第2話 ひとすじの光


「病院をけ出したことだし……まずは、あの人が教えてくれた保護施設を探すか!」

 病院から少し離れた住宅街を見渡して、オレはそう宣言した。いかにもトウキョウ、都会な雰囲気が漂っている。  

 そしてオレは、中々冷めない興奮を静めるためにも、自分の華麗な脱走劇を思い返すことにした。

 

 まず、この脱出作戦は、一人のナースの尽力により成功した。そのナースとは勿論、あの間延びした話し方をするナースだ。オレがイタズラで真似っこをしても咎めなかったあの優しい女性。身寄りのないオレに保護施設を教えてくれたのもこの人だ。

 彼女は蒼良そらさんと言って、オレと同じ飼犬スイートらしい。蒼良さんも、オレの義兄のような厳しい主人マスターとペアになっているようで──……。それで境遇の似たオレを助け出そうとしてくれていたんだ。いつも蒼良さんは、

「幸さんにはぁ、とーっても明るい未来が待ってますからねぇ。私、こういうの当たる方なんですよぉ?」

 と締まりのない笑顔で言う。そして最後に、貴方だけでも助かりますように──と祈るように言ってくれていた。

 オレはそんな蒼良さんにも良い道を辿って欲しかった。分犬法成立からしばらく経って、飼犬と主人の関係を切ったり、身寄りのない飼犬が暮らせる施設も出来てきているんだから。いくらでも蒼良自身が助かる策はあったはずだ。

「蒼良さん──……」

 何だかどうしようもなく暗い気持ちになっちゃったなあ……。

 いやいや、弱気になっちゃダメだ。オレの身がある程度固まって、心に余裕が出来てきたら絶対に救いに行ってみせる。そう決意して、再会した時のために感謝の言葉を考えることにした。

「(蒼良さん、オレのいる病棟の看護師がいなくなる時間とか、脱出の経路とか教えてくれたんだよなあ……)」

 義兄がいなくなる時間は大方計算できるけど……やっぱり、病院のことは病院の人じゃないと分からないからな。

 その点、蒼良さんは事細かに教えてくれたのがかった……。実はコッソリ、筋トレにも付き合ってくれたし。それに、病院着のままだと周囲に怪しまれるだろうって変装までくれたんだよ! 至れり尽くせり過ぎて、ありがたさしかない……!

「(一か月前くらいから下準備してたなあ……ゆいとか他の人にバレないようにやってて、何かワクワクしてたんだよな)」

 外に出れる喜びと、バレるかもしれないっていう緊張感。あの頃──っていうかつい数時間前だけど、震えるくらい楽しかった。

 義兄が部屋を出て──義兄が乗った車が発車したと同時にオレは行動を開始した。オレの病室は二階だから飛び降りるわけにはいかなかったんだけど、蒼良さんが教えてくれた抜け道を通って命からがら脱け出してきたんだ。今時珍しいノッポの振り子時計を端にどかすと……ひと一人通れる広さの通気口があって、そこからスパイ映画みたいに外に出たってことだ。

 こんなに上手く事が運ぶはずがないって何度も思ったけど、蒼良さんを信じたからこそ、オレはこうして外の空気を吸えている。美しい夕陽を浴びている。そんな些細な喜びを味わわせてくれた彼女には深い感謝をしなければならないし、お返ししなきゃなってつくづく思うよ。

「──って、独り言が多すぎたな……よしっ! 本腰入れて施設探していくぞ!」

 探検隊になったような気分になって、オレは一人心の中で「オーッ!」と叫んだ。そのテンションの高さを原動力に足を進めていこうっ。


「うぅっ──……全然見つかんないなあ……腹も減ったし……」

 とっぷりと陽が落ちて、すっかり空が暗くなってしまった。それ程時間が経ったのにも関わらず、一向に施設に辿り着かないのは何故だ……? 粗末な病院食はとっくに消化されているし、足は疲れたし……。

「それにここ、どこだよっ……!? さっきまで住宅街にいたのに、何か寂しい道に入ってきちゃったな……」

 蒼良さんからもらった地図を頼りに“スイートホーム Sky High《スカイハイ》”って所を探しているけど、全く見当たらない。すれ違った人に手当たり次第に聞いてみても芳しい答えは返ってこないし、歩いていくに連れて人通りが少ない場所に入って来ているから更に状況はマズくなって──……!

「あ゙──……もう動けん……」

 足がビリビリして、腹が絶えず鳴いている。これは……これ以上進めない、根性論でまかり通らないと感じる。

 オレはすっかり意気消沈してしまって、そばにあった室外機にヘロヘロともたれかかった。

 暗い路地裏にある室外機だったからか、埃っぽくて手触りがあんまり良くない。けれど今のオレはそんなことも気にならない程疲れきっていた。

 少し経ってから、通りの邪魔にならないように路地裏の中へと移動した。変な臭いもするし嫌な感じだけど、致し方ない。

 今度は路地裏の壁に凭れ、一息つく。落ち着いたオレは、五月の始まりでも陽が落ちると案外冷えるもんだな──なんて呑気に考えた。頭の中が、眠気でフワフワしてきた……。

 

 ──刹那、その弛緩した空気は何者かによって容易く切り裂かれた。


「キャッ──……!! ねえっやめて!?」

「っ……──!?」

 細かく聴こえるヒールの音。そして女性の叫び声。涙声のようにも聴こえるこの声は、聞き覚えがある。覚えていなければいけない声──。

「(蒼良さん……?)」

 オレの知っている彼女と声色が違いすぎて確信が持てなかったけど──きっとそうだ。今近付いてきているのは蒼良さんだ。間違いない。

 艶やかな長い黒髪と、白いカーディガンの裾から見えたナース服。間違いない。

 側に駆け寄ろうと思い、腰を上げようとする──が。

「(っ、力が……入らないっ──!?)」

 クソッ、なけなしの体力を過信しすぎたな──……! 作戦変更、一旦退いて状況を伺おう。その間に体力回復だ。壁に背中をつけて、路地裏の奥へ奥へと移動する。

「待って尊斗たかと君、私もうこんなことしないからッ……」

「……ッるせえぞクソアマ。もうやんねえっつってもよぉ、一回目の時点で取り返しつかねえだろーが」

 相手は随分とチャラそうな男だ。ただ、威圧感と憎悪に満ちた声をしていて、底知れない恐ろしさを感じる。

「お前さ……門限過ぎても帰ってこねえとかどーいうこと? 家からあんな離れた所で偶然見つけたけどよぉ、何してたんだ? ……オラ正直に言えや」

「ヒッ……ごめッ、なさ──」

 蒼良さんがペタンと腰を地面に付けた瞬間、嫌な音と共に蒼良さんは消えた──……?

「(……いや違う……蹴り飛ばされた、のか)」

 信じたくなかったから、すぐに現実を飲み込めなかった。

 蹴り飛ばされた。蒼良さんが。

「────は……?」

 沸々と血潮が沸き立ってきた。鼓動すら痛く感じる程、心臓が鋭く鐘を鳴らしている。さっきまでの疲労感が嘘のようだ。羽根のように身体が軽い。

 オレはふらつくことなく立ち上がり、真っ直ぐ蒼良さんの元へ向かった。

「蒼良さんっ──……!」

 弱々しく俯く蒼良さんを、躊躇なく抱き抱える。

 路地裏から何のふりも無く登場したオレに、尊斗とかいう奴はかなり驚いた様子だった。鉄壁のような雰囲気が少し崩れたような気がしたけど、すぐに持ち直したらしい。

「あ? ……ンだテメェ」

「おっ──お前こそっ……女性に暴力を振るうなんて、とんだ腑抜けじゃねえかよ」

 暴言なんて吐き慣れていないが、今はそんなこと気にする場面じゃない。

 今までろくに喧嘩なんてしてこなかった。けど不思議と力が湧いてくるんだ。相手がたとえ、自分よりガタイが良くても、ピアスを空けまくった坊主頭だったとしても、怯える必要はない。

「ゆき、さん? ……なんでっ?」

「ゆき、って……ああ、お前の病院の患者だろ? あのつかさゆいの弟の」

 尊斗の回答に蒼良さんはひどく動転していた。しかしオレは迷い無く「そうだ」だけ返した。

「なぁ蒼良。何で俺が知ってると思うかぁ? お前の単純な頭でよーく考えてみろよ」

「…………まさか、あの企画書を見たのっ──!?」

「ご名答ォ~っ! このガキを使って俺から離れようっていうクソ計画、マジで笑えたぜ」

 そう言うと尊斗はズイッと一歩踏み出し、オレに顔を近付けた。

「なあクソガキ。この女はな、お前を逃がして病院が混乱してる間に自分もどっか行っちまおうって魂胆だったんだよ。オイ蒼良、そうだよなぁ!?」

 聞くに耐えないがらがら声で尊斗は蒼良さんに怒鳴った。頷くハズないだろって言おうと口を開きかけた──が。

「──ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……! 幸さんを逃がしたのは、全部私の為なのッ──! えっと、後からお兄さんに連絡して貴方を連れ帰ってもらって……それでっ、貴方だけの責任にするつもりだったの……」

 蒼良さんはベコのように何度も、何度も頷いた。その姿があまりにも無様で、オレは思わず抱えていた蒼良さんを地面に置いてしまった。そして、救いの眼差しを待っている蒼良さんから目を逸らした。

 代わりに目の前にそびえ立つ大男に目をやる。

「頭も計画も緩い割には計算高いもんな、お前。そういうトコが気に入ってたのによ」

「そうしたら、私の責任にはならないしっ、だからっ」

 言い訳をしたいのか。蒼良さんは未だに喚き続けている。

「もうこの女の悪事は暴けて気ィ済んだろ? だからさぁ、どいてくんね? お仕置きしなきゃなんだわ」

「──嫌だ」

 オレは傷ついた蒼良さんに目もくれず、立ち上がる。

 何の為にコイツと争うのか分からなくなってきたけど、引いたらいけない気がして止まなかったんだ。

 尊斗の眉間がピクリと筋立つ。

「……チッ。ダリィな、どけっつってんだろーがよッ、──!」

 パンチの止め方を知らないオレは、真っ直ぐに飛んでくる相手の拳をただ只管ひたすらに睨み付けた。

 痛みを知らないからこそ、傷付く怖さに立ち向かうんだ。


「ねえねえ、ボクも混ぜてくれなーい? ボク、こーいうの大好きだからさっ」

 ────傷付く元凶と出会うまでは。





ろんです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 なるべく日を空けずに投稿をしたかったので、今回の話はここまでとなります。自分の投稿スタイルは短距離型でかなりスパンが短いので、その点ご理解を宜しくお願いします。

 アイデアが腐る前に、がモットーなので、プライベートが忙しくなる前にどんどん上げていこうと思います。これからも宜しくお願いしますね!


 ちなみに蒼良が幸に教えた保護施設は、蒼良が考えた嘘の施設です。自分の都合で幸を逃がした彼女ですが、少しでも幸の行方を紛らわせて兄から離してやりたかったのかもしれませんね。彼女の言い訳はどこまでが嘘なのか……頭のキレる女って怖いです。

 それと蒼良の口調ですが、いつもの間延びした口調も出来ないくらい、“彼”の登場に焦っていたんだと思います。第三話も波乱の展開が待っていますので、是非読んでみてください! それでは……。

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