第6-1
ー第2部ー
「久しぶりね。何よ、急に呼んで」
公園の広場の一角にあるオープンカフェの丸いテーブルに、2人の男女が座っている。頼んだブラッドオレンジジュースを一口飲んだ彩香は、酸っぱさのあまり顔を歪めた。
この日は天気が良く、広場中央にある芝生の上では、多くの家族連れがボールや空中を飛ばす玩具で遊んだり、ペットと戯れたりするなど、思い思いに休日のひと時を過ごしている。
彩香の目の前にいる男は、頬杖をつきながらそんな光景に
「家族って良いもんだな」
藍色の細身のスーツを着た男の名前は、大里
「兄さん、はぐらかさないでよ」
「別に、はぐらかしていないさ。こうして家族連れの団らんを見ていると、如何に俺を捨てた親がゴミみたいな奴らだったかよく分かる。あんな風に幸せな時間を一緒に過ごすことができる、それが本来の家族にあるべき姿なんだ……」
剣十は話の途中で、思わずハッとなって言葉を止めた。自身の過去を忌み嫌い、話をするのも嫌っていたはずなのに、自然と口走ってしまっていたからだ。剣十は舌打ちをして、目の前の家族たちに八つ当たりした。
「俺を生んだ奴らは、小さかった俺をほっぽり出してどこかに行っちまった。今となっちゃあ、それで良かったと心底思うが、残っている記憶といえば常に両親がいがみ合う光景ばかり。思い出したくもない」
不意に思い出してしまった記憶に落ち込んだ剣十は、気持ちを落ち着かせるためジンジャエールが入った背の高い透明のコップをストローでゆっくりとかき混ぜた。その拍子に中に入っていた氷の均衡が崩れ、コップの内面に当たってガチャっと鈍い音を出す。
「そんなに嫌な記憶なら忘れちゃえばいいのに」
「ははっ、器用にそんなことができるなら、養子縁組されたときにとっくにしているよ。親父たちには感謝している。孤児だった俺を引き取って、実の子のように育ててくれたんだからな」
剣十と彩香の歳は、ちょうど20歳離れている。彩香の両親は、結婚してから10年以上も不妊治療を受けていたが、子に恵まれることはなかった。両親は自分たちで子供を作るのを諦め、養子縁組で子を迎えることにした。そして孤児院で出会ったのが剣十である。
剣十を引き取ってから10年後、高齢ではあるものの彩香が生まれた。そのため剣十はよく『お前のときは楽だった』と出産をほのめかす冗談を親から言われた。
両親と剣十の信頼関係はとても強い。だからこそ他人にはキツイ嫌味に聞こえても、剣十には単なる冗談にしか聞こえなかった。もちろん両親側にも剣十を
「そうよね、社長さんは頭の出来が違うから簡単に忘れられないか」
「副社長だ。相変わらず人を妬むのは止めなさい」
「本当に今でも信じられないわ。そんな酷い親から生まれた人が、昔からこんな秀才だなんて。そりゃあうちの親も可愛がるわ」
「人一倍、努力している自負はある。だからこそ彩香にはそう見えるだろう。努力しなければ、人は何も手に入れられない。彩香も努力した結果、彼を手に入れたんだろう?」
剣十は自身に向かってくる若い男に目をやって言った。釣られて彩香も男に目をやる。
「遅かったじゃないか?」
剣十は不思議に思い、ドリンクを手に戻ってきた謙輔に聞いた。
「ミキサーの調子が悪くて、手間取ってたみたいで」
謙輔は2人がいるテーブルに買ってきたミックスフルーツスムージーを置くと、時間がかかったことに申し訳なさそうな表情をして椅子に座った。
「へぇ、お洒落な飲み物だね。2人でデートするときいつもそんなの飲んでるの?」
「さすがに毎回は……」
「ちょっと兄さん。謙輔は繊細なんだから、私たちに変な茶々入れないでよ」
彩香が興奮気味に剣十に食ってかかる。そんな彩香の顔に紅潮した色を、剣十はすぐに見つけ地雷を踏んだことを悟った。
謙輔と彩香が付き合うようになったのは、ここ一か月ほどだ。謙輔は林業関係の大学に進学し、今年2年生になったばかり。そんな謙輔に何度も彩香がアタックし、ようやく付き合うというところまでこぎつけた格好だ。しかし一か月経った今でもまだ『恋人』という言葉に若干抵抗する素振りを謙輔が見せるので、彩香は神経質になっていた。
「おっと……それはすまない。別に2人の関係に、深入りするつもりはないんだ。その……スムージー? だったか。よく若い奴らが街で飲んでいるのを見かけるから、最近の流行りかと聞きたくてね」
あまりの彩香の形相に、剣十は謝った。
「それじゃあ本題に移ろうか。悪いね、折角の休日に2人を呼び出してしまって。ゆっくりデートでもしたかっただろう」
「いえ僕は別に」
謙輔に見えないように、丸いテーブルの下で彩香が剣十の足を蹴っ飛ばした。ちょうど
謙輔に彩香とのデートを否定し、避ける意図はない。ただ謙輔はその人見知りな性格から素っ気なく返事をしてしまう。付き合って約1か月。謙輔にそんな傾向があることに、彩香はまだ気付いていなかった。
「私たちのことは、どうでもいいって言ってるでしょ」
「あぁそうだったな、すまん」
剣十はジンジャエールをストローで一口飲み、気を取り直した。
「それで本題なんだが……実は、結婚をしようと思う」
「誰と?」
少しためらいながら話した剣十に対し、彩香は躊躇なく質問を返す。何の驚きもしない彩香に、剣十は拍子抜けした。
「ゆかりおばさんだ」
「えーっ! ゆかりちゃん!?」
大きな声を上げ、彩香が驚く。酷くびっくりした彩香は、椅子を後ずさって立ち上がろうとした。しかし案外、椅子と地面の接触抵抗が大きく、椅子を後方へ押し出すことができず、彩香は体勢を崩し、椅子から転げ落ちそうになった。テーブルを掴み、辛うじて体勢を保持する。その後も『えぇ』という彩香の感嘆詞がしばらく続いた。
ポカンと謙輔が1人蚊帳の外にいると、彩香はそうはさせまいとこの『驚くべき話』の中へと引き込んだ。
「ほら、謙輔も会ったことあるじゃない。山間の喫茶店で待ち合わせた時のマスターよ」
その言葉でようやく謙輔も、剣十の相手が誰なのかを理解した。謙輔が話の輪に入ったのを確認できると、再び彩香は外部にその驚きを発散させ、剣十の相手に大きく感心した。
「ゆかりちゃん、生涯独身っていつも言っていたのに」
未だに信じられないといった様子で、剣十の顔を見て言った。
「ゆかりちゃんてさぁ……」
そう話し始めると、彩香は『ゆかりちゃん』について色々と詳しく話をした。若いとき多くの男に貢いで、騙された過去があること。もう男は信用ならないという判断から、結婚しないという結論にまで至っていること。そして、その決意は確固たるものであること。
姪の彩香には同じ経験をしてもらいたくないという思いから、ゆかりは彩香が店に寄るたびに昔の話を延々として男選びには注意するよう釘を刺していた。自身と同じように容姿に恵まれてしまったがゆえ、彩香を心配したのだ。
その影響を受けていたため、彩香は現在の二十歳となるまで彼氏と呼べる相手が一切いなかったのである。そんな厳格な恋愛の師匠と呼べる『ゆかりちゃん』が、目前の男が口説き落としたことに彩香はショックを隠しきれなかった。
「へぇ、兄さんとねぇ……。ねぇ、いつから付き合ってたの?」
「1年ほど前からだ。ゆかりさんのお店って、ほら不便なところにあるだろ? 俺の仕事が『何でも屋』みたいなところがあるから、困りごとの連絡があるたびに通ってたら今に至るって感じだ。俺も結婚願望なんてなかったんだ。ただ考えが似た者同士で意気投合したんだろうな」
「へぇ、でも結婚なんてできるの? 相手は『叔母』でしょ?」
「俺は元は全くの他人だからな、血縁なんて一切ない。法律的にもそれは認められいる」
「そうなんだ。それはおめでとう」
彩香の後に、謙輔も祝いの言葉を続けた。
「それじゃあ私も『山井家』として、ご祝儀を送らないとね」
こういう大胆な発言を、よく恥ずかしげもなく言えるなと謙輔は内心思った。
「ははっ、それは気が早いな。名義変更してからにしてくれよ」
彩香と謙輔の間で、これまで結婚の話など一切したことなどない。冗談だと分かっていたとしても、自分不在で勝手に結婚話が進んだような気がして、謙輔は気分が悪くなった。
彩香との会話で、謙輔の気分が害されることは珍しいことではなかった。会話の中でときどき出てくる『ノリが悪いなぁ』という彩香からの突っ込みにも、謙輔は嫌悪感を抱いていた。なぜ自分が相手のテンションに合わせなければならないのか? 謙輔は不満を持っていた。
『彩香とは性格が合わないかもしれない』
これはたった1か月の付き合いで、謙輔の脳内に挙げられた議題の1つだ。付き合い期間はまだ短いが、会話から滲み出る彩香の性格や考え方が謙輔にそう思わせた。彩香との間に何か不満なことがあれば、すぐにでも脳内
「ただ謙輔君からはすでに大事なものを頂いている。だからご祝儀はいらない」
「大事なもの?」
何も思い当たる節がなかった謙輔は聞き返した。
「2年前に彩香の引っ越しがあっただろ? そのときもらった『月下美人』の花のことさ」
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