第3-5

「実歩のこと?」


 真顔となって彩香が言った。

 どうでもいい仲であれば適当なこと言って話を終わらせることもできたが、相手は久しぶりとはいえ昔よく遊んだ仲だ。しかも3人で。僕は素直に答えることにした。


「うん……でもそれは彼女のことが好きでやってることだから、別に苦でも何でもないよ」


 彩香の目線が僕から外れて、目の前のテーブルの縁に留まる。思いつめたような彼女の表情は、恋愛ドラマの中で別れ話を持ちかける女のそれによく似ていた。再び彩香の目がテーブルの端から動き出し、僕に視線が向くと、重い口調で話し始めた。


「ねぇ……実歩のことなんだけど2人でみない? 謙輔と私で」


 急に彩香の口から出てきた言葉に僕は困惑した。なぜ今頃となって、しかも『2人でみる』だなんて大層な提案を出してきたのか。実歩と仲が良かったのに何も手を貸してくれなかった彩香に不満があるわけでもなく、それを咎めたこともない。なのになぜ今となって、かかわろうとするのか僕には理解できなかった。それに彩香の家とは大分距離が離れている。


「え、でも彩香は住んでるところが遠い……」

「引っ越すよ。2人に近い場所に」


 僕が話し終わる前に、彩香は被せ気味に言ってきた。


「謙輔だって私がいれば、その悩みが少しでも楽になるでしょ? それに人は多い方が楽しいじゃない」 

「それはそうだけど」


 自分でも何だかよく分からないが、彩香が引っ越して来ることに抵抗を感じた。実歩が病的に重傷でにっちもさっちもいかず、その精神的介護に猫の手も借りたいぐらい忙しいという話であれば、もろ手を挙げて僕も喜ぶところだ。しかし実情は受験勉強の合間に実歩の家に行ってたり、実歩の精神的不安定も時々の頻度だ。だから誰かの手が特別欲しいわけではない。それに世話を焼くのは僕が勝手にしていることで、実歩からお願いされたわけでもない。傍から見れば大きなお世話なのかもしれないが、本人から苦情は届いていないので、今のところはそうではないと信じたい。


「でも彩香に悪いよ。これは僕が勝手にしていることなんだから」

「私も役に立ちたい、一緒に悩みたい。謙輔だって、受験勉強したいのにわざわざこうやって、実歩のために時間を割いて来てるじゃない。大変でしょ?」

「それはそうだけど」


 何度同じくだりをやれば、彩香は引き下がってくれのだろうか。彩香の気持ちは嬉しいが、やはり僕の勝手な世話に付き合ってもらうのは気が引けた。


「彩香に来てもらうのは嬉しいよ。でもやっぱりこれは僕が始めたことで……」


 どうすれば彩香が納得してくれるのか分からず、僕はとりとめもなく話しを続けた。


「引っ越しだってお金がかかるし、こっちに来たって彩香自身の生活の目的っていうのかな? 僕だって毎日、実歩の相手をしているわけじゃない。僕や実歩も自分の時間があって、1人でやることがあるんだ。そんな中で来てもらっても、彩香が時間を持て余すだけだよ」


 うまく説明できただろうか。僕の話を聞いて、彩香はじっと何かを考えるように目を伏せている。相手を説き伏せるというのは、本当に難しいものだ。ここに僕より口が達者な実歩がいてくれれば、どんなに力強いかと切に思った。


「そっか……確かに謙輔が言うように、私が実歩に対してそこまでする義理はないか。昔、一緒に遊んだ仲で、強くて明るい彼女の性格にも憧れてもいた。別に実歩のことが嫌いなわけじゃない。でも私がそこまでするのも変な話か。うん、そうだよね」


 自身に言い聞かせるように呟くと、最後は納得したようで清々しい表情で彩香は顔を上げた。


「ありがと。やっとスッキリしたよ。私もね、何か心にずっと引っかかっていたんだ。私が実歩にそこまでする必要があるのかってね」


 彩香が理解してくれたことに安堵したとき、今度はとんでもないことを言い出した。


「正直、私は実歩なんてどうでもいい。謙輔と話をして目的を思い出した。ねぇ、謙輔。実歩なんかより私の傍にいてくれない?」


 急に自分の名前が挙がり、僕は戸惑った。


「え、ちょっと待って。えっと……」

「私、謙輔のことが好き。だからあなたの傍にいたい」


 話の主役が実歩から僕に急に移り変わり、さらに告白されたことで僕の頭の中がぐちゃぐちゃとなって、何を答えればいいのか分からなくなった。僕は渦巻く混乱した頭の中から情報を1つ1つ掴み取って、何とかそれを構成し彩香に質問を投げた。


「ごめん、ちょっと話についていけてなくて……。えっと、もう一度確認したいんだけど、実歩を一緒に助けようって話は……」

「それは私の勘違い。馬鹿なくせに計算高くやろうとしたのが間違いだった。まぁ、謙輔が私の力を借りたいっていうのなら、もちろんそれは手伝うよ。ただ私1人で何かをやるってのは、さらさらないかな。謙輔が嫌だと言っても、私はもう決めてるから。引っ越しは来年の春。今は私も学校あるし、謙輔も受験勉強で忙しいだろうから、愛を育むには丁度良い頃じゃない?」


『愛を育むって……別に1つ屋根の下で生活するわけじゃないだろう。いや……もしかすると彩香はそのつもりなのか?』


 突拍子もない話の流れに混乱したまま、僕は正常な判断が出来なくなっていた。テーブルに肘をつき、手のひら全体でおでこを支えると、返ってきた情報を元に自分の頭を整理した。混沌とした頭の中の情報が、少しずつ区切りされていく。


 『急に好きと言われても』


 僕は彩香の突然の告白に困惑した。昨日今日会ったわけの相手ではないが、それでも長い間会っていなかったわけだ。それでいて久しぶりに会った1日目に告白というのは、僕は腑に落ちなかった。


「彩香の気持ちは嬉しいよ。でも久しぶりに会った初日に告白っていうのはちょっと……早過ぎるというか」

「早くていいじゃない。一目惚れって言葉もあるでしょ? 人を好きになる早さなんて全然問題じゃない。それに私が謙輔が好きなったのは小学生のときよ。今じゃない」

「小学生のとき?」


 全然気付かなかった。その頃すでに彩香が僕にそんな感情を抱いていたとは。


「お互い引っ越して離れて住むようになったから、私は諦めるつもりでいた。本当に寂しかった。ふふっ、引っ越したあの頃は、孤独感からよくめそめそと泣いていたよ。楽しかったからね、村にいたときは」


 彩香の目元が緩む。その話す様子から彼女もまた僕と同じように、村に対する愛が今もなお忘れずに残っているのだと感じ取った。


「それから大きくなって街では色々声をかけてくる男はいたけど、どれも好みじゃなかった。中には芸能事務所のスカウトマンって名乗る男もいたけど、ド田舎の街にそんな奴がいるわけないだろって思って、すぐに名刺を地面に叩きつけて逃げたよ。そんな中、久しぶりに謙輔から電話があって分かったんだ。あぁ、やっぱりこの人なんだ、この人しかいないんだって。だって電話してるとき心臓がバクバクいってたもん。聞こえなかった? ふふっ」


 確かに僕の心臓もバクバクいっていた。しかしそれは単に僕の極度の人見知りからくる緊張だったが。


「ねぇ、私の目を見て」


 話の内容に耐えることができず、ずっとテーブルに目を落としていた僕に彩香は我慢ならなかったようだ。自分に顔を向けることを要求すると、彩香は追い打ちをかけるが如く僕に『あの話』を持ち掛けてきた。僕は油が不足した自転車のチェーンのようにぎこちなく首を上げると、彩香の吸い込まれるような魅惑の目を見た。


「私はあなたが好き。付き合ってほしい。それと実歩とも距離を置いてほしい。別に絶縁をお願いしているわけじゃない。友達を大切にするって良いことじゃない? ただ今より機会を減らしてほしい。前に電話で聞いた話だと、結構な頻度だったと思ったから」


 目を合わせながらの彩香の告白は、破壊力が凄まじいものであった。自分の脳だけでなく、心臓さえももぎ取られる衝撃だ。ふと頭をよぎったことは、催眠術にかかるとこんな感じになるかもしれない、ということだ。今ここに自分がいるのに身体全体の感覚がふわっとしていて、まるで自分の体ではないような感じだ。生まれてこのかた告白されるという経験がなかった僕は、制御しきれない高揚感を経験するとともに、この後どう返せばいいのか迷っていた。


「え、えっと……」

 

 自身の発した短い言葉が震えていることに驚き、その後に続く言葉を失う。そして思い出したかのように心の鼓動の激しさが遅れて増し、僕の思考の邪魔をした。動揺を相手に悟られまいと自然に振る舞うことばかりに意識が囚われ、返答は二の次だ。ただ返答が長引けば長引くほど自身を焦らせ空回りする恐れがあったので、とりあえず直近で彩香に話した言葉をそのまま伝えることにした。


「前にも言ったけど……実歩のことが好きなんだ。だから今は……」

「ううん。今は返事をしないで」


 僕の返答を最後まで聞かずに遮ぎると、彩香は話を続けた。


「私がそっちに引っ越すから、それからしばらく経ってからでいい」

「それだと僕が断っ……」

「自信があるの! こういうことに関しては。実歩にだって負けない自信がある。今は実歩のことが好きかもしれないけど、来年の終わり頃には謙輔の気持ちも変わってると思う」


 一瞬、声を荒げるが、すぐいつもの彩香に戻っていた。

 妖艶な女性とはまさに彩香のようなタイプのことを言うのだろう。彩香も自身の魅力に気付いているからこそ『自信がある』の発言なのだ。彩香のその自信は決して自惚れではない。実歩という大切な女性がいるのに、僕はすでに彩香の告白に舞い上がっていた。

 彩香は片肘をつき軽く握った拳を顎に当てると、口角を左右に上げて僕にニッと微笑んだ。黒く艶のある髪が目元にかかり、その奥から薄く開かれた優しい目が僕の目の奥まで見透かす。のぼせ上っている僕の状態を見越しての追撃だろうか。もはや我慢できず、すぐその場から逃げ出したくなった。


「あの……ハガキの話、しない?」


 僕は自身の心を保つため、すがるような思いで今回の目的の話題へと彩香を誘った。


「うーん、そうね。この話はそろそろ終わりにしよっか」


 賛同した彩香は、ようやく僕への挑発した態度を改める。それでも一度、沸点まで上がりきった興奮は、収まるのに時間がかかった。

 『実歩宛の不可解なハガキ』と『未使用のハガキ』を、彩香はカバンの中から取り出しテーブルに置いた。その後、僕は彩香から色々と話を聞かされるが何も頭に入ってこらず、ただひたすら頷くばかりであった。その途中、実歩の家での会話を漏らしてしまったような気がしたが、もはや興奮して『ハイになった状態』では正常に物事を判断することができず、彩香の質問にただただ素直にペラペラと答えるだけであった。

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