第3-1

 9年ぶりに再会した月引村元住人の宴会は、静かに始まった。一人で参加しているところ、夫婦で来ているところ、仲が良い人だけで集まってグループで来ているところ。料理が並べられたテーブル上には座席指定の名前もなく、各々の集まりが好き勝手に座っていた。部屋の至る所から聞こえる会話に座って耳を傾けると、人の声の大きさや話し手の数で決まる音の濃淡のようなものが部屋に点在していて、声の淡い場所には決まって1人や2人で来ている参加者が座っていた。

 周囲を見渡せば見覚えのある顔ばかりだが、中には名前が思い出せない人や、どこの家の人なのか初めて見る参加者もいた。そのほとんどは定年をとうに過ぎてそうな高齢者ばかりで、若い人は僕たち2人だけであった。声を出して言えば失礼だが、まるで老人ホームに来たような感覚だ。


「故郷に帰ってきたと言っても、何だか残念ね」


 隣で宴会の始まりを待ちながら実歩は嘆いた。


「だってそうでしょ? 故郷を想う若い人たちが、私たち以外にいないのよ」


 確かにそうだ。だがしかし実歩だって、別に故郷を懐かしく想って来たわけじゃないだろう、とは決して口が裂けても言えない。


「あれ? あそこに座ってるのって、謙輔の家の近くのおばあちゃんじゃない?」


 実歩が指さした方向を見ると、確かに見覚えのある顔だ。多少、記憶より老けた感じではあるが、月引村で僕の家につながる道沿いに住んでいたおばあちゃんだ。学校から帰宅途中の僕に、近くのお菓子屋さんで買ったものをよくくれたものだ。実歩と2人で遊んでいる時も『休憩したら?』と話しかけられ、家に上がらせてもらっては、お菓子と暖かいお茶を頂いていた。まるで自分の子のように優しく接してくれたのを覚えている。


「後で挨拶しに行きましょ。以前のお礼も言いたいわ」


 こんなときの実歩はしっかりしている。世話になった人への挨拶は決して忘れない。僕1人だと人と接することに抵抗があるので、びびって逃げてしまう。

 部屋の中央を囲うようにして、4人用の長テーブルがいくつも並べられている。その前方には高さ1m程度の小さな既設のステージがあって、その上では彩香がはじめに会った服装のまま、大里建設の従業員の1人と思われる40歳代ぐらいの男性と一緒にマイクやスピーカを準備をしていた。その男性は如何にもベテランといった感じで、テキパキとした動きで機材のセッティングをしている。


「大変そうね、彩香。こんな時間までバイトするなんて。あの頑固なお父さんのことだから高校卒業後、このまま大里建設に就職させるんじゃないかしら」


 素人の推測にしてはその確率は高く、あながち間違ってはいないだろう。彩香のお父さんは頑固で、自分の考えを貫く意志の強さは村の誰もが認めるところだ。僕の父も頑固な方であるが、彩香のお父さんと比べると取るに足らない存在だろう。

 準備が出来たのかステージの男性が彩香に向かって、手で『オッケー』のサインを出した。それを合図に彩香がスタンドからマイクを外すと、『ガチャ』というノイズが部屋全体に響く。


「はい、月引村のみなさま。本日は遠いところからの……」


 彩香は宴会を開始させるべく、マイクをもって話し始めた。ざわついていた会場は次第に静まり返り、元月引村の人たちは彩香の話に注目したーー。





「ねぇ、どうだった? 私の進行」


 座布団に座って食事をしている僕たちの背後から、畳に腰を下ろしながら彩香が不安そうな声で話しかけてきた。


「お疲れ様。良かったよ、活舌も良くて噛んでもいなかったしね」


 自分には到底マネできないことなので、僕は素直に彩香を褒めた。


「えー、良かった」


 彩香が両手を合わせて叩きながら、嬉しそうに言う。


「そうね、全体的に良かったと思うわ。でも場違いな印象は受けたわね」


 おおかた目の前の料理を平らげて満足した実歩は、食後の少し温めのお茶をズズッと飲むと冷静な口調で話した。


「どういうこと?」

「その服装よ。ほら、ここにいる人たちは、ほとんど浴衣を着てるでしょ? そうじゃなかったとしてもラフな恰好よ」


 実歩は周囲を見渡す素振りを彩香に見せて、話を続けた。


「でもあなたは堅苦しいスーツのまんま。別にいいのよ、みんな仕事って分かってるから。でもね、その服装で周囲と一線を画して仕事をしてますってオーラを出されると、相手も気を使っちゃうのよね。せっかく司会が可愛い女の子なのに、話しかけたいのに話しづらいっていうかさ」

「別にいいんじゃん、こっちは仕事をやりに来てるんだから。相手のことなんか知るもんか」

「そうよ、別にいいのよ。でもね、私が『悪いなぁ』って彩香に感じちゃうの」


 そう言いながら、実歩は短冊切りされたキュウリを箸で取ると、口に放り込んだ。モグモグと咀嚼する実歩の顔をじっと彩香は見つめ、沈黙の時間が出来る。


「えっと……それは誰の話?」

「だから、私よ。私が話しづらいって話。他の人がどう思ったかなんて、超能力者でもないんだから知るわけないでしょ」


 そう言って、実歩は小鉢に入った残りのキュウリも食べた。


「はぁ……もう脅かさないでよ。ヘマしたらバイト代、減額されるかもしれないんだから」


 眉毛を八の字にして彩香は、実歩に食ってかかった。コロコロ変わる彩香の表情を見て刺激されたのか、まるで愛玩動物を愛でるかのように彩香を急に引き寄せ、実歩はぎゅっと抱きしめた。


「ふふ、可愛いわね。彩香は」

「ちょ、ちょっとぉ……やめてよ」


 その光景は可愛い子に纏わりつく酔っぱらいおやじそのものだ。嫌がる彩香に自分の頬をスリスリし、ひとしきり味わって満足したところで解放した。


「大分、成長したわね。変な男には注意しなさいよ」


 実歩が彩香の胸に目線を落として言う。


「ふーん、やっぱり男って胸の大きい子が好きなんだ」


 彩香が僕の方に向いて言った。

 僕に意見を求めているのだろうか? もしそうだとしたら何をどう答えればいいというのだ。変に答えるとまた実歩の機嫌が悪くなりそうなので、僕は無難に口を閉じて、無反応をきめた。それでも彩香が『どうなの?』としつこく聞いてくるので、僕は頭を傾げるだけで何も答えないようにした。


「ふぅん、まぁいいや」


 彩香が僕の態度に諦めて、実歩に目を戻す。


「私は大丈夫。今は女子高だし、それにうちのおとんは怖いから、変な男は寄ってこないし」

「学校なんて卒業したら終わりでしょ。ずっとあなたを守ってなんかくれないわ」

「それなら、次も女子大にしようかな」

「そういう話じゃないでしょ」


 わざとらしく彩香を睨んで、実歩はふざけた。『えぇー』と言って彩香は残念がると、すぐに表情を変え吹き出すように笑った。


「あっ、と。そろそろ時間だから、宴会を締めないと。ねぇ実歩、もう少し話をしたいから後で部屋に行っていい?」


 彩香は立ち上がって、スーツの皺や乱れを直しながら実歩に聞いた。

 一瞬、実歩が不意打ちを食らったかのような驚いた表情をする。実歩は少し考えると『今日はちょっと疲れてるから』と言って、彩香の誘いを断った。それでも彩香は食い下がって『ちょっとだけだから。じゃあ後で行くね』と半ば強引に約束を取りつけ、ステージの方へ戻っていった。

 再び、ステージの上に立つと、先ほどの無邪気な彩香と打って変わって、真面目な顔つきで宴会の締めを始めた。同じ歳とは思えない、その堂々とした振る舞いに僕は感心した。

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