第5-1
<月引鉱山>
かつて村の繁栄に大きく貢献した鉱山だ。今は役目を終え、次世代を担うダムの活躍をひっそりと見守っている。
「初めてここまで入った」
「僕も……」
そう返事をしながら、僕は驚いていた。ずっと自分は村に来たい、戻りたいと、今日まで願っているものだと思っていた。しかしいざ自分の家に帰っても、心が満たされることはなかった。しかしどうだろう。ここ鉱山に辿り着いた途端、僕の心臓は大きく脈打ち、大きな達成感のようなものが込み上げてきたのだ。
『僕はここに来たかったのか?』
それに妙な既視感を覚える。僕がここに来たのは確かに初めてだ。ただ何だろう、以前どこかで同じ雰囲気を感じたような気がする……。
異様な雰囲気を感じた僕は、何の変哲もない鉱山の入口の写真を1枚撮った。
「どうしたの?」
僕の様子がおかしかったのか、実歩が声をかけてきた。僕はすかさず首を横に振って、何でもないことを実歩に伝えた。
「ここよね? あの娘さんが話した所って。何があるんだろ」
周囲を見渡しても、絶壁に穴がポカンと開けられた鉱山の入口以外何も見当たらない。その入口の手前の地面には、内側から突き破られたのかゴロゴロと子石やコンクリートの塊が転がっていた。
「まさか、中ってことかな?」
実歩が鉱山の中を覗き込んだ瞬間、急に僕たちの背後から子供の声がした。
「おかえりなさい!」
その声にびっくりして、僕は思わず振り返った。そこには赤い甚平を着た6歳ぐらいの小さな女の子が、微笑みながら立っていた。
「もうダメじゃない。こんなに遅くなって!」
初めて会った僕たちに向かって、なぜかいきなり女の子は怒り出した。
「いーい? 昨日、ちゃんと教えたでしょ? ここに来てって。何でこんなに遅いの!」
『昨日』と言えば、仲居の娘さんとの話しかない。この子からの言伝だったのだろうか?
両手を腰にやり、仁王立ちで怒っている女の子に実歩が近づいた。
「ねぇ、昨日のことってホテルの人の話?」
「うちの『黄な粉ちゃん』はね、人の中に入って自由にすることができるんだよ。すごいでしょ? ここに降りれるようなったのも『黄な粉ちゃん』が頑張ったからなんだから、エヘン」
意味の分からないことを言うと、女の子は誇らしく威張ってみせた。
すると、急に女の子がまじまじと実歩の顔を見始めた。
「おねーちゃんが『ながと みほ』?」
「えっと、ホテルの人に聞いたのかな? そうよ」
「やっぱり! やっぱり似てるね。ふーん」
女の子が実歩の周囲を回り、じろじろと観察する。
「こんなにじっくり見られると何だか緊張する。似てるって、芸能人にかしら? 言われたことないけど」
女の子の突飛な行動にたじろぎ、実歩が僕に苦笑を浮かべて見た。その次の瞬間、女の子は実歩に勢いよく抱きついた。予想しなかった動きとその勢いに、バランスを崩した実歩は一歩後ずさりをした。
「うあっ! ちょっ、ちょっと!」
いつも冷静な実歩も、さすがに慌てるそぶりを見せる。両手いっぱいで実歩に抱きつき、腰のあたりで女の子は顔をうずめている。
「うーん、いい香り。『アン』の好きな香りだ」
「あん? お嬢ちゃんは『アン』っていう名前なの?」
「うん! アンだよ。よろしくね!」
元気に『アン』と名乗った女の子は実歩に抱きつきながら、顔を上げて満面の笑みを浮かべ言った。
「うん、よろしくね。ところでアンちゃんのお父さんか、お母さんはどこかしら? 周りに見えないようだけど」
「お父さんとお母さん? そんなのいないよ」
「え? 大人の人は一緒じゃないの?」
「あ、でもお母さんになるのかな? それなら中にいるよ」
アンは鉱山の中を指差した。アンに抱きつかれながら実歩が鉱山の中を覗き込む。実歩に釣られて、僕も中を覗き込む。中は真っ暗だが……本当に中に誰かいるのだろうか?
「ねぇ、それよりおねーちゃんに見せたいものがあるの」
アンは実歩の左手をギュッと握ると、鉱山の中へ引っ張って歩いた。
「ちょ、ちょっと!」
実歩は咄嗟に腰を引き、踏ん張って抵抗した。そしてアンを慌てて制止する。
「あれ? どうしたの、おねーちゃん」
「どうしたのって。だって中は真っ暗でしょ。それに古くなった鉱山よ、危ないでしょ?」
「大丈夫だよ。すぐに着くから。私のお母さんも中にいるよ」
実歩が僕の顔を見て、困り果てた表情をした。
「アンちゃん。年上の人間として、これは見過ごせない。あなたみたいな小さな子がこんな所に、しかも親が付いておきながら来るなんて許せない、注意するわ。それに何を見せたくてここに呼んだのかしらないけど、こんな危険なところには入れない。お母さんもすぐに呼び戻すべきよ」
実歩は真剣な表情でアンを諭した。
「うーん、困ったなぁ」
アンは左手で右腕の肘を掴み、拳を顎につけL字の形を作ると、いっちょ前に難しそうな表情を作って、考える素振りをして見せた。
「あ! そう言えば、さっきおねーちゃんも『ここなら何かあるかもしれない』って言ってたじゃない? 中に入れば、おねーちゃんの悩みもきっと解決すると思うよ」
僕たちは驚き思わず目を合わせた。そのセリフはついさっき屋上で、しかも僕たち2人しかいない状況で実歩が話していたことだ。屋上の入口で盗み聞きでもしない限り、知らないことである。
「あなた、さっきの私たちの会話を……」
アンがニッと笑うと、また実歩を鉱山の中へと引っ張った。
「ちょっと! ねぇ、謙輔!」
実歩がこちらを見て僕の名前を呼び、アンの制止に加勢することを求めた。しかし僕は二の足を踏んでいた。
普段の僕であればすぐに助けている。助けを呼ぶ実歩を目の前にすれば、男としての本能が黙っていないからだ。
『だが、何だ……この鉱山』
初めてここまで接近した鉱山に対し、僕は並々ならぬ興味をそそられた。おそらくこの鉱山でなければ、僕は何の躊躇もなくアンを制止しているだろう。このアンという女の子がなぜ鉱山の中へ実歩を誘うのか、僕には分からない。しかしこの鉱山の奥に、きっと何かがあるのだろうと僕の心は惹かれた。そして何よりも僕が『求めていたもの』が、この先にあるのだ。
ーーそうだ、僕はずっとここに来ることを望んでいたのだ。
「謙輔、この子を止めて! 力が、強い……」
小さな女の子が自分の身体の2倍以上もある実歩を易々と引っ張る姿は、まるで牽引車のようである。実歩の抵抗は虚しく、ずりずりと中へ着実に引きずられていく。
とにかく嫌がる相手を無理に引っ張ってこの先に進むのは、この老朽化した鉱山の中では危ない。僕は2人に近づくと、引っ張るアンの手首を掴んだ。
すると、アンの引っ張る手の力が緩み足が止まった。そしてアンは僕の方を見て言った。
「忘れ物、拾いに来たんでしょ?」
アンのその言葉によって、僕の心臓は大きく揺さぶられた。その言葉の意味は分からなかったが、僕のモヤモヤとする想いの核心を間違いなく突いていて、僕の心は強く呼応した。
「実歩……」
掴んだアンの腕をゆっくり離すと、僕は実歩の名前を呼んだ。実歩がこちらに向く。
「ねぇ、忘れ物ってどういうこと? ここに来たことあるの? ここに来てからずっとおかしいよね?」
実歩が不安そうな表情で矢継ぎ早に言う。僕の態度の異変に気付いてのことだろう。
「この子が言っていることは分からない。ただ、僕はこの鉱山の奥に興味がある……。僕が探していた何かが……ここにあるはずなんだ。だから僕は行こうと思う。実歩はここにいても……」
「だめ! おねーちゃんも来ないと連れていかないよ」
アンは僕の言葉にすぐさま反応し、僕の提案を却下した。
「別にアンの協力はいらない。僕1人で行く」
「あはっ、そんなのできるわけないじゃん。鉱山の中は迷路になっていて、迷ったら誰も助けられないよ? 私は全部知ってるけどね!」
馬鹿にした様子でアンはけたけたと僕を嘲笑った。言われてみればそうだ。自分の安直な考えが恥ずかしくなって、しかもこんな小さな女の子に指摘されて返す言葉もなかった。僕が言葉に詰まっていると、実歩がいつもの冷静な口調で話しかけてきた。
「ねぇ、謙輔教えて。あなたがずっと故郷のことで悩んでいたのは知ってるわ。それがこの先に関係あるってこと?」
「分からない。ただ僕の心がこの先に行くことを望んでいるんだ」
「そう、分かったわ……」
ほんの僅か考える素振りをみせた後、実歩は続けた。
「なら、アンちゃん。私も行くわ。だからそんなに強く引っ張らないでくれる?」
実歩がそう言うと、アンは『オッケー』と元気よく言い、彼女から手を離した。
「いいの?」
実歩の急な心変わりに戸惑った僕は思わず聞いた。
「謙輔の長年の苦しみが解消されるならいいんじゃない? 種類は違うかもしれないけど、苦しみから開放されたい気持ちは痛いほど私にも分かるから。それに謙輔だけ危険な目に合わせられないわ。アンちゃんのお母さんにも一言言いたいし、私も一緒よ。さ、行きましょ」
実歩は自らアンの手につなぎにいくと、どこか散歩に行くような感じでつないだ手をぶらぶらさせながら鉱山の中へと入っていった。こうと決めたら実歩の行動は早い。僕は置いて行かれまいと、急ぎ足で2人の後をついていったーー。
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