第16話 旅行②
気づけば、夕食の時間になろうとしていた。
俺は結局、ずっと天井を眺めて過ごした。
そろそろ、準備をしなくては。
ベッドから起き上がり、風呂場に行くと、水が張ってあった。
この世界では基本的に、風呂は水だ。
年中暖かいから、特に冷たくて困るということもない。
ただし暖かい風呂に入る文化自体はあり、大きい街には銭湯のようなものもある。
とりあえず俺はその水に浸かり、体を洗った。
風呂場を出て、着替える。
今年の誕生日にシータからもらった、シャツとパンツだ。
シータは毎年、ニーナと一緒に俺にも服を作ってくれた。
本当に、よくしてもらっていると思う。
持ってきたキレイな靴を履けば、準備OKだ。
―――――
ロビーに着くと、2人は既に到着していた。
シータは黒のドレスだった。
胸に花の形をしたブローチを着けている。
普段とそんなに印象は変わらない。
……しかし。
ニーナは、別人のようだった。
以前買った青のドレスに、白のハイヒールを合わせ。
肩まである金髪をアップにしていた。
ほんのり化粧もしている。
唇に引いているのは、もしかしたら俺があげた口紅かもしれない。
高級宿のロビーという場所もあいまって。
普段のニーナからはかけ離れて、大人っぽく見えた。
……こんなに、変わるものなのか。
「すまん。おまたせ」
「ううん。今来たとこだよ。行こ!」
俺とニーナはまるでデートのような会話をして、食堂へ向かった。
食堂にはたくさんの丸テーブルと椅子が並んでいた。
その内の1つに案内され、席に着く。
音楽隊による優雅な演奏が、会場に響いていた。
天井にはシャンデリアのような照明が吊り下げられている。
その明かりの1つ1つは、ランプの炎なのだろう。
「すごいとこだね」
ニーナが目をキラキラさせていた。
正直俺も、こんなにすごいとは思わなかった。
キョロキョロしていたら、食前酒が運ばれてきた。
この国には、未成年の飲酒を取り締まる法律はない。
各自、自己責任で、という感じだ。
そして俺は自己責任において、今日は飲むつもりだ。
つまり初めての飲酒になる。
どんなものなのだろうか。
「ねえ、お母さん、これお酒だよね? 私飲んでいいの?」
「いいわ。あなたももう15だしね。今日から飲んでいいことにしましょ」
「わぁ、大人の仲間入りだ!」
「もちろんハジメも、飲んでいいわよ」
「うん、飲ませてもらうよ、シータ」
「そう。……じゃあ早速いただきましょうか。乾杯!」
「「乾杯!」」
目の前のグラスを持ち、高らかに掲げた後。
口元に持っていき、ゴクリと飲んだ。
口の中に、甘酸っぱい香りが広がる。
遅れて炭酸の泡沫が口の中で弾け、スッキリとした後味で覆われる。
柑橘系の炭酸酒のようだ。
アルコール度数がどれくらいかは分からないが、飲みにくい感じは全然しない。
美味しい。
ニーナを見ると、旨そうに二口目を飲んでいた。
「お母さん、お酒って、美味しいかも」
「そう、飲み過ぎないようにね。……ハジメはどう?」
「美味しい。もっと飲みにくいもんだと思ってた」
「ふふ、よかったわね」
会話の後は、料理が運ばれてきた。
前菜、スープ、魚料理、肉料理、パスタ、デザート。
どれも美味しかった。
しかし前菜から肉料理まで、それぞれの料理に合うお酒が付いてきた。
1つ1つは少なめに注がれていたが、残すのは勿体ないと全て飲んだ結果。
俺は現在進行形で、酔っ払ってしまっている。
ニーナも同様のようで、顔を真っ赤にしてトロンとした目になっていた。
シータはいつも通りだ。
さすがは年の功と言うべきか。
「美味しかったわね」
「ああ、美味しかった」
「美味しかったー。あともう2周したいくらい」
その言葉に笑ってしまった。
シータも笑っている。
酩酊感を楽しみつつ、そのまましばらく雑談に興じた。
―――――
食事の後。
皆でそのまま部屋に戻った。
歩いていて、ちょっとフラつく。
真っ直ぐ歩いているつもりなのに、右へ左へと体が動いてしまう。
ニーナはそうでもない。
あれ、もしかして俺の方が酒に弱いのか。
なんだか悲しい。
すぐにニーナ達の部屋の前へと着いた。
――俺は、自分の部屋に戻ろう。
そう判断したにも関わらず、俺の体は動かなかった。
ひとりで寝るのは、嫌だ。
誰かと寄り添って眠りにつく。そんな暖かさに、俺は生まれてきてからずっと、憧れていた。
さっき、せっかくニーナが誘ってくれたじゃないか。
そんな感情が顔を出した。
何だこれは?
俺は酒でどこかおかしくなってるんじゃないか?
「……なぁ、ふたりとも。俺もそっちで寝ていいかな?」
気がつけば、そんな言葉を口走っていた。
そして。
ニーナがこちらを見つめて、微笑みながら言った。
「そんなの、当たり前じゃん」
-----
部屋に入ってから、シータが俺達に水を飲めと言った。
酒を翌日に残さないための知恵だという。
俺とニーナは言われるがまま、部屋のテーブルで水をがぶ飲みした。
確かに少しだけ、酔いが醒めた感じがする。
「今日は楽しかったね」
ベッドに腰掛けているシータが言った。
「楽しかったー!」
「ああ、楽しかった」
ニーナと俺が答える。
「今日、あなた達と一緒に旅行ができて良かった。
……幸せだったわ。ありがとう」
急に、シータが神妙な事を言い始めた。
やはりこの旅行は何か、思い出作りのような意味合いだったのだろうか。
俺の疑問をよそに、シータは続ける。
「ニーナ、いつか言おうと思ってたんだけどね。
今が一番いいと思うから、言うわね」
不穏な前置きが入る。
何だろうか。
ニーナを見ても、何のことだか分かっていない表情だ。
「……あなたにはね、お兄ちゃんがいたの。
もしかしたら覚えてるかしら。
3つ歳の離れた、お兄ちゃん」
それは予想外のカミングアウトだった。
今まで3年間一緒に住んでて、そんな素振りは一切なかった。
「あの子は生まれつき身体が弱くて。
それでも、一生懸命生きてたんだけどね。
あなたが3歳のときに、病気で死んでしまったの」
シータは、目に涙を浮かべていた。
聞いてて、なんだかこっちまで泣きそうになる。
「私は悲しくてね。
ベッドで少しずつ冷たくなっていくあの子の顔を、10年経っても忘れられなかった。
あの子に何もしてあげられなかった。
こんなことなら、あの子は生まれない方が幸せだったんじゃないかって。
思い出す度につらくてね。
だからあなたにも、その話はしなかったの。
でも、いつかは話さなきゃって思ってたのよ。
じゃないと、あの子が可哀想だもの。
自分の妹にくらい、自分の存在を知っておいてほしいだろうから。
でも、話せなかった。踏ん切りがつかなくてねぇ」
シータは、とつとつと話を続ける。
ニーナは何かを思い出そうとするような表情で、それを聞いていた。
「……悩んでたらね、ハジメが現れたの。
初めて見た時に、あの子のことを思い出したわ。
あの子がもし生きていたら、これくらいの歳かしら、って。
そしたら、なんだか面影があるような気がしちゃってねぇ。
髪の色も同じなのよ。お父さん譲りの、綺麗な茶色の髪。
そんなハジメが、ニーナを救ってくれたって知って。
私には、神様がチャンスをくれたんだって思えた。
……もう一度あの子と過ごすことができる、チャンスを」
シータはバッグからハンカチを取り出し、涙をぬぐった。
「もちろん、別人だって分かってるわよ。
同じだなんて思ったら、ふたりともに対して失礼よ。分かってるわ。
……でもね。
あの子にしてあげたかったことを、ハジメにしたり。
あの子にしてほしかったことを、ハジメがしてくれたり。
そんなことを繰り返す間に。
私の記憶は、少しずつ、淡くて、優しいものに変わっていったの。
今ではもう、思い出しても、悲しみに襲われることはない。
あの子も精一杯生きた。
この世に生まれてきて、幸せだったんだって。
そう、思えるようになったの。
……あなたのおかげよ。ハジメ。
ありがとう」
シータが、俺を見つめて言う。
「私はね、ハジメ。
あなたの事を家族だと思ってる。
ニーナも同じよ。
……あなたはどうかしら?
私達のこと、どう思ってる?」
……気づけば、俺も涙を流していた。
ニーナの兄に向けられるはずだった愛情。
俺も間違いなく。
その愛情に救われていた。
「シータ、ニーナ。
……俺、ふたりのこと、家族だって思っても、いいのかな?」
ニーナがこちらを見つめて、微笑みながら言った。
「そんなの、あたりまえじゃん」
―――――
その後、ツインのベッドをつなげて、俺達は3人で寝た。
並びはシータ、俺、ニーナの順だ。
ニーナは兄のことを覚えていないらしい。
ただ幼い頃に、すごく悲しい思いをした記憶だけが、ぼんやりと残っているという。
「それでいい。ただ、兄がいたということだけ知っておいて」と、シータは言っていた。
手を伸ばすと、ふたりの手に触れた。
するとふたりは、手を握ってくれた。
俺も握り返す。
なんだかすごく、安心する。
――今日は、ぐっすり眠れそうな気がした。
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