第33話 花見の會
花見の會の参加者が集まった。
紳士淑女が着飾り、櫻を愛で談笑する。
使用人たちが茶を用意すると潤いを求める客たちが集まる。親に連れられて来た幾人かの少女たちの華やかな振袖と髪飾りが會場を彩る。
タケから報告を受けた建介達は謎道樂を止めにして、會場である庭園に移動した。
客たちの中に、久保田を含む謎道樂の顔ぶれが見られた。
久保田の側に中年の婦人と藤世と同い年くらいの振り袖の少女が立っていた。彼の妻子に間違いないだろう。
久保田は景久と芳子の姿を見つけると妻と娘を連れて挨拶に訪れた。前当主夫妻以外は目に入らないのかと思うくらいの早さだった。
「花見に私たちを招待して頂き誠にありがとうございます。」
「本当にいつお会いしてもご立派なお姿で。やはり華族の家には敵いませんわね。」
夫婦揃って轟木子爵家はと美辞麗句を並べる。孫夫婦である景孝と静子を紹介されると恭しく挨拶と自己紹介を述べた。
久保田の娘も「久保田サキと申します。」「先の子爵様には父がお世話になっております。」と礼儀作法の模範になりそうなお辞儀と挨拶をした。
その時、大塚家と建介への挨拶は最低限のみだった。特に大塚家が彼ら夫婦の視界に入る度に嫌そうな顔をしていた。
「私が以前、贈りました鈴蘭は無事に育ってますか?うちのはまだ花を咲かせていないのですが。」
「うちのもまだ花を咲かせていませんよ。」
「そうですか。もうすぐ可愛らしい花を咲かせるでしょうね。純真無垢な花というのは見ていて心が癒されるものですね。世の中の薄汚れた部分を忘れさせてくれます。」
久保田は意気揚々と自身の贈った鈴蘭を褒める。まさか景久たちが先程まで鈴蘭の毒の話で盛り上がっていたとは思わないだろう。
「鈴蘭でしたら、私たちも花見の會が始まる前に花壇を見させてもらいました。」
「ああ…そうですか。」
鏡造が話しかけると久保田は素っ気ない返事をした。
久保田夫妻は、一方的に轟木家を褒め、一方的に大塚家に嫌そうな顔を向ける。
タケが「お話があります。」と割り込むと景久は宴について女中と話があるからと久保田に告げる。
それを久保田はまた後でお話しましょうとにこやかに声を掛けた。
「疲れますね。あの夫婦は。」
景久はポロリと本音を呟いた。
「全くです。せっかくの櫻が台無しです。何とかあの二人を黙らせる事は出来ないでしょうか。」
丁寧な云い方であるが芳子もあの夫婦に好感を持っていない様子だ。
「あの大事な話があるようですが大丈夫ですか?」
鏡造が景久に尋ねると彼は心配いらんと返した。
「面倒な挨拶が来た時のためにタケに事前に頼んでいたのだ。」
「その通りです。」
タケは陽気に答える。
「良い手を思いつきましたね。」
鏡造は笑いを上げた。
轟木家から離れた久保田夫妻は娘を連れて有力者な人物達に挨拶に回っていった。
建介は、製糸工場の幽霊騒動において久保田社長が愛娘を藤世と比較して褒めていたのを思い出す。
「確か娘さんは君と同じ女學校に通っているんだっけ?」
「そうだよ。」
藤世は頷く。
「どんな子なんだ?」
「気になるの?久保田家と縁組したいの?」
藤世にそう聞き返されると建介はやめてくれと云わんばかりの顔を浮かべた。
「前に久保田さんがやたらと『うちの娘は…』と自慢していたから気になっただけだよ。久保田さんって…あんな様子だしね…。」
建介が振り替えると久保田は金と地位のありそうな人々に夫婦ともども、そして娘にも促してペコペコとしていた。
逆に久保田に胡麻すりを企んでそうな人物が現れると彼らの発する美辞麗句に気分を良くしている。
「確かにね…」
藤世は冷めた目を久保田夫妻に送る。
「サキさんは學校の先生達からの評価は良い方だよ。礼儀正しく思いやりがあるって。」
確かにサキの挨拶は礼法の教本に載りそうだ。藤世は続ける。
「お父さんが製糸業の社長ということもあるせいだけど。」
含みのある云い方だ。建介は思わず尋ねる。
「何かあるのか?」
「學校には、サキさんと同じように礼儀正しい子もいれば、思いやりある子も他にもいるよ。」
藤世は後ろのサキの様子を気にする。
「他の子とサキさんが褒められるような行動を一緒にする。でも先生達はサキさんばかり褒めている。他の子も同じ事をしているのに。」
「つまり、贔屓されている。」
建介は藤世の云いたい事を口にした。
「前に割烹の授業の実習の時。その日に風邪で休んだ子に作ったお菓子を届けようかって皆で話した時。云い出したのは春子で…。前に空き巣被害にあった菓子屋の子。それで、届けたのは別の子なのに…。」
藤世は悲しそうにする。
「褒められたのはサキさんの方だった。」
建介は藤世達女學生を気の毒に思った。
「確かにサキさんもその話しに乗り気だったけれど…。」
「周りの子はいい気がしないな。」
「それに先生達の褒め方が大袈裟な感じがしてさ…。」
そして藤世は強く云った。
「だから道徳は嫌い。誰かばかり褒められて平等じゃない」
これが藤世の道徳への考えなのだろう。
「優しいねと云われるのも嫌い。」
「何故なんだ?」
藤世の目はいっそう真剣さを増した。
「褒める側は、優しいと云いさえすれば相手の人格を見て褒めたという気になれるから。」
「優しさはその人の人格を表すものじゃないのか?」
建介は藤世の考えがまだ理解出来なかった。
「優しい人は優しさしか褒める所が無いの?他にも頭の良さとか特技とかあるんじゃないの。」
「そうだけれとも、一番大事なのは優しさ…」
建介の台詞を藤世が遮る。
「もう一つ聞くけど他の人は優しさを持ってないの?他の人が優しさを持ってない中で優しさを持つから褒められているわけなの?」
「それは云い過ぎだ。優しさは他の人にもある。」
藤世が怪訝な顔をする。
「それなら優しいと褒める理由は何なの?他の人も持っているものをわざわざ褒める理由は何なの?」
「それは…だな…。」
建介は何としても云い返そうとしたが言葉が浮かばない。
「優しさなんていろんな形だけれども、誰もが持つ良いところ。それしか褒めないのは、その人をよく見てないからじゃないの?」
「…。」
「だから優しいねと云われるのはずっと嫌いだった。」
藤世は櫻を見上げている。櫻の下の藤世は物思いにふけて哀しげに見えた。
(優しすぎる子で)
(藤世の親は美談が好きで)
質屋と藤世の兄、啓一から聞いた藤世への評価が思い出される。
藤世にとって優しいという褒め言葉は牢獄に等しいのだろう。
藤世の意思と反して人だかりでは招待客たちが互いに褒めあっている。
相手の地位、功績、身なり。そして人格が称賛される。しかし、どこまで相手を見て褒めているのかは見物だけでは分からない。
藤世はそれらに背を向けて談話が栄える會場から離れていく。建介はその後を追いかけた。
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