第4話 尾行の尾行1
「島田さん。お父さんの言う通り横領で逮捕されたって。」
藤世は島田が知人だというのに他人事のようだ。
「その逮捕に家族も奉公人も悲しむどころか喜んでいるみたいだった。知り合い程度の付き合いなら我慢できるけど。あの態度の男と一緒に暮らすのは耐えられないかもね。」
「…確かにな。」
建介が頷いた。
篠原市米屋町に開業したばかりの探偵事務所。
そこに藤世がやって来て島田という男のその後をわざわざ伝えにきたのだ。
女學校は春休みに入ったばかりという事で藤世は行灯袴は
「それを伝えに来たのか?」
建介が尋ねる。事務所の所在は鏡造には伝えている。おおかた父親に聞いてこちらに尋ねてきたのだろう。
藤世は首を横に振った。
「どうして梅吉さんのした事黙ってたの?」
それが本題のようだ。
「梅吉さんが島田さんにしようとした事。私には『見たのか?』って確かめるために聞いて、梅吉さんには何も聞かなかったでしょ。他の人にも言わなかったし。」
藤世が建介を見据える。
「私が島田さんを見殺しにしようとしたことも隠すことになるけど。どうして?」
「わざわざ言う必要がないと思って。」
建介が答える。
「結果的に誰も死ななかったし。それに僕は探偵であって善人なわけではない。いちいち起こらずにすんだ犯罪を暴く必要はないさ。」
「どういう犯罪なら暴くの?」
「探偵の仕事として依頼されたもの。個人的に暴いてやりたいと思ったこととか。」
そこで建介が思い出した。
「そうだ。依頼と言ったら。もうすぐ依頼の仕事の時間だ。君も用事が特に無いのなら帰ってくれないか。」
「そう。さようなら。」
そう言って藤世は帰って行った。
謎
思えば藤世は一同が建介の探偵としての能力を測るために島田の準備が完了したことを確認する仕事が与えられている所だった。単に喋る隙が無かっただけかもしれない。
藤世と言う少女は建介にはまだ把握しきれない人物の一人だ。というより大塚一家自体がよく分からなかった。
建介が篠原に来る前に聞かされた一家の情報はこれだけである。
大塚一家は元々は東京で暮らしていた。その頃に東京の謎道樂の會に参加していたようだ。現在の一家は鏡造の故郷である篠原市に所在を置く。地元の新聞に小説を連載して作家活動をしているという。
(東京の師匠に聞いてみるか…)
建介は自身に探偵としての修行を施した師匠を思い浮かべた。
そう思いながら建介は背広を脱いで和服に着替え始めた。
依頼の内容は尾行である。背広よりも和服の方が目立たずにすむ。地方都市の篠原では背広の人間は一応いるが東京ほど多くはないのだから。
建介は事務所を出ると一軒の家まで歩いて行った。
尾行相手の男が家の中から現れた。
深く被った帽子の男は小川雄三という名前だ。依頼人の佐藤喜五郎から知った。
佐藤の話では、彼の妹と小川の間に縁談がある。しかし小川は縁談が進む一方でどこかの悪い女と関係している噂があるのだと言う。
そのために今日の午後2時より彼が出掛ける所から尾行してほしい。そう念を押されて依頼されたのだった。
小川はブラブラと米屋町の通りを歩いていく。その後ろを建介が時折通りの店をひやかすふりをしながら追って行った。
途中、建介の後ろで気になる人影を見つけた。
大塚藤世である。
(家に帰っていなかったのか…)
一言言って追い返そうと思ったが、今は仕事中である。小川を見失うわけにはいかなかった。
仕方なく藤世に尾行されながら、小川を尾行することにした。
そのうち小川は帰宅し、家の中に入って行った。
小川は特に何かしに行くわけでも、誰かに会いに行くわけでもなく散歩していただけのようだ。
「あれ…。こんなところで…。あの人を尾行しろと言われたの?」
後ろから藤世が声を掛けてきた。偶然出会った風を装っているようだった。
「そういう君は一体何をしているんだ。」
建介は尾行を知っているんだからなと言おうとした。
ガラリ。
小川の家の障子が開いた。
開いた障子から人影が見えた。帽子を深く被った男はよろけながら外へ出ようとする。しかし、力が尽きたのか倒れ込んだ。
次の瞬間、男は家の中に引きずり込まれていく。何者かが男を捕まえているようだ。そして男の姿が見えなくなった。
ピシャリ。
障子の閉まる冷たい音が響いた。
「行ってくる。」
建介は家の中に飛び込んだ。
藤世は止めることなく建介の姿を眺める。少し考え込むと口を開いた。
「近所の人たちに助け呼んでくる。お巡りさんを呼んでもらうよう頼んでみる。」
建介が廊下を駆けていく時、開けっぱなしで藤世のわざとらしい助けを呼ぶ叫び声と何事かと集まる住人の喧噪が聞こえてきた。
往来から見えた障子のある部屋を見つけ出した。
畳が敷かれた部屋の中央で帽子を深く被った男が倒れている。
小川雄三。建介が尾行を命じられた対象だ。
小川は胸を包丁で刺され血が流れている。流れた血は胸から畳にかけてこびりつき乾いている。
念のため声を掛けるが反応はなく、脈も無い。
「ねえ…」
後ろから声がして振り返る。藤世がいつの間にか上がり込んでいた。
「近所に住む人に頼んで警察を呼んでもらったよ。」
藤世は建介と死体に近づいて行く。
「死体…怖くないのか…」
建介が尋ねる。血を流した死体など無残で誰も見たくはないだろうというのに藤世は嫌がるどころか死体を覗き込んでいるのだった。
「全然…。」
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