第101話 ユリヤンの懸念

 大陸の西端。

 戦線という、どの国の領土でもない土地。

 魔族との戦いのためだけに存在する、広大な都市、巨大な城塞。

 一つの国家として成立する大きさの都市の西側に、高い二重の城壁を備えた要塞が構えている。


 その要塞の中には、兵士のための部屋が何千と存在する。

 そのうちの、高級な部類の一室。

 そのソファに座って、ユリヤンはため息を吐いた。


 ――何かが、おかしい。


 ここに来た当初、ユリヤンはのんびりと生活していた。

 魔族はこの500年、一度も攻めてきたことはない。

 侵攻のない砦でやることなど、暇つぶしの他にないだろう。

 そんな考えのもと、酒と女に興じる日々を送っていた。


 しかし実際には。

 聞いた話と、少しだけ違っていた。

 魔族は、やってくるのだ。

 2年に1度ほどの頻度で。

 ただそれが、十体にも満たない数で、こちらが攻撃するとすぐに逃げていく、戦闘とも呼べない小規模なやりとりであったために、その事実はあまり広まっていなかった。


 初めてそれを聞いた時は、気にも止めなかった。

 魔族にも、好奇心旺盛なやつがいるんだろう。

 知らない世界があったら、覗いてみたくなるんだろう。

 そんな解釈をしていた。


 しかし先月。

 その戦闘に、ユリヤンは初めて参加した。

 どうせすぐに逃げていくと、周囲の者が揶揄する中で。

 その日ユリヤンは生まれて初めて、魔族という存在と邂逅した。


 それは筆舌しがたい、邪悪さを放つ存在だった。

 遠目からでも、生理的な嫌悪感が沸き立った。

 魔術師達も同様なのか。

 壁上から、過剰とも言える魔術が放たれた。


 事実、魔族はすぐに退却した。

 城壁の上にずらりと並んだ魔術師たちが、それぞれ数発の魔術を放っただけで、戦闘は終わった。

 いつも通りだったなと。

 魔族など恐るるに足らんと。

 周囲の者は笑っていた。


 そんな中。

 ユリヤンの心には、強烈な疑念が生まれていた。


 おかしい。

 各国の精鋭の魔術師が、一斉に放つ魔術。

 それらはユリヤンの見てきた中でも最高のものだった。

 上級魔術。

 間違いなく、ヒトの最高峰であるはずだ。


 その魔術を。

 その魔術を、奴らは


 土煙の中で、かすかに見えた魔族の動き。

 それは明らかに、こちらの戦士の平均値よりも上だった。

 恐らく、魔術に被弾して死んだ者はいないだろう。

 もちろん、かなりの遠距離なので、着弾までの猶予は長い。

 しかしそれを差し引いても、その素早さは脅威に映った。


 なぜ、定期的に少数で攻めてくるのか。

 なぜ、それだけの能力を持ちながら、すぐに撤退していくのか。


 ……こいつらはもしかして、大規模な侵攻の機会を窺っているんじゃないか?

 定期的に攻めてくるのは、魔術の威力を測るためなんじゃないか?

 そんな懸念が、ユリヤンの頭に生まれた。


 遥か昔、ヒトは魔族に滅ぼされかけた。

 しかしギリギリのところで踏みとどまり、なんとか現在の形に持ち込んだ。


 時間が経ちすぎて、正確な記録は残っていないが。

 ヒトが盛り返せた理由は、魔族の数が少なかったからだと言われている。

 魔族が、ヒトを駆逐するよりも速く。

 ヒトは魔術を進歩させ、魔族と渡り合えるようになった。


 しかし、魔族が大規模な侵攻をやめて1000年。

 ヒトが、ヒト同士で争っていたその期間に。

 息をひそめていた魔族が、その数を増やすことに専念していたとしたら。

 そして。

 ヒトを滅亡させる機会を、今も虎視眈々と狙っているとしたら。


 ――戦場での魔族の行動にも、説明がついてしまう。


「…………は」


 ユリヤンは再度ため息を吐き、グラスに酒を注ぐ。


 ここでは月に一度、会議が行われている。

 各国の代表が方針を話し合う、重要な場。

 ユリヤンも、アルバーナの代表として出席している。


 初めての魔族との戦闘を終えた、次の会議。

 ユリヤンは訴えた。

 戦闘での動きを見る限り。

 やつらの一個一個に、相当な戦闘力がある。

 もしも大規模な侵攻を受けた場合、防衛線を守れないかもしれない。


 戦線の軍事力は、緩やかな右肩下りをたどっている。

 当初は各国の戦力の半分を、戦線に回すことが義務だった。

 しかしその基準は年々低下して、今では4分の1にも満たない。


 それではまずい。

 いつか魔族が攻めてきた時に、防衛できない、と。

 ユリヤンは真摯に訴えた。


 しかしそれに対する参加者の反応は、散々なものであった。

 大半の者は、その意見を取るに足らぬものと侮った。


 戦力は十分あり、攻め込まれても問題なく勝てる。

 事実、奴らは我々の魔術に対抗できず、逃げることしかできない。

 新参者が口を挟むな。

 臆病風に吹かれたなら、荷物をまとめて祖国へ帰れ。

 そんな、ユリヤンを否定する主張で、会議は溢れかえった。


 ……皆、経験からくる思い込みに支配されている。

 ユリヤンはそう感じた。

 ヒトの一生は短い。

 10年、20年続いてきた出来事なら、永劫続くと思うには十分だ。

 ましてやそれが、1000年。

 長く戦線にいる者ほど、魔族が攻めてくることを絵空事と考えるようになっていた。


 そしてそのような者ほど、この場での発言力は高い。

 地位を利用して安寧を得る事に慣れきってしまって、ひたすらに保守的。

 ユリヤンにとっては、不都合極まりない。

 とはいえ彼らとて、悪人というわけではない。

 年月というのは、ヒトの考え方を支配してしまうものなのだろう。


 一応、ユリヤンの意見に耳を傾ける者も、少なからず存在した。

 しかしその者達も、具体的な戦力増強の話には口を閉ざす。

 金がかかるからだ。

 それは、自国の防衛力を下げる事に繋がってしまう。

 結果として、ユリヤンの意見に賛同する者は、ゼロだった。



 グラスを口に運びながら、ユリヤンは思う。


 確かに、この1000年変わらなかったことだ。

 魔族とは相容れないが、干渉しない。

 それが正しいという空気が流れている。


 だが。

 それはこっちが勝手に思っていることだ。

 やつらがどう思っているかなんて、分かりはしない。

 有史以来、西の大陸に足を踏み入れて、生きて戻ったヒトはいない。

 やつらのことなど、自分達は何一つわかっていないのだ。


 それならば、せめて備えておく必要があるだろうに。

 ――慣れと馴れ。

 それらは本当に、思考を鈍らせてしまう。

 だがユリヤンでさえ、10年後はどう考えているか分かりはしない。

 そんなヒトの愚かさに、諦念を覚える。

 だがそれこそが、ヒトなのだろう。


「……まぁ、どうにもならんな」


 ゴクリと酒を飲み、ユリヤンは一人、目を閉じた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る