第30話 強盗の喧嘩

 「これは久保田工場で女工たちの指導をされていた後藤シゲさんから聞いたお話です。」

 景久は怪談をするような口振りだ。しかし、それを鏡造の意気揚々とした喋りがぶち壊す。


 「あっ。後藤シゲさんはかつて富岡製糸場で製糸業を学ばれていました。当時は秩禄処分で士族の娘さん方が富岡へ集まりましたからね。シゲさんもその一人です。」


景久は取り乱すことも怒ることなく平然と続けた。

「そうです。篠原の製糸業の発展に功績のある婦人です。」


景久は本題を語り出した。

「シゲさんの家に泥棒が入りました。現金が盗まれる被害に合いました。その泥棒は二人組の男で仲間割れしたそうです。」

「仲間割れですか。おおかた取り分の事ですな。」

鏡造がそう呟くと景久は頷く。


「ええ。二人は取り分の事で文句を言い合いました。そして一人は盗んだ金を一人占めして逃げました。しかし片割れの男も諦めません。逃げた男を追いかけます。数日して仲間の居場所がとある長屋だと突き止めました。逃げた男の知人が大家をしている長屋でした。そして『金を返せ』と怒鳴り込み大騒ぎしました。」


静かに話を聞いていた芳子は呆れる。

「まあ。元は盗んだ金だというのに。」

「泥棒は、何でも盗んだ時点で自分の物と錯覚するのですよ。」

 初音は愉快そうに芳子に話しかける。


 「確かにそうですな。」

 初音の台詞に景久は満足そうに納得する。


 「そして二人は揉み合いとなりました。そして逃げ出した男は追いかけてきた男によってその場にあった壺で殴られ亡くなりました。そこへ近所の人が騒ぎを聞きつけ駆け付けます。殴った男はあっけなく捕まりました。」

 

 藤世が口を挟む。

 「わざわざ怒鳴り込まずに留守を狙って忍び込めば、殺人の前科が増えずにすんだでしょうに。」

 景久は微笑む。

 「云われてみれば…。頭に血がのぼって考えが回らなかったのでしょうね。」

 大塚夫妻は「おやまあ。」と笑いをこぼす。


 建介は質問を景久に投げ掛けた。

 「それで、その事件の謎というのは?」

 

 建介の質問に景久の目がギラリと光る感じがした。

 「事件の謎…。そうですね。犯人は一人は死亡。一人は逮捕されていますので。しいていえば…盗まれた金の在処ですね。」


 鏡造が腕組みをする。

 「見つかっていないのですか…。警察なら隅々まで調べているはずですし…。」

 初音が困ったように云う。

 「まだ探していない所は…。ああ現場がどんな状態なのか分からないから何を聞けばいいのか…。」

 「現場は一体どんな所なのか…。」

 鏡造がチラリと景久を見る。


 景久は大きく頷いた。

 「聞いていますよ。長屋の様子を…。堀口さんから聞きました。」

 

 堀口の名を聞いた途端、建介は哀れさを覚えた。


 「堀口さんによると、竈と居間があるだけの小さな長屋との事です。厠は他の住民との共同。シゲさんの家に泥棒に入った日の翌日に越してきたばかりだそうで…事前に逃亡先を用意していたのでしょうね。家具は特になく。手荷物ぐらいでやって来たそうです。そして手荷物の中には盗まれた額のお金は出てきませんでした。」


 「もうすでに使っていたとかは…。」

 藤世が呟くと景久は首を振る。

 「いいえ。泥棒してから長屋に越してくるまでに派手に大金を使いまくったという話はどこにもありませんでした。越してからも大金を一気に使った話も少しずつ使った話もありませんでした。」

 

 初音がもしかしてと声を上げた。

 「どこかに穴を掘って埋めたとかはないでしょうね。」

 これにも景久は首を振る。

 「警察も同じことを考えました。長屋周辺には掘り返した跡は見当たりませんでした。」


 鏡造が声を上げる。 

 「知人が大家をしているといいましたね。大家の知人が仲間で、大家の家にあったりはしてないですか?」

 「それも警察が疑いました。大家の家からは出てこなかったとのことです。」

 「…そうですか。出てこなかったのですか…あはは…。」

 鏡造は誤魔化すように笑う。


 建介が景久に尋ねる。

 「殺しをした男は手荷物だけで越してきたと云っていましたよね。それと凶器はその場にある壺。それで一人占めした男を殴ったと云っていましたけど。間違いないですよね。」

 「はい。そうです。」

 「…。」

 建介は少しの間黙り込んだ。そしてしばらくすると口を開いた。

 

 「簡単な引っ越しに壺を持ち込むことなんてあるのでしょうか。」

 

 鏡造は感嘆する。

 「確かに…手荷物だけの引っ越しなら、壺は持ちこんだりしないですね。正直…壺よりも家具の用意が先でしょう。」

 

 景久はゆっくりと建介に顔を向ける。

 「月島さん。あなた何か思いついたのですか?」

 

 「凶器に使われた壺は高価なものでは?独り占めの男はすぐに大金を壺に変えた。」

 景久は意地悪そうに云う。

 「しかし…。男が大金を使っているという話は…。」

 「知人の大家ですよ。」

 建介は断言する。

 

 「大金は一度壺の姿に変える。ほとぼりが覚めた所で売り飛ばし金にする。ただし、男が壺を買いに行けばバレるかもしれないということで代わりに大家が金を持って買いにいくのですよ。」


 鏡造が感嘆し唸りだした。

「なるほど。散財したかを調べるべきは大家だというわけですか。私の被害者と大家はグルだという説は間違ってはいなかった。ううん素晴らしい。」



藤世は静かに推測を述べる。

「ということは追いかけた男は肝心の大金を知らずに凶器にしてしまったということに…。大家は正直に大金が壺になったとは自白するようなものだから云えないからね。」

「その通り…さらに云えば…。」


建介は付け加える。

「殺された男は大家も信用していなかったのか…いや、殺した男同様に裏切るつもりだったのかもしれない。大家に買わせた壺を大家の家ではなく自分の住む長屋に置いていたのだから。」


藤世は世の中そんな物だろうと顔をする。そして景久に尋ねる。

「凶器の壺はどうなったのですか?」


藤世の台詞に一同は景久に注目する。

景久は眉尻を大きく下げて残念そうにする。

「凶器の壺は被害者の血が付き、粉々に割れてしまっているとの事です。」


「そんな…。」

芳子の口から哀れみが溢れる。

「それではシゲさんのお金は返ってこないのですね。壺を買われてしまったのなら壺で返すことができるというのに…。」

元子爵婦人は泥棒達には一切の同情を示していないようだ。





 

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