第106話 戦争③
<ハジメ視点>
むせかえるような血の匂い。
見渡せば、赤黒い大地と死体の山。
目を覆いたくなるような、悲惨な光景に。
悲鳴と雄たけび、剣戟の音だけが響き渡っている。
そして。
目の前には、巨躯を湛えた一体の魔族。
他の魔族とは比べ物にならない、圧倒的な威圧感をたたえた存在が、俺に問う。
「……貴様、何者だ?」
……今、この瞬間のために。
きっと俺は、生まれてきたのだ。
「俺の名は、ハジメ=レオナルド=ヴィルガイア。
お前らに滅ぼされた、ヴィルガイア王家の末裔だ」
俺はこの日。
生涯の敵と向かい合った。
―――――
2か月前。
エミリー、クリスと共に戦線へと向かうことを決めた後。
転移魔術でアバロンへと移動した。
転移魔術は、認識できる範囲内か、行ったことがある場所までしか使用できない。
なのでアバロンへ転移した後は、普通に馬車で移動した。
アバロンから、ひたすらに西を目指し。
3つの国を超えて、ようやく戦線へとたどり着いた。
俺達がたどり着いた時には、すでに戦いが始まっていた。
エミリーに、強化の魔術をかけてもらった後。
避難する住民をかき分けて、戦場へと急いだ。
この戦場において、敵か味方かを見分ける術は、ヒトか魔族かで十分だ。
ヒトである以上、俺たちは味方と認識される。
誰にとがめられることもなく、城壁の上へとたどり着けた。
そして、俺達が壁上にたどり着いた時。
すでに戦況は、圧倒的に不利だった。
壁の上からは、全体を俯瞰できる。
魔術の届かない場所に、蟻の大群のように魔族がひしめいている。
対して、地上で戦うヒトはその10分の1にも満たない。
壁上の魔術師を加えても、圧倒的に数で負けている。
そのうえ。
魔族が城壁へと、次々と跳んできていた。
周りの魔術師達は、その対応に慌てふためいている。
思った以上に、やばい状況だった。
ヒトの敗北寸前といった様相だ。
急いで駆けつけてよかった。
この防衛線が決壊したら、東の大陸に魔族がなだれ込む。
そうなれば、空前の大量虐殺だ。
ニーナやシータにも危険が及ぶかもしれない。
そんなことには、絶対にさせない。
「クリス、魔族が近づいたら、防衛を頼む」
「了解した」
その言葉だけで、クリスは俺が何をする気か分かったようだ。
まぁ、当然か。
大陸の東端で行ったことを、今度は
聖級魔術の射程は、上級のそれより遥かに長い。
効果範囲もより広いうえに、俺の魔術には地球の魔力ブーストが乗っている。
城壁の上からでも、魔族の本陣に問題なく届く。
「原初の火。暗がりを照らすもの。
三つ時の呼び声。彼方より響く。
方角は東。虚空より――」
「……君たち!
何をしている!
ここは危険だ! 早く逃げなさい!」
俺が詠唱を開始すると、兵士の一人が俺達に気づき、近づいてきた。
俺達は、正規の装備じゃない。
それが目についたのだろうか。
兵士は俺達をここから逃がそうとしているようだ。
俺は構わず、詠唱を続ける。
「心配には及びません!
我々は助太刀に参った者です!」
「助太刀!?
この状況が分からないのか!
もはや一人二人増えたところで、どうこうできる段階じゃないんだ!
少しでも生き残って、他の国々に伝えることが大事だ!
軍属でないのなら、早く逃げろ!」
クリスの言葉を、兵士は聞く耳も持たない。
さらに、俺の詠唱を止めようと、手を伸ばしてきた。
「お待ちください」
その手を、クリスが掴む。
振りほどこうとするが、離せないようだ。
兵士はクリスの力に驚き、目を見開いた。
「もう少しです。
我々の身を案じてくださったことには感謝します。
ですがどうか、ご覧ください」
クリスがそう言ったタイミングで、ちょうど詠唱が終わった。
「――エインシェント・ノヴァ」
音もなく放たれた火球。
それはまっすぐに、魔族の群れへと飛んでいき。
意図した通りに着弾。
以前と同様の爆発を、引き起こした。
兵士は、あんぐりと口をあけ。
その光景に、言葉を失っていた。
「……ハジメ、あちらを見ろ!
ユリヤン殿下だ!」
皆が爆発に気を取られている中で。
クリスが叫ぶ。
そちらを見ると、一際大きい魔族と、その前で倒れている男が見えた。
「……俺には遠くてよくわからんが」
「間違いない! 殿下の気配だ。
捕まれ! 跳ぶぞ!」
クリスは俺とエミリーを両脇に抱え、跳躍する。
城壁の上からのジャンプ。
俺は飛び降り自殺なみの自由落下にめちゃくちゃビビったが、クリスは難なく着地した。
着地の瞬間に、俺とエミリーを上に放ってくれたらしい。
俺達には何の衝撃もなかった。
クリスはそのまま、何事もなかったかのように兵の間を駆け抜ける。
「ユリヤン殿下!」
クリスが叫ぶ。
見ると、確かにユリヤンが倒れていた。
クリスに放してもらい、駆け寄った。
「……ひどい」
エミリーが、思わず声を漏らす。
間近で見ると、その姿は凄惨の一言だった。
着ていたであろう鎧は、残骸が身体に張り付いているだけ。
手足は全て、奇妙な方向に折れ曲がり。
左腕は存在すらしなかった。
生きているのが不思議なくらいだ。
「エミリー、ユリヤンを頼む」
「わかったわ」
エミリーは真剣な顔で頷き、結界魔術を唱えて姿を消した。
それを確認し、クリスと辺りを見回す。
まだ、爆発に気を取られている者が大半のようだ。
さっき、俯瞰で見た光景を思い出す。
城壁の上から見た、他の魔族よりも大きな個体。
あれはもしかしたら――。
「――ハジメ!」
突如、黒い影が目の前に迫った。
それを認識すると同時に、金属音が鼓膜を震わせる。
「ほう、止めるとはな」
声のする方を見ると、魔族がいた。
まさに先ほど見た、一際体の大きな個体だ。
それが、爪を振り下ろした形で静止している。
その爪の暴威を封じているのは、クリス。
俺の目の前に立ち、爪を盾で受けてくれていた。
「――っお前は!」
俺がそいつを認識した直後には、すでに戦いは始まっていた。
すさまじい速度で、クリスと魔族が打ち合う。
普段の俺なら見えるはずがない領域だ。
だが、強化魔術のおかげで身体能力が向上している。
そこには、動体視力も含まれる。
おかげで俺にも、ギリギリで何が起こっているのかは把握できた。
状況は、クリスが劣勢だった。
その魔族は、巨体からは考えられないようなスピードで動く。
さらにその攻撃は、一撃必殺の威力を持っている。
間一髪で躱したクリスを、衝撃波で吹き飛ばすような威力だ。
以前エルフの森で、魔族と対峙した。
あの時から研鑽を重ねたクリスの剣。
そこにエミリーの強化魔術が加わっているというのに、それでもこの魔族には歯が立たない。
だが、俺達はパーティーだ。
クリス一人で戦う必要はない。
あの時の経験から、得た力がある。
……今こそ、それを使う時だろう。
「クロックアップ」
そう唱えると。
世界の時が、止まった。
先ほどまでの喧騒は、その一切が聞こえなくなる。
目に映る全てのものは、彫像のように動かない。
目で追うのがギリギリだったクリスと魔族の戦闘も、視界の中で静止している。
これが。
あの時の経験から、手に入れた力。
魔族と初めて相対したあの時。
俺は意識を失う直前に、魔術の発動時間を極限まで短縮することに成功した。
死の淵で体験したあの感覚。
試行錯誤の末、魔力の補助を使って、あれを再現できるようになったのだ。
ヴィルガイアのものではない、俺のオリジナルの魔術。
当然、俺の身体も動かせない。
指一本、眼球すらも動かせない。
だからこの魔術の肝は、発動した瞬間に敵を視界に収めておくこと。
今、敵の姿ははっきりと映っている。
右腕を振り上げ、クリスを爪で貫こうとしている。
対してクリスは、それを見越して盾を前に押し出そうとしている所。
くらえ、魔族。
魔族の頭部を目掛けて、中級の火魔術を発動する。
この状態では声も出せないので、発動できるのは無詠唱のみ。
俺が無詠唱で発動できるのは中級までだ。
だが、タイムラグなしで魔術を発動できるのだから、その威力は絶大。
魔術を発生させられる位置に敵がいれば、必中なのだから。
クロックアップを解除する。
騒音が鼓膜に響く。
はじかれたように、世界の全てが動きだす。
俺の放った魔術は、意図した通りの位置で発動した。
火柱が上がり、魔族の姿は見えなくなる。
これを避けられるはずはない。
ズキリと、目の奥に痛みが走る。
クロックアップの反動だ。
魔術が脳を酷使しているのだろう。
何度も使うと、立ってられないほどの痛みが襲ってくる。
「ハジメッ! 伏せろ!」
痛みに気を取られた俺の耳に、クリスの声が響く。
訳も分からず、その場に伏せた。
その瞬間。
俺の頭上から、激しい風切り音がした。
襲ってきた衝撃波で、俺は轢かれたカエルのように地面に張り付く。
「死ね」
声がした方をかろうじて見ると、魔族が爪を振り上げていた。
やばい。
クロックアップは集中しないと発動できない。
発動できても恐らく防げない。
死ぬ。
ガァン! と、鈍い音。
クリスが跳躍して、魔族の一撃を盾で受け止めてくれていた。
その間に、俺はその場を離脱して、魔族と距離を取る。
頭の中は疑問符でいっぱいだ。
なぜ、こいつは生きてるんだ。
俺の魔術は、確かにこいつの頭を捉えたはずだ。
冷静に魔族を見ると、確かに被弾した痕跡はあった。
頭部や左上半身に一部、鱗が溶けた部分がある。
だが、それだけだった。
「馬鹿な……」
止まった時の中で発動した魔術。
それが被弾したことは間違いない。
だが、魔術が発動して、その規模を広げる刹那の時間に。
こいつは被弾したことを認識して、驚異的な速さで回避行動をとったのだ。
ズキズキと頭が痛む。
大丈夫だ。落ち着け。
さっきのはわずかに油断があった。
炎と頭痛に気を取られて、やつの視認を怠った。
もう、クリスのそばから俺は離れない。
クリスはきっと、攻撃を凌ぎきる。
こいつが回避不可能な態勢の時に、同じことを行えば、今度は倒せる。
「…………」
戦場に訪れた、一瞬の静寂。
それまで激しく動き回って優位を取ろうとしていたお互いが、相手の出方をうかがって動きを止める。
台風の目に入ったかのような、静けさが辺りを包んだ。
「……先刻の爆発。やったのは貴様か?」
不意に、魔族が口を開いた。
それはヒトが発したのかと間違えそうになるほど、流暢な声だった。
しかし、気づけば死の淵にいざなわれているような。
いつの間にか、首にナイフを突きつけられたかのような。
そんな不吉さをはらんだ声だ。
「…………」
質問に対して、俺は黙る。
言う必要はない。
あれを使える者が隠れている。
そう思わせるだけで、こいつらに相当な心理的な負荷をかけられるはずだ。
答えないことが正解なのは、間違いない。
……だが。
俺にもこいつに、聞かなければならないことがあるのだ。
どうしても。
一つだけ、聞かなければならないことが。
しばしの沈黙の後。
俺は意を決して、口を開いた。
「俺の質問に答えろ、魔族。
そうすればお前の質問にも、答えてやる」
俺がそう言うと、魔族は口の端をゆがめて嗤った。
「ほう、交換条件というやつか。
いいだろう。
こういうのは、何と呼ぶのだったか。
……そう、冥途の土産に、答えてやろうではないか」
聞けば聞くほど、背筋が凍り付いていくような声だ。
できるだけ心を乱さぬように。
俺は質問を口にした。
「1000年前。
魔法都市ヴィルガイアを滅ぼしたのは。
国王エドワード、王妃マリーを殺したのは。
……お前か?」
魔導書に書いてあった。
魔族の中に、明らかに他とは違う個体がいたと。
その者は他の魔族よりも大きく。
圧倒的な力と速さで、他の魔族を率いていたと。
魔導書の記載ではその魔族を魔の王と呼び、その存在を警戒していた。
そいつが中心となり、いつかヒトを滅ぼそうと攻めてくる可能性も。
魔族の寿命がどれほどかなんて知らない。
だが、1000年生きてるエルフがいるんだ。
同じだけ生きる魔族がいてもおかしくはないだろう。
周りの魔族は、こいつに従っているような仕草を見せている。
前情報がなかったとしても、こいつが他と違うのは見て取れる。
もしこの考えが正しいのなら、今。
両親の仇が。
打ち倒すべき存在が。
俺の目の前に、姿を現していることになる。
固唾を飲んで、返答を待つ。
「ほう。
人間は短命と聞くが、その名を知る者がいようとはな。
……いかにも。
私がヴィルガイアを滅ぼした、魔族の王だ」
それを聞いた瞬間。
ほんの一瞬だけ、何も見えなくなる。
景色が。頭が。胸の内が。
真っ黒に塗りつぶされる。
――こいつが。
こいつが俺の両親を殺した。
こいつが両親の国を滅ぼした。
こいつが俺から、15年間の全てを奪った。
「そうか。
お前は必ず、俺が殺してやる」
自然と口から言葉が出た。
激情が過ぎ去った後、急に頭が冷えた。
冷静に、目の前の存在を殺すためだけに思考を開始する。
「交換条件だ。
質問に答えてやる。
ああ、さっきの爆発は、俺がやった。
お前が用意した駒の9割は、消し飛ばしてやった。
ずいぶんと不利になったな、魔王。
……だが、それができるのは、俺だけだ。
俺を殺すことができれば、まだ勝ち目があるかもな」
こいつはここで殺す。
逃げることも許さない。
俺に、殺意を向けさせる。
「……ほう、それはありがたい。
嘘を言っている様子はないな。
では、望み通りに殺してやろう」
魔王は愉快そうに口角を上げ、牙を見せる。
俺の魔術で戦況が不利になったというのに、まだ余裕があるかのような振る舞い。
……気に入らない。
「何、余裕ぶってるんだ。
お前、俺が言ってることが理解できてないんじゃないか?
俺は
魔王は少しだけ黙り、そして、目を見開く。
「貴様、もしや……」
「愚鈍なお前にも、分かるように言ってやるよ。
連絡がなかっただろう?
おかしいと思わなかったのか?
それは大陸の反対側にやってきていた連中を、俺がまとめて殺してやったからだ」
その場の温度が10度下がったかのような。
心臓に冷水を流し込まれたかのような。
急激な悪寒。
全身が粟立ち、手先が震え、歯が鳴る。
魔王が、その全身から怒りを放っていた。
修羅の形相で俺を見つめる。
「……貴様、何者だ?」
それが、何を期待しての問いなのかは分からない。
だが、俺の答えは決まっている。
「俺の名は、ハジメ=レオナルド=ヴィルガイア。
お前らに滅ぼされた、ヴィルガイア王家の末裔だ」
――戦いが、始まる。
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