第36話 茶の準備 毒の準備
タケは茶を淹れていた。
目の前には十四前後の湯呑みが用意されている。湯呑みは三種類。
招待客の中でも前子爵と親しい客人たちが屋敷内に訪れていた。彼らのために数個の湯呑みを用意した。渋めの色合いの無地の湯呑みだ。
そして久保田一家のために用意した湯呑み。夫妻には松の絵柄の湯呑みをご令嬢には花柄の可愛らしい湯呑みを用意した。
「こちらはお嬢様の方に出しましょう。」
態とらしく呟いた。
タケがお茶を運ぼうとした時、料理人が顔を出した。
「ちょっと来てくれ。」
「どうしたの?」
タケはそのまま料理人に付いていき、その場を離れた。
その場から誰もいなくなった。
戸が少しだけ開いた。中から人影が隙間越しにキョロキョロと辺りを見回す。
そして誰もいないことを確認すると部屋の中に入っていった。
人影は茶の前に立つ。
そして手に取った草らしき物を見つめる。人影の手は震えている。
目の前に湯のみが並んでいる。
それぞれの湯呑みを見つめていく。無地の湯呑みと花柄の湯呑み。そして松の湯呑み。
人影は思い悩みながらも決心が付いたのか草を持つ手を伸ばした。
その時、バンと戸が開く大きな音がした。
「そこまでです。」
この屋敷の女中のタケが入ってきた。後ろからも人がゾロゾロと入ってくる。
人影はたじろいだ。
轟木家の先代子爵と孫夫妻。探偵という男に藤世。
そして…。
「サキ…。お前は厠に行ったはずじゃなかったのか?」
「あの…これはどういうことですか?」
久保田製糸工場の社長夫妻。
「…。」
サキは両親に問いかけられても答えられなかった。ただ黙って手に握る草を強く握りしめるだけだった。
両親は蒼白としてサキを見つめている。二人とも何事か理解できていないようだが、娘が何かやらかそうとしていた事は悟ってはいる。
「これは鈴蘭の葉ですね。」
応接室にて景孝が確認した。 サキが無言で頷く。
応接室にはサキと久保田夫妻。景久、景孝と静子。そして建介と藤世が集まっている。タケだけは宴の仕事のため自身の持ち場に戻っていた。
机の上に白い紙が敷かれている。その上に鈴蘭の葉が置かれている。鈴蘭の葉は青々としてジグザグの切れ目を見せていた。
「鈴蘭はあなたの家に植えられているのですよね。」
「はい…。」
景孝の問いに久保田は弱々しい声で答える。
「鈴蘭は毒が含まれる花だというのはご存知ですか?」
景孝の続いての問いに久保田はぎょっとする。夫人もそんなと口を大きく開けて驚いている。
「そして鈴蘭を花瓶に生けるとその水も毒になります。花瓶の水を飲んで死亡した例もあります。」
静子は鈴蘭の説明をする。何気ない会話のように話しているが久保田夫妻は反して表情が重くなっていく。
久保田は絞り出す声で娘に顔を向ける。
「サキ…。お前茶の前で鈴蘭を持っていたが…まさか…。」
久保田の目には疑いと動揺が広がるが、微かな期待もにじませていた。
心の中では娘を信じたい気持ちがあるだろう。そんなこと考えていないという 台詞が娘の口から出るのを期待しているだろう。
サキはわっと泣き出した。
「私…悪い事してやろうと思っていたの…。」
「サキ…。」
久保田の願いは一瞬で打ち砕かれてしまった。夫人は嗚咽を漏らした。
「しかし…。」
久保田はまだ希望はあると云いたげだ。
「私たちはお屋敷に着いてからずっと娘と一緒でした。鈴蘭が刈られているのを発見するまでずっと…。離れた時といったらお茶をもらいに行くと離れたわずかな間だけです。會場から離れた花壇の鈴蘭を娘が私たちに気づかれずに刈り取るなんて無理な話です。」
熱弁する父にサキは否定した。
「これは家から取ってきた鈴蘭なの…。」
「…そんな。」
建介は立ち上がり、机の側まで歩み寄る。そして轟木家で刈られた鈴蘭の葉を机の上に置いた。サキが持っていたのと同様に白い紙に載せられている。
「見てください。それぞれの葉の断面を。」
建介は二つの鈴蘭の葉に注目させる。まず先にサキが持っていた鈴蘭を示した。
「こちらの葉の断面はギザギザしています。ちぎったからでしょう。」
サキは頷く。
次に轟木家の花壇の物を示した。
「こちらは枝切りハサミで切り取られているため説断面が真っ直ぐです。」
建介の云う通り、葉の断面は真っ直ぐである。
「つまり、花壇の鈴蘭の件は別の人物の手によります。」
鈴蘭を持つ振袖の少女は宴が始まったばかりの時に目撃された。
謎道樂を終えてから春月と会うまで、藤世は建介とずっと一緒にいたのだ。だからその少女は藤世とは別人だ。
しかし、 鈴蘭の葉が切断される事件が起きた時。その時、藤世は離れていた。そして轟木家の枝切りハサミの場所を知っているのは限られている。轟木家の使用人。そしてよく轟木家の庭の手入れを見に行くという藤世。
「 おそらく鈴蘭の事件の予感を何者かが察したのでしょう。そして犯人を庇おうとしたのではないのでしょうか?」
「どういう事ですか?」
久保田は建介の顔を見上げる。
「花見の會でたくさんの人が集まる。そこで鈴蘭の葉を使った事件が起こる。招待客の一人が鈴蘭を持つ振袖の少女を目撃しました。人々は招待客の中で振袖の少女。そして鈴蘭が家にある者を疑うでしょう。」
「…。」
「しかし、この屋敷の鈴蘭が荒らされたというならば家で鈴蘭を育ててなくても誰にでも可能となります。容疑者の幅が広がります。」
チラリと藤世を見るがだんまりを決め込まれた。
藤世は犯人を追い詰める習性と犯人を庇う習性がある。今回はサキにだけ疑いがかかるのを防ごうとしたのだろう。
とはいうものの容疑者の幅はそれほど広がるわけではない。振袖の少女という条件が残っているのだから。
「しかし…。娘は何のためにしたというのだ…。」
「そうよ…。娘は心の優しい善良な子で…。悪い事がしてみたいなんて、そんないい加減な事を考えるなんて…。」
まだ事実を受け入れられない久保田夫妻は口々に云う。
「むしろ…。」
夫人は藤世に顔を向ける。この子ならやりそうだと云いたげに。
「それが動機なのでは?」
今まで静観していた景久が口を開いた。
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