第29話 前子爵夫人

「随分と華やかな…。」

建介が華やかと呟いたのは満開の櫻と宴の両方に対してだった。


―轟木家主催の花見の會。

 まだ参加者は集まってはいないが、宴の準備だけで豪華さを感じられた。

 子爵家別邸の庭に置かれたテーブルの上には、磨かれた食器と色とりどりの花を咲かす花瓶。

 花は花壇から摘まれた物だという。花壇には西洋由来の花が植えられているそうだ。

テーブルの間を使用人たちが準備のため駆け回っている。


「毎年こんな感じですよ。」

「まあ。あなたったら、主催者でもないのに。」

「そうだ。これは子爵家の方の台詞だ。」

鏡造と初音は楽しげに語り合う。


二人の横で藤世はつまらなさそうにする。

「君はこの會は苦手なのか?」

建介が尋ねると藤世は首を横に降る。

「花は好きだけど、樂しんでと云われて樂しむのが嫌なの。」


藤世は振袖で着飾っている。

 彼女が歩くたびに振袖の花びらが風に舞うように見えた。


「そうなのか。おまけに振袖とは動きずらいだろ。」

「これを着るのは好きだけど。」

「…そうなんだ。」


 建介は大塚家の面々と会話しながら宴の會場から離れた場所にある花壇へ赴いた。

 丁度季節の花を咲かせている花壇もあれば、まだ茎しか生えていない花壇もある。

 これはチューリップ、鈴蘭、向日葵が植えられているのだと藤世が花壇を紹介する。花壇の様子を眺め終えると轟木別邸の中へ入って行った。

 

一同を女中のタケが案内する。建介たちはタケに連れられて廊下を歩いていった。

やがてある部屋に辿り着くとタケが戸を叩いた。

「大奥様。大塚家の皆さま、探偵の月島建介様をお連れしました。」

「入っておいで。」

老女の声がするとタケは戸を開けて一同を中へと入れた。


部屋の中で一人の老女が椅子に座っていた。若草色のお召しに山吹色の帯をしめた老女は椅子から立ち上がるとお辞儀した。

老女の聡明な瞳が一同を見渡す。

 

 鏡造が建介を老婦人に「探偵の月島建介君です。」と紹介をする。その時、横から藤世に耳打ちで教えられた。

 「…先の子爵夫人。この屋敷の大奥様…。」

 つまり景久の妻だ。


「こちらが先の子爵夫人轟木芳子様です。」

「皆様お越しありがとうございます。大塚さんには一家揃って夫とよくしていただき夫も喜んでおります。」

 季節は春だというのに芳子には雪のような涼しさを感じられた。


「いえいえ。私どもも景久様には大変面白い會に招いていただき嬉しく思っております。」

 「そうですか。それよりも立ち話もなんです。皆さまどうぞ椅子へ腰かけてください。」

 芳子に勧められ一同は椅子に腰掛けた。


 「藤世さん。進級されたでしょう。もう四年生でしたっけ?」

 「はい。」

 藤世は頷く。


 「確か久保田さんのお嬢さんと同級でしたね。」

 久保田。幽霊騒動のあった製糸工場の社長だ。

 幽霊の正体である覗き魔は誰か分からずじまいだ。


 鏡造が芳子に尋ねる。

 「久保田さんは本日の花見にも来られる予定でしたね。」

 「ええ。久保田さん。それに奥様とお嬢様もいらっしゃいます。」

 「そうですか。謎道樂のほうでは久保田さんお一人ですけれどね。まあ他の皆さんも同じように普段連れてくることのない身内を同伴されるでしょう。」


 鏡造は続ける。

 「確か景孝様と静子様もいらっしゃるのですよね。」

 「えっ影孝様に静子様…。」

 建介は驚き声を上げた。


 「月島さんは東京の方で孫たちと会われてましたね。」

 轟木影孝とその妻静子。現轟木子爵の息子夫婦。景久と芳子からみたら孫夫婦である。

 夫婦そろって医師であり、東京の謎道樂の會では死体の状況を樂しげに話していた。


 「二人はわざわざ東京から参加しに来ています。露子は不参加です。」

 轟木露子。影孝の妹で年齢は藤世と同じくらい。私立の女學校に通っていると聞いた。

 正直、藤世と似たような雰囲気がする令嬢だ。残忍な話に悲鳴を上げずに聞き入るのだから。


 「まあ露子なら夏休みになれば篠原に来る予定です。」

 「そうですか。それは樂しみです。」

 藤世が口を開く。顔が明るくなったように見える。演技ではなく、心の底から樂しみにしているようだ。

 

 その時、タケの明るい声がした。

 「大奥様。大旦那様がいらっしゃいました。」

 「あら、そう。」

 芳子が扉に目を向けると同時に別邸の主人たる景久が部屋に入って来た。


 「ああ。皆様よくぞいらっしゃいました。」

 景久の口元の皺が大きく動く。


 「お招きありがとうございます。」

 「私たち。謎道樂もそうですけど、花見の會も好きですの。」

 鏡造と初音が口々に答える。

 

 「いやあ見事でした。山櫻にしだれ櫻、豆櫻。それに染井吉野。とはいえ八重櫻はまだですね。」

 鏡造は大きな口を開けて感動を伝える。


 夫に続くように初音が感想を述べる。

 「花壇のお花も素敵でした。チューリップが鮮やかで。鈴蘭はまだみたいですね。」

 

 それを聞いた景久は満足そうな笑みを浮かべる。

 「でしょう。私の収集の一つです。」


 それを聞くと建介は景久に尋ねた。

 「園芸が趣味なのですか?」

 「もちろん。私は奇怪な物が好きですが園芸といった人並みの趣味も捨ててはいませんので。」

 景久が静かな笑いで答える。

 

 すると藤世が口を開いた。

 「鈴蘭って毒があるんですよね。」

 藤世の物騒な発言に景久は平然に発言を返す。

 「ええ。可憐な見た目に毒を含んだ花ですよ。元は久保田さんの家で育てられていたもので苗を分けていただきました。」

 

 大塚夫妻はいつものように怪しげな笑いをする。景久の妻、芳子も見慣れた光景のように平然としている。


 (…こうした人物に囲まれたら、いちいち驚いてはいられないだろうな。)

 芳子夫人を観察して、建介はそう感じた。


 正直、建介も藤世の残忍な発想に驚かなくなったような気がする。

 というより篠原に来る前から東京の謎道樂に會に出席したせいで奇抜さへの耐性が鍛えられてしまった気がする。

 

 建介がぼんやり考えていると景久が口を開いた。

 「花見の會が始まるまで時間があります。今いる人数で謎道樂をしませんか。」

 大塚夫妻は「いいですね。」と大賛成し、芳子はどうぞと言いたげに頷く。藤世も「はい。」と小さく返事をした。

 

 「ええ。いいですよ。」

 建介も連れられて了承した。別にしたくない理由はないのだから。


 

 


 


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