第105話 戦争②
どれだけの時間、戦っただろうか。
鎧は返り血で赤く染まり。
剣を握る手の感覚はもはやない。
膝は疲労でガクガクと笑い。
目の前の光景の非現実感に、頭の芯が痺れている。
しかしそれでも、ユリヤンは魔族を屠り続ける。
倒した魔族は、100を優に超えている。
これほど長く戦い続けられたのは、この広い戦場においてユリヤンただ一人だった。
どんな達人も。
次々と迫る魔族に一人、また一人と倒れていった。
もはや、身体を動かす感覚はない。
剣を振るうことすら、考えていない。
刻一刻と変化する目の前の状況に、ただ反応しているだけだ。
アルバーナを護りたい。
ユリヤンに初めて訪れた、喉の奥を焼き焦がすような渇望。
それがなければ、とうに倒れていた。
その感情のみが、ユリヤンをいまだに立たせている。
だが無意識の奥底で、ユリヤンは確信していた。
――今こそが、自己の剣技の到達点だと。
―――――
ユリヤンの半生は、剣とともにあった。
神童と呼ばれ、その力に期待されて育った。
剣は、考えれば考えるほど、良くなった。
何度も何度も繰り返しながら。
完璧な動作を探し続けた。
10歳で道場の免許皆伝を得た後も、その探求は続いた。
しかし、ある時。
自分の成長が全くないことに、気づいてしまった。
理想と自分の間には。
どうしても埋めることのできない、ズレが存在した。
どれだけ考えても。
何百万回と素振りを繰り返しても。
どうしてもそのズレを埋めることはできなかった。
少しだけ、ユリヤンは剣から遠ざかった。
鍛錬を怠ったことはない。
旅の最中であっても、女を抱いた日も、一日も欠かさずに素振りをした。
しかし、その目的は変わってしまった。
高みを目指すことから、現状を維持することへと。
そこが、自分の限界なのだと考えていた。
気の遠くなるような時間を費やしてもダメだったのだ。
理想は、届かないからこそ理想なのだろう。
いつしか、そんな風に考えるようになっていた。
どれだけの鍛錬を行なっても、これ以上の技は会得しえないと。
――しかし、今。
理想と現実が、一致していた。
思い描く理想と、寸分たがわぬ動作で剣が振れる。
これまでならとうに力尽きているはずなのに、まだ戦うことができる。
思考と試行。
それを重ねるほど、剣は良くなるものだと思っていた。
これまでの半生は、ずっとそうやって鍛錬していた。
それによって、剣の頂まで上り詰めた。
しかし皮肉なことに、それこそが足枷になっていたのだ。
戦いの中で、思考は刹那の時間を身体から奪ってしまう。
完璧な動作とは、思考しないことで初めて成り立つものだったのだ。
無論、常人であれば、戦いの中で思考を放棄することは愚の骨頂。
右に避ける、左に避ける。
上から斬る、下から斬る。
右足を出す、左足を出す。
いつ、どこで、どのように身体を動かすのか。
戦いとは判断の連続。
思考というプロセスがなければ、ただの的になるだけのはずだ。
だが、天賦の才と捧げてきた膨大な年月が、それを可能にした。
完全に思考を放棄し、身体の反応に身をゆだねる。
ひたすらに繰り返した動作は、脊髄反射で行うことが可能になっていた。
身体は目の前の状況に的確に反応し。
敵を倒すための最適な動作を取り続ける。
まさに今。
武の極致ともいえる領域に、ユリヤンはいた。
――まだ負けない。
――まだ戦える。
自分一人でも残っていれば、ヒトは負けない。
そんな思いを胸に、鋼の意志で戦い続けるユリヤンの耳に。
突如、奇妙な声が聞こえた。
「――ほう、やるではないか。ヒトの分際で」
底冷えするような、不吉な声。
完全な反射で、ユリヤンはその発生源から距離を置いた。
魔族の声は、ひたすらに不快だ。
鼓膜の振動を止めたくような。
嫌悪感をかきたてる声を、魔族は出す。
しかし。
今ユリヤンの耳に届くその声は、それとは全く違った。
「矮小な存在でありながら、我が同胞をこれほどに圧倒するとは。
興が乗った。
私が直々に、相手をしてやろう」
その響きに、不快感はない。
すんなりと、耳の奥へと侵入する。
しかしその音が向かうのは、脳ではなく腹の底。
身体が芯から凍り付くような寒気に、全身が粟立つ。
――恐怖。
それはまさに、恐怖を具現化したかのような声だった。
「何者だ、貴様は……?」
思わずユリヤンは問いかける。
気づけば、ユリヤンに襲い掛かっていた魔族は退いていた。
その存在の背後に回り、膝を折っている。
まるで、騎士が王に頭を下げるような動作。
そのしぐさは、明らかに上位の存在に対するそれだった。
「私は、魔族を統べるもの。
そして、貴様らヒトを滅ぼすもの。
魔王と、そう呼ぶがいい」
そう言って、魔王と名乗る存在は嗤った。
それは、この世界の全ての不吉をはらんだような音。
他の魔族よりも遥かに大きな体躯。
歴戦を思わせる、厚い鱗。
灰白色の鋭い爪。
その全身から、圧倒的な負のエネルギーがほとばしっていた。
――即座に。
ユリヤンは駆けた。
その存在を殺すために。
それは、かつてないほどに研ぎ澄まされた踏み込み。
それはこの戦いの中において、最高のパフォーマンスだった。
まさに完璧な動作で。
ユリヤンは魔王に迫り、その首に切っ先が吸い込まれる。
速度は、すでに音を超えていた。
しかし。
魔王は事もなげに、爪でその剣を受けた。
ギィン! と鋭い音が響き、
「悪くはない。
で、次はどうする?」
問いに対する答えなど、ユリヤンは考えもしない。
ただ、反応に身を任せるだけだ。
鋭利な刃のぶつかり合い。
聴覚を引き裂くような音が、絶え間なく響く。
常に攻めているのはユリヤンで、受けているのが魔王。
ユリヤンの猛攻を、魔王は防ぐことで手一杯。
そんな風にも見える。
……だが、事実はそれと異なった。
「ほら、そんなものか?」
魔王はその不吉な声に、揶揄するかのような調子をにじませて言う。
魔王の言葉は全て無視して。
ユリヤンは冷徹に、最適な動作を繰り返していた。
瞬きの間に、刃と爪が何度も交差し、そのたびに火花が散る。
そんな壮絶な打ち合いの中においてなお、魔王はユリヤンを
対して、ユリヤンの表情は悪い。
技の精度は落ちていない。
かつてない、自己最高の剣技を繰り出し続けている。
だというのに、その全てが防がれる。
腕を、脚を、胴を、首を。
斬ったと確信した一太刀が、その刹那、鋭利な爪に阻まれている。
少しずつ、呑まれそうになる。
打ち合うたびに生まれる、胸の内の黒い感情に。
敗北の二文字に。
「うおおぉぉぉぉっ!」
振り払うように、ユリヤンは叫んだ。
矢のような跳躍。
大上段から、魔王の肩を目掛けて、剣閃が走る。
「……もういい。終いだ」
ギィンッ! と、一際高い音が鳴り響いた後。
魔王は言った。
ユリヤンの自己最速の一撃は、軽々と防がれた。
打ち込みの反動で止まったユリヤンの右腕が、魔王に掴まれる。
ユリヤンはとっさに剣を左手に持ち替え、魔王の首を狙う。
しかし、その刃を走らせる前に。
ユリヤンの身体が宙に浮いた。
景色が回る。
魔王は、つかんだ右腕を支点にして。
ユリヤンを宙で振り回していた。
そしてそのまま、地面にたたきつける。
「ぐぁっ!」
ユリヤンはすさまじい速度で地面と激突し、思わず声を漏らした。
鎧の一部は砕け、肋骨が何本か折れた音がした。
……しかし、まだ終わりではなかった。
それから何度も。
魔王は同じ動作を繰り返した。
つかんだ右腕を鞭のように振り回し。
ひたすらに、ユリヤンを地面にたたきつける。
一度、二度、三度、四度。
十度以上繰り返して。
魔王はふと、飽きたように動きを止めた。
それは、一瞬の出来事だった。
「ほう、まだ剣を手放さないか」
その一瞬のうちに。
鎧は全て砕け散り。
ユリヤンの体中の骨は折れ。
そのいくつかは内臓に突き刺さった。
目、耳、鼻、口から多量の血が流れ、ブロンドの髪は泥と血で赤茶色に染まった。
ヒトとしての機能の多くが失われてしまった、ぼろ雑巾のような風体。
それでもユリヤンは、左手の剣を離してはいなかった。
「ハハハ、面白いぞ。
それならば、こうしてくれよう」
魔王は愉快そうに嗤い、ユリヤンの左腕を掴む。
脚でユリヤンの胴体を踏みつけ、左腕を引っ張った。
左腕はピンと引き延ばされ、関節がミシミシと悲鳴を上げる。
魔王はさらに力を加え、皮膚が裂けるように出血した。
それでも魔王は、力を緩めなかった。
「ぐおぁぁぁっ!」
ついには、ユリヤンの左腕が、ブチブチと音を立てて千切れた。
おびただしい量の出血が溢れる。
魔王は、ゴミを放るように、その腕を投げ捨てた。
「ファ、ファイア……ぐぅっ!」
とっさに、ユリヤンは傷口を燃やし、出血を止める。
激烈な痛みが、傷口から体の芯に駆け抜けた。
「……フッ。
貴様、まだ、生き延びる気でいるのか。
ここまでくると、滑稽を通り越して哀れに見えるな。
諦めなければ勝てる、とでも思っているのか?」
魔王は、ゆっくりとユリヤンに近づいた。
もはや立つことすらできないユリヤンの頭を、乱暴に持ち上げる。
「見ろ。
これがお前の、戦いの結末だ」
ユリヤンの網膜に飛び込んできた景色。
それは、絶望と呼ぶ他になかった。
城壁に無数の魔族が取り付き。
壁上の魔術師へと、襲い掛かっている。
じりじりと。
戦線を押し上げてきた魔族。
そしてついに、城壁が跳躍で届く距離に来てしまっていた。
魔族が次々と、城壁へと跳びついていく。
魔術師達は、接近戦において無力に近い。
100に満たない魔族ですら、壁上の魔術師を皆殺しにできるだろう。
一応、護衛の戦士はいるが、あの状況で守り切れるわけがない。
魔術師がやられ、魔術の牽制がなくなれば、控えている魔族が一斉に押し寄せてくるだろう。
そうなったら、何もかもが終わる。
命を賭して、それぞれの守るべきもののために戦っていた兵達。
周囲の者が次々と死んでいく現実を前にして、それでも必死で戦っていた。
ほとんどの者は、魔族の残数など分かってはいない。
目の前の魔族は次々とやってくる。
あとどれだけ戦えば、魔族に勝てるのか。
終わりの見えない戦いに摩耗した心。
それをへし折るには、その光景は十分だった。
兵の士気は、落ちるところまで落ちていた。
「やめてくれ!」
「殺さないで!」
「いてぇ! いてえよぉ!」
そんな悲鳴が、辺りから響いている。
それはユリヤンの心にも、絶望をもたらした。
これまで、限界を超えて戦ってきた。
大局で不利なことは理解していた。
だからこそ、自分を奮い立たせて戦った。
数で不利なら、自分一人で魔族を皆滅ぼしてしまえばいい。
そんな信念を自分の背骨にして、なんとかこれまで戦ってきた。
だが、ユリヤンは魔王に敗北した。
左腕も失い、身体も満足に動かせず、もはやできることは何もない。
せめて残る者達に望みを託そうと、最期に見た光景がこれだった。
「くっ、くぅ……」
瞳から、涙が零れた。
自分は無力だった。
まもなく城壁は突破され、大勢の人が死ぬ。
そして遠からず、アバロンの街並みも、戦火に焼かれてしまう。
自分は何一つ、守れなかった。
「理解したか?
……では、死ね」
魔王が、ゆっくりとその爪を振り上げる。
これまでの人生が、走馬灯のように駆け巡る。
両親のこと。
兄弟のこと。
抱いた女のこと。
最期に頭に浮かんだのは。
一人の、友達のことだった。
もしかしたら、ユリヤンの人生で唯一の、友達。
何の気も使わずに一緒にいられるのは、あいつだけだった。
あいつだけは、王族である自分に、等身大で接してきた。
単に常識がないだけなのかもしれない。
だが、うれしかった。
あいつとの旅は、楽しかった。
あいつはまだ、アバロンにいるのだろう。
こんなことになって、申し訳ない。
できることなら、魔族の手を逃れてほしい。
そう、最期に祈った。
――その時。
全てを諦めて、空を見上げたユリヤンの目に。
一筋の光が、走るのが見えた。
「ぬ?」
その光に、魔王も気づく。
晴天の青い空を切り裂いて。
流星のような光芒が、駆け抜けていた。
まるで、時が止まったかのように。
戦場の誰もが、それを見上げた。
城壁から伸びたその光は、まっすぐに進み。
一瞬の後に。
魔王軍の本陣に、落ちた。
最初に生じたのは、閃光。
網膜を焼くような強い光が、戦場の全てを照らした。
続いて地響きのような轟音がうねり、腹の底まで響き渡ると同時に。
すさまじい突風が吹き、ユリヤンはなす術なくゴロゴロと転がった。
何事かと。
それらがもたらされた方向を見る。
そこには。
キノコのような形をした巨大な雲が、見える景色全てを覆っていた。
「馬鹿な!
あの魔術は、エドワードの!?
いや、あれよりも遥かに強力な……」
ユリヤンは初めて、魔王が焦った声を出すのを聞いた。
どうやらこの現象は、やつらにとっても予想外らしい。
とういうことは。
この、見たままの情報を、信じていいのなら。
あの光は。
――魔族の本陣を、壊滅させたに違いない。
「一体、誰が……」
血を吐きながら、ユリヤンは歓喜する。
あれが魔族の作戦でないのなら、形勢は逆転したといっていい。
今の状況なら、生き残った魔族の数よりも、ヒトの方が圧倒的に多いはずだ。
戦場に立つものが皆、茫然としている。
魔族も、ヒトも。
今はまだ、気づいていない者が大半かもしれない。
しかし時間が経てば、理解するはずだ。
戦局が、どちらに有利に動いたのかを。
しかし、一体誰が、どうやったのだろうか。
自分が知っている最高の魔術よりも、はるかに強力なものだった。
魔術というよりも、神の鉄槌とでも呼ぶ方がまだしっくりくる。
あれをヒトが起こしたという仮定に、現実味がない。
まさか神が、ヒトを憐れんで味方したとでもいうのだろうか。
「まぁ、俺が考えても仕方ないか……ごふっ」
ユリヤンの口から、多量の血液が吐き出される。
折れた肋骨が、肺に突き刺さっている。
気胸と肺胞出血の併発で、呼吸機能はほとんど残っていない。
まさに、虫の息といったところだ。
さっきは奇跡的に死を免れたが、いずれにせよもう永くない。
……まぁいい。
一切の希望なく、絶望だけに染まった死に際のはずだったのだ。
それが最後の最後に、一縷の望みをつなぐことができた。
十分、マシなほうだろう――。
それ以上の思考を放棄するように。
ユリヤンは、そっと目を閉じた。
―――――
……身体が暖かい。
全身を覆っていた痛みや息苦しさが、徐々に薄れていくのを感じる。
これが、死というものなのだろうか。
だとしたら、そう悪いものではない。
意識はある。
思考することはできている。
ということは、死後の世界というものも、存在するのか。
これから自分はどうなるのだろうか。
戦場で散った魂は、天からの使いが導いてくれるという。
目を開ければ、天使がお迎えに来てるかもしれない。
こんな時だけ信心深くなる、自分の考えに苦笑しつつ。
そっと、ユリヤンは目を開ける。
――そこに、天使がいた。
白銀の髪を二つに結んだ、少女のような見た目をしている。
天使は美しい顔立ちを、心配そうに曇らせて。
なにやら自分に手をかざしていた。
こんな美しい天使に導いてもらえるなら、死ぬのも悪くはないな。
そんなことを思いながら。
ユリヤンはまじまじと、天使の顔を見つめる。
……ん?
この顔、なんか見覚えがあるような。
以前に見た時より成長してるけど、アバロンの酒場で一緒に飲んだ気がする。
あれ……?
「……エミリー?」
天使はハッとした顔で、こちらを見た。
「ユリヤン殿下! 気が付かれましたか!?」
心配そうに、自分に声をかけてくる。
やはり、エミリーで間違いないようだ。
……おかしいぞ。
そう思い、改めて周りを見る。
天国だとは絶対に思えない、死体の山。
その中で、魔族とヒトが争いあっている。
目を閉じる直前に見た光景と、何も変わっていない。
「俺は、もしかして。
……生きている、のか?」
痛みも、息苦しさも、疲労すらも、完全に消えている。
むくりと起き上がって、両手を見る。
魔王に引きちぎられたはずの左腕が、そこにあった。
「これは……?」
「殿下の左腕は、私が治しました。
欠損部が見当たらなかったので、聖級治癒魔術を使用しました」
「聖級!?」
そんなもの、あるはずがない。
魔術は、全て上級までだ。
聖級魔術など、伝説にしか存在しないし、ましてやそれを使える者などいるわけがない。
「……殿下、目を覚まして早々に申し訳ないのですが。
まだ戦いは終わってません。
どうか、お力をお貸しください」
ユリヤンの戸惑いをよそに。
天使……もといエミリーが、切迫した様子で言う。
確かにその通りだ。
とにかく、左腕はある。
過ぎたことを考えても仕方ない。
今なすべきことをしなければ。
「すまない、もう大丈夫だ。
礼を言う」
ユリヤンはすぐさま、戦場に舞い戻ろうとした。
が、エミリーに止められた。
「先程の爆発。アレを成したのはハジメです」
「何!?」
その言葉に、ユリヤンは驚愕する。
あの爆発がもたらしたのは、ヒトへの巨大な戦果だ。
ならば確かに、その遂行者もヒトであると考えるのが自然だろう。
だが、軍の者ではない。
軍に属する者ならば、開戦と同時に放っているはずだ。
軍属でなく、突如戦場に現れたエミリー。
腕を再生するほどの治癒魔術を扱えることからも、発言の信憑性は高い。
もともと他の可能性など、神の鉄槌などという夢想しか浮かばなかったのだ。
なにより、エミリーは、一度杯を交わした友人だ。
その言葉を疑う余地はない。
だとしたら、アレはやはり、ハジメがやったことなのだろう。
「この場を凌ぎ、のちに魔族をせん滅するうえで。
彼は、ヒトの希望と言える存在です。
どうか、殿下の剣でお守りください」
真剣な表情で、エミリーが言う。
「わかった。
それで、ハジメはどこに?」
「殿下のすぐ後ろです」
言われて、ユリヤンは振り返る。
なんとすぐ近くに、ハジメがいた。
クリスと思われる剣士もそばにおり、あの魔王と対峙している。
「っ!
なぜ俺は気づかなかった!」
これほど近くにあの魔王がいれば。
本来ならすぐに、その気配を感じるはずだ。
だがその存在を視認した今になっても、気配を感じ取れない。
これは戦場において、致命的だ。
「殿下、それは魔術によるものです。
今この場は、私の結界により隠蔽されています。
こちらから働きかけない限り、周囲の者には気づかれません。
同時に、こちらからも気配を感じとれなくなります」
ユリヤンの焦りは、エミリーの言葉で解決した。
「……わかった。
では今から、結界を出てハジメに加勢する。
俺を治してくれた君の望みは、それでいいか?」
「はい。
……ただ、最後に一つだけ」
エミリーはそう言って、ユリヤンに向けて杖をかざした。
「古の羅針盤。その正体を我は知りたり。
其は生命の螺旋。力の結晶。
守護の英霊をその身に宿せ。
――エンチャント」
エメラルドグリーンの光がユリヤンを包む。
「なんだ、これは!?」
その光を浴びてから。
明らかに、身体の感覚が鋭くなった。
胸の芯から湧き出るような、活力が全身にみなぎる。
全能感が意識を覆う。
「この1000年の間に、エルフの里で発見された魔術です。
一時的に、身に宿る魔力を活性化して、身体能力を強化します」
エミリーが、少し疲れた様子で言う。
この日、強化魔術をかけるのは、自分、クリス、ハジメに次いで、ユリヤンで4人目だ。
そのうえ治癒、結界魔術まで使用している。
それらによって、彼女の魔力は危険水域まで減少していた。
「ははっ。
……これならば、あの魔王とも渡り合えそうだ。
エミリー、礼を言う」
「ご武運を。殿下」
ユリヤンは、放たれた矢のように結界から飛び出し。
ハジメのもとに向かった。
自分の命を、そして世界を救ってくれた、無二の親友のもとへ。
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