第100話 力
視界の光が消えると。
眼下には、海が広がっていた。
「え? え? 何よこれ」
「ど、どういうこと?」
クリスとエミリーがへたりこんでいる。
「説明は後だ」
ここは海岸付近の高台。
森の奥に、海を一望できる。
普段なら、青々とした海がどこまでも広がる光景が見えるはずだが。
「嘘、でしょ」
「……これほどの数とは」
海は、黒く染まっていた。
蟻の群れのようなその一粒一粒。
それら全てが、圧倒的な力を秘めた魔族なのだ。
何十万もの魔族が、木でできたイカダに乗って、こちらに向かってきている。
魔族がオールを漕ぐ姿。
余裕があれば滑稽にも映るだろうが、今はそんな感情は1ミリも沸かない。
ただただ、戦慄する。
それらは全て、俺達を滅ぼすために行われているのだ。
おおよそ似つかわしくないその行動も。
大量に作られたイカダも。
これだけの数を統制する労力も。
全ては、ヒトを滅ぼすという目的に繋がっている。
「クリス、できるだけ遠くまで、気配の探知を頼む。
エミリー、俺の打ち漏れを見つけたら、魔術をよろしく」
だがこれは。
間違いなく、好機だ。
千載一遇、空前絶後の、大チャンスだ。
なぜなら――。
「原初の火。暗がりを照らすもの。
三つ時の呼び声。彼方より響く」
俺は、杖に魔力を込めていく。
遥か遠くの星の、膨大な魔力。
それを、惜しみなく引きずり出す。
「方角は東。虚空より歩みし時の番人。
その城壁は高く、高く」
今の様子なら、魔族が海岸に着くまでまだ時間はかかるだろう。
魔族はどうやら、空を飛んでこちらに来ることはできないようだ。
「頂きを目指す王。
その翼は燃え炭になろうとも」
……だとすれば、殺せる。
今、このタイミングなら。
奴らを全て、滅ぼすことができる。
「その志は遠く、遠く。
約束の地にて再び見えん」
――俺はそのために、『力』を手にしたのだから。
「――エインシェント・ノヴァ」
唱えた瞬間。
俺の杖から、一条の光芒が魔族へと向かって走った。
眼下の海を切り裂くように、一直線に飛んでいく。
その光は、1秒もしないうちに、魔族の群れに着弾した。
――そこから。
網膜を焼くような、閃光が咲いた。
「うっ!」
「きゃっ!」
エミリーとクリスが反射的に目を閉じる。
直後。
発光する火球が生じ、瞬く間に。
それは街を一つ包める程の大きさに成長した。
視界が紅に染まる。
魔族が、朱色に溶けて飲み込まれていく。
数瞬遅れて、爆音が響いた。
花火のように、音が遅れてやってきた。
鼓膜が破れそうな、その音が去った後。
次は叩きつけるような熱風が、こちらに向かってきた。
「つかまれ!」
クリスが伸ばした手をつかむ。
吹き飛ばされないように、固まって熱風をやり過ごす。
熱風が過ぎたら、今度は津波だ。
その凄まじいエネルギーに、海岸に生える木々がなぎ倒されていく。
俺達は高台にいるから影響はないが、海岸のかなりの部分が水に浸かってしまった。
それらが過ぎ去って。
ようやく魔族の方を見る。
俺が魔術を放った一帯は、大量の水蒸気で何も見えなくなっていた。
霧のなかに、魔族達の声だけが響いている。
焦ったような声。
声が混ざって内容は判別できないが、相変わらず不快な響きだ。
「クリス、魔族の気配は?」
「え? え?
えっと……あ、ああ!
い、今のでかなりの数を減らせたようだ。
だが、まだ数万体は残っている」
「陸に近いやつはいないか?」
「だ、大丈夫だ」
思わず、笑みがこぼれる。
想定の範囲内。
むしろ、状況は最高に近い。
……お前らに滅ぼされた、ヴィルガイアの魔術。
とくと味わうがいい。
「悠久の時を刻む理。其の根源は静止。
方角は北。
果てなき空をも覆いつくし。
白き山脈の巨人のもとへ」
さらに唱えるのは、水聖級魔術。
水の名がつくが、その本質は冷却。
大量の水蒸気や海水が、その伝達を早めてくれるはずだ。
この状況なら、水に触れていないやつはいないだろう。
「遥かに刻む文言は朽ち。
遥かに交わす契りは絶えようと。
頂はなお、我が元に」
最後の一小節。
万感を込めて唱える。
「――フリージング・エア」
キンッと。
空間が隔たる音がした。
魔術を放った領域と、それ以外に。
杖から発した冷気が、前方に急速に広がっていく。
分子の振動を即座に静止し、体積さえも奪いながら。
窒素、酸素、水蒸気、その他。
空気中に含まれる全てが、瞬時に凝固して固体へと変わる。
一拍置いて、周囲の空気が真空の空間へと流れ込む。
それは激しい風を引き起こした。
さっきとは逆に、吸い込まれるような風。
再度、クリスに捕まってやり過ごす。
その烈風が過ぎ去った後。
波立つ海は、その形のままに氷塊と化していた。
木も、砂も、水も、空気さえも。
あらゆるものが凍りついた、灰白の世界。
そこに、動く者はなくなった。
「クリス、どうだ?」
「…………」
「……クリス?」
クリスを見ると、ようやく我に返ったように答えた。
「……あ、ああっ!
魔族だな。
先程まで感じていた気配は、全てなくなった。
全滅した、と見ていいと思う」
……よし。
ホッと息を吐いた。
ギリギリで間に合った。
もしも陸で戦ったら、詠唱する暇などなかっただろう。
万どころか、百体の魔族ですら絶望的だ。
そうなれば、俺達に――ヒトに、勝ち目はなかったかもしれない。
大陸の東側の国々は、魔族の奇襲で壊滅的な被害を受けただろう。
海は彼方まで凍りつき。
木は風でなぎ倒され。
氷から木が生える景色になってしまったが。
目的は果たせた。
「間に合ってよかった。
クリスが気づいてくれたお陰だ。
助かったよ」
そう言ってクリスを見ると、なんとも言えない表情をしていた。
「エミリーもありがとう。
俺に、命を預けてくれて。
エミリーがいてくれたから、冷静でいられた」
エミリーを見ると、なんとも言えない表情をしていた。
「…………」
「…………」
二人はその表情のまま、固まってしまった。
「…………どうかしたか?」
たまらず、聞いてしまった。
それが失敗だったのだろうか。
二人の顔が、みるみる感情を取り戻していく。
一瞬の静寂ののち。
――左右から、けたたましい声が俺の耳を貫いた。
「……『どうかしたか?』じゃ、ないわよこのバカ!!」
「ハジメのオタンコナス! 無口! 陰キャラ!」
「そんな魔術が使えるなら、言っときなさいよ!」
「そうだ! 私達がどれだけ絶望したと思ってるんだ!」
「私、死ぬのは確定だと思ったわよ!
どれだけの魔族を道連れにできるか、そんなことしか考えてなかったわよ!」
「私も、二人が死ぬのを一秒でも遅らせることしか考えてなかった!
選べるのは、死ぬ順番だけだと思っていたぞ!」
「バカ! 根暗! カメムシ!」
「鈍感! 朴念仁!」
「――やかましいっ!」
……なんだこいつら。
なんでこんなに言われなきゃならんのだ。
だって、説明する暇はなかっただろ。
魔族が陸に上がったらアウトな状況だったんだから。
むしろ、俺の迅速な作戦行動を褒めてほしい。
「いいじゃねーか、魔族は全部倒せたんだから」
「「よくない!」」
二人が声をそろえて言う。
まだ不満らしい。
やれやれだ。
嘆息しながら、自分の発言の違和感に気付いた。
――全部?
果たして侵攻してきた魔族は、今ので全部なのだろうか。
確かに圧倒的な数だった。
だが、海を越えての侵攻に、戦力の全てを割くなんてことがあるだろうか。
仮にこの襲撃が成功したとしたら、ヒトは西に逃げるだろう。
その結果、仮に防衛線をヒトが突破したなら、逆に魔族の領土を占領できることになる。
それでは本末転倒だ。
つまり、西の大陸には、まだ相当数の魔族がいるはずだ。
そして、もし俺が敵の指揮官なら。
海越えの侵略に、ヒトが混乱した矢先を狙うだろう。
防衛線で後ろを気にしたら、それは大きな不利になる。
そこを突いて、防衛線に攻めこみ、突破すれば。
完全な挟撃となって、魔族の勝利が濃厚になる。
「――まずい」
一応すでに、挟撃を阻止することには成功した。
だが、仮に今のと同じ戦力が西にいるとしたら。
……あれだけの数だ。
防衛線を突破されてもおかしくない。
そうなれば、相当な数の犠牲者が出る。
「クリス、エミリー!」
「「はい!」」
その返事に、ちょっと面食らった。
二人を見ると、やや硬い表情でこっちを見ている。
蛇に睨まれたカエルを、少しだけ思わせる表情だ。
なんか、ビビってる?
……まぁいいか。
そっちの方がやりやすい。
「俺は今から、大陸間の防衛線に向かう!」
「「えっ!?」」
「しばらくしたら、魔族がそっちからも攻めてくる可能性が高い。
それを迎え撃つ!」
「「ええっ!?」」
……なんか、二人の返事がすごいシンクロしてる。
「だから、ここで別れよう。
あれだけ戦力を削いだんだ。
さすがに正面から戦えば、最終的にはヒトが勝つだろう。
ここは戦端から最も離れてるし、安全だ。
わざわざ危険な場所に赴くことはない」
できるだけ冷静に、見解を伝える。
妙なテンションだった二人も少し落ち着いて、考える仕草を見せ始めた。
「俺は魔族を許せないし、俺の目的は奴等を滅ぼすことだ。
だから、この機会に全てを終わらせようと思ってる。
付け加えるなら、友達を一人、援護をしてやろうってとこか。
つまり、俺には目的がある。
だから、自分の命を危険に晒す」
……そう。
ここで全てを終わらせる。
「でもそれは、二人には関係のないことだ。
あの魔族の大群と陸で戦えば、相当な苦戦を強いられるだろう。
死者も多く出るはずだ。
自分の命がなくなっても、全然おかしくない」
恐らく、かつてない規模の侵攻になるはずだ。
それに参戦するのは、エルフの里を目指す旅より遥かに危険だ。
「だから、俺一人で向かう。
……いいな?」
散々巻き込んでおいてなんだが。
二人には、できれば安全なところにいてほしい。
今回は仕方なかった。
転移するまで状況が分からなかったし、他に戦力がいなかったし、とにかく時間がなかった。
だが、次は違う。
戦線には、手練れの剣士や魔術師が山程いるはずだ。
それなら二人くらい、いてもいなくても変わらないだろう。
「ダメよ」
「ダメだな」
え?
聞き間違いかな?
「まるでダメね、ハジメ。
不正解よ」
たしなめるような口調で、エミリーは言った。
まるで、魔術学院に戻ったかのようだ。
さっきビビってるように見えたのは、見間違えだったのか?
「何が、二人には関係ないこと、よ。
関係あるに決まってるじゃない」
いや、そんなことないだろ。
少なくとも俺には、思いつかない。
「ハジメ」
クリスもまた、とがめるような口調で俺の名を呼んだ。
「私達だって、守りたい人がいるんだ。
私にとっては、アルバーナに住む家族がそうだ。
ハジメはヒトが勝つと予想しているみたいだが、それは所詮推測でしかないだろう?
例え微力でも、私は大切な人を守るために戦いたい」
真っ直ぐな眼差しで言う。
確かにそう言われると、関係なくもないか。
「それに友達ってユリヤン殿下のことでしょう?
私達だって、一緒にお酒を飲んだ仲よ。
私は、殿下を友人だと思っている。
友人を助けたいと思うのは、当たり前でしょう」
今度はエミリーが、また一つ理由を付け加える。
まぁ、その通りだ。
「……そして、一番間違っていること」
エミリーが言う。
俺への不満が、ありありと浮かんだ顔をしている。
クリスも同じような表情で、その言葉を引き継いだ。
「それは、私達がどれだけハジメのことを大切に思っているか、全く理解していないことだ」
二人して、俺をにらみつけてくる。
「ここでハジメ一人で行かせて、ハジメが帰ってこなかったら。
私達は一生、その後悔を背負って生きることになる。
そんなことは断じて、受け入れられない」
「あなたが私達をどう思ってるのか知らないけどね。
もう私達にとってあなたは、世界で一番大切な存在なの。
それをもっと自覚して、私達に心配をかけないように振る舞いなさい」
二人が真面目な顔で、そんなことを言ってくる。
その言葉は、すごく嬉しい。
本当に嬉しい。
嬉しいが。
「でも、俺にとってもお前らは、世界で一番大切な存在なんだ。
もしも魔族に殺されたりしたら、俺は耐えられない。
頼むから、おとなしくここで待っててくれないか?」
「いやだ」
「いやよ」
即答かい。
「ハジメが心配してくれるのは嬉しい。
だが、ここで指を咥えて待っていることはできない」
「そんなに心配してくれるなら、あなたが私達を守って。
私達も、あなたを守るから。
それが
しばし、二人とにらみ合う。
しかしどっちに目を向けても、全く目を逸らさずにらみ返してくる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………はぁ」
ため息が出た。
この二人、テコでも意見を変えそうにない。
「分かったよ。
……3人で向かうことにしよう」
結局、俺が根負けする形で。
3人で、戦線へと向かうことにした。
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