後編:ノア――世闇と未来



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 エデン・リステレスの奴隷スレイヴに堕ちた彼女ノア・シュヴァルツは軟禁状態にあった。


 山小屋の地下に在る、幾つかの部屋の一室に住む事となった彼女だが、衣食住には困らない生活を送っている。


 昼間は表立つエデンの居住している山小屋の掃除の他、地下の台所で作った食事の提供。


 また、夜伽を求めれば応えねばならないこともあった。


 助手とは名ばかりで、やはり奴隷と大差無い生活の日々は、気づけば七日目を迎えていた。


 そして、とある朝の話である。


 いつものように、エデンに朝食を運んだ時の事だった。


「……あれから一週間。素直になったじゃないか」


 エデンが言う。

 ノアは返事せずに目線を逸らした。


「温かい飯は食える。風雨を遮る寝床もある。風呂まで入ることができる。悪くない生活だと思い始めたんじゃないか? 」


 ……何を馬鹿な。

 誰が好んで兄のかたきと昼夜を過ごし、体まで差し出さねばならないのか。

 ノアは血が滲むくらい拳を握り締めて、爆発しそうな気持ちは必死に堪えた。

 卑屈な態度であり続けることが、今の彼に対する抵抗だと考えたからだ。


「なんだ、まだ兄貴を殺した事を根に持っているのか。きちんと説明しただろう。お前がこうなったのは兄貴がお前を巻き込んだ所為だと。素直に金を払っていれば、兄貴もお前も今頃は生きてハッピーに過ごしていたと云うのにな。馬鹿な兄貴だ」


 ククク。

 言葉通り、小馬鹿にした態度で嘲笑う。

 さすがのノアも、それには抑えていた気持ちを零れ落とす。


「……ふざけないで下さい。どうせお金を払っても兄さんを殺すつもりだった癖に! 」

「やっと喋ってくれたか。なに、金さえ貰えれば殺しはしなかったさ」

「どうだか分かりませんね。最悪の人殺しなんですから」

「人殺しでもあり、人生かしでもあるぞ。お前を生き返らせたのは誰だったかな」

「詭弁ですね。偽善者め」


 彼女の台詞に、エデンは目を丸くした。

 「プッ」と噴き出し、大きな口を開いて笑い声を上げた。


「ハハハハッ、誰が偽善者だって。誰が善だと言ったのだ。俺は自分が犯罪者だと理解わかっているつもりだぞ」


 エデンという男は只管に悪意に満ちていた。

 省みる事も無く、愚直。

 しかし、だからこそ、強くあった。


「貴方のような人が、奇跡の特級の蘇生術を使えるなんて……」


 奇跡の御業が聞いて呆れる。

 グランド・クロスを信仰する者だけが得られる御業を、どうしてこんな男が得ているのか。


「……俺の身の上話を聞きたいのかい」


 エデンが言う。

 ノアはフンと鼻を鳴らした。


「興味無いか。ま、それも良し。それよりお前も早く朝飯を食え。部屋の掃除をまだだろう」

「命令しないで下さい。仕事は全部分かっています」 


 また今日も同じ日が始まってしまったとノアは気を落とすが、その時だった。


 "コンコンコン"


 玄関の戸を叩く三回のノック音。

 エデンが「入れ」と伝えると、思いがけない客が姿を現し、ノアは驚く。


(……この人、聖騎士団!? )


 そこに立っていたのは、紛れもなく"正義と秩序"を謳う守衛の戦士、聖騎士団だった、


 真っ白な軍服を身に纏い銀剣を携えた彼らは、セントラル王国に構えた本部を筆頭に世界各地へ支部を持ち、世界平和のために日夜戦う正義の権化である。


 よもや、エデンの悪事を裁きに訪れたのかとも思ったが、しかし――。


「……エデン、今回はまた一段と可愛らしい助手を雇ったな」


 騎士団員が言った。

 その言葉を瞬間、ノアは嫌な予感が走る。

 そして、それは当たっていた。


「ディルゴ、久しぶりだ。どうせベルツで製鉄所を襲った犯人でも探してるんだろう」

「ああ。今回も敢えて一人だけ殺しておいた。で、犯人はここに来たのか? 」

「……もう会っているぞ」


 エデンはノアを指差す。

 ディルゴと呼ばれた団員は「これはこれは」と鋭い瞳で見つめた。


「ほう、犯人は女だったのか。確か二人組だと思ったが……もう一人はどうした? 」

「もう一人は死んだ。と云うよりも俺が殺した」

「何かあったのか」

「色々とな。そこの女は、俺が殺した男の妹なんだよ」

「ほほう。まあそれはさておいて、先に金を貰おうか」

「分かっている。今日辺り来るんじゃないかと思っていた。いつもの場所にある」


 ディルゴは部屋の隅にある棚へと赴く。

 最上段に置かれていたズタ袋を手に取って、中身を開くと、そこには五百万ゴールド分の金貨が詰まっていた。


「ご苦労。盗まれたのが一千万だったから……今回は五百万だな。だけど今回は少ないねェ。もう少し頑張ってほしかったモンだぜ、なあ可愛いお嬢ちゃん」


 ディルゴはノアを見つめながら言う。


 一体、彼が何を言っているのか分からずに呆然とするノア。


 ただそれは、彼らの持つ悪意を垣間見ていた事を理解したくなかっただけなのかもしれない。


 そして知りたくなかった真実は、残酷にも、正義たる男の口から告げられる事になった。


「はーん、何も分からないってツラだな。教えてやるよ。お嬢ちゃん。ベルツ集落でお前らを追い詰めた時、敢えて片方だけ逃がしたんだよ。この意味、分かるよなァ」


 その台詞で嫌でも理解した。

 理解せざるを得なかった。


「ちょろい仕事で嬉しいボーナスだぜ。金貨は見つからず俺の懐。犯人は見つけて俺の手柄。ほんとは二人組を逮捕しておきたかったんだが……殺しちまったらしょうがねえ。だけどいつも言ってるだろ。全員ココで生かして捕まえておけってよ」


 最悪だ。

 何もかも仕組まれていたんだ。

 真実を知ったノアは、その場で崩れ落ちる。 

 私達はなんて馬鹿だったんだろう、と。


 一方、エデンは堂々とした態度でディルゴの不満に対して辛辣に反応した。

 

「お前に指図される覚えはない。生かすも殺すも俺の気分次第だと言っている筈だ」

「俺に歯向えると立場か? 」」

「お前こそ誰のお陰で旨い汁を啜っているか理解っているのか」

「それを俺に言えるのか」

「同じ言葉を返そう」


 一触即発な雰囲気が漂う。

 だがディルゴは「ヤメだ! 」とため息を吐いた。


「どっちもどっちって事で良いじゃねえか。じゃ、金貨とこの犯人は貰っていくぜ」


 床に座り込んだノアの腕を掴み、引き立たせる。

 彼女を外に引っ張っていこうとしたが、エデンが"待て"と呼び止める。


「そいつは俺の助手として契約した。勝手は止めて貰おうか」


 その言葉にディルゴは、また不機嫌そうに振り返る。


「おい、それはさすがに約束違いだろ」

「たまたま俺が欲していた助手役に嵌った。そいつは譲れん」

「ダメだな。俺はコイツを気に入った」


 ノアを舐めるように見つめ、あまつさえこの場で手を出しそうなほど下衆な表情を浮かべて言う。


「あとは俺に任せときな」

「もう一度だけ言う。女の手を放してさっさと出ていけ」

「オイオイ、まさかお前……闇の聖教師サンが悪党女に惚れたんじゃねえだろうな」

「その馬鹿な口を閉ざしてやろう」


 エデンは右手に魔力を込める。

 淡い青色の輝きを放ったことに、ディルゴは「おい」と焦った。


「何をしてやがる。本気で俺とやり合うつもりか」

「最近目に余る行動ばかりだったお前と別れるいい機会だ」

「俺は聖騎士団だぜ」

「だからどうした」


 エデンの込めた魔力は徐々に肥大化し、凶悪に変化していく。

 ディルゴは額から一筋の汗雫を垂らした。


「ま、待てよ。冗談だ。俺はお前と戦うつもりはねえ! 」

「今更遅い」

「くそったれがぁ! 」


 次の彼の行動は、当然といえば当然の行為だった。

 ノアを前面に押し出して人質に立てたのだ。


 これ以上、俺に逆らうな!


 そう叫んだディルゴだが、エデンは戦う姿勢は一切崩さず、あまつさえ距離まで詰めていく。


「おい、本気で殺すぞ。おい、コイツがどうなってもいいのかあ! 」


 この時、ディルゴは考えが及ばない。

 エデンにとって人質など無意味であることを。

 故に青白い魔力は鋭利な刃物の形状を成して、ノアごとディルゴの"胸元"を突き刺したのだ。

 加えて貫いた魔法の刃から強い魔力を暴走させて内側から心臓を消し飛ばす。

 ノアは痛みも感じる間もなく絶命したが、ディルゴに対してだけは敢えて寸前で留めた。


「がはぁーっ! 」


 轟々の悲鳴。

 胸元、口から大量の血を噴出す。

 その場に倒れ込み、苦しんだが、死ぬことは無く、文字通りの生き地獄であった。

 エデンは痛みに悶えるディルゴの頭部をゴリリと踏みつける。


「おい、俺に逆らっていい事があったか。こうなるのは分かっていただろう」

「ゲホッ……。しょ、正気じゃねえ……」

「馬鹿が。俺が誰だか忘れたのか? 」

「な、何が……だよ……」

「お前が死んだ後、お前の魔力で助手を蘇生させればいいだけの話だ」


 ディルゴは死の淵ながら益々に愕然とした。

 そうだ……。

 この男にはそれがあったのだと、今更後悔をしたのだ。


「それと安心して死ぬといい。お前はどのみち近々殺される予定だったんだ」

「ど……ういう……意味だ……」

「今後は別の団員がウチに派遣されるからな」

「まさ……か……」

「支部長と話はついている。理由は分かっているはずだ」

「……っ」

「本来支部長に渡すべき半金をお前がポケットに入れていた事くらい……ん? 」


 会話の途中で、ディルゴの反応が無くなった事に気づく。

 どうやら絶望のまま死したらしい。

 エデンは「やれやれ」と溜息を吐いた。


「次の部屋の掃除は……ノアに任せるとしよう」


 ――そして、数分後。

 ノアがベッドで目を覚ました時、またあの日のように室内が血溜りの光景を目の当たりにして、自らに起きた全てを理解した。

 暖炉横のロッキングチェアで揺れていたエデンに、元気なく喋り掛けた。


「今度はディルゴさんを犠牲にして私を蘇生させたんですね……」

「先に掃除をしろ。朝食はその後で勝手に食べろ」

「……はい」


 今日のやり取りで、ノアは今度こそ理解した。

 絶対に彼には逆らえないという事実を。

 彼の全てを受け入れねばならないという未来を。


(私はこれから、どうなっていくんだろう……。もう、どうでも……いいかな……)


 壊れかけた心。

 だが、罪への罰のように、彼女の過酷な運命は、まだ始まったばかりである――。


 ………

 …


 【 終 】 

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【短編】闇の蘇生術師エデン・リステレス Naminagare @naminagare

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