第6話 人狼と奴隷商
寓話や数式の上ならいざ知らず、現実世界には絶対や永遠、最強などは皆無だろう。
それが、人間ともなれば絶対的な存在など居ない。
天使の様に無垢な子供は言い付けを聞かず、永遠の愛を誓った相手は不平を漏らして浮気をする。
英雄の実在は忘れ去られ改竄され、絶対的な善人や悪人は存在しない。
つまりは、この世の全ては純白や闇黒ではなく、程度の異なる【
真面な営みをしていた者が、つい、悪い事に手を染めてしまう事も多々ある。
この様な世界で、混ざり者であるハーフ達は、世界の縮図と言えなくもない。
アイラ達が使った連れ込み宿の一階食堂で食事をしているゼーラを、物陰から様子をうかがう二人の男が居た。
「勘弁して下さいよ。信用が無くなっちまう」
「信用よりも、お前の娘が居なくなる方が良いってのか?食事を終えた奴がフラリと外出する事だって、子供が行方不明になる事だって、珍しくはないだろう?」
一人は、この宿の厨房担当の料理人で、もう一人は奴隷商の男だ。
察するに、娘を拐われたくなかったら何かを手伝えと言われているのだろう。
無論、手伝ったからと言って娘を拐わないと言う保証もない。
時間は深夜。
この食堂で度々、深夜に独りで食事を続けているゼーラに、奴隷商が目をつけたのだろう。
ここでは、宿泊の前後に食事をとる客が多いが、間食や追加の酒を求める客も有るので、食堂も深夜営業だ。
とは言え、いつも客が居るわけでもないが、この日は相方二人の逢瀬中にゼーラが一人で食事をしている。
「オッチャン、またステーキを追加ね。勿論レアで」
「あ、あいよっ!」
また、新たな注文が入り、様子を見ていた料理人が返事をして厨房へと入っていく。
奴隷商の男も後を追って厨房入りしていった。
「お前は、この薬を肉に掛けるだけでいい。無味無臭だから食いながら寝落ちするだけだ。後はコッチがやる」
「嫌だ。私は肉を焼くだけだ。付け合わせを用意している間に誰かが何かをしても、私には分からない」
「分かった、それで良い。お前は料理をしただけで、何もしていない。見てない」
肉を焼き終えた料理人は、わざと料理と奴隷商に背を向けた。
「オッチャン、まだ?」
「ああ、御待たせ。また二皿だよね?」
「うん、ありがとー」
できるだけ表情を抑えて、料理人は給仕をする。
料理の金は前金でもらっているし、客の身の安全までは店の責任ではないと、必死に己に言い聞かせながら。
ゼーラは人並み以上に鼻が利くが、ステーキにはニンニクや胡椒の他にスパイスが染み込ませてあるので、添加物に気が付く事ができなかったのだ。
追加した二回目の皿を平らげた頃には、瞼が重くなっていた。
食べている途中で更に追加したステーキが、既にテーブルに並んでいる。
「あれっ?おかしいな。まだまだ満腹じゃあないのに」
うとうとし始めたゼーラの様子を厨房側から見ていた奴隷商は、その状態に頷いていた。
基本的に奴隷は、借金などで身売りした者が多いが、中には拐われてきた者も居る。
特に身内の少ない者や流れ者は無理矢理に奴隷にされる場合が有るが、美貌や器量が良く高値で売れる者でなくてはリスクに見合わない。
その点でゼーラは合格だった。
遠方の娼婦館に売り付ければ足も付きにくく、高く値がつくだろう。
普通の町娘でも金にはなるが、数倍の値がつくと思われる。
目をつけてから身元を調べた結果、彼女は流れてきたワーカーでメンバーは女性だけの三人だけだった。
特に腕力や戦闘技量が高い様子は無く、丸腰ならば十分に手に負えると判断されたのだ。
ゼーラがテーブルにうつ伏せになったのを確認し、男は窓の外に合図を送って、二階の客室に繋がる階段へと向かう。
目撃者は少ないにこしたことはない。
同時に宿屋の入り口から、いかにも町のオバチャン風な女性が入ってきた。
「あらあらゼーラちゃん。こんな所で寝たら風邪をひくよ。仕方ないから宿まで送ってあげようかね」
そう言って、笑顔で小柄なゼーラを抱きかかえるが、この女も奴隷商だ。
だが、他人の目には近所のオバチャンが、たまたま出くわして介抱している様にしか見えない。
途中でゼーラが目覚めてしまったら、前もって調べてある彼女の宿まで送ればいいし、目覚めなければ、計画通り別の場所へと運ぶだけた。
薬が十分にに効いているのか彼女は目覚めず、【オバチャン】は一旦は通りにでてから、店の裏手に回り込んだ。
そこには、数人の男が待ち構える幌馬車があり、ゼーラを受けとると荷台に押し込んだ。
「じゃあ、出発するぞ」
連れ込み宿の裏口から、厨房に居た男が出てきて、馬車の馭者席につき、他の者は荷台に上がった。
走り出した馬車の中で、ゼーラは身ぐるみを剥がされ全裸になり、首輪と手枷足枷をつけられていく。
これで目覚められても容易には逃げられないだろう。
モンスター伝説には【人狼】というものも居る。
俗には【狼男】とも言われているが、男だけとは限らない。
普段は目立たない村人として暮らしているが、満月の夜になると変身して旅人などを襲うというものだ。
変身も巨大な狼だったり、狼頭の巨漢だったりと諸説ある。
いずれも怪力で、傷付けられても瞬時に再生する特殊能力を持っている。
殺すには、銀製の武器が必要とされているのは、吸血鬼と似ている。
揺れる馬車の中で、ゼーラは目を覚ました。
周囲は真っ暗で、まだフラフラしているが、夜目が利く彼女は回りに三人の男女が居るのに気が付いた。
「オジチャン達は誰?ここは?」
ゼーラは手枷越しに目を擦りながら、状況確認をしようとした。
「なんだ、もう目覚めたのか?朝まで寝ている筈なんだが、食べた量が少なかったか?」
「俺達は奴隷商人だ。お前には、これから娼婦として働いてもらう。痛い目にあいたくなかったら言うことをきけ」
正確には奴隷商の手先なのだが、小さいことだ。
「人拐い?オジチャン達は悪い人なんだね」
「もうすく街道に出るし、私らは元ワーカーだ。抵抗しても無駄だよ」
女も居るが、馭者を含めて一対四。
うまく逃げ出せても、夜の街道を一人で逃げるのは夜行性の獣に襲われる危険性がある。
武器も無ければ尚更危ない。
それに【元】ワーカーと言うからには、何かをやらかして資格を剥奪された可能性がある。
裏社会に通じている者でも、表ではワーカーを続けて裏の仕事に役立てている者が少なくはないからだ。
ゼーラ達の情報も、その様なワーカーから流れたものかも知れない。
【元ワーカー】。それはつまり、彼等は
そんな状況だが、ゼーラは嬉しそうにしていた。
十五歳相当にしか見えない彼女の人生で、拐われたのは一度や二度ではない。
小柄だが、胸はCカップほどあるし露出の多い彼女は、
手の感覚を確かめ、特異な身体能力で薬の効果が残っているのかを確かめている。
「じゃあ、夜の街道で魔物に襲われても誰も悲しまないよね?人間なんて久しぶりだなぁ。それも四人も。まだ食事の途中だったし、これはラッキー!」
真っ暗な荷台でゼーラの身体が一気に膨らむのを、彼等は見る事はできなかった。
翌朝、街道を通った行商人が見つけたのは、魔物に襲われたらしい荷馬車と、馬の死体。
「こりゃあ酷い。ランプの具合いからして、夜中に街道を走ったのか?なんて無謀な」
燃え残ったランプの具合いから、夜中に単独で走った事が伺い知れた。
近くの森では人間の死体も発見されたが、遺体が散乱していて人数までは分からない。
いずれも四肢を引き裂かれ、喰い散らかされていた。
「ゼーラ、何時の間に帰ったの?」
「夜中に腹一杯になったから、先に宿屋へ帰ったよ。二人とも楽しんだみたいだね?」
宿屋に戻っていたゼーラは、朝帰りしたアイラとメイアの腰の辺りをクンクンと嗅ぎ回り、ニヤケた顔を向けていた。
「貴女にも今度、ハンサムな奴隷を手配してあげないとね」
「もう少しお金を貯めないとねぇ。上の口ばかり満たされて、下の口は飢餓状態だよ」
歳を重ねた女同士だと、下世話な表現も平気で飛び出していた。
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