第103話 襲来②
――パチリと。
宵闇の中、ユリヤンは目を覚ました。
「あれ? まだ朝じゃないよな?」
手を伸ばしてカーテンを開けても、目に映るのは暗がりだけ。
ユリヤンは手探りでランプをつけ、時刻を確認する。
時計は、予定した起床時間よりもかなり早い時刻を示していた。
「なんだ、無駄に早起きしちまったな」
愚痴るように呟きながら、両手を上げて伸びを一つ。
隣で寝てる女を起こさないように、そっとベッドから降りた。
寝室を出て、顔を洗う。
「……ふぅ」
顔を水にひたすと、頭がすっきりした。
昨日までの出来事。
今日の予定。
短期的な目標。
長期的な目標。
脳内に、様々な情報が巡る。
「……そうか、今日はダルケル伯爵との会談だ」
ユリヤンは、戦線の軍備増強をあきらめてはいなかった。
先日の会議で、意見を一笑に付されてから。
すぐに、根回しを開始していた。
四大国家の一角、アルバーナ。
その王子ともなれば、交渉材料は多く持っている。
ユリヤンは持てるカードを駆使して、味方を増やそうとしていた。
まずは、ユリヤンの意見に否定的でない者。
次点で、否定的であっても取引に応じそうな者。
それらを標的に、懐柔していく方針だ。
「今のままじゃまずい。
魔族はいずれ、攻めてくる」
ユリヤンはこの考えを確信していた。
具体的な証拠はない。
魔族の行動原理など、自分が知る由もない。
自分の意見を否定する者達を、理解さえできる。
――しかし、確信していた。
剣士の勘。
そう言うしかない。
先日の魔族の動きは、絶対に策謀を持つものの動きだった。
「……まぁ、今日明日に攻めてくるわけでもないだろうが」
顔を布で拭きながら、ふっと息を吐く。
計画は、年単位だ。
少しずつ、地道に会議の意見を掌握していくしかない。
1000年も攻めてこなかったのだ。
あと数年くらい、もつだろう。
「よし」
朝日が昇るのを眺めながら、自分を鼓舞するように呟いた。
寝坊がちなユリヤンは、朝日を見るとすっきりと一日を始められる。
いつもと同じく美しい、茜色の空。
しかしなぜか。
その日は、妙な胸騒ぎがした。
―――――
午後。
ユリヤンはダルケル伯爵との会談を終え、一息ついた。
交渉の感触は良好だ。
伯爵の出身国であるラーガ王国は、アルバーナの南に位置する。
ラーガ王国は病害で穀物が不作だという話を、以前に寝た女から仕入れた。
そこを材料に交渉し、ほぼ狙い通りに話は着地した。
優先的に穀物の取引を行うと約束すると、伯爵は軍備について前向きな姿勢を見せてくれた。
「……はぁ。
過半数まで、あと何十人だ?」
紅茶を飲みながら、ため息をつく。
まだまだ先は長い。
ラーガなど、小国もいいところだ。
意見を牛耳っている派閥に、入れてもいない。
これから先。
今日の交渉などより、遥かに困難な説得をしていくことになるだろう。
場合によっては、武力による脅しも必要になる。
相手は各国の貴族階級。
腹芸はお手の物の、海千山千の権力の亡者達だ。
それでも駆け引きの経験は、自分より遥かに豊富だろう。
だが、やるしかない。
じっくりと、時間をかけて、相手の弱みを探っていく。
見つけた弱みに付け込んで、派閥に取り込む。
まだるっこしいが、これを続けていくしかない。
ユリヤンは紅茶に口をつけて、さらに思考を巡らせ。
カップをソーサーに置いた時。
その耳に、聞きなれない音が響いた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
3回1組の鐘の音。
それが何度も何度も、街中に鳴り響く。
ここにいる誰一人として、これまで聞いたことがなかった音。
この500年間、響いたことがなかった音。
響くはずがない音。
――緊急戦闘配備の、合図だった。
―――――
「――何があった!?」
「――状況は!?」
「――馬鹿な! そんな訳があるか!
もう一度確認しろ!」
ユリヤンが会議室に移動すると、中は騒然としていた。
軍を指揮する立場の貴族たちが皆、真っ赤な顔をして、大声で叫んでいる。
緊急戦闘配備が発令した場合。
兵は直ちに防衛線を敷き、各国の代表はこの場に集まり戦略を論議する。
1000年前から、そのように定められていた。
この場は、この広い要塞都市で最高の意思決定機関。
戦線の命運は全て、この会議にかかっている。
その至高の議事堂に。
怒号、叫声が飛び交っていた。
「皆様、静粛に!」
たまらず、議長が声を上げる。
議長は、四大国家の一つ、シャンパーニ王国の王族である。
この男は、議長という地位を利用して、議決を巧みに誘導し続けてきた。
しかしその男も、ついさっきまで慌てふためいて叫んでいたのだ。
むしろ、その議長の態度が混乱を助長したとすら言える。
言葉の重みは、ゼロに等しかった。
変わらぬ喧噪で、各国の代表は騒ぎ続ける。
代表たちは皆、お抱えの偵察員に怒号を飛ばしていた。
偵察部隊は軍属の機関であり、本来なら代表個人に情報を伝えるものではない。
しかし1000年の間に、軍としての機能は腐敗していた。
自国から派遣した偵察員に、各自が自分を優先して情報を回すよう命じた結果が、この騒ぎだ。
「皆様、静粛に!
静粛に!」
二度目の議長の檄。
あまり効果はない。
しかし大半の者が情報を受け取ったことで、少しずつ場は静まり始めた。
「皆様、お気持ちはわかります!
しかし、我々には時間がありません!
目の前の危機を、いかにして乗り越えるか!
建設的な話をしましょう!」
お抱えの偵察員達が少しずつ退室していき、徐々に、混乱が収束していく。
喧噪は去り。
今度は、通夜のような沈黙がやってきた。
各国の代表たちは、一様に絶望した顔をしている。
警報が鳴った時から、ユリヤンは何が起こったのか、うっすらと勘づいていた。
そして今、彼らの表情を見て、その考えは確信に変わる。
「……改めて、状況をお話します。
魔族が、攻めてきました。
数は、50万。
もう間もなく、この砦へと到来します」
やはりか、とユリヤンはため息を吐く。
誰もが苦悶の表情を浮かべて、押し黙っている。
「対するわが軍は、30万です。
魔術師が10万、戦士が20万。
各々、部隊を指揮していただくことになります。
総指揮は、バルロワ卿が適任かと……」
「う、うむ……」
齢50のロロ=バルロワは、この場で最も身分が高く、戦線の滞在期間も最も長い。
魔族の偵察部隊の相手も、この10年以上バルロワが指揮している。
戦線の代表と言って差し支えない。
総指揮に任命されるのは、彼以外ないだろう。
しかし、本人は自身なさげに、口ごもって頷くだけだ。
かつてない規模の、魔族の侵攻。
そんなものに対処できる自信がある者など、この場にいるはずがない。
そして、対処できなかった場合。
それはすなわち、自分達の死を意味する。
「すでに、兵の配備は完了しています。
普段と同様の布陣に、この都市の全ての戦力を配置しています。
それでは、何か策のある方は挙手をお願いします」
議長は場を見渡すが、誰一人として手を挙げる者はいなかった。
ひたすらに沈黙が続く。
ユリヤンも考えをしぼってみるが、何一つ妙案は出てきはしない。
(……ま、そりゃそうだ)
ユリヤンは心の中でため息を吐く。
兵数何十万という規模の戦だ。
そこで有効な策など、それこそ何年という単位で準備をしておかなければ、機能するはずもない。
魔族との戦争など、絵空事であるかのように。
目をそらし続けていた報いが今、やってきたのだ。
「こんなことなら……」
誰かがぼそりとつぶやいた。
こんなことなら。
こんなことなら、もっと国の予算を戦線に回すべきだった。
もっと、兵の練度を底上げするべきだった。
もっと、備えを講じておくべきっだった。
そんな心中の後悔が、皆の顔に浮かぶ。
しかし、今更何を思っても、過去は変えられない。
すでに賽は投げられてしまった。
迫りくる恐怖に、皆が押し黙っている中で。
スッと。
一人の男が手を挙げた。
ユリヤンだ。
「……お、おお。
アルバーナではないか。
貴殿は軍備の必要性を説いておったな!
先見の明があると認めざるをえまい。
して、何か策があるのか!?」
バルロワが、期待に満ちた声で聞く。
うつむいていたその他の面子も顔を上げ、ユリヤンを見る。
「いえ、ありません。バルロワ卿」
しかし、ユリヤンの返事は期待したものとは違った。
皆がその返事に落胆し。
それなら何故挙手などしたのかと、非難の視線を向ける。
「しかしですね皆さん。
なぜ、そんなに落ち込んでらっしゃるのか。
私には分かりかねます」
ユリヤンが、よく通るはっきりとした声で言った。
「所詮魔族など、取るに足りない下等な生き物だと。
普段から仰っていたではありませんか。
……いえ、私は本心から述べているのです。
数で負けている。
何故その程度のことで、こちらが劣勢だと決めつけているのですか」
聞く者は皆、怪訝そうな顔をユリヤンに向ける。
ユリヤンはなお、堂々と主張を続けた。
「私は今、過去の自分を恥じています。
軍備の増強など、必要なかった。
最近皆様とお話させていただいて、自分の考えの誤りに気付いたのです。
前回の会議で皆様が仰っていたことこそが、まさに正論だったと。
会議で私が言ったことは、的を得ない愚かな意見だったと、考えるようになったのです。」
そこで一拍おき、ゆっくりと周囲を見渡す。
そして、皆の意識が完全に自分に向くのを確認し、言った。
「皆様、たかが魔族です。
歴史上、ヒトの英知の結晶たる魔術に、奴らが抗えた試しはありません。
いつものことではありませんか。
やつらは魔術の威力に恐れをなし、なすすべもなく逃げていく。
……まぁ、今回は数が多い。
たしかに打ち漏れは出るでしょう。
しかしそこで奴らを待ち受けるのは、各国の粋を結集した屈強なる戦士達です。
あのような下等生物など、一刀のもとに叩き伏せることに疑いの余地はないでしょう」
ユリヤンの、毅然とした物言いに。
ほんのわずかに、皆の眼に光がともる。
「具体的なお話をしましょう。
50万の魔族のうち、30万は魔術の弾幕を躱せずに死ぬでしょう。
近づけるのは、20万。
例え数が同じでもこちらが勝つというのに、20万対30万の勝負です。
負ける要素がないではありませんか」
ユリヤンは両手の平を見せ、笑いながら言った。
そんなに、うまくいくわけがない。
多くの者がそう思った。
しかしその反面、気づいた。
そのようにならないという根拠もまた、ないことに。
この場の誰もが、魔族との戦争の経験などないのだ。
しかし普段の戦闘の様子を考えると、こちらが有利に思えなくもない。
皆の腰が引けている最も大きな理由は、「経験したことがない」ということなのだ。
「確かに、かつてない規模の戦闘が予想されます。
しかしそのことで皆様、浮き足立っておられるようだ。
長く戦線にいると、前例のないことがそれほど恐ろしく映るのでしょうか。
私のような新参者には、分かりかねますね。
これから始まるのは、いつもと何の変りもない、ただの狩りですよ。
それとも、まさか本当に、魔族に怯える臆病者しか、この場にはいないということですか?」
ユリヤンは、相変わらず笑みを浮かべたまま。
会議の場ではありえないような暴言を吐いた。
「ふざけるな!」
「若輩が! 調子に乗るな!」
「我らがどれだけの時間、奴らと相対してきたと思っている!」
押し黙っていた面々が、急に騒ぎ出す。
その目には、先程まではなかった闘争心が宿っていた。
「……いいだろう。
いや、貴卿の言う通りだ。
……皆の者。
我らの力、調子に乗った魔族に知らしめてやろうではないか!」
バルロワが叫ぶ。
その顔には、先程までの動揺はなく。
覚悟を決めた表情に変わっていた。
「――魔族を滅ぼすぞ!」
バルロワの雄たけびに。
その場の全員が、大音量の返事で応えた。
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