第19話 旅立ち


<ニーナ視点>


 明日はとうとう、ハジメがこの家を出ていく日になってしまった。


 ハジメが来てから楽しいことばかりだった。


 誕生日を祝ってくれたり、次の年からはハジメの分も一緒に祝ったり。

 やめてた魔術の勉強を始めて、魔術が使えるようになったり。

 お母さんに教えてもらって、少しずつ服が作れるようになったり。

 旅行に行って、馬に乗ったり、お酒を飲んだり、家族みんなで一緒に寝たり。


 少しずつ、私は変化していって、隣にはいつもハジメがいた。

 ハジメが近くにいてくれると、安心する。

 ハジメと一緒に何かをすると、楽しい。


 ハジメと出会ってから、私は自分の気持ちが分からなかった。

 これが恋というものなのかな、と思っていた。

 でも、なんだか違うような気もしていた。

 話に聞く恋というものより、ハジメといる時間は、ずっと優しいもののように感じた。


 恋というのは。

 緊張したり、不安になったり。

 気分が高まったり、落ち込んだりするものだという。

 ハジメといても、そんな浮き沈みとは無縁だ。

 ハジメといると、安らぐのだ。


 旅行をして、お母さんから話を聞いた時、その気持ちの正体に気づいた。


 恐らく、私はハジメに、兄の影を見ていたのだ。


 物心ついたときから、私には喪失感があった。

 それが喪失感と呼ぶものだと、分かったのは最近だけど。

 ひとりでいると、何かが欠けているような感じがした。

 お母さんとふたりでいても、それは埋まらなかった。

 ハジメと過ごして、初めてそれが埋まった気がしたのだ。

 


 だから、ハジメが出ていくとお母さんから聞いた時。

 私は何も考えられなくなるくらい、ショックだった。


 お母さんには、「笑って見送ってあげな」と言われた。

 無理だと思った。

 ハジメがいなくなっちゃったら、不安だ。怖い。

 そう思っていた。

 夜の広場でハジメと話してからも、それしか考えられなかった。


 ……でも、違う。

 もうとっくに、私の欠片は、ハジメが埋めてくれた。

 ずっと考えて、ようやく、それをはっきり自覚した。

 もう、私は大丈夫なんだ。


 今度は、ハジメが、自分の欠片を埋めに行くんだ。

 私にできるか分からないけど、笑って見送ってあげよう。

 そう、決意することができた。


 旅立ちのお祝いに、服を織った。

 お母さんのと比べたら、出来が悪くて申し訳ないけど。

 でも、どうか許してほしい。

 ……心だけは、こもってるから。




 ―――――




<ハジメ視点>


 ついに、出発の日になった。


 この部屋ともお別れかと思うと、名残惜しい。

 そういえば最初に着ていたTシャツとジャージは、タンスの奥にしまってあるままだ。

 こちらの世界にはないものだ。

 持っていったらなにか資料になるだろうか。


 そう考えたが、やめた。

 荷物は最小限が望ましいだろう。


 最後に、村を1周見て回った。

 もうお別れかと思うと、あちこちで思い出がよみがえってくる。

 いや、またきっとここに帰ってこよう。


 いつものように、牛乳と卵を手に入れて家に戻ると。

 シータが料理を作りながら待っていた。


「おはよう。今日の卵は3個だったよ」

「そう。ご苦労様。じゃあ今日も、ハムエッグにしようかね」

「ニーナは?」

「まだ部屋から出てきてないよ。

 でも物音はしたから、起きてると思うけど。

 最後だから、もしかしたらハジメに起こされたがってるのかもね」


 シータが料理を作りながら、苦笑した。

 それを聞いて、俺はニーナの部屋に向かう。


 どんどん。


「朝だぞー、起きろー」


 すぐにドアが開いた。


「おはようニーナ」

「おはよう、ハジメ」


 ニーナは顔も洗って、着替えも済んでいた。


「今日は早起きだったみたいだな」

「さぁ、何のことかしら」


 ニーナがとぼけて言う。


「まぁいいさ。朝ごはんにしよう」

「うん」


 今日の朝食は、カシルスの葉のサラダ、ハムエッグ、パン、カシーだ。

 なんだか言葉が出てこずに、黙々と食べた。


 片づけを済ませ、部屋に戻る。


 ローブに袖を通し、リュックを背負い、杖を持った。


 玄関に行くと、ふたりが待っていた。

 見送りをしてくれるという。


 村の門まで、一緒に歩く。

 20分ほど、他愛ないことを話しながら歩いた。


 門をくぐると、ふたりは立ち止った。

 門の前で立つふたり。

 この光景を目に焼き付けたいと思った。


 少しの間、皆黙って見つめ合った。

 そして。


「……気をつけてね」


 ニーナが言う。


「せいいっぱい、頑張りなさい」


 シータが言う。


「うん。

 今まで、ありがとう。

 ――行ってきます!」


 俺はそう言って、歩き始めた。




 -----





<シータ視点>


 ハジメは歩いて行った。

 私達はその姿が見えなくなるまで、見送った。

 ハジメが歩いていく姿を見ながら、ニーナは泣いていた。

 私が言ったからか、今日はハジメの前では笑顔を作っていた。


 優しい子に育ってくれた。


「ニーナ、あなた、ついていかなくてよかったの?」


 ダメな母親だ。

 ハジメが去ってからそんなことを言う。

 もしもニーナがついていきたいと言うなら、反対するつもりはなかった。


 しかし本当は、ニーナも一緒に行ってしまうことが、怖かった。

 あの村でひとりになるのは、寂しかった。

 そしてその選択肢を与えてしまえば、ニーナがそちらを選んでしまう気がして、言わなかったのだ。


 そういえば、昔ニーナが魔術を覚えようとしたときもそうだった。

 魔術を使えるようになったら、この子が遠くに行ってしまうような気がした。

 口に出してはいないものの、もしかしたら伝わってしまったのかもしれない。


 ダメな母親だ。


「いいの」


 私の考えを見すかしたかのように、ニーナは力強く言った。


「私はね、お母さん。

 お母さんから教えてほしいことが、まだまだたくさんある。

 それに私、お母さんのこと、大好きなの。

 だからね、私は大人になるまでもう少し、お母さんと一緒に暮らしたい」


 そんなことを言ってくれた。

 思わず、ニーナを抱きしめた。



 

 ――ハジメ。

 つらいこと、苦しいこと、たくさんあるだろうけど、挫けずに頑張れば、きっといいことがあるよ。


 私達はこの村で、あなたの帰りを待ってる。

 少なくとも、ニーナが大人になるまでは。


 だからあなたも、必ず、帰ってきなさいね。

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