第4-2

 拍手が鳴り終わる頃を見計らって、彩香の横にいた男が口を開いた。


「はい。では、みなさん、改めて自己紹介をします。国土交通省から来ました道下と申します。本日、みなさんの案内を務めさせて頂きます。どうぞ宜しくお願いいたします」


 彩香のときと違って、まばらな拍手の音が鳴る。


「ここからはバスで月引ダム、つまり、みなさんが住まわれていた元月引村へ移動します。本日は事前に決められたスケジュールに沿って進行していきます。大きな時間を要する工程を中心に決定しましたので申し訳ないですが、こうしてみなさんにご説明するための纏まった時間はもうありません。バスでの移動時間は5分程度です。僅かな時間ですがバスの中で本日の趣旨・予定等を説明しますので、ご質問等があればその場でお願いします。ではホテルの目の前の道路を渡った駐車場に、バスが待機しておりますので順次乗車をお願いします。座席は自由にお座りください」


 道下の少し早口な説明が終わると、元住民たちはぞろぞろとバスに向かった。彩香は参加しないということなのでここで別れ、僕たちもバスへと向かった。

 バスの乗車口ではスーツを着た、道下とは別の人物が名簿を持って乗車者の名前と照合している。自分たちの名前を告げ、問題なく照合が取れるとバスに乗り込んだ。


「どのあたりに座る?」


 バスの中に入ると前を進む実歩は振り向き、僕に向かって聞いてきた。座席の占有具合をざっと見た感じ、2人で座れる席がまだいくつか空いている。


「すぐ着くからどこでもいいんじゃない?」

「そう? じゃあ、謙輔は通路側ね」


 そう言って、空いている中で乗車口に一番近い席の窓側に実歩は座った。自動的に自分のことが決まるのはいつものことだ。拒否権もなく勝手に決まった席に、僕は何の異論を持つことなく座った。


「全員、乗車したようですね」


 道下はバスの中を奥まで見渡すと、運転手に合図を出した。


『プシュー』


 扉が閉まり、バスがゆっくり動きだす。バスと転回とともに窓から見える風景も、目が回るほどの勢いで横に流れる。バスの転回が終わり風景の流れがゆっくりになると、外に月下ホテルの仲居さんや女将さんらしき人が道路まで出てきて、お辞儀をして送り出してくれているのが見えた。一瞬だったがホテルの入口付近には、佐山も立っているのが見えた。お辞儀や手を振ることもなく、ただじっとこのバスを見ているようであった。

 車内ではスケジュールと注意事項の説明が道下からあったので、外を眺めてゆっくり旅行気分を味わう余裕など一切なかった。事前に資料は送付されていて熟読はしていたが、それでも不安であった僕は道下の説明に耳を傾けた。先日配られたものと同じ資料が車内でも配られ、僕の横で実歩は静かに目を通している。


「えー、時間が無いためざっと説明しましたが最後に大事なことを1つ。今朝、現地から私の方に電話がありまして、今日の資料には記載されておりませんが、もし村の状態を見て、危険性があまりないようであれば、村に降りて各自行動してもよいという連絡がありました」


 その言葉を聞き、車内が一気にざわつく。

 僕たちも思わず目を合わせた。驚きや嬉々そんなものが入り混じった実歩の目は、これでもかというぐらい見開かれていた。おそらく僕の顔も同じ表情をしていただろう。


「はい、みなさん、先ほども言いましたが状態が良ければですよ」


 あまりの反応の大きさに焦った道下は収拾を図ったが、周囲の興奮は冷める様子もない。道下が何とかこの状況を収めようと声を張り上げて説明するが、そんな奮闘も虚しくバスは到着したのであった。


「はい……では到着しましたので、みなさん、お気をつけて降車をお願いします」


 この短時間で酷く疲れた表情になってしまった道下は、先に降りて乗客を迎えた。 

 僕たちにとって村に降り立つことができるというのは、とても大きな意味を持っている。9年前、ダム建設のため村の閉鎖が決定し、多くの住民は村への想いを整理する時間もなく半ば強制的に村を追い出され、多くの住民たちは思い出を残してきたのだ。僕ぐらい若い奴でも村への愛着はそれなりにある。だから生まれてからずっと月引村にいた年配の方の想いは、なおさら大きいものであろう。

 村への立ち入りは『安全上困難』。事前の話ではそうであった。ここにきて急な計画の変更は気になるところではあるが、僕たちにとって、またとない清算の機会が与えられたことに興奮しないわけにはいかなかった。

 道下にはそれが分からないのだろう。『たられば』の話ではあるがこんな話をされると、その後どんな弁明をされたとしても落ち着くわけがない。それはもう追い出された住民にしか理解できないことだ。

 バスを降りて、道下に先導されて少し歩くと、そこがすでにダムの上であることに気づいた。手すり越しにダムの中を覗くと、見覚えのある山々の地形が記憶を刺激する。残念ながら家などの建造物は取り壊されたのか、全くここから確認することはできなかった。

 集団の列の前方を見ると、道下がヘルメットを被った作業員と何やら話をしている。しばらくすると、


「はい、みなさん、あと30分程度でダムの排水は完了するそうです。その後、先遣隊が行って調査しますので、その結果次第でみなさんも、ということになります。それまで少々お待ちください」


 そう言うと、道下は作業服を着た人と話しながらどこかに行ってしまった。


「30分だって、長いね」


 実歩は溜息をつくと、ダムの中を覗き込んだ。


「あっ……あれ川崎さんの家かな? 横に小屋っぽいものがあるし」


 一緒になって覗き込むと、確かに実歩の言う通り目線の先にはそれらしきものがあった。建物自体は壊されているが、残骸の一部や近くの石階段、道の流れから過去の風景を想像することができた。


「ということは、ここは村の端のほうか。じゃあ、僕たちの家はダムの奥の方になるね」


 遠くに目をやってみたが、さすがに遠すぎてどこに自分たちの家があったのか想像もできず、ここからでは分からなかった。ただこの様子だと僕たちの家も壊されている可能性は高いだろう。


「あ! あれ、学校じゃない?」


 実歩がダムの奥の方を指差した。その方向に目をやると角ばったコンクリートの建物が微かに見える。遠くてはっきりと見えないが、あの位置であれば間違いなく僕たちが通っていた小学校だ。まさか残っている建物もあるとは、半分諦めていたが期待が再び膨らんだ。

 月引村の小学校は、とても大きいものであった。通学する子供たちの人数のみならず、建物自体も大きい。しかし今となっては、それも虚しい過去だ。

 僕の祖父がまだ小さい頃、村の鉱山は盛んで労働者がしきりにこの村に働きに来ていたそうだ。独り者や身寄りのない者はこの地で家庭を形成し住みつき、徐々に人口が増えていった結果、子供が増加し以前の小学校の大きさでは収まらなくなった。そこで新しい小学校を建造しようという話になり、同時に周辺に点々とあった木造小学校も合併し、今でいうマンモス校となったのだ。

 ただ鉱山の採掘量の低下とともに村へ流入する人口が減少し、鉱山の閉鎖で村自体の過疎が進んだ。それから数十年が経過し、僕が4年生になった頃には各学年が1クラスずつしかなく、同級生はというとたったの5人しかいなかった。

 学年が上がるにつれ、友達が他の地域に引っ越ししていく様は、見送る者に耐えがたい淋しさを抱かせた。しかし結局、その年に村は閉鎖し、僕自身も他の地域への引っ越しを余儀なくされたのだが。つまり月引村の小学校は、昔、月引村が繁栄したことを物語る代表的なシンボルなのだ。

 ダムの上から村の様子を見ながらあれこれ懐かしんでいると、あっという間に時間は過ぎた。ダム内の水が排出され、先遣隊がダムの中に降り立って村の損壊状態を調査している姿が上から覗き見ることができた。しばらくして先遣隊が戻ってくると6人程の関係者が彼らの元に集まり、何やら話し合いが行われた。その中に道下の姿もあった。5分程度話した後、話し合いの場は散り散りとなり道下がこちらへやって来た。


「はい、みなさん。先ほど先遣隊による調査が完了し、関係者と相談したところ、村への立ち入りが許可されました」


 周囲からどっと歓声が起こった。横から実歩が肘で僕の横腹を突き、


「やったね」


 と一言だけ言って静かに喜んだ。その明るい表情から昨日のことなど、もう頭に無いように見えた。

 道下の案内で、ダムの端にある小さな白い建屋の前に着いた。その建屋の前面すべてが鉄格子となっており、中央部分は扉となっている。扉は鎖で縛られ、大きな錠前がずっしりと重そうにぶら下がっていた。

 同行のダム関係者の一人が扉の前に行き、錠前に鍵を差し解除すると、ジャリジャリと音を立てて鎖を引き抜いて外していく。


「みなさん、今からこの中にある階段を使って村に降りますが、階段は水に濡れており非常に滑りやすい状況になっています。階段の横にある手すりをしっかり持って降りてください」


 道下が目で合図を出すと、ダム関係者の1人が鉄格子の中に入りパチっと壁にあるスイッチを押した。建物の中の天井にある電球に、頼りない明かりが灯る。

 先陣を切ってダム関係者たちが次々と階段を降りていく。道下は『では行きましょう』と言って僕たちに軽く会釈をすると、階段を降りていった。


「何だかドキドキするね。ゲームの冒険みたい」


 実歩は『ふふっ』と笑って弱弱しい笑顔を見せると、前の人に続いて階段を降りていった。辿り着く先はさっき上から見た光景で分かり切ってはいるが、確かに未知なる場所へ行くようなワクワク感がある。これまでの人生で味わったことがない感覚だ。

 僕も実歩の後を追って、建屋の中に入った。東の空にある太陽から発せられた強い光は、建屋の鉄格子の門を境にして陰陽の世界を作り出している。その境を越えて中に立ち入った瞬間、そこは別世界かと思うほど空気がひんやりとして湿っていた。外の日差しが強烈に強いだけにその落差は激しい。

 先はトンネルになっていて、幅2人分の階段だけがずっと下の暗闇の中へ伸びていた。天井の電球が、道案内でもするかのように点々と等間隔で奥まで続き、弱弱しく僕たちの行き先を照らす。その周囲のあまりの薄暗さは、僕に一抹の不安を抱かせた。


『本当にこの階段を降りた先に、さっき上から見た場所があるのだろうか』


 そんな事を考えながら僕は、実歩に続いて階段を一歩一歩慎重に降りていった。ときどき、ぬるっとした段があり僕の肝を冷やした。自然と手すりを持つ手に、力が帯びていく。ようやくトンネル内の暗闇にも目が慣れたかと思った頃、階段を降りた先からこちらを見上げる人々の顔が見えた。

 階段を一番下まで降りると、狭い空間でみんなが待機していた。いや、1つの場所に約30人も集まっているから狭く感じるのかもしれない。さらに僕の後に続いて何人か降りてくると、最後に作業着を着たダム関係者の人が降りてきた。


「えっと、ではここから先は水が溜まっているところが多くあります。安全長靴をこちらで準備しましたので、履き替えてから進んでください。もしサイズが合わない方がいましたら是非言ってください。履き替えた靴はここに置いておいても結構です」


 道下の説明が終わると、どこからともなく安全長靴が手回しで送られ来る。自分の分を確保すると、さらに送られて来た物は後ろにいる参加者へと回した。

 すべての人に長靴が行き渡り、履き替えたのを見た道下は、部屋の突き当りの扉前で待機しているダム関係者に合図をした。

 重厚な扉がゆっくり開らかれ、つられて眩い光が部屋に入ってくる。思わず参加者の誰かが『眩しい』と声を漏らす。分厚い扉を外側に完全に開ききったところで、作業着を着た関係者たちが先にぞろぞろと出ていった。


「それでは注意して出てください」


 そう言うと道下は、扉に近い者順から送り出していった。扉をくぐる際、道下は一人一人に丁寧に注意喚起をする。


「滑るので注意してくださいね」


 僕たちの出番となり、実歩の後に続いて扉を越えた。

 一瞬、世界は眩しさのあまり真っ白となる。しかし、すぐに先ほど上から見た光景が前に現れた。


「びしょびしょだね」


 隣で実歩が足元を見て言った。地面には薄っすらとまだ水が残っていて、周囲を見渡すと場所によっては滝つぼのようになっているところもあった。

 さっき上から見たが、砂利場や田んぼ、畑のあった場所がコンクリートで塗り固められた光景を間近で見て、改めて自分たちがいた月引村はもう無くなってしまったんだということを僕は実感した。


「はい、それでは、みなさん。今から2時間後、またここに集まってください。ほとんどの建物は見ての通り、取り壊されています。ただ残骸やまだ残っている建物もありますので、近づく際は十分に注意を払ってください。宜しくお願いいたします」


 道下がそう言って深くお辞儀をすると、それが合図となって元住民たちは散り散りとなった。


「私たちも行こっか」


 まるで遠足であるかのように、楽しそうな表情で実歩が言った。明るく楽し気なその表情は、昨日のことなど今は気にも留めていないことをうかがわせる。僕は頷くと、記憶の地図を頼りに自分たちが住んでいた場所へと向かった。

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