第99話 襲来

 ――それは、いつも通りの朝だった。


 たわいない事を話しながら。

 ニーナとシータと、朝食を食べていた時。


 突如、玄関の呼び鈴がけたたましく鳴った。


「わっ、誰だろ、こんな時間に」


 ニーナが驚いて席を立とうとする。


「俺が行くよ」


 それを遮って、自分で行くことにした。

 なぜそうしたのかと言えば、特に理由はない。

 なんとなくだ。


 玄関を開けると、クリスがいた。


「どうしたんだ、クリス?

 そんなに慌てて」


 恐らく全速力で走ってきたのだろう。

 クリスはうつむき、膝に手をつき、肩で息をしている。


「ハジメ、聞いてくれ!」

「なんだ?」


 クリスが顔を上げて、言った。


「魔族が、攻めてきている!」


 その言葉を、今一つ理解ができなかった。

 耳には入るが、頭には入ってこない。

 魔族が? どこから? どうやって?


「……どういうことだ?」

「私にも、詳しくは分からない。

 朝起きたら、魔族の気配がしたんだ。

 こちらに向かってきている」


 息をきらしながら、クリスが必死に説明する。


「ここに、攻めてきてるのか?」

「そうだと思う。とにかく、こちらへと接近している」

「数は?」

「……数えきれないほど、多い。

 おそらく、10万以上」

「…………は?」


 ――馬鹿な。

 なんだってそんな数の魔族がいきなり。

 こんな大陸の東の端に。


「どういうことだ?

 防衛線が、ずいぶん前に突破されたってことか?」


 だとしたら。

 状況は、絶望的だ。

 西からやってきた魔族が、東の端に大挙してやってきている。

 ということは、大陸の大半が、魔族の手に堕ちたということだ。


「いや、恐らく違う」

「なぜ?」

「魔族が向かってきているのが、東からだからだ」

「……は?

 待て待て。

 ここが、大陸の東端なんだ。

 それより東ってことは……つまり、海を渡って来てるってことか?」

「気配からすると、そういうことになる」


 魔族が海を渡ってくる?

 そんな馬鹿な……。


 ――いや。

 そうか。

 そういうことだったのか。


 1000年前に突如として現れ、ヴィルガイアを滅ぼした魔族。

 そのからくりは、そこにあったのだ。

 ここは二次元の異世界なんかじゃない。

 地球と同様に、宇宙に存在する星の一つなんだ。


 思考の中で前提として当然になっていて、失念していた。

 星は丸い。

 丸いのなら、西に進めば東にたどり着く。

 思った以上に、大陸同士は近かったのか。


「……クリス、すぐに戦闘の準備だ。

 魔族を迎え撃つぞ」

「分かった!」


 クリスと別れ。

 急いで部屋に戻り、ローブを着込み、杖を持つ。


「――あれ? 

 ハジメ、どこか行くの?」


 ニーナがダイニングから顔を出した。


「ああ、ちょっと用事ができてな。

 ちょっと遅くなるかもしれない」

「そう。いってらっしゃい」

「いってきます」


 手を振るニーナを見ながら。

 焦りを表に出さないように答える。


 数えきれないほどの魔族。

 そんなものがここに来たら。


 脳裏に浮かんだのは、魔族の大群に襲われる村。

 逃げ惑う人。

 焼ける家。

 殺した人間をむさぼる魔族。

 その中に、無惨なニーナとシータの姿がある。


 ――そんなことになって、たまるか。

 ここは俺の故郷だ。

 何が何でも、守り抜く。


「――ハジメ! 待たせた!」


 クリスがエミリーを背負って、猛スピードで駆けつけた。

 クリスは鎧。

 エミリーはローブ。

 それぞれ剣と杖を持って、臨戦態勢だ。


「クリス、今やつらの位置はどうなってる?」

「さっきから、少しずつ進んでいる。

 まだ、陸に到達してはないと思うが……」


 よし。

 やつらも、海上ではそう素早く動けるわけではないらしい。

 飛んできているわけではなく、泳いでいるのかもしれない。


 俺は、杖の先端を地面につけ、溝を掘る。


「……でも、どうやって迎え撃つの?

 戦力差は絶望的よ。

 私達だけで、食い止められるわけはないわ。

 それなら、近隣の街に避難を促した方がいいんじゃないの?」


 エミリーは冷静だ。

 冷静に、これが絶望的な状況だと認識している。

 エルフの里で、たった一体の魔族を倒すことすら、俺達にはギリギリだったんだ。

 そんなのが大勢で攻めてきたってんじゃ、なす術ないと思うのが普通だろう。


「いや、避難を促したところで、逃げ場なんてないんだ。

 過去1000年以上存在しない、大規模な侵攻だ。

 やつら、ヒトを根絶やしにする気で攻めてきてるんだろう。

 遅かれ早かれ、見つかって食われるのがオチだ」


 エミリーの案は却下だ。

 俺はガリガリと、地面の溝を掘り続ける。


「じゃあ、クレタの街に、応援を呼びに行くとかか?

 自警団とか、憲兵とかといっしょに戦うのか?」


 今度はクリスが言う。

 確かに、逃げないなら次はその案だろう。

 圧倒的な数に対して、数をそろえずに勝てるわけがない。

 だが。


「それもダメだろう。

 事情を説明してる間に食いつかれる。

 それに、仮に街の戦力が集められても、魔族に歯が立たない。

 死ぬのが少し早まるだけだ」


 ――よし。完成した。

 土の上に描いたのは、魔方陣。


「……じゃあ、どうするの?」


 顔を上げると、不安そうな二人がいた。


「実はな、二人とも。

 俺は今の状況を、チャンスだと思ってる。

 それも千載一遇の、ビッグチャンスだ」


 声ははっきりと。

 口元には笑みを浮かべて。

 できるだけ、自信満々に聞こえるように、二人に言う。


「……今、この瞬間なら。

 海の上にいるやつらを、一網打尽にできるかもしれない」


 二人はあっけにとられた顔で、俺を見ていた。


「……だから頼む。

 時間がない。

 二人とも、俺に命を預けてくれないか?」


 杖に、魔力を込める。

 地面に描いた魔法陣が、淡く光り始めた。


「……ハジメが、何を考えてるのか分からないわ」

「……私も、ハジメの言っていることは理解できない」


 二人が言う。


「でも、いいわ。私はハジメを信じる。

 あなたに私の命をあげる。

 好きに使いなさい!」 

「私もだ。

 もとより、ハジメに救われた命。

 ハジメのために使う事に、ためらいなどない!」


 二人は、決然とした口調で、そう言ってくれた。


「ありがとう、二人とも」


 二人のその言葉を聞いて、さらに魔力を込める。

 光は徐々に強まり、視界が白く染まる。


「――え? 何よこれ」

「――ちょっと待って。ハジメ」


 二人がわめくが、聞く耳は持たない。


 ――光を放つ魔法陣は、俺達を海岸へと転移させた。




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