第9話 ひとつの在り方


『じゃあ行こうか──野犬ビター保護シェルター、“故郷ふるさと”へ』


 乱に連れられてやって来たのは、保育所のような出で立ちの施設だった。門にあるアーチ形の看板には、“みんなのふるさと”と、ポップな丸文字が刻まれている。

 ふと門から視線を落とすと、色とりどりの花達が花壇で出迎えてくれていた。春の訪れ、そして微かな夏の足音に歓喜しているみたいで、こっちまで嬉しい気分になる。

 オレは、春っていいなあ──なんて浮かれつつ、乱に手を引かれて門の手前までやってくる。

 開閉式の門は草木が絡まり合ったようなデザインで、その隙間から施設内をうっすら見ることが出来た。門の向こうには遊具などがある広場、そしてその奥に施設がある。

「幸、緊張しなくていいからね。ここにいるのは優しい人ばっかりだから」

 乱は眉を困ったように下げて、オレを心配してくれた。オレは緊張よりも、どんな人達に会えるのか楽しみで仕方がなかったから──、

「ああ。緊張なんて全然してないから、大丈夫だよ」

 と言ってニカッと笑う。

 それにつられて乱も笑ってくれた──ような気がした。まだまだぎこちない笑顔だけど、今のは心なしか自然な感じだった気がする。いつか乱が、心の底から笑って過ごせる日が来るといいなあ。

「──入ろっか」

 乱の問いかけにオレは頷き、いよいよ門を開く。

 

 ──が、施設内には誰一人いなかった。


「……あれ? 誰もいないのか……?」

 実は──門から少し覗いてみた時、人気がなさすぎて若干疑問を抱いていた。

「乱──……?」

 隣に立つ乱を見やる。この時、オレはてっきり、乱も戸惑っているかと思っていたけど──。

 ────乱は口元に手を当てて、クスクスと笑っていた。

「ん……!?」

 待て待て待て待て待て──オレ、頭から疑問符が消えないんだけど……?

 何が起きているのかさっぱりというオレを見て、ようやく乱は口を開いた。

「幸、ちょっとだけ目を閉じてて?」

「えっ? わ、分かった」

 戸惑いを隠せないまま、オレは目を閉じる。悶々としていたオレは、周囲の音に耳を澄ませることにした。

「(草木が風に揺れる音、鳥の鳴き声──足音、笑い声、叫び声……?)」

 ん? 何かがおかしいぞっ……?

「(どんどん大きくなって──……!?)」

 異変を感じたオレは、カッと目を開ける。

 映ったのは猛ダッシュしてくる小さい子、小さい子、小さい子──!?

「わああああああ────っ!!」

「きゃああぁっ、あははは──!」

 目をパチクリしていると、まるでコマ撮りアニメーションのようにどんどん子供達は近付いてきた。

「うおおおッ──!?」

 オレは退こうにも退けなくて──その場で腰を落とし、ゴールキーパーのような体勢になって、子供達の突進を受け止めることにした。

「らんくん、ゆきくーんっ!!」

「ねえねえ! ぼくとあーそーぼ!」

「ええっ、おれがさきがいーい!」

 何かの群れのような子供達は、オレと乱の周りに走り寄る。オレは何人もの子の歓迎タックルを食らって、あまりの激しさに声を出して笑った。

「らんくん、きてくれてありがとっ!!」

「わたし、らんくんにお花つんできたの! あとであげるね!」

 乱は相当の人気者みたいで、主に女の子達に囲まれている。反対にオレは、やんちゃ盛りの男の子達の注目を浴びているみたいだ。

 オレはわんぱくっ子達に引っ張られ、大声で叫ばれ、だんだん目が回ってきた。でも可愛くって、話をしたい。その繰り返しで、梟もびっくりの速さで首を四方八方に向ける。

 ヤバい、このままじゃぶっ倒れそうだっ──……!!


 ──と、その時。

 救世主が現れた。

 

「ほら皆。二人が困っているだろう? 後で遊ぶ時間をあげるから、部屋に戻って勉強の続きをしよう」

「はーいっ、くれな先生ーっ!」

 凛とした声がどこからともなく聴こえると、子供達は一斉に屋内へ入っていった。

 そんな子供達とすれ違うようにしてやって来たのは、スレンダーな女性だった。赤色にも見える美しい髪を、ポニーテールに結わえている。遠くで見てもハッキリ分かる。それにオレより遥かに背が高い。

 動物や花のアップリケで飾られたエプロンが、とっても似合っている。

「乱、幸くん。サプライズには驚いただろうか?」

「ふふっ。サプライズって言っても、ボクが来る度してくれてるじゃないですか。でも嬉しかったですよ」

「全く──乱は相変わらず素直じゃないな。幸くんはどうだ?」

 くれな先生、と呼ばれた女性は、オレの目線に屈んで話を向けた。

「サプライズ? ……あ、もしかして──」

「ハハハッ──! その顔を見るに、十分驚いてくれたみたいだな! 実はきみ達が来るのを、子供達と隠れて待っていたんだ」

「ああっ! そうだったんですね! 初め誰もいなくてすごく焦りましたし、驚きました」

 けど、こんな風に全力で出迎えてくれたことにも驚いた。

 乱の言う通り、ここはあたたかい雰囲気の場所だなあとしみじみ思う。

「──失礼、紹介が遅れたな。私はこうばやしくれだ。好きに呼んでもらって構わない」

「じゃあ……紅奈さん、って呼びますね! ──改めて、初めまして。オレは幸です」

「ああ。きみのことは乱から聞いている。よろしくな」

 太陽みたいにカラッとした笑顔で、紅奈さんはオレに手を差し出した。

 感じの良い人だなあ、と思いながらオレも手を出す。

「(っ、わ──)」

 とても華奢なのに──握手の力強さと元気さに再び仰天する。

「紅奈さん。熱烈な歓迎、ありがとうございます……ボクは少し席を外すので、彼と親睦を深めていてもらえると助かります」

「勿論、そのつもりだ。──乱、理事長の所へ行くのか?」

「はい。今、いらっしゃっていますか?」

「多分この時間は──ああ、理事長室におられると思う」

 乱は「そうですか」と残し、紅奈さんに会釈をしてから立ち去った。

 乱、ここに来てから一度も表情が曇っていない──きっと乱にとって本当に気を緩められる所なんだろうな、ここは。

 オレは内心ホッとした。オレが見ていた乱が乱の全てじゃないことは分かってるけど、切羽詰まった顔とか真剣な顔とか、そんなのが多かったから──ガス抜きの出来る環境が少しでもあって、安心したよ。

「さ、幸くん。何から話そう──いや……立ち話もなんだし、そこのベンチにでも座ろうか」

「あ、えっと──すみませんっ……!」

「ん──どうした?」

「オレ、ちょっと日光がダメみたいで──炎症を起こしてしまうんです。なので──」

 今は長袖と深いフードのお陰で日光を遮ることが出来ているけど、あんまり長時間当たっていたらどうなることやら……。

 ごめんなさい、紅奈さんっ!

「それはすまなかった! なら屋内に移動しよう──応接間で良いかな?」

「本当ですか……!? 不甲斐ないです……」

 紅奈さんは豪快に笑うと、オレを先導しようと前に出た。

「申し訳ないなんて、思わなくても良いさ! それだってきみの個性なんだからな!」

 この人と話せば話す程、まるで太陽みたいだなって思う。

 だけどその熱さが、オレには心地良かった。





 気を取り直して。

「それでは、改めて。幸くん、何か訊きたいことがあれば遠慮せず言ってくれ」

 細い身体を折り曲げるようにして、紅奈さんは回転椅子に腰掛ける。

 オレは、部屋の真ん中の客人用のソファに座らせてもらった。

 えっと──そうだ。オレ、沢山訊きたいことが浮かんできたんだ。

「えっと、それじゃ──まずここは、どんな場所なんですか?」

「おっ、早速良い質問だな。ここは──身寄りの無い野犬ビターの子供達を育てる、国内有数の施設なんだ」

 紅奈さんは、小さい子達が親しみやすいように幼稚園に似せた形で育成をしている、と付け加えた。

「野犬の子供……って、さっきの元気いっぱいの、あの子達ですか?」

「ああ、そうだ」

 紅奈さんは眉を顰しかめて、怒りと悲しみの入り雑まじった声で続ける。

「幸くんは、主人マスター飼犬スイートの夫婦から成る、家族の在り方を知っているか?」

「はい。何となく聞いたことはあります」

 社会の模範とされている家庭というのは、主人が夫、飼犬が妻という構成のものだ。稀にそれが反対になっているケースもあるらしいけど、それはかなりの少数派らしい。。

 理由は詳しく分からないけど──男が上で、女が下の方が物事が上手く運びやすいと、中年の医者達が言っていたから、そういうことなのかな。

 けど──オレはこの考え方が、あんまり好きじゃない。胸がザワザワして、嫌な感じになるから。

「それなら──主人と飼犬の縛りの強さも、恐らく耳にしたことがあるのではないだろうか」

「っ……そうですね」

「──すまない」

 義兄あのひとのことを思い出して、意図せず声が暗くなっていたんだろう。紅奈さんはそれに気付いたのか、謝罪の言葉を挟んだ。

 オレはそれが申し訳なくて、「いや、大丈夫ですよ」とすかさずフォローをする。

「……乱からワケは聞いている。あまり触れたくない話題だったのなら──」

「──いえ! 気になさらないでください。それに、縛りの強さはよく理解わかっていますよ」

「……そうか。話を戻そう──主人と飼犬の結び付きは、“男女の結婚”という要素が加わることで、より強固なものとなる。要は夫婦の関係になるということだ」

 紅奈さんは遠い目をして、こう続けた。

愛で雁字搦めになった夫婦は、成り行きで子を授かることが多い。が、お互いがお互いのこと夢中になりすぎて、最終的にはその子を捨ててしまう──なんていうのがパターン化してきているのが、社会問題にまでなっているらしい。

 家に置き去りにして出て行ったり、知り合いにあげたり、ここみたいな施設に預けっぱなしにしたり。現代の子供達は、さながらペットのような扱いを受けているのだという。

 紅奈さんが言うには、家に取り残された子が最もタチが悪いそうだ。

「小学校に行く年の子は勿論、まだ一人では生活出来ないような子供が置き去りにしてされると──最悪の場合、冷たくなってから発見されるケースもある」

 紅奈さんは、直接的な表現を避けて言った。それでも、見てるこっちまで心が締め付けられるような……魂が削られているような表情かおをしていた。

「──しかし幸くん、安心してくれ。子を愛してやまない、幸せな生活を送る夫婦も、いることにはいる」

 沈みきった空気を払拭するように、紅奈さんは明るい声を出した。

「そうなんですね……」

 今までオレは、野犬ビターの人達のことを『貧しい環境で生きてきた、逞しい人』という風に思っていた。けど──現実は思っていた以上に残酷だったみたいだ。

「ここにいる子達だって、来た理由は様々だ。──まあ、施設の職員に保護された子が多いけどな」

「──職員の方自ら保護をされているんですか?」

「ああ。市に許可をもらって怪しい家を調査したり、路上生活をしている子をそのまま保護することもあるんだ。今も何人かが外を回っている」

 ────オレは、何と答えればいいか分からなかった。

 オレが様々な人に守られながらのうのうと生きている間、辛い生活を強いられていた人が大勢いるんだと、今更ながら理解した。

 そして自分の無力さに、猛烈に腹が立った。

「……オレ、知りませんでした。オレを取り巻く社会が、こんなに黒くて汚かったことを」

「幸くん──」

「包み隠さず言います。これまでオレは、主人の義兄に目を塞がれながら生きてきました。残酷なこと、惨たらしいこと……それらを見聞きする機会がありませんでした」

 けれど。

「今、こうして経験できたこの機会を、オレは無駄にしたくありません──突然で申し訳ありませんが」


「オレを雇っていただけませんか」


「野犬の子達を一人でも助けたいんです。オレが今まで出来なかった分……いや、それ以上でも」

 少しでも、紅奈さん達の力になりたい。そう思ってオレは、勇気を出して一歩踏み込んだ。

 紅奈さんにオレの気持ちが伝わってほしい──その一心で、紅奈さんを見る。

「────きみは優しいな」

 紅奈さんは目を真ん丸にしてから、春の日差しのように柔らかな笑みを浮かべた。

 毒気を抜かれてしまう程、透き通った笑顔だった。

「私も……ここの職員も、皆きみと同じ気持ちだよ。初対面のきみがそこまで言ってくれて、驚き半分嬉しさ半分のような感じだ」

「じゃあっ……!」

 興奮して、身を乗り出す。

「…………すまないが、今は気持ちだけ受け取っておこう」

「(そう、だよな──何もかも突然すぎたし、無理もないよな)」

 オレの立っている地面だけ切り抜かれて、奈落に落っこちていくみたいな感覚だ。

 期待に走った身体から、力が抜けていく。

「──突拍子もなく言ってしまって、すみません! 何かオレだけ突っ走っちゃって……」

「幸くん。自身の考えを恥じる必要はないからな! ……それに今は、新たな環境に馴染むことが最優先だしな」

 紅奈さんが椅子から立ち上がり、オレの元まで歩み寄ってきた。

 そしてまた、太陽そっくりの笑顔を見せる。

 その和やかさにつられて、オレまで笑顔になってしまった。

「ここで少し昔話をしようか……実を言うと私も、親に見捨てられた子供の一人だったんだ」

 オレの向かいのソファに座り込んだ紅奈さんは、言葉をぽつりぽつりと紡いだ。

「私が小さい頃は、当然だが分犬法の施行前だった。だから“野犬”と分類されたのは、つい最近のことなんだ──ああ、私を含め故郷ここの人間は、皆野犬だよ」

「なるほど……」

 紅奈さんは芯のある強かな声をしていたから、確かに納得できる。

「まだ幼いうちに親が家を出たものだから、何をすればいいのか分からなくてな。飢え死にしそうだったところを、当時市役所に勤めていた理事長に助けていただいたんだ」

「理事長さんって……今乱が伺っている方ですよね」

「そうだ。それからは理事長と旦那様と、家族のような日々を送ったっけな……お二人は厳しくもあたたかくて、私を本当の子のように育ててくれたんだ」

 自分の過去っていうものは、あまり人に言いたくない、暗いものだと思っていた。オレは、言うことに抵抗はないけど、あまり思い出したくないし。

 けど、目の前で過去を話している紅奈さんは、とても楽しげだ。

「(紅奈さんはきっと、辛い経験を糧にして生きているんだろうな)」

 どれだけ大きな壁にぶつかっても、乗り越えていく力を持っているんだ、とオレは思う。

「幸くんにもいつか必ず、出会えて良かったと本気で思える人が見つかるさ」

 そして紅奈さんは、今日いちばんの笑みを溢こぼした。

 オレは感慨にふけりながら、心の中で紅奈さんの言葉を反芻する。

「──いつか、見つかる……ん?」


 あれ……?


 何か、くらくらして──……。


「頭、いた……いっ?」




 ここで意識がプツンと途切れた。





 幸と別れたボクは、慣れ親しんだ階段を上り目的地へ進む。

 そして迷うことなく、理事長室へと辿り着いた。

 ──大丈夫だ。息を落ち着かせて、戸を優しくノックする。

「どなた?」

「乱です。入ってもよろしいですか?」

「──ええ、どうぞ。お入りなさい」

 柔らかなようで一本筋の通った特徴的な声を聴いて、ボクは背筋をしゃんと正した。


 そしてノブに手をかけ、彼女の待つ部屋の中へ向かう──。


「よく来てくれましたね、乱。子供達も大喜びでしたよ」

「それは光栄です。つい先程、賑やかに出迎えてくれて……幸も楽しそうにしていました」

 理事長──みどさくらさんは、小柄な老婦人だ。目元が少し垂れていて、優しげで淑やかな印象を与える面立ちをしている。反対に言動はメリハリがあって、見た目と中身のギャップが大きい人でもある。

 彼女は、部屋の奥の方で机に囲まれるように椅子に座っていた。

「早速ですが理事長──」

「ええ、分かっています。……ひとまず座りなさいな」

 理事長は、掃除の行き届いてピカピカのソファを手のひらで示してそう言った。お言葉に甘えて──ボクはそれに応えて、ソファに腰掛ける。

 と──その前に。

 ボクは理事長の前まで歩いていった。

「それでは────理事長、こちらが今月の支援金になります」

 いつも食事に持っていく黒いポーチとは別の、布製の黒いポーチから白い封筒を取り出す。

 そしてそれを、理事長の整頓された机上に添えるように置いた。

「……これは、汚い金ではないでしょうね」

「ふふっ、理事長。それは毎月訊かれていますけれど……勿論、ボクが正当に得たお金ですよ」

 当たり前だけど、忠犬クレバー共からの小遣いなんかじゃないよ。

「毎月確認しないと気が済まないのですよ──教え子が毎月のように、結構な金額を持ち寄るのですから」

 理事長はここの施設を出た子供のことを、教え子と呼んでいる。何でも、かつては教師に憧れていたらしくて、自分もそんな風に呼んでみたかったとか。

「申し訳ありませんね、乱。受身の対応しかとれずにいて、こちらも歯痒い思いをしています」

「いえ、これはボクが望んでしていることですから。お気になさらず」

 ──ボクは月に一度、ボクを育ててくれたこの故郷ふるさとに、自分の力で稼いだお金と共に訪問する。

紅奈さんに理事長、お世話になった人への挨拶も出来るから、一石二鳥なんだよね。

「ところで理事長──巷でここ最近、野犬ビターの子の数が急激に増えているとよく耳にしますが、本当なのですか?」

「……非常に心苦しいですが、それは誠のことです。身勝手な主人マスター飼犬スイートの夫婦が増加傾向にあるので、それに比例して──という状態になっています」

「(やっぱり──……)」

 来る度に面子が賑やかになるのは、この場合あんまり望ましいことじゃない。

「全く、主人と飼犬の歪んだ愛情というのは計りしれませんね──何だか、からくりがあるように思えませんか?」

「そうですね……ボクもそれには同感です」

 分犬法以前の日本の家庭は、極めて一般的で、これといった特徴はなかった。満ち足りた家庭が多かったからこそ、そう言えるのかもしれないけどね。

 分犬法が施行されてからは、まさに地獄絵図だよ。得してるのは自分達の立場が有利になった警察と、イチャイチャしやすくなったカップルだけ。野犬の人達は少ない給付金で生活することを余儀なくされていて、社会の影に追いやられている。

 こんなのおかしい。幸せになるべき人が幸せになれないこの世は、おかしい。

 もう分犬法なんて、さっさと失くなっちゃえばいいのに──。

「乱。そんなにおっかない目をするんじゃありませんよ」

「……ふふっ。していたつもりはなかったんですけどね」

 理事長は、ボクよりずっと長く世を渡ってきているから、何を考えててもすぐ見抜かれちゃう。

「──貴方も我々と同じ心持ちでいるのでしょう、悔やんでも悔やみきれないのは共感できます。ですが……命を軽んじるような真似だけは、絶対にしてはいけませんからね」

「……はい。肝に銘じておきます」

 この人には世話になっているけど、ボクが悪食をしていることは実は言っていない。実の子のように育てたボクが、食人をしているなんて思ってもいないだろう。だからこうして、得たいの知れない僕を何重にも心配してくれているんだと思う。

 その気遣いをありがたく受け取り、事実を話せない申し訳なさを隠す。この面会は、いつもそれの無限ループだ。

「(これは全部、ボクが悪いんだから──離れていかれるのが怖くて話せない、ボクのせいなんだ)」

 ボクが悪食をしている理由も、のことも、全部──最後まで全部、包み隠さずうち明かしたい。けど、家族同然に接してくれていた人達には、どうしてもそれが出来ないんだ。ボクは誰よりも臆病で卑怯な、嘘つきだから。

「それじゃあ、ボクはこれで失礼します。皆さんに宜しくお伝え──」

「理事長っ──!」

 色々なものに対して懺悔を心の中で繰り返していた矢先、扉の開閉音と悲鳴が鼓膜をびくつかせた。

 咄嗟に振り向くと────。

「どうしたんです、紅奈先生」

「大変です、幸くん……飼犬スイートの男子が──」


「“帰巣ホーム本能シック”を発症しましたっ……」

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