第104話 戦争①

 大陸西端の城壁。

 それは、ヒトのつくった最大の建造物である。


 他の都市とは比べ物にならないほどの堅牢さ。

 端まで一度に視界に収めることが難しいほどの大きさ。

 いかな達人であっても、独力で登ることができない高さ。

 その全ては、魔族からヒトを守るために存在する。


 その壁上に、都市中から集めた魔術師達がずらりと並んでいた。

 魔術師達は皆緊張した面持ちで、彼方に上がる土埃を見つめている。


 城壁の端には海が。

 城壁の内には街が。

 城壁の外には荒涼とした大地が広がっている。

 その大地を、幾多の靴裏が踏みならしていた。


 城壁の前に、20万の兵が並んでいた。

 各師団は1万ほど。

 それが正方形の形をとり、整列している。

 そのうちの一つは、アルバーナの兵。

 ユリヤンのものである。


 ユリヤンは師団の後方で、騎兵が引く神輿に乗っている。

 熟練した戦士なら、馬に乗るよりも走ったほうが速い。

 なので、馬を育てるよりも戦士を育てたほうが、コストパフォーマンスがいい。

 そのため騎兵はほとんどいないが、このように何かを運ぶときには重宝される。


 ユリヤンが乗る神輿は、高さ3メートル以上あり。

 兵の頭を追い越して、奥の大地と海が見えた。

 そこにかすかに、黒い粒のようなものが動くのが見える。

 あれが、魔族の大群なのだろう。


(……さて、どうしたもんか)


 ユリヤンはため息を吐いた。


 ヒトの存亡を賭けた戦い。

 その英雄願望ヒロイズムをかきたてる響きによるものか。

 兵の士気は、予想よりも高かった。

 さらに会議での発破が効いて、指揮官達のやる気も上々だ。

 迎え撃つ態勢としては、いい状態といえる。


 しかしユリヤンは、冷静に戦力差を分析していた。


(恐らく遠方からの魔術で倒せるのは、1割程度だろう。

 そして近接戦闘では、一対一で魔族に勝てない者が大半だ。

 戦力で不利、数でも不利となると……)


 状況は、絶望的だった。


 会議室で言ったことは、殆どが嘘だ。

 せめて、士気だけでも上げなければと吐いた方便。

 魔族の偵察部隊との戦闘で、魔族の力を見極められたのはユリヤンだけだった。

 指揮官は皆、ユリヤンほどに剣技をおさめていない。

 自分以外に魔族の戦力を分析できる人間がいなかったから、通った嘘だ。


 実際のユリヤンの読みは、伝えたものよりも遥かに厳しい。

 奇跡でも起きない限り、負け戦だ。

 しかしヒトの負け戦と違い、白旗に意味はない。

 魔族に負けるということは、すなわち滅ぼされるということだ。


「……あんまり、未練とかはないな」


 周囲に聞こえないよう小声で、ぼそりと呟く。

 ユリヤンは、ここが己の死地だと確信した。

 徐々に近づいてくる魔族の姿は、そうさせるだけの圧倒的な力を迸らせている。


 こちらの戦略は、とにかく接近される前に、魔術を打ち込むことだ。

 魔族には、遠距離攻撃の手段がない。

 つまり、やつらが近づいてくる際には必ず。

 こちらの攻撃だけが通るタイミングがある、ということだ。

 当然ながら、その時間が長いほど、こちらに有利に働く。

 なので、兵は壁の近くに固まって布陣している。

 こちらに近づかれる前に、魔術でできるだけ数を減らす。


 ヒトに残されたのは、ただそれだけの、シンプルな作戦のみだった。


 魔族が、遠方で整列を始めた。

 魔術が届かない、ギリギリの位置だ。

 それを見て、ユリヤンは舌打ちをする。

 完全に、こちらの射程距離を把握されている。

 あの偵察部隊は、しっかりと仕事をこなしていたらしい。


 遠くから、声が聞こえる。

 先ほど会議に参加していた師団長達が、大声を上げていた。

 兵の士気を高めるためのものだろう。

 地鳴りのような足音に負けずに、ユリヤンの耳まで届いてくる。

 その声を聞き、ユリヤンもゆっくりと剣を抜き、天に掲げ、叫んだ。


「各自!

 これは歴史に残る聖戦!

 勝利すれば、全ての者が英雄だ!

 敗北すれば家族、友人を含め、全てのヒトの命はないものと思え!」

「オオオオオォォォォッ!!」


 兵達も一斉に剣を掲げ、叫んだ。

 腹の底に響くようなすさまじい音量が、大地をも震わせる。

 平時では絶対に見る事のない、命を刈り取るために存在する巨大なヒトのうねり。


「願わくば、我らに武運があらんことを」


 ユリヤンは湧きたつ部隊を見下ろしながら、ぼそりとつぶやいた。


 気付けば、魔族が整列を終えていた。

 奴らもおぞましい声で、何かを叫んでいる。

 しばらくして、相対する両陣営から声がなくなったとき。

 ついに、先頭の魔族が駆けだした。


 戦が、始まった。



 ―――――



 魔族は、部隊を無数に分け。

 小隊を、一つずつ接近させていく作戦を取っていた。

 一度に近づいてくるのは、1000程度。

 それらが順次、すさまじい速さで駆けてくる。


 魔術は、数に限りがある。

 効果範囲にいる敵が少数では、コストパフォーマンスが悪い。

 それは完全に、魔術の特性を見切った攻め方だった。


「魔術部隊第一陣の一、てぇ!」


 壁上で、バルロワが叫ぶ。

 バルロワにしてみれば、魔族がそんな策を弄してくるなど、前代未聞だった。

 魔族が整列をしている様子にすら驚いたのだ。

 魔族の戦法など、一斉に駆けてくるだけだと思っていた。


 しかし、彼のこれまでの戦の経験が、状況に対して的確な判断を下した。

 敵に倣って魔術部隊を小分けにし、一度に使用する魔力を抑えることにしたのだ。

 本来の第4陣までの構成を、それぞれ10個に分割して40個という数にした。

 これで、想定の10倍の時間、魔術を行使できる。


 ただ。

 その分、接敵までに減らせる魔族は少なくなってしまう。

 しかし、例え1000体全てが近づいたところで、こちらの戦士は20万だ。

 大で小を討つのが、戦の基本。

 20万対1000で戦うなら、こちらの被害はやつらよりも少ないはずだ。


「皆、耐えてくれ」


 まもなく、敵の先陣がこちらの先頭にぶつかる。

 断続的にやってくる1000体の魔族に魔術を浴びせながら、バルロワは祈るように呟いた。



 ―――――



 戦闘開始から、1時間ほどが経過した。


 城壁の前に、ずらりと並んだヒトの兵達。

 その隊列の先頭から約20メートルほどの領域。

 そこが、近接戦闘の舞台になっていた。


 魔族の接近を目視すると同時に。

 その5倍の人数が隊列から抜け出し、迎え撃つ。

 これは、ユリヤンが考案した作戦だった。

 その目的は、魔族に対して数的優位をとって戦闘を行うこと。

 敵の正面にいる者は受けに徹し、攻撃は背後から行う。


 意外なことに、その作戦がハマっていた。

 今のところ、かなり少ない被害で対処することができている。

 場合によっては、一人の犠牲者も出さずに魔族を一体狩ることもあった。

 魔族との接近戦は、ユリヤンの想定よりもはるかにマシな状況で進行していた。


 このまま、しのぎ切れるのでは。

 ユリヤンが淡い期待を抱いた時。

 魔族が、想定外の行動に出た。


 接近して囲まれるやいなや。

 跳んだのだ。

 魔族の跳躍は、高さ10メートルを超える。

 包囲する前衛を躱し、整列した部隊の中央付近まで一気にやってきた。


 それは通常であれば、落下地点に剣を置いておくだけで対処できる行動だ。

 しかし、魔族には翼があった。

 飛翔することはできなくても、跳躍の軌道を変えることはできる。

 魔族達は、巧みに剣の茨をかいくぐり。

 師団の中央付近まで、跳んできた。


 だが、その行動に意味はあるのか。

 魔族にしてみれば、さらに敵が多い陣地に、単身乗り込んできたようなものだ。

 ほどなく倒されてしまうのが関の山。

 そう思われたが、違った。


 魔術の効果範囲を広げるため、部隊は密集せざるを得なかった。

 前衛を飛び越して来られると、剣を振るうスペースがない。

 隊列の中央では。

 同士討ちを避けると、満足に攻撃ができない状況だった。


 対して、魔族にしてみれば、周りには敵しかいない。

 手当たり次第に爪と牙を振るい、火を吐くだけで。

 多くの戦力を削ぐことができた。


 跳んできた魔族は、いずれは兵に包囲され倒れる。

 しかし、魔族一体に対してヒトはその5倍以上の兵を失っていく。

 自分の命を顧みず、どんどん跳んでくる魔族。

 それにより確実に、兵の数が減っていく。

 たまらず、ユリヤンは号令を出した。


「全軍に告ぐ!

 前100列目までの者は、100から列の数を引いた歩数だけ前進せよ!」


 対応としては、兵の間隔を空けること。

 その分魔術の効果範囲は減ることになるが、現状よりはマシだと判断した。

 各師団長も、その作戦に乗ったようだ。


 軍全体に指示が伝わり、ゆっくりと戦線が押し上げられる。

 魔族が跳躍できる最大距離以上に部隊を引き伸ばすと、魔族は跳躍を控えたようだった。


「よし、これで――」


 これで、もとの状況に戻った。

 ユリヤンはそう言おうとした。

 しかし、言葉は出てこなかった。

 明らかに、最初とは状況が異なっていた。


 戦線の魔族の数が、明らかに増えていた。

 無論ヒトの方が多いが、5人で一体を包囲しようとすれば、空間が足りない。

 魔族を包囲したはずが、そのうちの一人が後ろから別の魔族にやられるような状況が増えている。

 戦闘可能な空間に敵味方が入り乱れ、乱戦という他ない状況だ。


「くそっ!」


 跳躍に対応している間に、多くの魔族の接近を許してしまっていた。

 いずれこの状況になることは分かっていた。

 しかしその前にもう少し、魔族の数を減らしておきたかった。


 包囲できないことで、魔族を倒す速度が落ちる。

 しかし戦線へと到着する魔族の数は変わらない。

 結果、戦線の魔族の密度が増える。

 それによってさらに、魔族を倒す速度が落ちてしまう。


 魔術に被弾して倒れる魔族は、1割もいない。

 小隊に分けて突入してくることが効いている。

 しかしそれにより、接近戦では有利になるはずだった。

 だというのに、前線に魔族が増えたことで、ヒトは接近戦でも優位をとれなくなってしまった。

 前線で倒れていく割合は、魔族1体に対してヒト5人といったところだ。

 魔族50万に対して、ヒトの兵士は20万。

 どう考えても、魔族よりも先にこちらが力尽きる計算になる。


 もちろん、局地的には勝っている所もある。

 練度の非常に高い兵士達や、各流派の皆伝級の剣術家達は、次々と魔族を屠っている。

 中には、一人で50体以上の魔族を狩る猛者もいる。

 しかし、それはあくまで局地的なものだ。


 戦の全体の流れは、確実に魔族へと傾きつつあった。

 隊列の厚みが減り、前線はジリジリと城壁へと近づいていく。

 すでに、兵の3分の1ほどが失われてしまった。


「くそっ!」


 ユリヤンはたまらず、御輿から跳躍した。

 向かう先は戦線。

 指揮は副官に任せる。

 指揮官として出せる命令は、もはやない。

 ならば最前線こそが、ユリヤンのいるべき場所だった。


 50メートル以上の距離を一足で駆け、ユリヤンは戦線へと降り立った。

 着地したその脚で踏み込みを行い。

 居合で、一体の魔族の首と胴を切り離した。

 続いて、背後からの一撃をかわしてその腕を斬る。

 魔族はおぞましい声をあげて、出血する両腕を見ていた。

 そいつにとどめを刺した後、周囲を確認する。


 そこには、地獄のような光景が広がっていた。

 至る所に、ヒトの腕や、脚や、首や、はらわたが散っている。

 全ての地面は、血液で赤黒く染まり。

 至る所から死臭がする。

 その中で、死体を踏み潰しながら、皆戦っていた。


 ここで敗北すれば、この光景が大陸の全ての国で引き起こされる。

 そう考えると、ぞっとした。


 ユリヤンはこの戦に対して、半ば投げやりな感情を持っていた。

 戦力で明らかに負けており、それを覆す作戦も用意できない。

 そんな状況で、勝てるわけがないのだと。


 それは今に至っても、事実だったといえる。

 事実として、現状は絶望的で、勝利の目はないに等しい。


 ……しかし。

 しかし、どうあっても、この侵略を許すわけにはいかない。

 そう、強く思った。


 これまでの人生、物事にあまり執着せず、飄々と生きてきた。

 いつ死んでも、それほど悔いはないと思っていた。

 この戦が死地なら、それも仕方ないと思っていた。


 だが、この光景だけは、許すことができない。

 祖国であるアルバーナ。

 生まれ育ったアバロンの街。

 あの美しい街並みや白亜の城が。

 こんな景色に変貌するなど、絶対に許せない。


 飄々と生きてきた自分に。

 これほど祖国への愛着があるとは、意外だった。


「らあああぁぁぁっ!」


 その感情に突き動かされるままに。

 ユリヤンはひたすら、剣を振るった。






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