オレを食べてよ、食人鬼さん?
ろん
第1話 ひとつの望み
元来、爪の甘い人間はというものは。
支配体制の緩みで己の身を滅ぼすような、薄っぺらい生き物だった。その性質は勿論、日本人にもある。下剋上、盛者必衰の考え──それらは歴史を動かす大きな歯車であり、またそれまでの歴史を壊す爆弾でもあるのだ。
ようやく世の平静が保たれるようになった現代に、時は流れた。そんな中、彗星の如く現れたある賢明な若者は、とある提案をする。
「人間を特性や出生でランク付けしようではないか」と。
彼は、『犬』という言葉に着目し、地位によって人々を区別した。
頂点に君臨し、民を導く
そして、導犬のボディガードや屈強な警備員として活躍する
日本全土の警察官が属し、政府の手となり足となる
分野を問わず、社会や文化の発展に尽くした者の名誉である
これら四つの地位は四強と呼ばれ、選ばれし者のみ成ることができる。
その他の人間は──甘やかされた環境で生きてきた者は
しかし。
社会的に区分された地位から外れた、一種の差別用語のような地位も存在する。
それが
いつ何をされるか分からない。狂犬の得体の知れなさに、人々は脅えた。人々が分犬法なる新たな支配体制に馴れるよりも、狂犬達のことを理解する方がはるかに遅かったのが現実だ。
そこから更に時を経て、人々は分犬法に縛られた日常にもすっかり慣れた。
凶悪な食人鬼の狂犬と、鳥籠に捕らわれた飼犬とが出会うのは、それから間もないことだった。
「あ、ひッ……やめろ──やめろやめろやめろォ────ッ!!」
くたびれたスーツを着たオジサンは、酒焼けした喉で
ボクは出刃包丁を丁寧に研ぎながら、横にいるオジサンに返事をする。
「ねぇ、ちょっと黙ってよー。味が落ちちゃうでしょー? ……お願い、もうちょっと待ってて?」
まだまだ全然、叫ぶようなトコロじゃないんだけどなー。オープニングが盛り上がりすぎたら、サビが味気無く聴こえちゃうのと
「貴様ッ、何が目的でこんな真似を……!?」
「うーん? それ、最初に言っ──」
キュルルルル──……。
────ああ。準備に時間をかけすぎたな……もう腹が減った。俺は鳴き続ける腹を片手で
そして、徐々に口内を満たす唾を一気に飲み込んだ。
「お前さぁ……数分前に言ったよなあ? だから俺は──」
お前を食うんだよ。
この一言で、大体の食い
「俺がお前を食いたくなったから食う。それだけの事だから安心しろよ」
包丁は良い具合に研ぎ終えた。刃にこびりつき黒く硬化した、前回のニンゲンの血を一舐めする。
俺はしゃがんだ体勢のままオッサンに近寄り、ゆっくりと刃をむける。
刃先が放つ銀の煌めき。誰もいない路地裏を吹くビル風。下水の仄かな悪臭。小便を漏らす程脅えきったオッサン。それらの役者達によって作り上げられた舞台は、いよいよ佳境に差し掛かる。
「いただきます」
今日も、全てが完璧だった。
「──速報です。昨晩トウキョウ都内で、何者かに両手指を切断された男性が病院へ搬送されました。男性に命の別状はありませんが、警察はこれまでに起きた異常傷害事件と関連性があるとして」
──プツン。その音と同時に画面が暗くなり、自分の蒼白とした表情がぼんやりと映った。
「
「……ああ、うん。悪かったよ兄さん」
柔和な笑みを浮かべる
相変わらず殺風景な病室。相変わらず優れない気分。
今日も、全てが上手くいかない気がする。花曇りの朝、いい加減な陽光に目を細めながらオレは心を曇らせつつ、ハッと短く溜め息をついた。見つかったら面倒だから、バレないようにうすーく……。
「幸さぁん。診察の時間ですよぉ」
「んっ、ぐ……!?」
ノックもせずに部屋に入ったナースに驚きすぎて、吐いた息を飲み込んでしまった。このナース、口調はトロいのに動きはやけに素早いんだよなあ……。すっかり忘れていた。
「はーい。すぅぐ行きますよぉ」
オレも彼女の真似をして間延びした話し方をする。しかし、等の本人は何ら気にしていないといった調子で、
「そんなぁ、急がなくても良いんですよぉ?」
なんて気遣ってくれた。やっぱりこの人は、この病院内で唯一信頼が出来ると常々思う。
傍で一部始終を眺めていた義兄は、緩い表情のままパイプ椅子から立ち上がった。そして、言われなくても分かっているのに、早く行くよとわざわざ言う。
オレはさっきのおふざけ口調をオシマイにして、義兄に黙って着いていくことにした。
数十分程、診察まがいの対話を医者としてきた。
同じことを……オレがここに来た時と全く同じことを医者から言われるんだ。けど決してこれは、医者が無能なワケじゃない。オレ自身のせいというか──オレの中に巣食っている病気のせいでしかない。憂鬱な気分に包まれて、どうしようもなくなる……。
「幸さん。貴方の病状は、私がこれまで見てきた
オレは憂いを振り払うように、医者の真似っこをする。
そして極めつけに、「手の打ちようが無い」と溜め息混じりに言った。
オレがこんなにふざけても、隣を歩く義兄に声は届かない。オレとそれ程歳が変わらないのに、難聴に悩まされているそうだ。だからオレは好き放題くだらないことを吐ける。それぐらいしか、やることがないし。
そうこうしている間に病室に辿り着き、ベッドに雪崩れ込む。スプリングの弾力が少し痛く感じて、思わずウッと声を漏らしてしまった。そう呻いてしまったことを後悔したのは、義兄の声が飛んできてからだった。
「──は? 幸……ッ!?」
「なあ、前も言っただろ? ……何で……なんで俺の言うこと、聞いてくれないんだ? やっぱり俺の研究所で同棲すべきだったのか……?」
物凄い勢いで捲し立てる中、同棲という単語が義兄の口から出た。オレはそれだけはごめんだと思い、咄嗟に言葉の嵐に口を挟む。
「……ごめんなさい。もうこんなことはしないって誓うよ。オレの愛しの
「幸……分かってくれたならいいんだよ。ほら、そんな暗い顔をしないで……な?」
義兄はそう呟くように言うと、オレの頬に片手を添えた。目元を愛しげに擦られてオレは反射的に逃げようとしたが、すぐに後頭部を押さえられてしまった。その力のあまりの強さに、若干鳥肌まで立ってきた。
「俺だけの幸。ずっと、いつまでも俺の幸でいてくれよ」
念じるように義兄はそう言った。そんな義兄にオレは上っ面だけの笑みを向けるしか出来ない。いつものお決まりのセリフを言ってさ?
けどまあ……今日はすぐ元に戻ってくれて良かったよ。
すっかりいつもの調子を取り戻した義兄は、面会時間の超過をようやく認識し、部屋を出た。その顔の苦々しさといったら、もう。
蝶番が軋み、ドアが完全に閉まる音を聴いて、オレはやっと一息ついた。
やれやれ……オレがここまで心身不自由な生活を送っているのには、勿論理由があるんだぜ?
──言うまでもない、その理由は分犬法だ。
オレは小さい頃……から身体が弱くって、望んでもいない恵まれた環境で育った。そのせいで、早々と
分犬法以前の人間がそうだったように、飼犬と主人はペアでいなくちゃいけないんだ。親友以上、恋人未満……又は恋人に発展することもある程深い間柄。それがオレと義兄──
『政』、だなんて物騒な意味を持つ苗字でさえ、飼犬のオレには輝いて見える。大っ変悔しいが、
そんなこんなで──オレは変わらない義兄と環境に、何も言えずにただ唇を噛むことしか出来ない。毎日が進んでいるのかどうかも分からない。節々の痛みや息苦しさだけが前へ進んでいる……その感覚しか今はない。
健康じゃない、楽しくない、自由がない。ないことだらけの毎日に、オレの心はとっくに──。
「死んでいた、っと。さて……独り言はここまでにして、とりあえず
オレはお世話になった病院を遠目に眺む。そして夕方の冷たい風に当たりながら、顔を綻ばせた。
初めまして、ろんです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
ずっと文字に起こしたかったテーマだったので、とても楽しく執筆をしています。
キャラクターの伝え方がまだまだ甘いので、僭越ながら登場人物紹介も書きました。キャラ把握として少しでも目を通していただけると嬉しいです!
幸ゆき(
本作の主人公で20歳。飼犬なので名字はない。
義兄である
10年以上の長い付き合いだが、未だに結に心を許しきっていない。なので義兄のいる豊かな生活より、義兄のいない貧相な生活を送ることを望んでいる。本当は誰よりも元気にはしゃぎ回りたい。
165センチメートルくらいの背丈で、筋肉量が少ない。
明るめの茶髪で、瞳も綺麗なチョコレート色をしている。
一人称はオレ。
幸の義兄。24歳。柔らかい物腰で、万人受けするアイドルのような出で立ちをしている。が、命より大切な幸のこととなると、感情が不安定になりがち。その弱点は既に幸に見抜かれている。
一方、優れた化学者として世に名を馳せている。四強の一角である名犬(四強の中で唯一、一般人でもなることができる)になるスカウトを幸のために断る程、幸を大事に想っている。今は幸の病気を治すための薬を開発中。
ひどい難聴持ちだが、幸の声は何故かはっきりと聴きとることが出来る。
身長は178センチメートルで、深みのあるダークブラウンの髪色をしている。黒色に近い色の瞳で、タレ目気味。どこか物憂げな印象を受ける。
一人称は俺。
???
世間を騒がす残虐非道な食人鬼。何故か今までの被害者は必ずどこかしらの部位が欠損した状態で発見される。
素性が明かされておらず、国民を恐怖に陥れている。
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