第5-3

 そうだ。あの女の子アンが言うように、僕はずっとここを探していた。そう……それはもう1年も前のことだ。


 僕には2歳下の陽介という弟がいた。僕より年下だというのに、陽介の方が背が高く体格も良い。その圧倒的な体格さがあったからか、僕たち2人の間で喧嘩などをしたことがなく、とても仲の良い兄弟であった。

 村だった場所にダムが作られ、初めてこれからため池に水を張るという頃だった。僕たち2人は月引村の最後の見納めにと、電車に乗ってダムまで来た。しかし、このとき外来は許可されておらず警備員によって道を阻まれ、ダムに近寄ることさえ出来なかった。諦めて来た道を戻っていると、車が1台僕たちの横に止まり、その中から佐山幸月と名乗る男が声をかけてきた。こんな何もない田舎で、若い男2人が歩いていて気になったそうだ。僕たちは佐山にこれまでの経緯を説明した。


「ほう、それは残念だな。そうだ、俺が中まで案内してやるよ」


 佐山はタクシー運転手で、この辺の道には詳しいという。僕たちは佐山の好意に甘え、ダムの中が見える場所まで乗せてもらうことにした。


「あぁ、そうだ。兄ちゃんたちの目的が終わったら、この辺の観光でもどうだい? 夏休みなんだろ? 折角来たんだから周っていきなよ。この俺の車で時間までに帰れるようにするからさ。目の前のポケットに案内マップが入ってるから、持ってってよ」


 見るとモノクロで仕上がった手書きの案内マップが、封筒サイズに折られて何枚か入っていた。1枚手に取って案内マップを広げて見ると、何とも雑な手書きで観光するポイントとその道筋が記載されていた。元地元民の僕が見ればその道案内の内容は分かるが、果たして外から初めて来た人がこれを見て、目的の観光地へと辿り着くことができるのだろうか。


「どうかな? ちょっと汚いかもしれんが分かるかい?」

「ちょっと?」


 横から覗き込んでいた陽介が 、その言葉を聞いて首をかしげた。


「いやまぁ、観光マップの作成なんて初めてのことだからさ。ちょっと何を書いていいのやら分からんくてね」


 僕たちの反応が薄いことに動揺したのだろう。佐山は言い訳をした。


「どうして手書きなんですか?  しかも色は白黒で」

「あぁ、それはほら、個人でやってる飲食店って行ったことある? よくそんな感じで手書きで作ったメニューが置いてあるのよ。なかなか味があってね、好きだから真似して作ってみたんだ。ちなみにそれを書いたのは俺だ。なかなかセンスいいだろ?」


 個人の飲食店で出される手書きのお品書きが好きだからと、観光マップを同じように作ってしまうことについての是非は分からない。しかし単純に見づらいマップは意味がないように感じた。


「ほら、着いたぞ。ここから歩きだ。秘密の道だから気をつけろよ」


 佐山がささっと車から降りるのを見ると、僕たちも置いていかれまいと急いで降りた。周囲を見渡すと見知らぬ山中の場所で、舗装された2車線の道路を挟んで両側に雑木林が広がっている。車は片側の道に寄せるように停車していた。

 『こっちだ』と佐山は言うと、道路横の雑木林の中に入っていった。急に舗装されていない道へと入っていったので、心の準備が出来ていなかった僕は焦った。いくら自然豊かな月引村に住んでいたとはいえ、見知らぬ山の中を進むのは勇気がいる。ただ佐山が進む方向をよく見ると、雑草は酷く茂っているものの、木々が立っていない空間が幅1mぐらいあって、そこだけぽっかりと空いていた。歩きながら話を聞くと、昔、使われていた道だそうだ。


「今はもう俺以外、誰も使っちゃいないがね」


 まだ歩き出して間もないというのに、佐山は苦しそうな息遣いをする。大きな身体にとってこの歩きづらい山道は少々酷なようだ。


「おじさん以外?」


 僕の背後から陽介が質問する。


「たまにな、鉱山に行きたいって言う奴らがいるもんだから、こうしてこの道を歩いて連れて行ってるんだ。初めは何を好き好んでって思ったが後で話を聞くと、何でもその鉱山が天国に通じてるってインターネットに書かれているらしいんだ。だからかもしれねぇが、連れて行く奴は、みんな生気のない面ばかりさ。もしかすると何かに救ってもらいたくて、藁にもすがる思いで来てるのかもしんねぇなぁ……。ふうっ……ちょっとたんま! 少し休憩させてくれ」


 佐山は着ているスーツの前ボタンを全て外すと、暑いのか上着を脱いでしまった。さらにネクタイを首から外し、白いシャツの首側に近いボタンもポチポチと外した。行く先をじっと見上げ、佐山は大きく『ふぅ』と息を吐く。


「みんな残念そうな顔をして帰っていくよ。そりゃそうだ。あんなところに天国なんてあるわけねぇ。あるのは……おっと、若い兄ちゃんたちにはまだ早い話か。まぁ、兄ちゃんたちは違う目的で良かったよ」


 一休みを終え、佐山は再び山の荒れた道を上りだした。


「おじさんはどうして他の人たちや僕たちをこうして案内してくれるんですか? 何もその……お金にもならないのに」


 陽介の言葉を聞いて、佐山は山中に響くほどの大きな声で笑った。


「ははっ、そうだな、1円にもならんな。しかも、こっちはずっとシケた面を見せられているんだ、本当に詰まらん話だよ」

「なら、どうして?」

「この辺一帯はな、兄ちゃんたちも知っているとおり、昔、鉱山で潤った場所なんだ。月引村だけじゃねぇ、鉱山が生み出した利益はその周りの他の村や街もその恩恵を享受し発展していったんだ。それが今じゃどんどん廃業していって、俺がいるホテルとその周辺にちょっとした食いもの屋が並んだ程度、なんにもねぇ。鉱山が無くなってから、この辺一帯は本当に何にも無くなっちまったんだ。俺や周辺の店の経営者が寄り集まって、そろそろ潮時かと話をしていたときだ。ある飲食店経営の1人が、ダム関係者のお客さんから『ダムを観光地化させてみては』という提案があったそうなんだ。俺はダムなんか誰が見に来るんだと思っていたが、全国的にはダムを観光地化させる動きが活発で、最近じゃあダムカードなんていうのも出来てなかなか好評らしいんだ。まぁ商機なんてどこに眠っているか分からんからな、取り合えず観光地化できるよう俺らは今、奮闘しているってわけよ。話が長くなったが、俺がこうして人に付いて周るのは自殺者を防ぐためだ。月引村が閉鎖になっ後、さっきも言ったがネット上に変な噂が立ってね。鉱山に行けば幽霊が見えるだの、天国に行けるだの。おそらくそんなマイナスイメージの元は過去に起きた鉱山での事故だと思うが、気が付けばいつの間にか自殺の名所だ。前はよく山の中で遺体が見つかることがあってね。今から観光で盛り上げようとしているときに、一方で自殺なんかされちゃあだだ下がりよ。だから自殺防止のために見回りや、怪しい人間を見つけたら同行して思い留ませたりしてるんだ。まぁ、それ以外にもこの辺一帯に良いイメージを持ってもらえるようこうして俺が案内をして、また来てもらえるよう商機のタネをまいているってわけだ。ちなみに活動するようになってから、一応、自殺者ゼロだから効果は抜群よ」


 ふふーんと佐山は、自慢げな顔をした。


「さぁ、着いたぞ」


 少しひらけた場所に出ると、さらに少し進んで、佐山は隅にあった井戸のようなもの指差した。


「この鉱山の歴史は古くてな、昔の入口はここだったんだ。確か金棒掘りって言ったかね、長い棒で地面を突いて穴を開けていくんだ。ただその後、現代の技術で村側に大きな横穴の入口を通してからは、使用しなくなったようだがね」


 近づいて見てみると、ごつごつとした西瓜サイズの石が円状に1mぐらいの高さまできれいに積まれている。その石垣の上には、固定されていない大きな木板が無造作にただ置かれていた。


「中に入るか? これが月引村につながっているんだ。この辺りは高いコンクリで壁されているから、村の中を見下ろすことはできない。村を見たいならここしかない」


 佐山は軽く木板を持ち上げると、すぐ脇に立てかけた。穴に顔を近づけると、中から甘い香りが上ってくる。僕はさらに顔を穴の中に突っ込んで覗き込んでみた。木製の梯子が立てかけてあるが、暗くて底までは見えない。


「どれくらい深いんですか?」


 僕は不安のあまり佐山に聞いた。


「4、5mってところだ。少し高さはあるが中は暗いから降りるとき、さほど気にならんよ。降りると1本道の途中に出るから、村側に進めば村に出られる。俺も昔、この秘密の道を使ってよく遊んでいたよ。流石に危ないことをしている自覚はあったから、誰にも言わなかったがね」

「え? 昔って……佐山さん、月引村出身ですか?」

「あぁ俺もここの生まれだ。ただ君たちが生まれた頃には、もう村を出ていたかもな」

「もしかして、佐山って、薫ばあちゃんの?」

「あぁ、そうだ。俺の祖母だ」


 佐山はニタァと笑った。まるでその笑みは、それまで正体を隠していた悪者がバレてしまったときのようなものだった。


「君たちも占ってもらったか?」


 薫ばあちゃんは、村では有名な占い師だ。当たる当たらないは別として、何か重要な決断を村として行うときその占いが判断を後押しした。


「いえ、僕たちは……」

「そうか、そりゃ残念だ」


 小さな子供にとって占い師が醸し出す雰囲気は日常とは異質なもので、薫ばあちゃんの家の前を通るだけでも勇気がいったものだ。


「さぁどうする? 身元も割れたことだし信用してくれていいよ」

「もちろんいくよ、そのつもりでここまで来たんだから。そうだろ? 兄ちゃん」


 暗い石垣の中の様子を見ても、怯むこともなくそう言ってのける陽介に僕は改めて感心した。陽介は僕と違って勇気があっていつも前向きだ。陽介の言葉に後押しされ、僕は中へ入ることを決心した。


「そうだな、行くか。佐山さんも一緒……ですか?」

「ははっ、行きたいのは山々だが、この体型じゃあハマって道を塞いじまうよ。俺ぁここで待ってるから、帰りは心配しなくていい」


 佐山から手持ちの小さなライトを2つ受け取ると、1つを陽介に渡した。僕は直径1.5mほどの石垣によじ登って、足を中へ垂らすようにして縁に座った。中を見下ろすと、小さく囲まれた石垣の空間の圧迫感はもちろんのこと、降りる先の真っ暗闇が僕の恐怖心を煽る。

 僕は意を決し、梯子に足を乗せると慎重に降りていった。梯子を降りる度にギシギシと音が鳴り、それが下の空間で反響しまた戻ってくる。その音の響きがまた怖く、僕の肝を冷やした。『やっぱり戻ろうか』とそんな言葉が脳裏をかすめたとき、急に足が地面に着いた……。案外、短かった。恐怖が僕を支配する前に、しかもまだ先があると思っていた矢先に足が着いてしまったので拍子抜けだ。僕は梯子から降りると周囲を見渡した。

 周りはひんやりとしていて、真っ暗で何も見えない。僕は手に持っていたライトの電源を入れた。レーザービームのように暗闇に光線が走り、ライトを向けた先が照らされる。周囲をライトで確認しようとしたとき、頭上から陽介の声が降ってきた。


「兄ちゃん」


 声をした方向を見ると、すぐ上の梯子で陽介がこちらを見て何かを待っていた。その後『場所』と陽介が呟いたので、僕は気付いてその場を空けた。どうやら僕が梯子の終着点を独占していて、降りられなかったようだ。


「あぁ、ごめん」

「真っ暗だね」


 梯子から降りると、陽介が珍しく少し不安そうな声で言う。周囲をライトで照らすと梯子のすぐ横に、カタツムリのような木材で出来た大きな装置が置かれていた。そして佐山が言ったとおり、一本道の途中に降り立ち、道は村の方向から伸びてきていた。


「村と反対の道は、絶対に行くんじゃないぞ! 昔、使われていた鉱山とは言え、今は地下水によって水没した空間があるかもしれん!」


 佐山が梯子の上から顔を出して大きな声で叫んだ。僕も大きな声で返事をした。


「陽介、目慣れてきた?」

「うん、ちょっと」

「じゃあ兄ちゃんが前を行くな。後から付いてきて」


 僕はライトで照らし足元に注意しながら、村方向の道を進んだ。

 ほんの数メートル進んだところだ。小石が積まれ壁にぶつかり、その先に進むことができなかった。ライトで照らして通れる隙間があるか確認してみたものの、そんな空間は一切なかった。


「兄ちゃん、これ……」

「うん、塞がってる。この先は無理そうだから、とりあえず戻ろう」


 戻ろうとしたとき、坑道の奥から強い甘い香りが漂ってきた。


「兄ちゃん、さっきから何だろね。この甘い香り」


 陽介のクンクンという鼻を鳴らす音だけが、静寂な坑道の空間の中で聞こえる。

 僕は来た道を戻り、上で待機してくれてる佐山に大声で事情を説明した。


「そうか悪いな! ダムが出来てから俺は、一度も降りたことがないんだ! おそらくダムの関係で村側の入口は塞がれたんだろ!」


 残念な結果だが、これ以上ここにいても仕方がない。


「陽介、もう上に戻ろうか」


 僕は振り返り、陽介に向かって言った。すると、陽介が反対側の道の奥をライトを照らして、何やらじっと目を凝らしていた。僕は陽介にもう一度声をかけた。


「陽介、もう外に出ようか」


 しかし、陽介に反応はない。


「陽介?」

「兄ちゃん、さっき奥に女の子がいた。小さい子だった。この先の角からこっちを見ていたんだ」

「見間違いだろ」


 あり得ない状況に僕はすぐに反論した。


「ううん、花を手に持って揺らしながら僕に見せてくれたんだ。この甘い匂い……あの花の匂いかもしれない」

「佐山さん! 反対側にもどこかにつながる入口があるんですか?」


 女の子はもしかすると僕たちと同じように、別の入口から入ってきたのかもしれない。僕は上にいる佐山に向かって大声で質問した。


「ずっと地下まで続く坑道だ! 入口はここだけだ!」


 ならば陽介が見た女の子は、やはり幻覚だったのだろうか。


「ううん、確かにいた。この目でしっかり見た。おじさんだって最近は降りたことないって言ってたじゃない。行けるって言ってた向こうの道は塞がってたし、こっちの道ももしかすると知らないうちにどこかに通じているのかもしれない」


 そう言うと陽介はゆっくりと反対の道を進んでいった。


「陽介!」

「大丈夫、ちょっと見てくるだけだから」

「ちょっと……」


 僕の制止の言葉も聞かず、歩みを進めていく。僕は陽介の行く先を、ライトで照らして見た。道は二手に別れていて1つは地下の方へと下っていて、もう一方は先ほど陽介が言ったように5m程先で道が右に曲がっていた。

 突き当りまで歩くと、陽介は恐る恐る曲がった先にライトを向け覗いた。


「何かある?」

「すぐそこにまた曲がり角がある。ちょっと待ってて」


 陽介がすっと角を曲がり、僕の視界から姿が見えなくなった。


「陽介!」

「どうした!?」


 僕の大声に反応してか、佐山が上から覗き込んで声をかけてきた。僕が端的に事情を話すと、


「悪いが連れ戻してきてくれ!」


と佐山は言った。

 陽介と違って恐怖心を煽る場所がそれほど得意ではない僕は、取り合えずその場で陽介の名前を叫んだ。しかし返事はなかった。

 その後も何度も名前を呼び続けたが、陽介の声が一向に返ってこなかった。僕は意を決して、数少ない勇気をかき集め、陽介の後を追うことにした。

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