第34話 鈴蘭の行方

會場から離れた二人はぽつんと生えるしだれ櫻を下から眺め過ごしていた。花見が始まって30分は立っただろうか。


後ろから声がした。

「藤世。ここにいたの。」

建介と藤世の後ろから初音が声を掛ける。

初音の横には丸髷の婦人が立っている。


初音は明るい口調で横に立つ婦人に建介を紹介する。

「こちらが探偵の月島建介さん。謎道樂の會の新しい仲間なんです。」

初音の明るい笑い声が響きわたる。

「初めまして。」

建介は婦人に挨拶した。


「こちらが日本画家の楠田春月しゅんげつ先生。篠原とゆかりのある方なんです。」

「初めまして。楠田春月と申します。」

春月は丸髷を結い、鶯色の着物に身を包んでいる。耳隠しで明るい色彩に身を包む初音とは対称的に古風な印象だ。

 

 「お久しぶりです。春月先生。」

 藤世が春月に向かって挨拶をする。

 「藤世ちゃん。お久しぶり。」

「春月先生には娘を描いていただいたことがあるのです。」

初音が建介説明すると春月が藤世に頼み事をした。


 「それでね。新しく描く予定の絵の題材を女學生にしようと思っているの。だから、また藤世ちゃんに頼みたいんだけれどもいいかしら?」

 「はい。いいですよ。」

 「ありがとう。嬉しいわ。」

 春月は柔らかな笑顔で喜んだ。しかし、何かはっと思い出したようで藤世に尋ね事をした。

 

「そういえば、変な事聞くけど、藤世ちゃん草を落とさなかった?」

「えっ…?」

藤世は不思議そうに逆に聞き返した。


「他の方とお話しさせて頂いたのだけれど。相手の方に會が始まってまもない頃。人混みの中で振り袖の女の子とぶつかったらしいの。その時、その子の手から何かの草が落ちるのを見たと仰られたの。」

春月は続ける。

「その女の子は慌てて拾ってどこかへ行ったらしくて、ちぎれた長い草とか聞いたけれど…。」

「あら、藤世。どこかで草でも摘んでいたの?」

 「全然…知らないけど。」

 初音に聞かれた藤世は首を振る。

 

 「じゃあ別の子ね。振袖の女の子は他にも来ていることだし。」

 「おそらくそうです。ところで、その子は他に何かしてたとか話を聞いていませんか?」

 聞き返された春月は「特には…。」と呟く。


 「…確か。ちょうどお茶をもらいに行く時に見たとか…。ほら、花見が始まったばかりの頃、お茶が配られていたでしょ。その子もお茶をもらいに行っていたのかも。」

それを聞いた藤世は黙り込んだ。

 「その子を見たという人は誰ですか?」

 「篠原新聞の遠山さん。」

 初音がああっと声を上げる。

 「私が小説を載せている新聞の人ね。」


 藤世は初音に告げる。

「ちょっと離れるね。」

「あら厠?」

「そんな所。」

藤世は母親の問いに適当に答えて去っていった。


「藤世ったら何かありそうね。」

そう云いつつも初音はどことなく愉快げな様子だ。

「いいんですか?」

建介が小声で質問するが、初音は平然としていた。

「藤世はしっかりした子だから。私はあの子を信じているの。」


「あの…ところで。」

春月が建介に尋ねる。

「探偵というと木村清治先生のお弟子さんですか?」

「はい。僕の師です。師匠をご存知ですか?」

 建介は春月が木村の事を知っていた事に驚いた。


「前に一度だけ謎道樂の會に参加したことがあります。その時に木村先生にお会いしました。」

「師匠がですか?」

建介は思わず聞き返した。


木村は質屋同様に轟木家と縁がある。質屋には謎道樂の會を紹介された。

 しかし、二人が子爵家の主催する謎道樂の會に参加したことがあるのを見たことがなかった。


建介が疑問に思っていると初音が答えた。

「木村さんは、今はあまり参加されていないのです。五年前までは會に参加されていたみたいです。質屋さんも同じ年まで参加されていました。」


 「質屋さん?」

 春月の問いに初音が意気揚々と答える。

 「東京の會に出席されている方です。家業が質屋でして。」

「そうなのですか。」

「ええ。お二人は子爵家の依頼の仕事を優先して参加されなくなりました。」


依頼…。

 東京見物の終わりごろに鏡造に云われたことが思い出される。

 (その依頼は月島さんにも協力してもらおうじゃないですか。)

 

 建介をよそに初音は春月に話しかける。

 「景久様が謎道樂の會の中で、興味をそそられたお話があれば、さらに詳しく調べられているのです。」

 「あら、そうなの?」

 春月は少し興味がありそうだ。


 「東京で聞いた話は、木村さんと質屋さんが調べ、篠原で聞いた話は夫が調べています。そして…月島さん。」

 初音が建介に顔を向ける。

 「あなたに調べてもらっているのよ。」

 

 「えっ…。」

 そして心当たりがありそうな事件を思い浮かべた。


 「篠原の空き巣…。」

 「月島さんがさんが初めて参加された篠原での會でも空き巣が話題になりましたね。」

 初音が妖艶な笑みを浮かべる。


 「いや…でも、米騒動で疑いのある議員と製糸工場の幽霊は…」

 「景久様が月島さんを紹介しました。」

「…。」

 建介は言葉を詰まらせた。


 「久保田さんは謎道樂の會の一員ですし、お亡くなりの議員の奥様の御実家は篠原の旧臣でして。その縁から景久様が紹介なされたと聞きました。」

 「…。」

 「驚きましたか?」

 「ええ…。」

 建介は力なく答える。

 

 春月は事情を知らないため、話を飲み込めていない。

 「あの…私の存知ない話ですけれども、とりあえず事件をたくさん解決されたということでいいのかしら。」

 「ええ。月島さんに相談すれば謎は解決します。」

初音は広告の謳い文句のような事を春月に云い聞かせる。


「やめてください。初音さん。」

「宣伝すれば、お仕事の話が月島さんに舞い込んで来ると思いまして。」

建介の制止をもろともしない初音は微笑んだ。


「私もそうすべきと思いますよ。」

いつの間にか、鏡造がやって来ていた。


「仕事の話が舞い込むというのは大事ですからね。」

鏡造はキョロキョロと辺りを見回す。

「それはそうと藤世はどこに?」

「ついさっき厠に行ってくると。」

初音が告げると鏡造はうんっと眉を曲げた。


「確か…厠は館の中に…私は館から歩いてきたが…。」

鏡造は、わざとらしく話を区切り、大袈裟に考え込む動作を取った。

「藤世とはすれ違わなかった…これは一体…。」


初音は相変わらずの明るく妖しげな声で夫に囁く。

「じゃあ、あの子は厠とは別の方向に向かったのね。」

「ほう、別の方向とは?」

「さあ、そこまではね。」

鏡造と初音は問答のやり取りを始めた。

それに飽きると建介にどう思うか尋ねた。答えに辿り着かないと分かると、話を変えて春月に何か面白い謎は無いのか問いかけた。


そうしているうちにタケが駆けつけた。

 「申し訳ありません。月島様。来てください。」

 「どうしましたか?」

 建介が驚いて尋ねるがタケは答える前に建介を引っ張って行った。後ろで初音の「あらあら。」と笑い声が聞こえる。


 「どうしたんですか?」

「鈴蘭が…大変な事に…。」


 


 





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