第7話 篠原空き巣騒動1

 その日の夕方、建介は大塚家に招かれて夕食をご馳走になっていた。

 

 「依頼人に犯人に仕立てられそうになったとは災難な。」

 鏡造の口から笑いがこぼれる。


 これは、建介が夕食の席にて依頼を受けて尾行したところ殺人事件に遭遇し、解決したら犯人は建介に罪を着せようと考えていた事を話した結果であった。

 鏡造は他人事だと思っているのか、犯人の策が失敗に終わったからなのか笑い事として扱っている。 

 

 「藤世も犯人を閉じ込めておくなんて。犯人もまさか監獄に送られる前に閉じ込められるとは思わなかったでしょうねえ。」

 初音も笑い飛ばしている。


 (普通、娘が殺人事件に遭遇したら心配するもんじゃないのか…。)

 建介は大塚夫妻を黙って見つめ、夕食のかきたま汁を口にした。

 藤世は「思わず閉じ込めちゃった。」と呟いている。


 娘が殺人現場に乗り込んで犯人を監禁するという信じられない行為をしたというのに一家は何事もなく夕食を美味しそうに味わっていた。


 「ところで、私から依頼をしてもいいですかな?」

 夕食を平らげた鏡造が尋ねる。

 「それが僕はしあさってぐらいに東京へ夜行汽車で一度戻る予定なのです。」

 「そうなんですか。」

  鏡造が驚き口を開ける。残念そうな顔をするとまた口を大きく開いた。

 

 「じゃあ東京へ戻るまでの間にお願いします。」

 建介は箸を止めジロリと鏡造の顔を見た。

 

 横で話を聞いていた藤世は初音に話しかける。

 「東京かあ…私たちも住んでいたよね。」

 「ええ。今は東京にいるのは下宿している啓一だけよね。」

 

 「啓一というのは?」

 「東京の學校に通っている長男です。」

 建介の問いに鏡造が答える。

 

 「それよりも依頼してもいいですか。ちょっと聞き込みしてもらうだけなので。」

 「ああ…はい…。」

 鏡造はどうしても建介に依頼を受けさせたいようだ。


 「実は篠原で空き巣が相次いでいるのですが…。知り合いの写真店が被害にあったんです。」


 

 夕食を終えるとキクという老いた女中がお膳を片付けた。

 建介は鏡造の書斎に招かれた。文机の上に筆記具が並び、机の側には本が乱雑に積まれている。散らかりを外部から隠すように鏡造が障子を閉めた。


 「私たち一家は、篠原に越してからその写真店をよく利用しているんです。」

 鏡造は文机の前に座ると建介に数枚の写真を見せた。

 

 大塚夫妻に藤世の姿。長い事写真を撮り続けたのか藤世は尋常小學校に通っているであろう年齢の姿もあれば、最近の女學生姿もあった。

 そして藤世の他に少年の成長していく姿も映されていた。

 

 「息子の啓一です。藤世の兄にあたります。今は東京の學校に通っています。」

 鏡造が説明する。

 

 「随分と写真がありますね。」

 「ええ。東京にいた頃の物もあります。」

 そう言って鏡造は他の写真も見せてきた。

 夫妻と赤ん坊の啓一。啓一がまだ幼児の頃の姿。尋常小學校に通っている頃の姿。ある時から啓一の隣に幼い藤世の姿も見られるようになった。


 「写真店では売上金が盗まれたというのです。どうか犯人を捕まえてください。」

 「はい…。引き受けましょう…。」

 お願いする鏡造の表情はどこか笑っており含みを感じさせた。

 

 「空き巣というのは昨夜は写真店と商家に入り、一昨日の夜は資産家の家に入ったと言います。あと三日前には長屋の大家をしている家にも入られたそうです。」

 「なるほど…すべて新聞に書かれた内容ですか?」

 「いえ…警察の堀口さんに教えてもらいました。」

 「警察…堀口…。」

 建介が繰り返す。


 鏡造を厄介そうに話していた警官だ。


 「堀口さんは口の堅いお人ですけれど。特別に教えてもらうことが出来ました。」

 「特別に…。どのような特別な事情があったのですか?」

 「そりゃあ…話せませんね。ただ、事件に首を出してはお手伝いしていますので。私の頼みを断れないでしょう。いやあ仕事熱心な方でしてね。米騒動の時は群衆の怒りに巡査たちが恐れをなす中、鎮圧を続けていましてね。あの時の騒動で見た群衆の熱さといったら見ものでしたね。」

 鏡造は平然と言う。

 

 建介は嫌そうな顔をする堀口の顔を思い浮かべる。

 (堀口さんは本当は断りたかったのではないだろうか?)


 「それと篠原の地理はまだ慣れないでしょう。町の地図を渡します。それから藤世に案内させましょう。」

 そう言って鏡造は四つ折りの地図を建介に差し出した。

 同時に障子の向こうに人影を感じた。

 藤世だ…。




 ―翌日。

 建介は藤世に案内されて松岡写真店に入った。

 店主の松岡耕平氏はうわ言のように繰り返していた。

 

 「売上金が…大事なお金が…車箪笥の中に鍵をかけたというのに…。」

 松岡の指す箪笥の鍵は針金による無残な傷がついていた。空き巣の仕業だというのは一目瞭然だ。


 「夜中に店に入られたんですよ…。戸締りはしたというのに…鍵はこじ開けられて…。」

 松岡は拳を握りしめ悔しさを露にすると建介を見据えた。

 「絶対に見つけてくださいよ。空き巣の言い逃れできない証拠を‼」

 「ええ…。」


 建介は冷静に返事をしたが、正直言うと怒りに燃える松岡に後ずさりしたいところであった。藤世は冷めた目で松岡を見つめる。写真店の店員の敬次郎は主人から目をそらすようにしている。


 「世の中にこんなに許せない事があってたまるか‼」

 

 「松岡さんはこういう人なのか?」

 建介がこっそりと藤世に耳打ちをする。


 建介は事前に藤世から松岡について聞いていた。

 藤世の話では松岡はいつも穏やかな性格で、客には優しい言葉遣いだと聞いていた。しかし、目の前の松岡は怒り狂っていて芝居を見ているような気分だった。


 「そうなんだけどね…。誰だって怒る時はあるってお父さんが言っていた。怒る気持ちは自然なことだって。」

 「まあ…そうだろうけど…。」

 改めて松岡を見た。と鍵で守ろうとした金を盗られた怒りは尋常でなようだ…。


 「申し訳ありません。うちの主人は…もう泥棒に怒り心頭で人が変わったかのようなんで…。」

 「そうですか…。」

 悲痛な敬次郎の声に建介は頷くしかなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る