第7-4
裕二さんの娘と一緒に月引村へ行ったーー。
非現実的な僕の推測が、ここにきて、まさかここまで裏付けされるなんて思いもしなかった。気が付けば、僕の心臓は体を突き破って飛び出していくのか、と思うほど激しく鼓動していた。開きっ放しだったのか、口の中はカラカラだ。
僕は目の前に置かれたハーブティーの存在に改めて気付き、口を付けた。火傷しないように慎重に一口飲むが、すでに冷めていて、独特の苦みが口いっぱいに広がる。
「私はね、月引村の内覧があった年の瀬には、転勤先ですでにこの不思議な状況に対して違和感を感じていたんだよ。例えば、そうだな……謙輔君と私の関係をどう思う?」
裕二さんは前屈みとなって両肘を自分の太ももの上に乗せ、身を乗り出して僕に質問をした。
「どうって……仲は良いと思いますけど」
「いや、そうではなく。どうして君と私はこうして近くで話せるほど仲が良いのか、だよ」
「それは、僕の父と裕二さんが仲が良かったから、その流れからじゃないでしょうか」
「きっかけはそうかもしれない。しかしそれだけじゃないはずだ……」
裕二さんは一呼吸おいて続けた。
「私は自分で言うのもなんだが、薄情な人間でね。あまり他人には興味ないし、仲良くしようなんてことも思わない。月引村で仲良くしていた人なんて、山井さんぐらいなんだ」
確かに……。僕の断片的な記憶の中では、父以外の人物と仲良くしている裕二さんの姿はない。
「山井さんは部外者の私を快く受け入れ、壁なんて一切作らなかった。いつだって親身になって私の相談にのってくれた。でもね、私の性格上それだけじゃ、山井さんと今のような友人関係にはならなかったと思うんだ。じゃあ何がその関係を作ったか、という話なんだが……それが謙輔君と私の娘なんじゃないかと思っている。2人が山井さんと私の関係をより固いものにしてくれた、娘がいたからこそ謙輔君との今の関係がある、そう考えているんだ」
言われてみれば僕が仲良くする大人は、裕二さんぐらいだ。20歳以上も年の差があれば、一般的にいって話題の種類が異なるし好みも異なる。共通の趣味なんてものもない。会話なんて続くはずもなく、仲を深めるには材料が足らなさ過ぎる。
「突然、降って湧いたように、今のような疑問が次々と出てきてね。自分の頭の中で整理するのが、本当に大変だったよ」
すると突然、裕二さんは『あ、そうだ』と言って、何か思い出したように立ち上がると、台所から箱に入ったチョコレートを持ってきてテーブルに置いた。
今朝早くに単身赴任先の最寄り駅で買ったもので、朝食の代わりに食べるつもりだったらしい。今日のことを考えると食欲が湧かなかったので、チョコレートだけ買ってこっちに戻ってきたそうだ。
裕二さんは個々に包装されたチョコレートの袋を器用に開けると、勢いよく口の中に放り込んだ。お腹が空いていたのか、立て続けにさらに2個ほど食べる。
『どうぞ』と裕二さんが勧めてくれたので、僕も一個手に取って口の中に入れた。丸いチョコレートの中に、細かく刻まれたアーモンドが入っていて、かみ砕く度に、甘いチョコの味に混じってアーモンドの香ばしさが口に広がる。脳が疲れ、糖分に飢えていたのか、チョコの甘さがとても美味しく体中に染み渡った。
「彼女は花が好きだったんだろう。去年の7月7日に大里 剣十君が、家に花が届けに来てくれたんだ。その週は家の整理のために、偶然こっちに帰ってきていてね。購入した記憶はなかったんで話を聞くと、ある期間分の花を一括購入されていて、決まってその日に花を届けているんだそうだ。私が購入したものじゃないからそれ以上のことを教えてもらうことはできなかったが、ほら、この妻の出産の写真の日付と同じだ」
裕二さんがアルバム上の写真を軽く指差す。
「つまり彼女の誕生日に誰かが花をプレゼントしていたということになる。その購入も彼女が二十歳となった去年で終わりのようだが……それは君からのプレゼントではないのか?」
疑いの目で裕二さんが、ジロリとこちらを見る。事情聴取されているような気分だ。
『まったく知らない。いや……ちょっと待てよ。彩香と一緒になって、剣十さんから結婚する話があったとき、別れ際にそんな話があったような気がする』
確かお互い覚えておらず花の配達も去年で終わりだからと、結局、有耶無耶にして終わらせた話だ。剣十さんも僕に何か知らないかと聞いてきたが、全く見に覚えがない話だ。
僕は首を横に振って、否定した。
「そっか……まぁ、誰のプレゼントだろうとそんなことはどうでもいいか……。今飲んでいるラベンダーはね、人の気持ちを落ち着かせる効果があるそうだよ。ふふっ、今の私たちにぴったりな飲み物かもしれないね」
空になった僕のカップに裕二さんは、ラベンダーの香りがするハーブティーを注いだ。
飲むことを催促されたような気がして、僕はすぐにカップを持ってハーブティーを口に運んだ。さっきは冷めていてよく分からなかったが、口の中に熱いものが広がり、同時に鼻からラベンダーの強い香りが抜けていくのが分かった。裕二さんが言ったからなのか、どこか気持ちが落ち着くような気がした。
「今うちの台所にはね、パッキングされたハーブがいくつかあるんだ。ハーブの色から判断すると、どれもベランダで育てていたものだと思う。丁寧に中に入っているハーブの名前がラベリングされていてね、何気なしにインターネットで調べてみたんだ。ハーブの効能はそれぞれだけど、うちにあるのはどれも精神的に心を落ち着かせるものばかり。よほど彼女は精神的に不安定だったんだろう」
裕二さんは少しうつむいた。
「もし……私の単身赴任によって彼女を不安にさせていたと思うと申し訳なくなるよ……。謙輔君もすまない」
なぜ裕二さんが僕に謝るのか分からなかった。
「どうして謝るんですか? 何も悪いことなんてしてないじゃないですか」
裕二さんは僕の顔をじっと見て、意外そうな表情をした。
「すまない、私の早とちりだ。てっきり謙輔君も私と同じところまで考えが行きついているものだと思っていた……少し待ってて」
裕二さんは立ち上がって玄関のほうに行くと、すぐに戻ってきて僕に1枚の写真を手渡した。
「私が始めに見せたメモの中に『部屋』という文字があったろ? それだけにバッテンしているのに気付いたはずだ。その理由は、『ある部屋』の模様が紛れもなく、そして疑いようもないほど私のセンスとかけ離れていたからなんだ。まさしく女性の部屋だったんだ。花瓶やベランダの植物は覚えていないだけで、もしかするとってこともあるし、写真に関してはカメラの不調や現像ミスで被写体が消えるってことも考えられる。だが部屋の趣味嗜好は、私がどんな心理的状態であっても、女性らしいあの感じは成りえない。つまりそこは私の娘の部屋、ということになる。そして今、渡した写真はその彼女の部屋にあったものだ。大きめの写真ボードがあってね、そこに何枚か張ってあるうちの1枚を持ってきた。その写真を見て分からないかい?」
どこで撮ったのか覚えていないが、一面の花をバックに笑顔の僕が1人で映っている。写真の日付からすると高校生1年の頃だ。この写真も今ままで見てきたものと同じように、横に不思議な空間があった。
「他の写真と同じように、変な空間があるところですか?」
「あぁ、もちろんそれもあるが、自分の手を見てみて」
写真に写った自分の手を、裕二さんに言われるがまま見てみた。右手はパンフレットのようなものを持っており、違和感ようなものはなかった。左手は何も持っていないようだが……。
「あっ!」
「気づいたかい? 謙輔君の左手。まるで誰かと手をつないでいる形をしているだろう。そして妙な空間も謙輔君の左側にある。これはつまり彼女と手をつないでいたということではないか? 分かるかい? これが意味することが」
推理小説のように次々に色々なことを聞かされ、僕の頭はもうパンク状態だ。情報整理ができず、しどろもどろになっている僕に裕二さんは優しく言った。
「君は彼女と手を握れる関係だ。そしてその写真は、彼女の部屋の写真ボードに貼ってあった。つまり普通に考えればだ。君たち2人は恋人、もしくはそれに近い関係だったんだ」
その言葉を聞いて僕は驚いた。僕のような人見知りに彩香と付き合う以前からそのような相手がいたことにだ。
「謙輔君」
愕然としてる僕に、裕二さんは力強い目つきで言った。
「私に協力してくれないか?」
「協力?」
「3週間後、月引村に向かうつもりだ。あそこに行けば、何か手がかりがあるはずだ。土曜に出発するが、最悪、平日に掛かるかもしれない」
裕二さんらしくない鋭い眼光に、思わず顔を背けたくなる。しかしそれに耐えながら、自分の予定を思い出した。
『特に何もなかったような気がする』
しかし本当に、こんなよくわからない非現実的なことに付き合っていいのだろうか? 僕が返答に苦慮していると、
「君に『行かない』という選択肢はないと思っているんだがね。彼女は君にとって特別な存在のはずだ」
そうかもしれない……そうかもしれないが、今の僕の頭では判断しきれなかった。この家に来る前、その空想は僕の中だけのただの絵空事でしかなかった。それが今は現実的な話となって、答えを突きつけられ、『さぁ、どうする』と急に言われても僕の頭ではついていくことはできなかった。
「すみません。少し……考えさせてください」
「……そうだな。私こそ、すまなかった。色々なことを、いきなり言ってしまって」
もはやこれ以上の会話はできないと思い、僕は帰ることにした。ソファから立ち上がると、頭だけでなく体も思うように動かせず、ふらつき、酷く疲れていた。一歩を踏み出すごとに体が重くなり、歩くのが億劫になる。
「謙輔君の返答を楽しみに待っているよ。じゃあ」
玄関のドアが閉まり裕二さんと別れると、僕はひっきりなしに降り続く雨の中へと入っていったーー。
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