉だけじゃない。肉を与え、甘味も与える。

 そのせいか子供たちはどんどんバスタを好きになっていった。

 それにそういう実用的なことだけじゃない。ルナやマナが午前中に教会で作業をしている間、この燻製小屋では文字の読み書きや計算など、村内でもまだマシな学識を持つ未亡人たちによる教育が孤児たち――かなり若い未亡人の一部にも――に行われるようになっていた。

(バスタは、すごい)

 ルナはマナに言う。すごいと。彼は皆ができないことができるのだと。

 もちろん前任の院長とて優秀だった。

 重税の寒村。村人でさえ満足に食事をとることができない村で、孤児たちにそれなりの食事を振る舞えるほどの凄腕だった。

 だが、そんな院長ですら衣食と教育の全てを満たすことはできなかった。

(そう、バスタは、すごいのよ)

 マナはルナに言う。すごいと。彼は皆ができないことを笑いながらこなすのだと。

 正直バスタは何者なんだという気分にマナたちはある。

 だが孤児への教育は善行だ。

 ゆえに二人は妙な気分になりながらも、バスタへの疑問を投げ捨てて、現実を受け入れることしかできなかった。


                ◇◆◇◆◇


 TIPS:戦闘の難易度

 寒村の貧農が一念発起して武器を手に動物型モンスターを倒せば食料が手に入るか否か。

 否、ではない。運が良ければ勝てるだろう。

 ただしそれは真実そうしていれば生きていけるというわけではない。

 狩りには適切な武器と戦闘スキルが必要である。

 また戦闘スキルは見習いとされるⅠではなく、一人前とされるⅡ以上が望ましい。

 索敵スキルも必要である。狩り場に入ったなら、動物モンスターを狙っていてもゴブリンを始めとした狡猾な種との遭遇は避けられない。

 索敵スキルがなければ、見通しの悪い森の中などでは相手に先手を許してしまい、早々にむくろとなることだろう。

 また精神への補助スキルが必要である。

 勇気、克己心などの恐怖を覆すためのスキルは、醜悪な姿をしたモンスターとの相対に必須である。

 また動物型モンスターは野生動物と違い、戦闘を忌避しない。

 人間を見つけたら即座に戦闘態勢に入り攻撃してくる。

 対峙した瞬間に人間も攻撃態勢を整えなければとても間に合わない。

 精神を補助、強化するスキルがあれば、そういった致命的な隙を減らすことが可能になるだろう。


 ――それだけの準備をして、ようやく八割ほどの勝率を得られる。それが対モンスター戦である。


 なお怪我は絶対にしてはならない。

 回復スキルの希少性や薬草から薬師や錬金術師のスキルで作られる魔法の水薬ポーションの高価さを鑑みれば、貧農の財産などただ一度の治療で吹っ飛びかねないからだ。

 そして運が必要だ。運。相手が一体だけでいてくれる運。複数のモンスターに囲まれればそれで終わりだ。次などない。

 それに根本的なドロップ運。

 食料系アイテムは低ドロップ率というわけではない。三体ほど倒せば運が良ければ手に入る。ドロップ狙いではなく生きたまま解体して肉を手に入れる? どうぞ、貴方がそれだけの実力者ならばやればいい。


 モンスターを倒して食肉を得るというのは、これだけの準備が必要な難行・・である。

 モンスターを倒しての食肉の獲得は、戦闘を生業とする者ぐらいしかやらない。できない。

 それもただの戦士ではない。家系としてモンスターが何を落とすかなどの情報を蓄積した専門の狩人の家系だ。

 だが寒村の貧農が一念発起して、毎日モンスターを倒すというのなら……。

 命を賭金にして、一戦一戦を戦うのならば……。

 どこかで運が尽き、大地に死骸を晒すことは必定となるだろう。


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