第16話 煩い容疑者
「ですから私は自分の部屋にいたんです。」
原西は顔に焦りを浮かべながら主張する。
「しかしですね…。」
「分かりますよ。私を疑いたくなるという気持ちは。もうどれぐらいの時間居座るつもりですか。」
原西は懐中時計を取り出し、建介の台詞を遮る。隣に座る堀口は顔を苛つかせている。
「確かに叔父は資産家です。そして身内は甥の私だけ。そして叔父は私に仕事が続かないようなら遺産は相続させない。どこかに寄付する。そう言いました。」
原西は舞台に立つ役者のように大袈裟な喋り方をする。その演目を建介は横目で仕方なく観賞する。
殺害されたのは、 原西の母の弟にあたる飯田氏である。飯田氏と原西の確執はすでに調べてあるので、わざわざこの場で説明される必要はない。
部屋の隅には乱暴に積まれた本。手ぬぐいは畳に捨てられている。部屋の主のいい加減な性格を表している。
そして原西は懐中時計を閉まった。
「ああ。この時計もいつ汚れたのだか…。」
原西の持つ懐中時計に真一文字の墨が見えた。
「そして私は独り身です。事件のあった日は一人でこの部屋で過ごしていました。」
原西は下宿屋の二階を借りて住んでいる。
開けっ放しになった窓からは隣の家の庭がよく見えた。桜の枝に膨らんだ蕾と開き始めた花が見せる。あと少しで満開となるだろう。松は立派な枝をどっしりと構え、福寿草は鮮やかな黄金色を彩る。
庭に二人の人影が見える。隣家の娘ミツと藤世だ。原西の部屋からは何を会話しているのかは分からないが藤世が庭の花を指さしてることから草木を話題にしているのだろう。
「しかし叔父の家から不審人物が出てきたのを目撃されたのは時間は夜の2時頃。そうですよね?」
「ええ…。」
事件が起こった五日前の夜。その日の午前2時頃に悲鳴と物音に目を覚ました近所の住人がいたのだ。その住人は起き上がり戸を開け、家の外を見回した。
その時、原西の叔父宅から駆け出してくる人物を見たそうだ。その背格好が原西と似ていたそうだ。
「夜の2時と云ったら草木も眠る丑三つ時。皆が寝ている時なので私のアリバイの証人となる人物がいない。」
原西が残念そうに云う。
下宿屋の女将も他の住人も朝まで寝ていた。
「だからといってアリバイがないだけで犯人扱いしませんよね。それに、ミツさん。私は2時頃に隣のミツさんを見かけました。」
原西が隣の庭を指差す。
「夜中に目が覚めたんです。起きるのにも早いですし。他の人を起こしちゃ悪いと思いました。それなのに叔父の近所の人々が巡査を引き連れて…。」
「そのお話はすでに聞いています。」
建介が静かに告げると原西はえっと驚きの声をあげた。
「じゃあ。知っていますよね。その日の2時頃、ミツさんが庭の手入れをしていた。それを私が目撃していたことを。」
原西は信じてくれと顔をして建介に詰め寄る。
「私が事件当時に下宿にいたという証拠ですよ。」
原西の顔は得意げだ。
「ミツさんも大変でしょうね。私が目撃したばっかりに事実確認のために、いろいろと聞かれて。以前からお祖父さんが寝たきりで、しかも口煩く怒鳴られて。その最中お祖父さんが亡くなって大変でしょうし。」
原西はミツへの同情を口にするが彼が気にしてるのはミツの身の上でも今後でもないのが分かる。自身のアリバイが信じてくれるかどうかだ。
「私は犯人ではありません。それに叔父に会ったのも叔父の家に行ったのも最後になるのが事件より三日前。今日より八日前になりますね。」
言い終えた原西は得意げだ。
「しかし、あなたの下宿と飯田氏の自宅は離れていませんよね。犯行に出掛ける前でも、それを終えた後で隣の庭を目撃した場合なら辻褄が合います。」
建介が原西を睨みつける。
「結局あなたのアリバイは成立しません。」
原西はわめいた。
「そうだとしても証拠が…。」
原西が吠える。その動揺が建介の目に映る。
建介はまたまた鏡造に依頼を受けた。そして藤世の付き添いも…。
飯田氏の事件と何か関わりがあるのかと建介が問えば、鏡造は堀口さんに聞きましてと含み笑いを浮かべた。
飯田氏という資産家は慈善に積極的な資産家だ。その一方で甥の原西は遊び好きで怠け癖があり、いい加減な性格。それが災いして仕事が続かなかった。飯田氏が原西に財産を残さないよう動き始めたのも納得がいった。
最初に向かったのは現場だった。驚いたことに堀口の案内があった。
飯田氏は長年連れ添った妻を亡くし、子もなく一人暮らしである。女中は通いであり事件のあった夜中には不在であった。
現場の畳には血がこびりついている。その中に大きな長方形だけ綺麗だった。その中に蒲団が敷かれており、飯田氏が寝ていたのだろう。
「聞いた話だと寝ている時に刃物で刺されたんだって。」
藤世が蒲団の跡を覗き込んだ。周囲の血を気にする様子はなかった。
建介は蒲団の跡を眺めると部屋全体を見渡した。文机に目をやる。
「そういえばその机。現場に入った時、位置がずれていたなあ。」
堀口が呟いた。
「ずれていたんですか?」
「ああ。おおかた犯人がぶつけて少し動いたんだろう。飯田氏は生真面目な人だというし。」
「他に思い出すことはありませんか?」
「机の上の物が転がっていたな。筆とか帳面とか懐中時計とか小物類が。」
堀口は建介に話すのにためらいがないようだ。おおかた鏡造の差し金で仕方ないと思っているだろう。
「女中の話だと机の上は普段から整えているというから。それも犯人がぶつけた勢いだろうな。」
堀口が推測を述べていると藤世が口を挟んだ。
「付き合いとかはどうですか?」
「付き合いか…。主に会話するのは近所の人間と慈善で知り合った人間。身内はろくでなしの甥だけだ。知人は多くいたようだが、まあ飯田氏も年寄りだ。ほとんどがあの世へ旅立っている。」
「そうですか…。」
藤世は何か考え込むようにしている。表情が暗い海の底に沈んでいく。
「何かあるのか?」
建介は思わず尋ねてしまった。
「別に…。手紙のやり取りは?」
藤世は何やら積極的だ。
「ああ…。」
堀口も何やら藤世に違和感を感じているようだ。
「手紙は文箱の中に仕舞われていた物。押し入れの中にも、たくさん保管されていたぞ。被害者の交友関係を調べるために証拠品として押収した。慈善活動に対するお礼が多かったな。」
「ふうん。」
藤世はまたもや暗い表情をした。
次に怪しい人影を目撃した隣人を堀口の紹介で訪ねた。
堀口が声をかけると隣人は深々とお辞儀した。
「眠りが浅くてよ。悲鳴が聞こえたんだ。それで外を見たんだよ。」
隣人は怒りのこもった声で訴える。
「夜中だからよく見えたわけじゃないけど何となく甥御さんに似ていると思ったよ。よく金をせびりにやって来るのを。」
「顔を見たわけではないのですね。」
建介が確認すると隣人は悔しそうな顔をした。
「ああ。でも背格好と歩き方があいつだったなあ。」
隣人の原西への印象は最悪のようだ。隣人は家族を起こして一緒に飯田氏の家に入り遺体を発見したそうだ。そして隣近所の住人を起こし巡査を呼び、原西の下宿先へと押しかけたのだった。
「これ証言として有効になる?」
「いいや…。」
小声で聞いてくる藤世の問いに建介は肩をすくめるしかなかった。
「原西って人の隣の庭の手入れを見ていたのはアリバイになるの?」
「いまいちだ…。」
代わりに答えたのは堀口だった。
「隣の家のお嬢さんは庭の手入れをしていたことを認めているが、奴が下宿にいるのを確認したわけじゃないからな。」
建介が隣人に尋ねる。
「何か人影で思い出すことは…。最近の飯田氏の行動で変わったことはありませんか?」
「いや…相変わらずの倹約家で、不要な外出も買い物もしない人。ほとんど慈善の寄付に回していたな。甥御さんと違って。」
台詞の最後は強調されていた。
「そういえば…。事件の日は慈善活動とかで出掛けて…。『持ち物にイニシャルを書いてもらった』とか聞きましたよ。」
建介たちは原西を訪ねる前に隣の娘ミツに話を聞いた。
ちょうどミツの親類が帰るところであり。親類は「お気の毒に。」と口にして立ち去って行った。
「…はい。たっ確かに私はその日の夜、庭に出ていました。目が覚めてしまい、庭に箒を出しっぱなしにしていたのを思い出したんです。その時、草履で踏んだ所が土を崩してしまって整えていたんです。」
ミツはおどおどとした喋りをする。彼女が気弱なのか、事件の参考人となってしまった事への驚きなのかは分からない。
庭は桜に松の木が植えられ、福寿草が咲いている。
堀口がミツをなだめるように云う。
「ミツさん。焦らないでください。まあ最初にお話を伺った時よりも落ち着いているようですね。」
「そうですか…。」
ミツはか細い声を出す。
「その時、隣の下宿屋に住む原西さんに気づきましたか?」
「いいえ…。少しの間だけ庭に出ていたので…。見られていたとは思いませんでした…。」
ミツは不安げに答える。
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