第4章 国王演説事変

 いよいよ時は来た。まもなく国王が入場してきて演説が始まる。つまり俺たちがファンファーレを演奏する時がやってきたということだ。

「落ち着いてやればできるぞ、自信を持つんだ。分かったか?」

「はい。力まず焦らず精一杯頑張ります。セルマンさん。」

 俺の定位置となる前列は指揮者との距離も近い。だからセルマンさんもそうだし周りの音楽隊や楽団の人たちも声を掛けてくれる。

 でも何で素人の俺を最前列なんていう目立つところに配置したのだろうか。このあたりにもギロックスさんやセルマンさんの悪知恵が働いているような気がしてならない。

 そんなことを考えていると広い会場内に司会の声が響き渡った。

「まもなく『エヴァルス帝国国王陛下による年始のお言葉』が始まります。国王陛下がご登壇されますので、皆様はご起立の上でお待ちください。」

 今まで聞いてい国王年始演説に対して敬意が10倍くらい含まれている演説の正式名称に驚いていると続々と民衆が立ち始めた。そして、音楽隊と楽団員もセルマンさんの合図に合わせて一斉に立ち上がる。

 総勢は40名ほど。それぞれが制服を身にまとい、楽器を持ち、姿勢よく国王が登壇する舞台に向かう。

 俺もペレットを両手で持って体の前に構える。

「国王陛下、ご入場」

 その司会の声が終わった瞬間にセルマンさんが指揮棒を持った手を広げた。それに合わせて全員が楽器を演奏できる位置に構え直す。俺はペレットを口に当て、ギロックスさんは横笛を構える。グリアさんは太鼓に対して体の向きを整えた。

 そしてセルマンさんの体が動き出す。指揮棒が1拍を取った。

 そして全員が揃って、ファンファーレの開始を告げる大きな1つの音を出す。

 また1拍置いたあとはペレットを含む金管楽器のパートだ。指揮棒の動き、セルマンさんの体の動きに合わせて俺も音を奏でる。

 さっきの練習の時には雑音が混じっていた俺の音は、自分でいうのは何だけど澄んだ音に変わっていた。これはセルマンさんに教わったコツのお陰だ。そのあとの音も、またその後に出てくる音も・・・さっきまでが噓のように綺麗な音が奏でられる。

 綺麗な音が奏でられると、演奏するのって楽しくなるんだよね。リコーダーとかギターとかでも同じような気持ちになったことある人いるんじゃないかな?

 つい数時間前に同じ場所でヘタクソさが悔しくて泣きながらやってたとは思えない。何ということでしょう。

こんな感じで気分上々で楽しくやってたもんだから、数分あるはずの演奏も気づけば最後の方になっていた。クライマックスは全パートが音を奏でて盛り上がるところ。ふと見れば国王(と思われる派手に着飾った人物)が演壇に既に立っていて、こちらの方をにこやかに見つめていた。なんか庇護欲をそそられる柔らかそうな雰囲気を身にまとった白髪のおじいちゃんだ。

いよいよ演奏はクライマックスに突入していく。各パートが入り乱れるように盛り上がっていき、段々と終わりに近づいていく。指揮棒の動きも段々と激しくなっていく。

 そしてラスト。一斉に音を揃えてファンファーレを終える。そもそも長い曲では無かったけど、演奏し始めたのが一呼吸前のように感じるくらいあっという間の演奏時間だった。

 演奏の音が消えると会場は静寂に包まれた。でも、それを「なんか失敗しちゃったかな?」とか思う暇はなかった。

 一瞬の静寂の後に会場は割れんばかりの拍手に包まれた。会場に数千人くらいいると思われる観客みんなが拍手を送っている。これ別に演奏会ではないんだけどね。隣にいる楽団の人も「おお、すごい歓声」と驚いていた。   

きっとそれだけいい演奏だったってことだろう。何なら国王もこっちを向いてにこやかな顔で拍手を送ってくれている。なんだろう、やっぱり田舎の近所のおじいちゃんみたいで守ってあげたくなってしまう。いつかお話をしてみたいもんだ。

賞賛の拍手がしばらくして徐々に鳴りやんでいくと、進行役の人から、さっそく国王が話をする旨が告げられた。俺たちも一度席について話を聞く態勢を整えた。指揮者のセルマンさんはいつの間にか目の前からいなくなっていた。

「国民の皆さん、今日は来てくれてありがとう。第35代国王スタンティン6世である。」

 白髪で柔和な印象だったけど、よく見れば背がスッと高いし、声もすごい通る。ちなみに、この世界にマイクは無いようだ。まあ当たり前か。

 それからも市民への声掛けから、各分野の政治的な今年の展望などを事細かに話始めた。話している感じは、カンペを見てるわけでもないのにスラスラと話をしているように見える。国王も政治に参加していて、なおかつしっかりと知識が無いとあんなことはできないだろう。あれは凄まじいおじいちゃんだ。

 その後も様々な施策について話がされ、今まではどうだったとか、今年は何を重視するとか事細かなマニフェストが語られていった。話の最中に喚きたてる人もいないし、国民からの支持も集めているのだろう。

「さて、今年も周辺各国から様々な手段において攻撃を受けていて、皆さんにはご不便おかけしている事でしょう。私としても、この状態を決して良く思っていません。これに関しては現在、軍部と協力して様々な策を練っているところです。申し訳ないが機密事項になってしまうので皆さんに詳細をお伝え出来ないことについては先に謝らせていただきたい。しかし今年は、今年こそはこの現状を好転させることをここで誓いたいと思います。」

 その言葉が終わると、多くの市民が手を叩き国王へ期待の目線を向けていた。


 だからかもしれない。あまりにも「異分子な存在」が目についてしまった。


俺は咄嗟の判断で席を立った。


                ***


  演説開始2時間前 エヴァルス郊外のとある住宅にて


コンコン

「誰だ」

「イーストリアに陽差すとき、それはエヴァルスが血に濡れ地に沈むとき」

「よし、入れ」

 許可が出たので「俺」は室内に侵入した。

「お前が陰の協力者か。」

「いかにも。早速、協力者としての役割を果たそうと思ってここに来たのさ。」

「ということは、準備を整えてくれたのか。」

 ああ、もちろんと答えてから、俺はゆっくりと入り口の扉を開けてもう1人の協力者を室内に招いた。そいつは、背負った荷物と手に持っていた大きな荷物を床に静かに置き、黒子の様にスッと俺の背後に下がった。

「これが頼まれていたものだ。今までに渡した情報やこの家も含めて、好きに使ってもらって構わないが、俺たちの存在に関しては口外しないことを約束してもらおう。」

「ああ、同志よ。全てはイーストリアのために。これより作戦を開始する。」

その言葉の直後、彼と俺と俺の従者の3人しかいなかった空間に一瞬で10人ほどが一瞬にして現れた。内心はメッチャびっくりしたけど、それは表に出さない。

「ずいぶんと仕上がったメンバーたちの様にお見受けする。」

「あぁ。イーストリア革命軍の選りすぐりの精鋭だ。必ず成功させて見せよう。」

「こんな精鋭を相手にするとは首都警察も大変だなぁ」

「ははは、できれば何も相手にせずに作戦を成功させたいものだけどなぁ」

 そんな軽い雑談を「首謀者」と交わしている間にどうやら残りの連中が準備を整えたようだ。

「では俺たちはこの辺で失礼するよ。俺たちがいないと怪しむ奴らもいるんでね。」

「了解した。次は新政府の下で会おう。」

 そういって彼らは家を後にしてどこかへ向かっていった。


                 ***


 自称「イーストリア革命軍」、エヴァルス帝国陸軍作戦参謀本部呼称「イーストリア派反乱分子」または「対帝国過激派集団」、暗号呼称「イート」、こいつらは帝国の秘密警察に目を付けられている集団で、帝国内部を崩しイーストリアに併合しようとたくらむ集団だ。構成員の大半が軍人であり、イーストリア軍も活動に1枚も2枚も噛んでいると考えられているんだけど、こいつらは近々、帝国で大きな活動を行うとされていた。

 それを未然に防ぐかおびき出して捉えるために、奴らが入国する手引きを秘密警察と軍の方で協力して行ってきた。奴らは活動のために軍内部にお友達を作りたかったみたいで触手を伸ばしてきたので、こっちからその触手に絡まりに行ったわけだ。

 んで、こいつらは国王の演説の日、つまり市民たちも軍人たちも目が国王に向いているタイミングで陸軍の本部を強襲し、王城を占拠し、国王と交渉を行い、ついでにイーストリア軍で帝国内を強襲し併合を強要するという手筈らしい。

 確かに作戦の立案や様々な備えなどは軍の作戦班に所属する俺をうならせる素晴らしいものだった。

 でも、そもそもそれは協力者なしには絶対の成功を保証できるものでは無かった。

 協力者を作ったところまでは満点だが、そいつらは全員帝国に叛意の無い奴らだ、俺を含め。なのでそもそも作戦の根幹から筒抜けなので素晴らしい作戦も容易に対策が可能である。

 例えば帝国を強襲するイーストリア軍の話だが、どこに潜んでいるかは聞き出し、偵察してみたら本当にいたので逆に強襲してやることにした。先にバレるわけにいかないから、演説の始まるくらいの時間から作戦を開始することになっているから、もうすぐ始まるだろう。

 もちろん、別動隊の可能性も疑った。でも国境周辺を偵察したけど、特に軍隊は見受けられなかったので、国境線を念のために警戒するように指示した。

 あとは参謀本部や王城に攻め込もうとした奴らを一網打尽にするだけだ。本部にも王城周辺にも相当な手勢を用意している。いくら相手が精鋭であっても完全に制圧できるだろう。

「まったく、ギロックスとセルマンがとんでもないこと言い出すからどうなるかと思ったよ・・・」

「でも、本部でもこいつらをいい加減に叩きたいと思ってたわけだろ?」

「だとしても、あえて活動させて言い逃れもできないようにして全員拘束してイーストリアと交渉するって、万が一にも失敗したら下手すると国王を失いかねないんだぞ、ギロックス」

「グリア、もう損ぐらい賭けて行かないとヤバい状況だってのは分かってるだろ?国王もそんくらい覚悟してるさ。」

 そんな俺の言葉にグリアは少し苦しそうな表情を浮かべてうなずいた。

「そこはその通りだ。納得しよう。じゃあ何でエイジ君を励まそうって話の流れから「イート」に今日、今すぐ活動してもらおうって話になったんだ?」

「ん、いや、それはエイジに現場近くにいる軍人として現場に向かう様に指示してそこで奴らと戦わせて活躍させるってことさ。向こうではセルマンが現場を仕切る様になっている。」

「え、そんな大事なことセルマンに一任しちゃって大丈夫かな。あの人はなんか想定外のことをやるよ?」

「でも、どーせそれなりの成果を上げて成功させる人だからそこは腹を括ったのさ。俺が、だけどな。」

 そうして心配そうな表情とため息をこぼすグリアを連れて、俺たちは会場に戻ることにした。そろそろ奴らも仕掛ける頃だろうから戻った時には大騒ぎになっているだろう。


                 ***


 俺の判断はおそらく当たっているだろう。

 国王の話した内容に対して拍手と声を送っている市民の集団の中に何もせずに人の間を縫うように前の方にやってくる人たちがいる。10人くらいいるだろうか、明らかにここの空気と違うものをまとっている。

 憎しみ、恨み、怒り、悔しさ・・・そして殺気。

 気づけば俺は国王の演説している場所に上るための階段の前に立って相手を見つめていた。ここは既に民衆の頭の高さくらいの場所だから、俺が駆け足でやってきたことに多くの人々が驚き、皆の視線が国王と俺の間を行ったり来たりしている。

 ここを突破されてしまうと国王は逃げ場のない高所で囲まれてしまう。

 俺の様子を周りのSPみたいな人たちは不思議そうに見ていたけど、察したのか国王の近くに集まり始めた。でも2人しかいない。3対10で守るというのは結構厳しいものがある。でも国王の周りは軍人やSPがほぼ詰めていなかった。演奏前にはそれなりの人数がいたと思ったんだけど・・・

 そうこうしているうちに怪しい人々が俺の目の前に集まってしまった。現状は1対10。さすがにSPは国王から遠ざけるわけにいかない。

「お前たちは何者だ?」

 対面して分かったが、普通に刃物をいくつか持ってるし、腰には手りゅう弾のようなものも掛かっている。顔周りも帽子などで見えないようになっている。もう普通にテロリストだ。現代であれば銃とかも持っているかもしれないが、ここがまだその文明レベルに到達していなかったことに感謝だ。もしかしたら近接戦に的を絞って、かさばるアサルトとかは持ってこなかったのかもしれない。相手がどこから銃を出してもおかしくないと思いながら対峙することにした。

 さて、俺の質問に対して相手は反応する気も無いようで、まずは2人が俺に対して襲い掛かってきた。

 両方とも刃渡り30センチくらいの小刀2刀流という装備だ。俺の前方、左右それぞれ45度くらいの方向から素早く距離を詰めてきた。

 俺はまず先に来た右の奴の方を向いた。相手が右手の刀で横払いして、左手の刀で突きを放つ。どちらもギリギリのところで躱したら突き出してきた左腕に対して一瞬で関節技を極める。流れで急所に蹴りを1発、それによって一瞬止まった相手の右腕を蹴り上げると右手の刀も手から離れていき相手はそこに倒れた。しばらくは動けても大したことはできないだろう。

 次の瞬間、俺は後ろを向き地面ギリギリの低空タックルを放つ。後ろから襲いかかろうとしていた奴と隙を縫って階段を上がろうとした2人を近くの壁にぶつける。起き上がってチラッと確認すれば壁に直接ぶつかったやつは流血して倒れていて、あとの奴らは肘が変な方向に曲がっていたり胸を押さえて悶絶していた。こいつらは最初にやったやつよりも重傷だろう。

 改めて階段前に陣取った無傷の俺は残り6人になった相手に改めて向き直る。相手も俺への認識をただの衛兵から明確に敵へと変えたようだ。全員が武装をして半円状に俺を囲むように動いた。

 しかし、戦闘開始から少し時間が経ったけど全然衛兵や警官が来ない。ずっと俺対俺以外って状態だ。なんかおかしい。もしかしたら他の場所でも似たようなことが起きているのかもしれない。だとしても少ない。俺がここで負傷なり殺されるなりしたら、SPだけで国王を守り切れるのだろうか・・・

 さて、1対6で相手は刃物2刀流、つまり生身の人間VS12本の刃物という状態なんだけど、相手は手加減ってことはしてくれなさそう。というわけでひとまずお話をしてみることにした。

「なぁなぁ、倒れてるやつもいるし、ちょっとお話ししようよ」

 そう話しかけてみると、少しの間をおいてリーダー格と思しき覆面が武器をおろして笑い始めた。

「自分の命と国王の命が掛かっている中で、この余裕とは。あんな話をしてたら、こんな手練れがいるとは思わなかった。」

「え、あんな話って何よ?」

「ああ、ついさっき仲間と、誰とも戦わずに済ませたいと話をしてたんだよ。だけど戦闘になったうえに相手は相当に手強そうだ。」

「なるほどね・・・でも相手に「手強そう」って言ってもらえるのは嬉しいね。今まで頑張ってきた甲斐があったもんだ。」

「いつからやってたのさ」

「4歳とかからじゃなかったかな?」

 こんな感じで軽い雑談を数分間交わしてみると、相手のお兄ちゃんも結構良いやつってことが分かった。それと、向こうもこんな状態でペラペラしゃべれる当たり、結構な手練れだ。

「さて、少し話をしたわけだが、どうやら互いに味方は増えなかったようだね。」

「ああ、とても残念だ。このままじゃ俺がなぶり殺しにされちゃうよ。」

「ハハハ、そんなこと言っておいて何か突破する術は用意しているんだろ?」

「そっちこそ、わざわざ俺にだけ構っているなんて、何か考えているようにしか見えないよ?」

「さて、それはどうかな?」

 そして兄ちゃんがステージの上を見ると、釣られて俺もそっちを見てみる。

 するとどういう種なのか・・・そこではSP対SPのバトルが繰り広げられていた。片方は内通者だったんだろう。

 本当に俺の世界のSPってわけじゃないから、恰好は軍服なんだけど、そいつらが国王の目の前で戦闘をしていた。どうやら守るものがある方が劣勢の様に見える。であれば早く助けに行かねばならない。

 そう思って段を駆けあがろうとした途端、後ろから殺気と声が襲い掛かってくる。

「おいおい手練れの兄ちゃん、そっちには行かせないよ??」

 そんな声が聞こえて来るけど、構わず数段の階段を駆け上がる。振り返れば3人が詰めてきていたけど、左右2人の肩口に、さっき倒した奴からこっそり拝借していた刀を突き刺し、真ん中の奴は喉めがけて蹴りを入れる。刺された奴らは流石に痛みでその場にうずくまる。

 喉を蹴られて吹っ飛んだやつが残り3人の進路を塞いでいる間に俺は全力ダッシュで国王のいる最上段に向かう。でも流石にそう遅れることなく相手も追ってくる。

 そこで俺は振り返って両手に、まだ隠していたナイフを持って相手に近づいていく。さっきやった肩口に刺したやつがよぎったのだろう、足を止め、身を守る態勢に入る。そして俺は両腕を広げて追ってきていた2人をラリアットみたいな感じで襲う。そして階段から転げ落ちた2人の背中を深々と切りつける。このくらいじゃ死なないと思うけど、激痛でまともに動けないだろう。

 さて、俺の計算が間違ってなければ9人制圧したと思うんだけど、さっき会話したリーダー格とはまだ戦闘をしていない。

「あいつ、どこ行ったんだ?」

「俺を探しているのか?」

 そんな声が聞こえた直後、俺が振り向くと、例の兄ちゃんがナイフを俺に向かって全力で振ってきた。それを俺は間一髪で交わして距離を取る。

 でも相手は俺に休む暇を与えてくれない。俺が空けたスペースを直ぐに詰めてナイフを振る。時々蹴りも飛んでくる。こいつだけ明らかに他の奴らより動きが俊敏だ。

「俺だけ動きが違うって思ったな?」

「ねえなんで思考を読んでくるの?」

 すぐそこに死の恐怖が迫っているけど、戦闘中の相手の軽口に付き合ってやれないほど余裕が無いわけではない。

「実はな、俺は催眠が使えるんだよ。上にいる衛視も俺がお前と会話を交わしている間に様々な方法で催眠を掛けたんだよ」

「え、なにそんな器用なことできるの?俺にもかけてみてよ」

「さっきから色々かけてみてるんだけど、全然かからなくてね」

「あー俺、催眠術に掛かりづらいんだよね、ごめんね」

「そういうやつが一番かかりやすいんだけどねー」

 そういって、兄ちゃんは俺の顔の目の前で指パッチンをした。すると不思議なことが起きる。

 体の力がスッと抜けた。まるで一気に生気を抜かれたような感じで、どこにも力が入らなければ、意識が遠のく。

 意識が遠のき、薄れていく意識は速度が段々と遅くなっていく。視界も白濁していく。

 だからかもしれない。わずかに残った聴覚は様々な情報を聞き取ってくれた。

 相手の呼吸や心拍、少し遠くから聞こえる人々の心配と驚きの含まれた話し声。

 聞きなれた人の「あの野郎、やってくれたな」という声と「素晴らしい実力だ」という声。


 そして「頑張ってね」という入谷さんの声。あれも2年くらい前なのに、十何年も前のことの様に感じる。

 

入谷さんの声を皮切りに、様々な人の応援の声が流れてくる。


 ギロックスさん、イレーネさん、グリアさんやセルマンさん、楽団の皆さんだったり、採用試験の時の試験官だった人たちも・・・そしてミレア。こっちの世界に来てよくしてくれた人たちの表情が浮かび、俺を死の淵から救い出してくれた。

 確かに1回、催眠術が掛かってしまった。だけど自力でその呪縛を脱する。

 力が抜けてその場に倒れてしまい、それを狙って刃物を振り下ろしてくる兄ちゃん。だけど俺は転がって間一髪で回避、驚いて動きの止まった隙に転がった勢いのままステージに突き刺さったナイフを思いきり蹴り飛ばす。すると、刃は真ん中で砕けるようにして折れた。

 そこから意識を奪うところまで行きたかったけど、相手も再起動、互いに距離を取って様子を窺う。

「ちっ。今はきれいに決まったと思ったんだけどなぁ」

「いや、実際危なかったよ、あと少しで意識どころか命を刈り取られるところだったぜ」

「あーあ、本当は兄ちゃんと決着つけたかったんだけど、時間が来ちゃったみたいだ。また会おうぜ。」

「え、逃がさないよ??」

「は?」

 そういって驚く兄ちゃんの後ろには見知ったおじちゃんが1人

「まあ俺が後ろ取ったことに気付けるのはエイジくらいしかいないからなぁ。イーストリアの秘密部隊の実力もその程度ってことかな」

「お前、二重スパイだったのか⁉」

「え、流石にそのくらいは想定されていると思ってたけど気付かなかった?」

「あんた、二重スパイなんてやってたのか、ギロックスさん」

「おう、作戦班も昨今の人員不足で実力のある人間は諜報部の真似事の日々だよ。」

 こちらも大概お気楽なギロックスさんは容易に兄ちゃんの背後を取っていた。ってかこの人いつからこの会場にいたんだ。居たなら早く手を貸せよ。

「というわけで、さっき俺らのこと他言無用って言ったけど、拷問を避けるために俺らのことをリークしたところで、それは知ってるからってことでなんの意味もないっていう風になっていたのさ。」

「ちっ、こうなったら捕まらないように逃げるしか無さそうだな。」

「お?逃げられるのか?」

「国王を人質に取れればなっ!」

 そういうとすごいスピードで舞台上で服の汚れを払っている国王に向けて走っていった。俺も追っかけようとするけど、あることに気付いて足を止めた。ギロックスさんも腕を組んで見上げている。

 兄ちゃんは最上段に「1人だけ」立っていた国王にナイフ片手に近づいていき、勢いのままに片腕を掴んだ。そのまま国王の体を拘束しようと背後に回り込んだ瞬間、兄ちゃんは関節を極められナイフを取り落とし、そのままその場で倒され、国王に拘束された。

「え、国王強っ」

「おう、エイジは知らなかったか。王家の男たちって一度軍隊に入って心身を鍛えるのが伝統なんだよ。今の国王は歴代で見ても相当な近接格闘の手練れなのさ」

「まあ、さっきまでSP同士で戦ってたのに国王しか立ってないってことは、敵SPが国王に制圧されたってことでしか説明できないもんなぁ」

「ってかエイジ、お前派手にやったみたいだなぁ」

 そういわれて改めて自分を見てみると、手とかは血だったり傷だったり、服も所々ボロボロになっていて血などなどの汚れが付いている。我ながら結構頑張った方である。

 ほっと息を着くと、昨日の朝から今まで寝ずに活動していたからか、催眠術ではなく普通に気絶した。

 今度は心置きなく眠ることができそうだ。

 おやすみなさい・・・

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