第1-3

「へぇ、本当に招待状なんか来てるんだ」


 買ってきたパンを2人で楽しんだ後、自分で切って出したデザートのキウイをスプーンで一口食べると実歩は言った。山井家宛の招待状を見て、彼女は少し驚いた様子だ。なぜなら僕がどんなに説明しても、実歩はずっとこれを嘘か冗談だと思っていたからだ。

 僕がこのハガキを受け取ったのは、もう4ヶ月も前のこと。実歩からまだ招待状が届いていないと聞いたとき、配達が遅れているだけだろうと思い放っておいた。しかし内覧日まで残り2ケ月を切った今も、彼女のところには招待状が届いていない。

 返送期限が今週と迫り、流石にまずいと思った僕は、先週彼女に問い合わせ先の電話番号を教えて、招待状の再送の依頼をするように言った。しかし『嫌よ。なぜ私から電話をしないといけないの? ミスしたのは相手じゃない』とよく分からない意地を張って一向に電話を掛ける気配がなかったので、しびれを切らした僕がつい3日ほど前に彼女に代わって電話をした。その内容を知らせるため今日、彼女の家を訪れたのだ。僕が実歩の家に来たのは、決してただ単にパンの配達をしに来たわけではない。


『ぷるるるっ……』


 2、3秒間発信音がなると、電話の向こうに若い声の女性が出た。


「お電話ありがとうございます。大里建設です」

「あの……月引村招待の件でお電話しました。担当の方はいらっしゃいますか?」

「あ、あぁ……はい。少々お待ちくださいね」


 一瞬、女性の応対の歯切れが悪くなる。


「あの、すみません。お名前のほうは?」

「山井謙輔といいます」


 その途端、電話の主は大きな喚声を上げた。


「あー! やっぱり!」


 思いもよらない突然の大きな声に驚き、僕は受話器を耳から離して仰け反った。


「この感じは山井君だと思ったんだよね!」


 電話の相手は興奮しながら、馴れ馴れしく僕に話しかけた。


「ほら、わからない? 私よ、私」


 『私よ、私』って、まるでテレビで見る振込詐欺の啓発番組でよく聞くフレーズだな、と僕は思った。

 はて誰だろう? これだけ友好的に話しかけてくるということは知り合いなのだろうが、人見知りで人付き合いの悪い僕にそんな人がこれまでいただろうか。考えを巡らせてはみたものの交友関係がほぼ無いに等しいので、僕はすぐにそのような人物はいないという結論に至った。今年は高校3年生という高校最後の年になるが、未だに友達と言える人はおらず、ましてや異性はもってのほかだ。

 見知らぬ女性からの急な人当てクイズにあれやこれやと黙って考えていると、相手はしびれを切らした様子で自身の名前を明かした。


「もう何よ。彩香よ。大里彩香」


 その名前を聞いた途端、何とも言えない懐かしい気持ちが、心の奥深くから湧き出てきた。月引村がまだ存在していた頃、よく一緒に遊んだ小学生時代の同級生の女の子の名前だ。活発で明るく似たもの同士の1歳年上の実歩とも仲良く遊んだ。


「彩香か。久しぶり、元気だった?」

「うん、もちろんよ。そっちは?」


 あの頃とは変わらず元気あふれる口調で、彩香は返してきた。


「まぁまぁだね」

「なによ、それ。あははっ」


 久しぶりに聞く彩香の声は、僕を小学校時代へとタイムスリップさせた。

 田んぼを区切った幅5cmほどの石の上を渡って帰ったこと、密集した家々の間にある狭い獣道を使ってかくれんぼしたこと。一緒に過ごした月引村の頃を懐かしみながら、僕たちはしばらくの間、たわいもない話をして楽しんだ。


「そっか、実歩はまだあの頃のままか」


 電話の向こうで、彩香が小さく溜息を漏らす。


「でも謙輔が実歩の近くにいてくれて本当に良かったよ」


 実歩のお母さんは村の移住の4年前に亡くなっているので、実歩の凋落ぶりは彩香も目の当たりにしていた。誰からも好かれていた実歩が、母の死を境に次第に心を閉ざし周囲に壁を作っていく姿は、姉のように慕っていた彩香にとっても辛いことであった。


「あの頃の実歩ってさ、何だか太陽みたいだったよね。いつもクラスのリーダーみたいになっててさ。実歩の教室を覗きに行って、おしゃべりの集団があるなぁって思ったら、その輪の中心にいつも実歩がいるの。まるで実歩が中心となった世界、私はそんな光景を何度も見て、本当に羨ましかったよ。地味な私も実歩みたいになれたらって。でも今考えると私は極々普通の子で、実歩が眩し過ぎただけなのかもしれないって思う」

「もしかして嫉妬とかあったの?」

「あははっ、そんなの私にあるわけないじゃない」


 そんな思いなど微塵も感じていなかったかのようで、彩香は僕の質問を笑い飛ばした。


「みんな実歩のことが好きで、元気になってもらおうと積極的に話しかけたんだよね。でも全然ダメだった。そうすればするほど実歩は距離を置いていった。私たちもそう。同じクラスの人たちだけじゃなく、実歩はそれまで仲良かった私たちさえも遠ざけた。本当に悲しかったわ」


 彩香の話を聞きながら、僕は当時を思い出していた。実歩のお母さんの死は、実歩自身の悲しみだけに留まらず周囲を大きく巻き込んでいった。終わりの見えない実歩の深い悲しみに周りはお手上げ状態となり、ついには誰も彼女に話しかける者はいなくなった。


「実歩を見ようとする人はいなくなったよね、そこにいるのにさ。でもそれは虐めとかそんなもんじゃない。みんな分かっていたんだ。自分が実歩にどんなに話しかけても何にも変わらない。みんな怖かったんだ、自分の無力さを知るのが」


 彩香は一瞬、間を入れて話を続けた。


「でもあなただけは違った。謙輔はどんなに実歩が遠ざけようとしても、果敢に話しかけにいってた。知らないと思うけど、そんな謙輔を影で『人の気持ちが分からないロボットだ』って、揶揄してる人もいたんだよ。実歩が嫌がっているのにいつも強引に話しかけてる奴だ、ってね。自分たちに意気地がないことを棚に上げてさ」


 『確かにそんなことがあったな』と、今なら気持ちにゆとりを持って思い返すことができる。あのとき僕は元気な実歩に戻ってもらうことに必死だった。だから周囲の言葉など一切耳に入らなかった。


「あのときの謙輔は頼もしかったよ。私は力になれなかったけど実は影で応援してたんだから。でも結局、実歩が元気になるのを見る前に移住することになっちゃったけど……本当に残念だった」


 彩香の実歩を想う気持ちは、今も同じままなのかもしれない。当時何も出来なかった自分の無力に対する悔しさが、彩香の言葉の端々に滲み出ているのを感じた。僕は彩香を少しでも安心させるために、今の実歩について教えてあげることにした。


「あの頃のままとは言ったけど、大分マシにはなってるんだ。学校にはちゃんと行っていたし、高校生の頃は友達と交流もしていた」

「へぇ、そうなんだ」


 単に驚いたのか、それとも本当に心から安心したのか、どちらとも判別できないような声で彩香が言った。その後、電話で聞き取るのが難しいほど小さな声で『良かった』と彩香が言うのを、僕は聞き逃さなかった。彩香は今も実歩を姉のように慕っているのかもしれない。


「今は大学に行かず就職もせず、ずっと家に閉じこもっているよ。退屈するとどんな時間でもお呼びがかかるから、お相手が大変だよ。この間なんか朝7時に電話がかかってきて、朝に何が食べたいだのと言ってきてさ、直接お店に配達してもらったらいいのに買い出しに行かされたよ」

「それは大変だね、あははっ」


 彩香は安心した様子で明るく笑った。彩香に余計な心配をかけまいと、僕はわざと時々実歩が苦しんでいることを話さなかった。


「そっかぁ、今も仲がいいんだね。ねぇ、実歩との関係もあの頃のまま?」


 はて、どういうことだろうか。ついさっき、奴隷関係が今もなお続いていることを話したばかりだが……。彩香の質問の意図を推し量っていると、


「だから男女の仲として、どうかってことよ」


 いつの間にか突っ込んだ話に変わっていて、驚きのあまり僕は息を詰まらせた。


「ちょっと大丈夫? そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど。だって今までずっと一緒にいたんだから、友達以上になってても不思議じゃないでしょ?」


 確かにそうだ。確かにそうだが、久しぶりに電話した旧友との話の中で、いきなり相手の色恋沙汰に言及するとは如何なものか。図々しいにも程があるが、しかし小学生だった頃から、彩香はその片鱗を見せていたような気はする。


「それはまぁ、そうだけど」

「それに謙輔って、昔から実歩のこと好きだったじゃない? いつも一緒にいたし」


 自分が知らないところで勝手に好きな相手を決められるのはあまりいい気はしない。そんな話を彩香にしたことはないし、ましてや彩香と一緒に遊んでいたのは小学生のときである。そのときの自分たちはまだ恋愛の『れ』の字も知らない年頃だ。


「小学生の頃の話だろ? 恋愛できるほど大人びてなんかいないよ」

「そう? 私はもう、そういうのあったけどな」


 あの頃の僕と実歩は、ただの遊び友達だ。

 幼少期における人の成長速度というのは個々によって違う。彩香と違って男の僕はまだまだ『小学生』だったので、それ以上の想いを持ち合わせていなかった。

 あれから数年が経ち、大人になるにつれ僕たちの関係も少しずつ変わっていった。実歩が僕のことをどう思っているのか分からないが、少なくとも僕は実歩に対し恋愛感情を抱いている。もちろん僕の気持ちを実歩に伝えたことはない。告白することでこれまで築いてきた関係が、壊れるのを恐れているためだ。テレビの恋愛ドラマのようにカップルで映画館や食事に行くことに憧れはあるものの、何よりも実歩の傍にいたい僕は、そんな公言できる関係はどうでもよかった。


「で、今はどうなのよ?」


 はぐらかそうとしていた僕に、彩香はしつこく聞いてくる。この手の話が好きなのか、彩香が追及の手を緩める様子もない。


「えっと……」


 返答に困っていると、


「まさかあれから何年も経ってて、何も進展していないの?」


 と、見事に今の僕たちの関係を言い当てた。さすが女の感といったところだろう。


「信じられない。あんな可愛い子をずっとほったらかしにして。あんたの心臓に脱帽よ」


 彩香は驚きと共に呆れた様子で言った。それでも僕が黙っていると、そんな態度が彩香の心に火をつけてしまったのか、さらに興奮し大きな声で喋り出してきた。思わず受話器から耳を遠ざけた僕は、そのまま受話器を見つめた。銃撃戦のような激しい口調の声が受話器から聞こえてくる。『ドドドッ』という文字が勢いよく飛び出してきているような気がした。

 漏れる音が小さくなる頃、僕は再び耳に受話器を当てる。


「ちょっと聞いてる? 来年、実歩は二十歳になるのよ? 立派な成人、いつ結婚してもおかしくないの。そんな子をよく唾もつけずに放置していられるわね」

「別に放置ってわけじゃあ……」

「じゃあ何、ちょっとは進展しているわけ?」

「まぁ……」

「何よ、まぁって」


 電話の向こうで彩香が溜息を漏らす。本当に面倒な相手だ。こっちが溜息をつきたい。


「で、あんたは実歩のことどう思ってんの?」

「僕は……好きだけど」

「そんな感じだとまだ告白はしていないんでしょ?」

「うん……」

「はぁぁ」


 僕の言葉を聞くと彩香は再び大きな溜息をつき、その後黙ってしまった。彩香が何を考えているのか分からなかったが、僕は彼女が話すのを待った。10秒ほど経つと、彩香は何事もなかったようにまた話を続けた。


「実歩は謙輔のこと、どう思ってんだろうね。いっそこと実歩にさっさと告白して撃沈してみたら?」

「嫌だよ、何でそんなこと」


 僕は軽率な彩香の提案をきっぱりと断った。


「でも不思議だわ、お互い近くにいて何年もあの頃のまま。私から見たら2人の関係は異常よ」


 彩香の話を聞いて、僕も『確かにそうだな』と思った。1人の男が頻繁に一人暮らしの女性の家に上がりこんで1日を過ごす。そんな話を他で聞くと、僕でも2人の関係は友達以上だと思うだろう。しかし僕たちは違う。


「まぁ、いいわ。長いこと会っていない私がお節介を焼くことではないね。でもね、これだけは覚えておいたほうがいいわよ。『そんな関係を長く続けられるほど女はお人好しではない』ってね。気付いたときには、もう会えなくなってるんだから」


 いつかは決断しないといけない時が来るのだろう。しかしそれを思うと大きな不安が襲ってくるような気がした。


「そういえば今思い出したよ。大里建設って、お父さんの会社だったよね。どうしてそこに?」

「アルバイトよ、結構出してくれるんだから。こんな田舎の建設会社でも、都会にあるそこら辺のバイトなんかよりずっと良いわよ。しばらく働こうかしら……おっと」


 一瞬、彩香の声が途切れ聞こえなくなる。


「彩香?」

「ごめん、ちょっと周りを確認してた。あんまり調子の良いことをおとんが聞いたら怒るから。でも大丈夫。今、ここにはいないみたい」


 小さい頃に会ったことはあるが、確かに怖そうなお父さんであった。その頃の僕はあまり物怖じしないタイプであったが、彩香のお父さんに関しては近寄りがたかった。


「会社は小さいんだけどね、それ以上にうちのおとんのほうが気が短くて小さくてね。会社の悪口なんか聞いちゃった日には、多分しばらくただ働きさせられるわ」


 周りに注意しているのか、彩香の声が小さい。


「あ、そういえば招待状の担当者を紹介してって話だよね。今見たら昼食で外出てるみたいなの、ごめんね」

「そっか」


 僕は少し考えてから、彩香にこれまでの経緯を説明することにした。


「あぁ、その件なら聞いてるよ。近いうちに実歩に電話で確認する予定だったみたいだけど、そうかまだだったか……。今、返事聞ける?」

「うん、実歩からは『参加』って聞いてる」

「あぁ、そうなんだ。うん、ありがとう。手間が省けたよ」


 受話器の向こうからキーボードをカタカタと打つ音が聞こえる。パソコンで彩香が出欠情報を打ち込んでいるのだろう。


「それよりさ、なんで実歩には招待状を送らなかったの?」

「あぁ、それね……」


 彩香が少し無言になった後、歯切れ悪く口を開いた。


「実は……実歩には何度も出してるの」

「何度も?」

「うん。でも必ず住所不明で返ってくるんだって」

「住所が間違ってるんじゃないの?」

「ううん、住所は合ってるのよ。出すときはね」

「出すときは?」


 彩香が何を言っているのか理解できず、僕は混乱した。


「私も見せてもらったんだけど、返却されたハガキを見ると在りもしない住所に後から書き直されていたり、酷いときは住所欄がぐちゃぐちゃにペンで落書きされていたよ」

「どういうこと?」

「分からない。初めてこの話をおとんから聞いたときは、私も冗談かと思ったわ。相手が実歩だから私も途中から協力したんだけどさ、本当によく分からないことだらけで。一度、郵便ポストに張り付いてみたりもしたの。回収に来た郵便局の人にも事情を話して気にかけてもらって、でも郵便局に着いた頃にはもうぐちゃぐちゃよ」

「そんな……」


 誰がいつそんな悪戯をしているのか、それは勿論不可解なことではあるがそれよりなぜ実歩のハガキだけをこのようにするのか、真相を聞き僕は言葉を失った。


「あまりこんなことは信じないほうなんだけど、一度お祓いに行ったほうがいいんじゃないかしら。こんなこと、何か不思議な力が働いているとしか思えないわ」


 彩香がそう言った後、受話器を通して『キンコーン』というチャイムの音が聞こえてきた。


「あ、ごめんね、もう時間だから。とりあえず要望どおり『参加』にするけど、今の話のこともあるから実歩ともう一度よく考えて。ね?」

 そう言って彩香は電話を切った。




「そんな話、本当に信じてるの?」


 彩香から聞いたハガキの件を逐一話すと、実歩は呆れたように一蹴した。


「自分たちがハガキを送るのを忘れたって言えないもんだから、謙輔にした作り話よ」


 そう言うと、実歩は最後に残ったキウイの果肉をスプーンですくうと口に放り込んだ。眉間に皺を寄せ、不機嫌な表情で実歩は僕の顔をじっと見ている。その目は刑事が犯人を問い詰めているかのように鋭いものだ。


「ねぇ、彩香との話はそれだけ?」

「うん、ハガキのことは全部言ったと思うけど」

「だからハガキ以外のことよ。久しぶりに話したんだから積もる話もあったでしょ? 彩香の古き友人の一人として興味があるの」


 実歩はハーブティーをゆっくり一口飲むと、再びじっと見つめて僕が話し始めるのを待った。


「えっと……何だったかな」


 彩香とした他の話を急に催促され、僕は戸惑った。するつもりがなかったし、ましてや実歩との恋の話だ。本人を目の前にして、どう話せばいいのだ。


「あぁ、そうそう。彩香がお父さんの会社の電話に出たのは、バイトしてるからって言ってたよ。あんな厳しそうなお父さんの所でバイトだなんて、彩香は良い根性してるよね」

「へぇ、他には?」


 気に入らなかったのかこの話題はすぐに消滅し、別の話を実歩が要求する。


「他? うーん、あとは昔の話をしたぐらいかなぁ、よく3人で遊んだ頃の。聞きたい?」

「それならいい。村の頃の話なんか聞くと余計、夢にお母さんが出てきそうだし」


 実歩は椅子に座りながら大きく背伸びをすると『行くと決めたら何だか気分が良くなったわ。気合い入れていくか』と言って、胸元に両手で小さくガッツポーズを作って僕に見せた。


「ふふっ、そうだね」


 久しぶりに見た実歩の明るい様子に、先行きが明るいような気がして僕も思わず微笑んだ。

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