章間ショートストーリー セルマンとグリア、そしてギロックス
「俺は待ってるぜ」
俺がそう声を掛けた若者は、未知の世界で臆さず挑戦を続け努力を重ねたものの、実力の差を目の当たりにしたとたんに心が折れてしまった。
スミノエイジ、あんまり聞かない文字列と長さの不思議な名前を持つ彼は、ある日河原で気絶しているところを見つけて保護した記憶喪失の若者。しかし記憶喪失の割には見識が深く、どうやら格闘技に関しては素晴らしい力を持っている、本当に不思議な少年だ。
本当に奇跡的な縁があって、俺と同じ陸軍に入隊して音楽隊にも所属することになった。
その時から俺はあることを心の中で誓い、彼の背中を押し続けようと決めた。
そして今、アイツは自分を納得させるための理由を求めて自分の殻の中に閉じこもってしまった。
じゃあ俺がその殻を破って、アイツを引きずり出さないとな。
いじけて駄々こねたエイジの元から会場に戻る道中で、俺とグリアは彼について相談を重ねた。
「うーん、まさか彼が容易く折れてしまうとは思わなかった。」
「俺もついさっきまで忘れていたが、エイジは記憶喪失なんだよ。いくら本人が望んでいたからとはいえ、ここ数日は明らかにオーバーワークだっただろう。」
「たしかにそれもそうだな。我々が彼の精神状態を慮ってやれればこうはならなかっただろう。」
それから、少しの間お互いに黙り込んだ後、グリアは本題について話始めた。
「では、彼のことはどうするかい?」
「まず、俺の気持ちとしては、折角ここまで練習してきたんだからエイジと一緒に本番の舞台に立ちたい。」
「ああ。その気持ちは俺も同じだな。そのためにはどうするつもりだ?多少のことは時間が解決してくれるだろうからリハーサルの時には気持ちの整理がついてるかもしれないが、それではまたリハーサルや本番で心が折れてしまう可能性だってあるぞ。」
「あー確かにそうだなぁ・・・お!じゃあアイツに頼んでみるってのはどうだ?」
「アイツって・・・なるほど確かにこういう場面にはうってつけの人材かもしれないな。早速頼みに行こうか。」
「いや、これは自称・エイジの親代わりの俺に任せてくれ。」
「ギロックス、本当かい? あの人は今回の責任者の1人でもあるし、確かにノリは良いけど反面とても厳しい人だぞ?」
「いや、大丈夫だ。俺に任せてくれ。」
俺の覚悟をグリアに伝えると、少し考えた後に
「わかった、ではお前に任せるとしよう。しかし俺も隊長としての体面もある。話が付いたら、もしくは話が付かなくても一区切りついたら俺にも話をさせてくれ。」
「了解した。では行こうじゃないか。」
そう言って、俺たちはエイジを立ち直らせて、そのうえで自信を持って演奏できるような力を付けさせることのできる講師の元へ向かった。
***
俺が向かった先は、市民楽団の控え室。俺らがエイジの世話を頼もうとしている人物は、俺らを音楽隊に半ば強制的に入隊させた元軍人。そして市民楽団の創設者。さらにそこで指揮者をしているというすごい人。俺にとっては飲み友達って感じなんだけどなぁ。
控え室に入ると、目的の人物は小屋の真ん中に置かれているテーブルに座って、なにかの資料に目を通していた。あの人は常に研究熱心だ。今はなんの研究をしているのだろうか。
「ギロックス、俺の後ろを簡単に取れたと思うなよ」
「セルマンの後ろを取れるのは俺か海軍にいたアンドリューくらいだからな」
「お前に取らせたつもりはないんだがな」
そんな軽口をたたき合う相手は恰幅のイイ白髪オヤジであるセルマン。俺の数少ない飲み友達だ。ちなみに12歳年上。でもそんなことは関係ないのが俺の流儀。
「なぁセルマン、頼み事があるんだが聞いてもらえないかな」
「お前がお願い事なんて珍しいこともあったもんだな。」
「今までは酒代せびったり、飯代せびったり・・・あとは何をせびったか」
「宿代に弁償代、あとは王城で貴族と賭けして負けた代金もせびられたなぁ」
「でもあれは、あの貴族から回収したお金で借りた以上返しただろう」
「賭けで貴族から財産巻き上げる馬鹿がいるかよ」
「それはどうでもいいんだよ。俺は馬鹿だから。だから馬鹿が頭下げてでもお願いしたいことがあるんだって」
「ああ、そんな話だったな。なんだ、言ってみな」
そういうと、ずっと机に向かっていたのに俺の方に向き直った。これはセルマン的に「真面目に聞くだけは聞いてやるから、とりあえず言ってみな」っていう合図。それを受けて俺はセルマンに「お願い」を話し始めた。
俺がセルマンにお願いしたことは3つ。
1つはエイジを励ますこと。俺やグリアは彼にとってありがたいことに近い存在であるために、さっきみたいに説得が通じなかった。こうなれば初対面かそれに近い存在にご登場いただこうというのが主に俺と、おまけでグリアが考えた作戦だ。現状で1番よさそうな人材がセルマンだと俺は思ったわけだ。
2つ目はエイジに特訓をつけてくれというもの。これはセルマンにというよりセルマンが良いと思った人にやってもらおうと考えた。人を見る目に関してはセルマンの右に出るものはいないと思っている。そんなセルマンのお眼鏡にエイジも引っかかるといいんだけど・・・
3つ目はエイジに活躍の場を与える事。これはグリアには何も言っていない。そもそもあいつに話をしたら大反対されること間違いなしの過激な作戦だ。今回の演奏において多少なりとも自信を失ってしまったエイジを励まそうという、おじさんからのささやかなプレゼントだ。これはセルマンが乗ってこないと実現できない。
でも勝機はある。1つ目と2つ目だけなら「つまんない」と言われて乗ってこなかっただろう。
しかし、セルマンは面白ければ乗ってくる。だから断られた時がリスキーだけど3つ目も提案する。
「おいおい、そんな面白そうなこと腹に隠してたのか。それにそのエイジって子に興味が湧いたよ。」
「それは、琴線に引っかかったとかそういう話か?」
「違うわ。ギロックスがそんなに期待する人間っていうのが俺も見てみたくなったんだよ。」
「じゃあ乗ってくれるか?」
「こんな面白いことに参加しないわけないだろう?もちろん、俺の伝手を含めて全力で協力しようじゃないか」
交渉成立! 俺らは堅い握手を交わして、作戦会議を開始した。
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