第31話 孫夫婦

 建介たちのいる部屋にタケが入ってきた。

 「景孝様と静子様が来られました。」

 「そうか。入れておくれ。」

 景久の言葉を聞くと、タケはすぐに孫夫妻を案内した。

 

 「お久しぶりです。大塚先生に初音さん。それに藤世さん。そうだ。月島君も東京の道樂會以来だったね。確か、君が最後に参加したのは…。」

 景孝がううんと思い出そうとしていると横から静子が口を添えた。

 「最後が三月の初めくらいよ。」

 「そうだ。それくらいだ。」

 

 景孝は背広を着こなし、静子は薄桃色に桜の花びらの散らしが描かれた着物を着ている。


 「篠原の謎道樂はどうかな?」

 「…場所が違えど、東京の會と似ていますね。」

 建介は心の中で特に轟木家と大塚家の気質がと呟いた。


 「景孝、静子さん。今ちょうど小さな謎道樂の會をしていた所なのだ。お前たちもどうだ?」

 「いいですね。おじい様。」

 「遠慮なく私たちも参加させてもらいます。」

 若夫妻はそのまま着席した。


 「景孝。お前何か面白い話はないか?」

 景久に尋ねられた景孝は腕組みをして思い出そうとしている。その時、静子が助け船を出した。

 

「あれは…。ダンスホールのダイアモンド泥棒。」

「それだ。これは知人がダンスホールで体験した話です。」


景孝は話し始める。

景孝の知人にダンスホールの常連がいた。よく婚約者を連れて来店していた。

そして同じく常連に自慢好きの成金がいたのだ。

その成金は宝石を来店の度にダンスホールの客達に見せびらかしていた。


 その中でも、成金の自慢はダイアモンドである。

 成金はお気に入りのダイアモンドを毎度見せびらかした。そして、客たちによく見えるようにテイブルの上に他の宝石と共に展示するのである。客の誰かが触らせてくれと云われれば気前よく不用心に触らせたのだ。


 そして、その日も客たちは自慢のダイアモンドを見ようと集まった。

 ところが、多くの客たちが成金の元に集まった結果、一人がつまずくと隣の客たちも巻き込まれて多くの人が転んでしまった。景孝の知人もその被害に遭い床に体を勢いよくぶつけたそうだ。

 さらに、モダンな若い婦人客が立ち上がろうとしたら、彼女の手が当たり、ガラスのコップが落ちて割れた。その破片を駆け付けた男性客が踏むということがあったが男性の靴は丈夫で怪我はなかった。

 

 店の中は騒然となった。

 定員たちが慌てて客たちの身の安全を確認するべく客の身体を起こした。成金も離れた場所で踊っていた客たちも同じように倒れた客たちを起こした。

 全員を起こして無事を確認し、安堵した時だった。

 

 成金御自慢のダイアモンドが消えていたのだ。


 成金は大慌てだった。成金も店員も客たちもダイアモンドを探した。だが、どこにも見当たらなかった。

 誰かが盗んだのではと疑われ、身体検査が行われた。

 しかし、一人もダイアモンドを持つ者はいなかった…。




 「窃盗ですか?」

 建介は腕組みをする。景孝は嬉しそうに答える。

 「そうなんです。恐らく人々が将棋倒しになった最中に盗まれたのでしょう。しかし、肝心のダイアモンドはどこへ消えたのでしょう。それが謎なのです。」


「それは面白い。景孝、身体検査はどう行われたのだ?」

 「私も気になります。ダイアモンドもどのような大きさでしょうか?」

景久と鏡造は玩具を与えられた子どものように大はしゃぎをする。

初音と藤世は静かであるが興味津々に聞き入っている。

芳子は聞き耳を立てているものの関心を寄せていないのかタケの用意した茶をすすっている。


「知人の話によると男と女に別れて手荷物は暴き合い、着ているものは脱いでお互いに確認しあったそうです。ダイアモンド自体は小さいので服のポケットの中身まで隅々調べられたそうです。」

「それでも見つからなかったのですね。」

初音が確認するように尋ねると景孝はそうですと頷いた。


「本当は床の隅にでも転がってしまったんでしょうかね?」

 初音は暢気に尋ねる。

「成金もそう考えて店の者に見つかったら教えるように云いました。お礼もするとも云ったそうです。しかし、その後に連絡はありませんでした。」

 

 「誰かがダイアモンドを見つけてもネコババされると思います。お互いに身体検査しても仲間同士なら意味が無いし、後で店中を探した場合も…。」

 藤世は冷静に告げる。


 「その成金も同じことを考えているそうです。どこかに売り飛ばされているのではと疑い調べ続けていますが見つからずじまいです。」

 景孝はそこで区切った。


 「どうですかな。月島さん。」

 景久は試すように建介に声を掛ける。

 「どうと云われましても…もう少し何か手がかりを…。盗んだのか失くしたのかも判断出来ません。」

 建介が唸ると静子が割って入った。


 「ちなみにその日に宝石の展示に集まった人数はいつもよりも多めだそうです。というのも客から客へ『面白い物が見れるから集まるように』と話が伝わっていったそうです。」

「それは計画性を感じますね。」

建介は事件の匂いを感じ始めた。


「宝石の展示はいつもの事なのでしょう。何故その日に限ってなのか?」

「月島君。いい食いつきだね。」

景孝が微笑んだ。


「僕も知人からその話を聞いてそこを指摘したんだ。そしたら知人はいろいろと思い出し始めた。」


宝石の展示に人が集まったのはコップを落としたというモダンな婦人が客たちに声を掛けまくったからだった。

そして客が転んだ時にまず若い女の悲鳴を聞いたという。

知人は以前からそのダンスホールに通っていた。そして成金の宝石展示と若くモダンな婦人の宝石見物を何度か目にしたことがあったというのだ。


景孝の説明が終わると景久は呆れていた。

「景孝よ。そんなに大事な話があるなら早めに言ってくれれば良かったものを。」

「申し訳ありません。ただ今は警察の事情聴取ではなく道樂會ですので。皆さんの反応を眺めたいと思ったのです。」

「血は争えないわね。」

芳子のボソリとした呟きに建介は(全くだ…。)と心の中で頷いた。


「それよりも、その御婦人が怪しくなってきたな。」

「そうね。でも…身体検査はお店にいる人が全員受けたのでしょう。その女の方もなのですよね。」

大塚夫妻は意気揚々と道樂を喜んでいる。


藤世は景孝夫妻に尋ねる。

「その女の人は一人で来たのですか?」

「おそらく一人で来たみたいです。知人にその婦人が、どこの誰だか聞いても分からないとばかりで。目にする度に他の客と談笑し踊っていて、それが当たり前の光景となって気にしなかったそうです。」


「じゃあ他の客に仲間がいてもおかしくないのかも…。仲間同士なら身体検査で誤魔化せる。」

「確かにね。」

藤世の考えに建介は鋭いと感心した。


「もう一つ言い忘れてました。」

景孝が崖へと突き落とすような勢いで付け加える。

「身体検査は男女別で行ったと云いましたけれど、知人の婚約者が目撃していました。」

景孝はまたも全員の反応を樂しそうに 眺める。


「その妖しい婦人の身体検査は別の婦人客が行ったのですが、その婦人客は妖しい婦人を嫌っていました。身体検査も乱暴な感じで行って庇うようではなかったそうです。」

「…それは本当なのですか?」

建介が尋ねると静子が代わりに答えた。


「ええ。垢抜けてモダンで華やかな婦人との事です。それに憧れる婦人もいれば、私より目立つなと毛嫌う婦人もいたとの事です。」

「でも仲の悪い振りだとしたら…。」

藤世は諦めず に云い続けるが静子は首を横に降る。


「あまりに乱暴で手荷物の中身をぶちまけられたそうです。その中身が他の婦人客の目の前に散らかりました。」

「…容疑者の婦人は同じようにその婦人客の中身をぶちまけましたか?」

藤世は諦めるしかなく、代わりに乱暴な婦人客への報復を口にした。

「妖しい婦人客はしなかったそうです。ただ別の婦人客が乱暴な取り調べを見ているうちに腹を立てて行ったそうです。」

「そうですか。それは平等になりましたね。」

「…。」

藤世と静子の会話を建介は即刻記憶から消そうと決意した。


それはそうとダイアモンドはどこへ消えたのか?建介は考え込んだ。

成金は宝石を並べ展示していた。他の客が望めば手に取らせていた。

モダンな婦人は何度も店を訪れて宝石を鑑賞していた。当日は宝石の周りに群集を集め、群集を巻き込み転んだ。

その時にコップを割った…。そして消えたダイアモンド。


(コップ…ガラス…。ダイアモンド…。)

その時、建介の頭の中で一つの発想が浮かんだ。


「あの…。その日のダンスホールに宝石の鑑定出来る人はいましたか?」

景孝は何事かと驚き答えた。

「いや…。それはどうとも云えないな。知人は宝石に詳しくはないし。鑑定家があの場にいたかなんて聞いていないから。」

景孝の隣で静子も頷く。


「成金は贋の宝石でも持ち歩いていたと云うのですかな。」

景久は面白そうに身を乗り出した。


「全ての宝石がというわけではありませんが、もしその内のダイアモンドだけ贋物だとしたら。その直後にガラスのコップが割れてダイアモンドと混じってしまっていたらと思いまして。」

建介は淡々と一同に述べた。


「そして他の客がガラスの破片を踏んで割る。その時贋のダイアモンドも割れてしまったのでしょう。」

「金剛石も贋物では踏まれることにひとたまりもなかったというわけですか。」

景久は笑い声を上げた。


「成金は贋物のダイアモンドを毎度見せびらかしていたのか。」

鏡造が嘲笑する。

「まあそれも可能性の一つです。」

「他にも可能性があるのですか?」

初音が興味津々に尋ねる。


 「ダイアモンドは本物でした。しかし、事前に贋物とすり替えられたいた可能性です。」

 建介の台詞は衝撃が強く、一同の突き刺さる注目を集めた。


 「その成金は宝石を他の客が手に取って見ることを許していたのですよね。」

 建介が景孝に確認すると、影孝は頷いた。

 「ああ。いつでも宝石を触ることを許していたそうだ。」

 「その時にすり替えられてもおかしくないでしょう。」


 藤世が尋ねる。

 「それをしたのは例の女の人?」

 「さあ…。いろんな可能性が考えられるからね。もしかしたらすり替えたのは別の誰か。その後で偶然起きた転倒騒ぎに巻き込まれて贋物が割れてガラスの破片と混ざってしまった可能性もある。かといってその婦人が本当にすり替えた可能性も残っている。その場合は、盗まれたのは別の日だと錯覚させるためにわざと転んだ可能性がある。」

 

 建介がいくつもの説を唱えると鏡造が樂しそうに乗ってきた。

 「もしかしたらガラスの破片を踏んでしまった客というのも犯人の仲間かも知れませんね。贋物の隠滅のためにわざと踏みつけた可能性もありますね。」

 「それもありえそうな話ですね。」

 

 しかし、あらゆる可能性を推理するだけで、それが正解と調べられないのが残念だ。













 



 

 

 


 

 

 

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