第18話 前夜
旅行から帰ってきたあの日から。
俺は仕事を新しく入れることをやめた。
何度か街に出かけ、旅に必要な道具を揃えた。
本と地図を買い、旅についての知識を得た。
荷物は多くなると思ったが、案外少なくて済んだ。
俺には水も、火起こしの道具も必要ない。
魔術というのは本当に便利だ。
最近、威力を弱めることができるようになった。
もう、意図せずに馬鹿でかい火の玉を作ることはない。
杖があればもっと調整が楽になるらしいが、道具を買い揃えた残金では、値段が高くて手がでなかった。
旅の目的は、俺がこの世界にやってきた理由を知ることだ。
その答えがこの世界にあるのかも分からないが。
とにかく俺は知りたい。
そのためには、行動を起こすしかない。
発展した都市に行けば、もしかしたら人を転移させる魔術なんてものも、あるのかもしれない。
そういう手がかりを、探しに行く。
気がかりなのは、ニーナのことだ。
実はニーナには、旅に出ることを伝えられていない。
シータが伝えると言ってくれたので、それに任せている状態だ。
俺から言うのはハードルが高かった。
もし泣き顔のニーナに引き止められでもしたら、決意が揺らいでしまうかもしれない。
もう少しだけここにいよう、と先延ばしにして、結局旅立てない気がする。
それが怖かった。
彼女達には、本当に色々なものをもらった。
こんなにも暖かくて幸せな生活は、生まれて初めてだった。
旅に満足する結果が得られたら、またここに帰ってきたい。
また一緒に暮らしたい。
手前勝手な話だが。
そう思わずにはいられない。
―――――
「ねぇ、ハジメ」
「うん?」
夜、広場で魔術の練習をしていたら、ニーナが話しかけてきた。
「……どこかに行っちゃうの?」
ニーナを見ると、いつもの快活さは影をひそめ、不安げな顔をしていた。
恐らくシータが話したのだろう。
「ああ。旅に出る。10日後には、出発するつもりだ」
その言葉に、ニーナは目を伏せた。
「……どうして?」
ニーナの声が震えている。
それに気づいて、心が揺れてしまう。
「俺は、自分のことが何も分からないんだ。
自分が何者なのか、なぜこの世界にやってきたのか。
理由があるのか分からないし、それが見つかるかも分からないけど、俺はそれを探したいんだ。
ニーナとシータには、本当に感謝してる。
家族だって言ってくれて、本当にうれしかった。
俺も、家族だと思ってる。
ここが、生まれて初めてできた、俺の居場所だ。
このままここにいて、3人で過ごせたら幸せだと思う。
だけど、ダメなんだ。
俺の中に、いつも不安があるんだ。
明日になったら、自分がいなくなってるんじゃないか、世界が変わってしまってるんじゃないかって、いつも眠るときには思う。
日常の中で、そんな考えが、頭から離れないんだ。
それを解決するには、ここに来た理由を探すしかないと思うんだ」
俺は言おうと思っていたことを、矢継ぎ早にまくしたてた。
自分の心の揺れが大きくなる前に、ニーナに伝えようと思ったのだ。
ニーナは相変わらず、目を伏せていた。
「……それって、どうしてもしなきゃいけないの?」
目を伏せたままニーナが言う。
「ああ、そう思う」
「……そっか」
ニーナはそう言うと、そのまま広場を去っていった。
俺はしばらくその場に座り込んだあと、また立ち上がり、魔術の練習を再開した。
その日以降、ニーナは魔術の練習に来なくなった。
―――――
出発の前日になった。
もう準備は全て整った。
荷物は全てリュック1つに収まった。
それほど重くもない。
保存食、地図、ロープ、着替え、防寒具、雨具、サイフなんかが入っている。
靴は長時間の移動に耐えられる丈夫なものを買った。
ナイフも購入し、ケースに入れて腰に巻いた。
「よし」
準備が抜かりないことを確認したところで。
トントン、とノックの音が聞こえた。
「ハジメ、ご飯できたよ」
「わかった。今行く」
これがこの家での、最後の夕食だ。
台所に入ると、シータとニーナは席についていた。
シータは向かい側、ニーナは俺の隣。
いつも通りの食事風景。
だがテーブルの上には、普段よりかなり手の込んだ、豪華な料理がある。
「私とお母さんで作ったんだ」
ニーナが少しだけ、自慢げに言う。
「ありがとう。頂くよ」
料理を食べるうちに、この家での出来事がいろいろと思い出されてきた。
懐かしさが胸にあふれてくる。
ニーナも同じだったのか、えらく昔の話をはじめた。
「ね、そういえばさ、初めてこの家にハジメが来たとき、全然しゃべらなかったよね。
言葉が通じなくてさ。私ばっかりしゃべってた」
「そうだったな。おかげさまで、今はこの通りペラペラだ」
「その後は、カシルスの糸を作ってもらってたっけ。
あの時、お母さんがケガしてたもんね」
「ああ、最近全然作ってないな。今でもできると思うけど」
「いいよ。ハジメの作った糸、線維がぼさぼさだもん」
「えっ、そうなのか。割と自信持ってたんだが……」
「うん、あんまりひどいのは、こっそり私直してたんだよ」
「そりゃすまなかったな」
「いいよ。ハジメのおかげで魔術も使えるようになったしね」
「どっちかっていうと、ニーナのおかげで俺が魔術を使えるようになった感じだけど」
「そう? じゃあお互い様かな」
「そうかもな」
「魔術の修行も楽しかったね」
「ああ、そうだな。楽しかった」
「ハジメの魔術、ホントにすごいから」
「そんなこと……いや、そうなのかもな」
「そういえば、ハジメが来て最初の誕生日、ご飯作ってくれたよね」
「そんなこともあったな」
「アレね、ホントに美味しかったよ。こないだのコース料理に負けないくらい」
「よかったよ。でも、この料理も美味しいよ」
「作ったのはほとんどお母さんなんだけどね……」
そう言ったきり、急に。
ニーナは黙ってしまった。
無言のまま、食事を食べる。
ややあって、ニーナはぽつりとつぶやくように言った。
「ハジメがいなくなったら、寂しくなるな」
「すぐ、帰ってくるよ」
「……絶対だよ?」
「ああ」
「絶対、帰ってきてね」
「ああ、約束する」
「私達のこと、忘れないでね。
わた、私達は、ずっと、か、家族なんだからね」
「わかってる。お前らこそ、俺のこと、忘れないでくれよ」
「忘れるわけないよ。
……うっ、うっく、……うえーん」
ニーナは俺の服を掴んで泣き始めた。
俺はニーナの頭を撫でることしかできなかった。
胸がちょっと当たってることに気づいても。
いつからか、ドキッとはしなくなっていた。
―――――
夕食の片づけが済んだ後。
「さて、ハジメ、あなたに渡したいものがあるんだよ」
そんなことを言いながら。
シータが台所の収納をガサゴソやり始めた。
何だろう。
「ハイ、これ。
こないだの旅行の時に、買っておいたんだ」
両手で抱えるくらいの大きさの、細長い木箱。
「開けてみてちょうだい」
言われるがまま、木箱を開けた。
「……杖だ」
中には、杖が入っていた。
木でできた、美しい杖だ。
先端が捻じれていてカッコイイ。
手に持ってみると、すんなりと馴染んだ。
「安物だけどね。
魔術師には便利なものらしいから」
「……大切に使わせてもらうよ。ありがとう」
街に行った時、杖の値段も見た。
一番安いものでも、俺には払えない額だったのだ。
安物なんて、とんでもない。
ありがたく、使わせてもらおう。
「ほら、ニーナ」
「わかってるよ、ちょっと待って」
何やらニーナがソワソワしている。
「あのね、ハジメ。私からも、あげたいものがあって。
いや、気に入らなかったら、貰わなくても全然いいんだよ。
捨てちゃってもいいから。
……一応、見るだけ見てみて?」
何だろうか。
ニーナからそんな風に渡されて、受け取らない物などあるはずがないのに。
ニーナは顔を真っ赤にして、紙でできた箱を渡してきた。
そんなに重くはない。
何だろう。
開けてみると。
中には、ローブが入っていた。
魔術師が着てそうな、フードがついたやつだ。
色はダークブラウン。
かっこいい。
「これ、どうしたんだ?」
「私が織ったの。お母さんに見てもらいながら。
初めてだから、上手くできてないところもあるんだけど……」
「着てみていいか?」
了承を得る前に俺はローブを羽織った。
鏡がないから似合ってるかは分からないけど、サイズはぴったりだ。
「よく似合ってる」
シータが言ってくれた。
「ホントに、気に入らなかったら、捨てちゃっていいから」
ニーナが焦ったように言う。
「捨てるわけないだろ。こんなにカッコいいのに。
サイズ、ちょうど良いよ。ありがとな、ニーナ」
そういって俺はニーナを抱きしめた。
「……うん」
ニーナは恥ずかしそうに、俺の腕に顔をうずめていた。
その後、俺からもふたりにプレゼントをした。
旅行の帰りに、買っていたものだ。
シータには、織り物の染料。
消費するものだし、気に入らなくてもそう困らないだろう。
水に溶かして使うもので、中には少し奇抜な色も入れてみた。
ニーナには、赤のドレスを渡した。
青のドレスを着たニーナが印象に残ってて、他の色も着せてみたいと思ったのだ。
ふたりとも喜んでくれた。
ニーナは、ドレスを着てみせてくれた。
ハイヒールを履き、口紅をつけて。
とても綺麗だった。
最後に、いいものが見られた。
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