第23話 現場

ミルクホールを出たところで建介は啓一と別れた。

宿屋へ向かう途中、建介に声をかける者がいた。

「厳しく注意されましたか?月島さん。」

帽子を深く被った質屋が立っていた。

  

 「藤世さんの生みの御両親の事件。探るのやめにしますか?」

 質屋の眼がギラリと光る。建介を観察しているのが嫌というほど分かる。


 「質屋さん‼」

 建介は抗議を始めた。

 

 「質屋さん。あなたは最初、僕が藤世の事を尋ねた時に、藤世の親が殺されたことを教えましたよね。」

 「はい。」

 「そして、僕がその事を調べることを止めないと言いましたよね。」

 「ええ。そうです。」

 質屋は感情の無い声で簡単に答えていく。

 

 「それなのに大塚家の皆さんに全てお話するのは何故ですか?」

 「御本人に聞かれた方が早いと思いまして。」

 質屋は何食わぬ顔で答える。建介は言葉を失った。

 

 (この人もよく分からない人だったな…)

 建介は怪物を見るように質屋を眺めた。気を取り直して質屋を問い詰め続けた。

 

 「僕は探偵ですが、捜査するのは依頼された事件です。今回は僕が勝手に調べようと思って調べているわけです。」

 「ええ。あなたの職業はよく知っていますよ。」


 「関係者でもなければ、依頼人がいるわけでもない。神崎みたいに記者でもない。いきなり過去の事件を聞かれたりしたら警戒されるでしょう。」

 「ええ。ごく普通の感覚ですね。さて、あの一家に普通の感覚があると思いですか?」

 「…確かに…。」

 建介は何も言い返せなかった。


 「それよりも現場まで案内しましょうか?」

 「現場?」

 建介が聞き返すと質屋は生気の無い静かな声で答える。

 「あなたが知りたがっている事件の現場です。藤世さんがもともと暮らしていた家です。」

 

 

商店が立ち並ぶ通りに『萩原書店』があった。そして今は空き家となっている。

かつて殺人現場であった建物は驚いたことに手入れはされていた。それでも建介たちを偶然目撃した近所のおかみさんたちがヒソヒソと汚物を見る目付きで噂話をしている。ここでかつて起きた惨劇はまだ忘れられていない事を証明している。


「こちらです。」

質屋は彼女たちの振る舞いを気にせず建物の中へ建介を案内した。


閉めきられた内部は暗く地下のようだった。


元は書店であることを考えると、入ってすぐの土間には売り物の書籍が並べられていたことだろう。

土間の奥には廊下が見える。おそらく、そこが藤世たち一家の生活の場。


質屋は建介を廊下へと案内する。


廊下に黒ずんだ不気味な模様が見える。壁にも同じ模様があった。血だ。


「こちらで萩原夫妻が殺害されていました。」

質屋の妙に静かな語りを聞きながら建介は血を見いった。


廊下の血は大きく広がっている。

壁の血は大人の胸元辺りの高さから始まり、そこから滝のように流れ落ちているようだった。


「茶の間と物置にしている部屋があります。」


物置は店舗と茶の間を繋ぐ廊下の途中にあった。

襖を質屋が開ける。

物はなく一面の畳だけが見える。


「こちらでは在庫の書物をしまうために使われていました。」

「書店と聞いて思ったのですが小説家の大塚先生が一番の常連になりますか?」

「まあ、そうでしょうね。あとは近所に下宿する學生たちです。そうだ…。」

質屋が何か思い出したようだ。


「この物置は中が荒れていたのですよね。積み重ねられた本が崩れていて…。」

「それでは犯人は物置で何か探し物をしていた…。」

建介が呟くと質屋はさあ?と吐き捨てた。

「実際に何があったのかはさっぱりです。」


質屋は襖を閉めた。そして廊下の壁を手で示した。

「こちらに夫が壁に寄りかかるように倒れていました。血が高い所にあることから立った状態で刺され、力が抜けて座り込むようになったのでしょう。」

次に床を示した。

「そして床には横たわるように妻が倒れていました。」


「藤世さんは?」

「藤世さんの話ではずっと寝ていて事件に気づかなかったそうです。そして翌朝に両親の遺体を見つけたみたいで近所の人々に助けを求めました。大騒ぎでしたよ。」

質屋は当時の様子を鮮明に思い浮かべている。


「人々は口々に幼い藤世さんに『誰が殺したんだ?』『何があったんだ?』と矢継ぎ早に問い詰めました。でも本人は『犯人の顔を見ていない』と云いました。それでも彼女を取り囲む大人たちは思い出せる事を云ってみてとしつこく聞こうとしていました。」

「…で、藤世さんはどう答えたのですか?」


「それが疲れて寝てしまったのですよ。目にはくまがありましたし。」

「そういえばカフェーで話を聞いた時に眠りこけてとか云っていましたね。」

「ええ。その時『かわいそうにこんなにも疲れて』と云う人もいれば、『親が死んでいるのに寝るなんて』と悪く云う人もいました。」


「…実はさっき啓一さんから聞いた話があるんです。親の死を悲しんでいないのを気味が悪いと云われたって。」

「おや、その話をされていたのですか。おかげであの子は周囲から恐れられるようになったのです。親戚ですら引き取るのは嫌がり、大塚先生の養女となりました。」


建介は当時10歳の少女に酷な事をしたものだと思った。

藤世の感覚はごく普通ではない。だからといって云いたい放題とはどうなのだろうか。


「藤世さんはその事で傷ついたりしていないですか?」

「本人は口に出しませんね。正直何ともないと耐えようとしているんじゃないでしょうかね。」

憶測として質屋が語る。だが、質屋の観察眼の鋭さを建介はよく知っている。

藤世は傷ついている。その可能性は高い。


「大塚家に引き取られてからは自由な子になりましたよ。良くも悪くもですけどね。自分の意思で笑う事も楽しむ事も覚えたようです。事件から数日して大塚家で焚き火をした時は啓一さんと火を囲んだりしていました。」



質屋はそう云いながら廊下の先の部屋へ案内していく。


「こちらは茶の間です。」

家具も何もない部屋となっていた。住人がいないのだから当然だろう。しかしほこりがない。

「誰か掃除しているのですか?」

「ああ私です。」

「えっ。質屋さんがですか?」

建介は驚き質屋の顔を見た。


「この家は子爵様が買い取っているのです。」

「何のために…?」

「道樂ですよ。いつもの。」

質屋は呆れながら息を吐いた。


「まあ、この事は近所の人はご存じないことですが。子爵様のおかげで今も現場が残されているんですよ。 まあホコリまみれにならないように掃き掃除はしていますがね。」

「質屋さん。あなた近所の人にどう思われているのですか?」

萩原書店に入る前に見たおかみさんたちの反応が思い出される。


「私ですか?ヒソヒソと物好きなとか云われていますね。面と向かって云われることはありませんが。」

「そこまでしてここを守るつもりですか…?」

「守るというか残すという感じです。あなたみたいな人もいらっしゃいますし。ただ…。」

質屋は何か云いたげな様子だ。


 「木村さんはこの事に反対のようですね。事件を楽しんでいると。」

 質屋がポツリと呟いた直後、入り口の戸を叩く音と呼び声がした。


 「質屋さん‼質屋さん‼…中にいらっしゃるですってね。おかみさんたちから聞きましたよ。」

 ドンドンと叩く音と共に木村の声が聞こえてきた。

 

 「今の師匠ですよね?」

 「ええ。何か用があるんですかね。」

 質屋はつまらなさそうな顔をしながら店の戸を開けに行った。









 


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