第6話 ひとつ屋根の下


 ろんです。いつもありがとうございます!

 

 乱と幸との進展はまさに牛の歩みですが、最後まで恋の行く先を見守ってやってください。作者の趣味なんです。

 乱の口調の“変化”にも注目して、どうぞお楽しみください──。





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「──らん。自己紹介、確かまだ途中だったよな?」

 オレは乱におぶられながら、背中越しに訊いた。

 ──けど、何故か返事が返ってこない。乱はただただ、丁寧な足取りで前へ進んでいる。

「……ん? なあ、らーん」

 オレは少し首を伸ばして、今度は乱の肩に顎を乗せた形で尋ねてみる。

 すると乱は突然、「ぅわっ──!?」なんて変な声を上げて、オレの方をバッと振り向いた。その顔があんまりにも驚きで引きつっていたから、オレは思わず吹き出しそうになる。

ゆき、突然どうしたのっ……?」

「ははっ……! 脅かしてごめんな? 乱、返事してなかったから、どこか具合が悪いかと思っただけだよ」

「えっ……? ボク、別にどこも悪くないけど──」

 そこまで言うと乱は、「あっ」と言ったっきり黙ってしまった。耳を茹で蛸みたいに真っ赤に染め上げて。

 それから、不思議がるオレを諭すように、こう続けた。

「あのねボク……今更なんだけど、幸がボクについて行くって言ってくれた時──すっごく嬉しかったって気付いたんだ。それを噛み締めてたんだよ」

 そう言う乱の声は一等あたたかくて──心の底から嬉しかったと言わんばかりの調子だった。

「ボクはずっと、皆に避けられながら生きてきたからね。そんな風に言ってくれて驚いたし、心がじんわり和らいだ」

 乱は淡々と言い続けた。けど乱の口から生まれた言葉一つ一つが蛍の光みたいに、優しくオレを照らしてくれているような感覚になる。

 それが心地良くて、オレは乱に話の続きを促す。

 すると乱は薄く笑みを浮かべてから口を開いた。

「あの時は気付いてなかったけど──ボク、幸のことをとっても大切に想ってたみたい」

 乱はふと立ち止まってオレの方に顔を向ける。

「他人のことを心配だって思ったことは……まあそれなりにあったけど、こんな風にあたたかい気持ちで想えたのは幸が初めてだよ」

 ──綺麗な顔が突然目の前に現れて、オレの心臓はドキンと跳ね上がった。

 街灯の少ない真夜中でも絶えず煌めく、琥珀の瞳がオレを捉えた。

「ありがとう」

 一言。

 そのたった一言に乱の様々な感情が込められていることに、オレは気づいた。

 乱の想いを真正面から受け取って──オレは何故か、胸がいっぱいになってしまい俯く。とてもじゃないけど、乱のことを直視できない。

 乱はそんなオレを見るとさも意地悪そうに笑って、また前に向き直って歩み始めた。

「ふふっ……耳真っ赤だよ、幸」

「だ、……だってっ……! オレだってずっと変な──あったかい気持ちなんだ、乱とおんなじでさ……」

「幸──」

 オレはどうしようもなくなって、乱の広い肩に顔を埋めてしまう。それで、スーツのパリッとした糊の匂いに包まれながら言葉を零していく。

「オレは今まで義兄あのひとの言いなりになって生きてきた。何をするにも、どこに行くにも──って、大半を病室で過ごしてたけどな」

 オレが大嫌いな重い空気にならないよう、オレは一際乾いた笑いを話に添えた。

「他人との関わりの一切を遮断されて……唯一関わることを許されたのは、オレの病院生活の中での最低限の人達だけだったんだ」

 オレ直属の医者、数名の看護婦。たったそれだけ。

 ましてや同年代の、気兼ねなく話せる存在なんているハズがなかった。

 だからかなあ? 乱は見た感じ、オレと同じくらいの年齢みたいだし──単純に、他愛もない会話が出来て嬉しかったんだろうか。


 ────いや。

 そうかもしれないけど、そうじゃない。


「オレ──乱のこと、何より大切な友達だって想うようになったんだ」

「……えっ──」

 乱が息を飲む音。恐る恐る振り向いて、オレのことを射抜くような視線を放つ瞳。そして澄んだ水面みなものように照り輝く琥珀アンバー

「っ……ボクみたいな怖いヤツ、友達になっても何にも良いこと無いよ? 絶対幸のこと、不幸にさせちゃうし──」

「それは違うよ」

 どうしてもこれだけはちゃんと言いたくて。今までおぶってくれていた乱からゆっくり降りて、地に足をつける。

 長い間歩いた疲労でふらつきそうになったけど、それは格好がつかないからグッと堪えた。

「自分の幸せは自分で決める。そうだろ?」

 こうして間近に立つと、乱は巨人のように見える。それでも、ちゃんとオレの言葉が乱まで届くように、乱の心まで届くように──。

 そう願ってオレは笑った。

「ボク、人間の友達なんて初めてだから……嫌な思いとか悲しい思いを沢山させちゃうかもしれないけど──幸と友達になりたいっ……!!」

「ああ──友達になろう、乱。それで……一緒に頑張って、あの変な気持ちの正体を探そう」

 オレは、自分が思う一番最高な笑顔を向けて、乱に手を差し伸べる。

 そして乱は薄くはにかむように笑って、オレの手を取った。

「改めてよろしくね、ボクの友達ゆき

「こっちこそよろしくな、オレの友達らん

 ──今までクールで飄々とした人物だと……得体の知れない男だと思ってばかりいたけれど。

 目の前の乱は、ぎこちない笑顔を精一杯浮かべたただの青年だった。無理に口角を上げるように見えるけど──切れ長の端麗な眼を三日月みたいに細めているから、きっと喜んでいるんだと思う。

「──そういえば幸、もう歩けるの? 疲れてない?」

「いや、乱のおかげで結構元気になったから大丈夫だよ。今までオレをおぶってくれてて、ありがとうな」

「ふふっ──気にしないで。じゃあ一緒に歩いていこっか」

 オレは乱の誘いに、快く頷く。

 乱が歩くペースに気を遣わなくてすむように、普段よりも少し大股で歩いてみよっと。

「えっと……友達って、歩く時に手を繋いだりするのかな」

「手──確かにどうなんだろ……でもオレ、乱と手繋ぎたい」

「っ──! ボクも、そう思うっ……」

 乱はモジモジと恥ずかしそうにしてから、そっと手を差し出してきた。オレは乱の意を汲み取って、その手をぎゅっと握り返す。

「ボク、誰かとこんな風に歩くの、すっごい久しぶり……子供みたいって、他の人に思われないかな──……?」

「ううん、そんなことない。オレだって久しぶりだし、今は真夜中なんだから人の眼なんて気にしなくて大丈夫だよ」

「そっか、そうだよね──……あ、そろそろボクん家ちに着くよ。ほら、あのアンテナが立ってるトコ」

 乱が指差したのは、ピカピカの一戸建ての家だった。オレは乱の家がどんな家か全く想像もついていなかったけど──これは想像の斜め上すぎるなあ。

「ビックリした? この家はね、ボクの──とっても大事な人が建ててくれたんだよ」

「乱の大事な人──そっか。乱もずっと一人だったワケじゃないんだ」

「うん。今は一人だけどね」

 大事な人、と言う乱は何故か心苦しそうな顔つきをしていた。酷く心を痛めた様子で、途方もない怒りのようなものすら感じられる。

 乱はこの話題が苦しいんだ。もうなるべく、この話しはしないようにしよう。誰だって、触れてほしくない過去の一つや二つはあるもんな。

 ──そうこう考えている間に、ついに乱の家の前まで行き着いた。

 乱の家は、現代的でモダンな見た目の家で、暗い青色のレンガが特徴的だった。

「ノクスは……うん、帰ってきてるね」

 そう言うなり、乱は焦げ茶色の屋根の犬小屋へ向かって行った。屋根の下のノクスは気持ち良さそうに眠っている。

「ノクスはボクが指示したことをちゃんと遂行してくれるんだ。それで矢みたいな速さでボクの所に戻ってきて、ご飯にがっつくんだよ。いっつもそう」

 食いしん坊さん、と言って乱がクスッと笑う。

 緩んでいた乱の表情だったけど、突然何かを思い出したようにオレの方に振り向いて──。

「あ、えっと……ボクもノクスも、食べ物全部が“お肉”ってワケじゃないからっ……ちゃんと普通の食べ物も食べてるから、安心して? 幸にも普通の美味しい物を食べてもらうし──」

「ははっ──分かってるよ、ちゃんと。乱がさっきみたいに食べてるのだって、乱なりの理由わけがあるんだってことも」

 慌てふためく乱があんまりにもおかしくって、オレは思わず眼を細めた。

 ──確かに乱が生きてる人を食べてたのは怖かったし、頭で理解が出来なくて戸惑った。無機質な病室に閉じ籠められて世間知らずなまま育ったオレでも、乱のあの行動が異質であることは分かる。それに──あんなに苦しそうな顔をしてまで食人を続けるのは、やっぱり何か事情があるに違いない。

「(乱はこんなに綺麗な目をしてるんだ……そんな奴が闇雲に人を襲うはずがないよな)」

 オレは義兄あのひとに隠れて、蒼良さんや他の看護婦さんが持ってきてくれた色々な本を読んでいたけど──人を食べることについての本は一度も読んだことがなかった。だから、人を食べる理由は分からない。

「(だけど──乱には、その“理由”がきっとあるって信じてる)」

 今のオレには、信じることしか出来ないから。いつかもっと親しい関係になって、乱がオレのことも信じてくれたその時に。

 ちゃんと訊く。ちゃんと理解する。ちゃんと受け入れる。

 そうしてあげるんだと、オレは心に誓った。

「幸? ボクのこと、そんなに見つめてどうしたの?」

「──ふぇ? ……あー、ごめんっ! ボーッとしてた」

 待って今の声、滅茶苦茶ダサかった……だって、乱が突然オレに顔を近付けてきたから──い、今のは事故だっ。そうに違いない……!

「そっか、それなら良いけど……具合が悪くなったりしたら、すぐ言ってね?」

「うん。分かった」

「──それじゃあ立ち話もなんだし、中入ろっか」

 乱はレッグポーチから財布を取り出し、更にその中から鍵を出した。よく見たら財布も黒色のレザーだ……乱はああいうのが好きなのかな。

「ボク以外誰もいないから。遠慮なくくつろいでね」

 ガチャリと扉の開く音がする。友達の家って始めて来たから、何だかワクワクが止まらないなあ。というか、病室じゃない所で過ごすのも、いつぶりだろう。

「お、お邪魔しまーすっ」

 敷居を跨ぐと、途端にブワッ──と乱の匂いに包まれた。月夜の森を静かに吹き抜ける風のような、落ち着く匂い。

 玄関は、淡い橙色オレンジの証明に照らされたあたたかい雰囲気の場所みたいだ。

 乱は玄関に上がると、自分の履いていた革靴を丁寧に揃えた。そっか──家に上がる時は靴を自分で揃えなきゃだよな。もう何でもしてくれる義兄ゆいは、ここにはいないんだから。

「(マナーの本で読んだことはあったけど──実際にやったのは初めてだ)」

 ──そう考えるとやっぱり、病院を脱け出してきて正解だったと思う。外の世界は恐ろしいこともいっぱいだけど、それも全部ひっくるめて新しい発見に満ち満ちている。胸がドキドキするあの感情もそうだ。

「お風呂沸かしておくから、リビングに行ってていいよ──あ、リビングは左にあるドアの先だよ」

「はーい──乱、何か手伝うことあるかな?」

「ううん、大丈夫。ボクがやりたくてやってるだけだから、気にしないで? ──後、脱衣所に部屋着置いとくね」

 ボクのお下がりで良ければ使ってね、と乱は付け加えた。

「──何から何までありがとう、乱」

 家事は少しやってみたかったけど──乱がしたいなら、それを邪魔するのは悪いよな。オレは乱に言われた通り、リビングに向かうことにした。





「──いただきますっ」

「どうぞ、召し上がれ」

 湯煙にあてられてほんのり頬を赤らめさせた幸は、元気よくそう言った。

 幸の目の前には、幸からのリクエストのオムライス。それに目を輝かせる幸に、緩く目をやる。

 ボクは頬杖をついて、幸を見ていることにした。

「んっ──うまっ! これ、全部乱の手作りなのか?」

 幸は、オムライスや付け合わせの小鉢を見渡してとにかく驚いた。

「そうだよ。普段はこんなに凝った料理、作んないけどね」

 ボクは少し肩を竦めて、冗談みたいに返した。

 ……最初こそ、戸惑うって程でもなかったけど──幸が料理を食べるのを躊躇していたことをボクは知っている。今は子供みたいに無我夢中になって食べてるけど……。

 普通に考えて、躊躇ためらうのは当たり前だ。ボクがさっきまで食べてたみたいなお肉が入ってるんじゃないかって、普通なら思う。

 けど幸は、迷いこそしたものの体内に入れた。結果美味かったとしても、調理工程の一切も見ていない幸にとって、このオムライスは恐怖でしかなかったはずなんだ。幸がお風呂に入っている間に手早く作ったから、幸はこのオムライスのことを本当に何にも知らない。

「(ま、これはホントにただのオムライスなんだけどね)」

 食人鬼から出された物を食べるなんて。

 ふふっ……──やっぱり幸って変わってる。

「乱は食べないのか? ずっとオレの方を見てるけど」

「ん? ──ああ、ボク今お腹いっぱいだから。平気だよ」

「あ──……そっか!」

 もし今ので、ボクがご飯を食べていた所を思い出させちゃったら──幸に悪いことしちゃったなって、少し罪悪感を抱いた。

 ────ちょっと、気まずいな。

 今まで友達と談笑したことなんて一度もなかったから、こういう時にどうしたらいいのか困っちゃうな……えっと、食事を終えて冷静になった頭をフル稼働して、会話を考え──。

「……乱! そういえばオレ達、まだ自己紹介が途中だったよな?」

「あ、そうだね。じゃあ続き、話そっか」

 ──瞬く間に食卓に明るい花が咲いた。

 そしてボクは幸の発言に驚くと同時に、心の中で感謝をした。

「じゃあ……今度は乱からだな! 歳とか好きなものとか、いっぱい教えてほしいっ!」

「ふふっ、順番に答えてくから、そんなに早まらなくても大丈夫だよ? ……じゃあまずは──」





「何か──幸がボクより年上だってこと、結構ビックリしたよ」

「むむっ!? それはオレがチビだから年下に見えてたってことだろっ!? くぅっ──オレだって、自分よりデカイのが年下なんてショックだったよ……」

「まあまあ。幸はちっちゃい分、伸び代がいっぱいあるってことだよ」

 ボクがそう言うと、幸はプリプリしながら笑った。泣き笑いは聞いたことあるけど、怒り笑いなんて初めてみたよ。もう、幸ってばホントに変わってる。

 既に幸は楽しい食事を終えて、今はボクと二人で寝室で会話を弾ませている。幸とボクはベッドに腰かけて、食卓での会話を思い返している最中だ。

 ……今幸を見てて思ったけど、ボクが昔着ていた部屋着、幸にはちょっと大きかったみたい。袖も余ってるし、肩だってすぐにでも落ちちゃいそうだ。

 それを見て──ボクの心が少しうごめいたような気がして、ちょっとだけ胸が苦しくなった。

「あ、後もう一つ訊きたいことがあるんだ」

「訊きたいこと? 何でもいいよ」

 何でもいいよ──なんて軽々しく言ってしまったことを、ボクは数秒後に後悔しなくてはならない。

 次の幸の一言で、ボクは酷く動揺することになるのだから。

「────乱の主人マスターって、どんな人なんだ?」

 ボクは数時間前、自分のことを飼犬スイートだと幸に言ったことを思い出した。あの時は今みたいに幸のことを信用してなかったし、そもそもその話題に興味がなかったから、そんな風に言ったんだよね。けど今、適当に返事をしたツケが回ってきている。

 ──本当のことを言ったら、幸はどうなっちゃうのかな。

 まずはボクのことを、怯えきった目で見てくるかな。何も言わずにここから立ち去るかな。

 ああ──どす黒くて重い感情が、ズシンと心にのしかかってくるようだ。幸がボクを嫌いになってしまうことへの心配? 恐怖? それとも焦燥──……?

「(分からない──今まで、こんな心配をしたことがなかったから)」

 自分のよどんだ所を打ち明けること。たったそれだけのことなのに、ボクはその一歩を踏み出すことを躊躇う。幸との心地良い関係が音を立てて崩れてしまうのが、恐ろしいんだ。

 けど──……けれど。

「…………ごめん幸。ボク、幸に嘘ついた」

「──嘘?」

「ホントはボク、飼犬じゃない。だから主人もいない」

 幸が息を飲んだ音が聞こえた。

 構わない。ボクは幸と約束したんだから。心の中がキュンって疼うずいて、途端に胸が苦しくなるあの気持ちを、二人で見つけるんだって。

 幸の表情かおを見れば、幸がさっきの質問に隠しきれない程大きな感情をのせてたことくらい分かる。これは訊かなくちゃいけないことだ、っていう意思。

 ボクと幸の──友達としての第一歩だと思えば、このくらいは軽いよ。

「ボクは狂犬マッドなんだ」

 この瞬間。

 今までで一番、自分の身分かせを適当に、軽ーく思えたな。

 息が詰まりそうになる程気が張りつめようと、不安に陥ろうと。もう関係ない。

 後は幸の返事を待つだけだ。


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