第3章 大陸暦1398年 はじまりの月 10の日
今日は俺の初任務。年始の国王演説における国王登壇時のファンファーレにおいてペレッタにて演奏を行うというものだ。
集合場所となっていた会場の帝国広場の一角に音楽隊のメンバーと、恐らく外部の楽団員が集合していた。普段から演奏をともに行っているのだろう、両者のメンバーは異なる服装に身を包んでいるものの和気藹々とした空気に包まれていた。
俺もこの集団の中に加わっていくと、グリアさんから少し重たい荷物を渡された。
「エイジ君、当日になって申し訳ないが、これが君の音楽隊での制服だ。このあとの全体挨拶の後は陸軍の隊員の1人としての任務となるから制服を着て準備に取り掛かってくれ。」
ということらしいので、俺は控室として張られていた天幕の中で着替える事にした。ちなみに忘れているかもしれないが、この国の冬は体感で日本より寒い。天幕の中に暖房がある訳でもないので着替えの際に服を脱いだ時には凍え死ぬかと思った。多分気温は零度に近い。
音楽隊の隊服は白を基調としたもので、所々に金や紺、黒のアクセントが入っている。他の隊員の服を見るに、胸の所には所属に対応したバッチや勲章を付けていくのだろう。近々決められる俺の軍人としての役割に応じてここに何かバッチを付けることになるのだろう。あと生地が厚いのでとてもあったかい。つまり夏は地獄ってことだ。
制服というのは、警官だった俺にはとても馴染み深いものだ。こういうみんなおそろいの服を着て仕事をするというだけで安心感が生まれてくるってものだ。
着替えを終え、みんなの下に集まるとどうやら全員集まっているようだった。俺が来たのを合図にしてグリアさんがみんなと雑談していたところから、集団の前に移動した。
「では、これから今年の新年国王演説における音楽隊とエヴァルス市民楽団の合同演奏準備を開始する。今年も楽団の皆さんにはご協力いただけること、誠に感謝します。」
「グリアさんこそ、今年も声を掛けていただきありがとうございます。国王陛下の演説に花を添えられる役割というのは名誉です。声を掛けていただければ参加しない理由がございません。」
「今年も楽団のみなさんにはよろしく頼みたい。さて、まだ我々の演奏までは時間があるが今回は諸事情によって会場設営の手が足りていない。自分たちの準備を済ませた後には昨日から準備に励んでいる首都警察の手伝いに回ってほしい。大方の会場の準備が終わったところで最終リハーサルを行う。では始めよう。」
音楽隊としての準備は結構色々あるようだ。てっきり楽器を運び込んで、演奏する場所に椅子を並べるだけかと思っていた。その中でもとても重要なのが、楽団がどの向きで演奏を行うか決めるというものだ。例年同じ会場で同じように行っている演奏ではあるが、これは毎回確認をしていくようだ。少しでも向きを間違えると会場全体に音が行きわたらないらしい。そういった「相手に聞かせる音楽」的な視点は楽器演奏初心者の俺には無いものなのでとても勉強になる。
基本的にはペレッタが1番音の響くメインの楽器ということで、これで音の確認を行う。もちろん俺も音を出す側で参加する。
この音出しで分かったのは楽団の奏者たちのレベルの高さだ。まるで楽器を体の一部にしているようで音程、強弱、その抑揚までもが凄まじい完成度だった。まるで楽器を経由して演奏者が喋っているようだ。俺はいつになったらこの域に達せるのだろうか、そもそも到達できるのであろうか・・・
凄すぎて言葉にならない、おかげで「自分が思っている以上に自分がヘタクソだった」というショックもほぼなかった。ここもどうやら異世界の中の異世界みたいだ。そういう気持ちにさせられた。
もちろん俺も精一杯やってみる。でも明らかに俺の音だけ異質だ。それがプレッシャーの大きさに拍車を掛ける。そしてそれが力みに繋がってより音がおかしくなる。
音出しのあるタイミングから、俺は気絶してたわけじゃないと思うが記憶が欠如してしまった。
気づけば音出しは終わっていたようで、俺は会場の端っこの木に寄っかかって座っていて、頬には悔し涙が伝っていた。
***
「まあまあ、エイジ君はその楽器を使い始めてから2日目、楽団の人たちは何年、十何年、人によっては30年以上練習している人だっているんだ。実力差はあってしょうがないさ。君なりに精一杯の演奏で十分だよ。」
「そうだぜエイジ、そんなことでしょげてんじゃねぇよ! 大丈夫、エイジの演奏もとてもよかったぜ。」
「いや、俺の音は確実に周りの邪魔になってました。やっぱり付け焼刃の演奏では皆さんに迷惑を掛けてしまいます。ただでさえペレッタの音は響きますから、全体で演奏しても確実に目立ちます。そうなるなら僕はやっぱり見学していた方が良いと思うんです。」
「エイジ、何弱気になってるんだ? 大丈夫だって、折角一緒に練習してきたんだから一緒に作品を完成させようじゃないか」
ギロックスさんは熱を持って、グリアさんは俺を冷静にさせるように、それぞれの個性を表すように対極の方法で俺に声を掛けてくれた。ムキになって本番への参加を拒絶している子どものような態度の俺に対して、あくまで大人同士のやり取りで接してきてくれる。親子ほど年も離れているけど、2人は俺を子ども扱いしない。同等に見てくれている。
普段はありがたいその態度も、今の俺にはつらいものがあった。だからムキになることにも拍車がかかってしまった。
「ギロックス、一旦戻ろう。両者ともに一度落ち着く必要がありそうだ。エイジ君、最終的に君が参加するかどうかの決定権は当たり前だが君自身にあるし、君の決定は私が責任をもって尊重すると約束しよう。しかし我々は一緒に演奏をしたいと思っているし、そうなる前提で本番直前まで準備を行う。それだけは忘れないでいてほしい。可能なら本番の少し前に全体での最終リハーサルを行うからそれには参加してほしいかな。」
じゃあ、またあとでね。といって2人は俺の近くから立ち去った。ギロックスさんは立ち去る際に「俺は待ってるぜ」と励ましの言葉を送ってくれた。
はぁ、つくづく俺ってやつは情けないやつだ。
こんな駄々をこねたのは柔道始めたての時、小学1年生の時以来かもしれない。思えば小さい頃は思い通りにならないことがあると、投げやりになったり泣いたり駄々こねたりしていた。大人になってまさか再発してしまうとは思わなかった。
一旦落ち着こう、そう思っても自分の情けなさや悔しさがこみ上げてきて全然落ち着かない。
立ち上がってから振り向きざまに、寄っかかっていた木をイライラ任せに殴ろうとした。殴ろうとして、寸止めでやめた。生き物殴ってストレス発散とか馬鹿馬鹿しい。
いつもであれば柔道の乱取りがストレス発散になっていたけど、今はそんなことできない。そこら辺の隊員に「少しでいいので背負い投げさせてください」とかそんなことできるわけがない。もう大人なんだから。はぁ。
そんな感じでクヨクヨしていると、会場には多くの人々がいて作業していたはずなのに人がいなくなっていた。おそらく昼食の時間だろう。
そう気づくと俺も空腹感に襲われてきた。だけど昼食の会場に行けばみんなに会うことになるだろう。でも、ちょっと今は会いたくないなぁ・・・
残念ながらこちらの通貨も持ち合わせていないので、街に繰り出して屋台で食べるとかそういうのもできない。
気づけば涙はもう止まっていて、気持ちの整理はついていた。さて、どうしたものか。
これからの行動について試案を巡らせていると、トレーを両手に持った市民楽団の制服を来た人が明らかに俺に向かって歩いてきた。
「エイジ君、だったかね。グリアさんから話は聞いたよ。是非、お話に付き合ってくれないかね? 折角のランチタイムをおじさんと木陰で過ごすのは嬉しくないと思うけど。」
「あ、いいえ、別に、嬉しくないなんてことは・・・ 」
「いいんだよ、あんまり関わりの無い人間にくらい素直になってみればいい。だからと言って拒絶されるとおじさんがショックだけどね」
今まで喋ったことが無かったこの人だが、少しの会話だけで彼のワールドに引き込まれてしまったようだ。少し前までクヨクヨしていたのがウソのようにスルスルと言葉が出てくる。不思議な人だ。
そして2人でサクサクとピクニックの準備をする。まさか下に敷くシートまで持ってきているとは思わなかった。この人はピクニックを楽しむ相手を探してうろついていたのだろうか。
「さて準備も整ったところで、自己紹介を忘れていたね。私は市民楽団の指揮者を務めているセルマンだ。改めてよろしくね、エイジ君」
そんな当たり障りのない自己紹介をしてから「いただきます」と言って飯をガツガツ食い始めた。
そんな相手を目の前にして呆気に取られていると、「君も食べたらいい。今日は弁当屋が気合を入れてご飯を作ってくれたみたいだ。」と言われたので「は、はあ・・・」と俺もご飯を食べ始めることにした。
この料理は何だろう。今まで食べたことないやつだ。香草の載った肉料理というのが、俺の説明できる限界だ。
確かに美味しい。この香草の香りもローズマリーとかタイムとかそういう感じとはまた別のにおい。アロマセラピストの資格を持っている人に聞けば何ものなのか分かるかもしれない。
何よりも国王演説の準備に駆り出された人々に香草が載った肉料理が振舞われるということから、この国の食糧事情と国王の権威というのが覗われる。この感じを見るにパターンは2つだ。1つは四方から攻め込まれていて財政的にも厳しいけど、それを見せないために余裕を市民に見せているというもの。もう1つは攻め込まれているけど、結構底力があって財政的にもゆとりがあって、国王の権威もさほど失墜していないというもの。できればこっちであってほしい。
楽団の指揮者という立場の人がわざわざ俺と一緒に昼食を摂りに来てくれたのに他のことを考えてしまった。そんなことにハッと気づいて顔を上げたけど、セルマンさんは黙々と食事を食べていた。ほんとにこの人は何荷がしたくて俺と飯を食っているのだろうか。
そんな感じだから両者ともに食べ終わるまでに会話は生まれなかった。ほんとに何なんだこの食事会は。しかもセルマンさんの方が食べ終わるのは遅かった。同じくらいの量だったのに。
「さて、君は今の時間で私がなぜここに来たのかについて答えを出すことはできたかい?」
「あ、これそういう時間だったんですね。」
「グリアさんとギロックスがあれだけ大切にしている子だ、こういうのは察せただろう?」
「まあ、あれだけ目立ってた人間に対して話しかけてくる初対面の他人、これだけ要素を満たせば何か企んでいるとは思いますよ。」
「君はきっと観察眼に優れている。その力はどんな道に進んでも活かすことができる君の強みだろう。」
これってカウンセリングか何かなのだろうか。能力開発的な。それか・・・
「それは、俺に音楽の道は向いていないってことでしょうか」
「そうか、そのようにも取れてしまうね。僕は相手を褒めたうえで厳しめのことを言おうと思っていて、決してやめた方が良いということを言いたかったんじゃないんだよ」
いや、これから厳しいこと言おうとしてるんかい。そういわれて俺はセルマンさんの言葉に備える。
「まずあらかじめ言っておくと、君は我々の楽団員に比べれば実力は劣る。そして、君には才能があると私は思っている。」
「実力が劣っているのは自分も自覚しています。でも、何をもってして才能があると思ったんですか。」
セルマンさんのまるで根拠のない考えに疑問を唱えると、セルマンさんは大爆笑し始めた。
「ハハハハハハハ‼そんなの決まってるじゃないか。自分の実力の足らなさに悔しくて泣いちゃうんだから負けん気十分じゃないか。そういう子は才能の塊だと思うよ。」
「簡単に才能って言いますけど、僕は楽器を扱うことに関しては初心者ですし、いくらプロでもあの演奏を聞いただけでそんなことが分かるんですか?」
そんな疑問にもセルマンさんは笑いながらいとも簡単に誰でも納得できる答えを語り始めた。
「そりゃ、楽器初めて1日であれだけできるんだから、才能があると思ってもいいだろうよ。」
あーたしかに・・・俺は似たような楽器を1年続けているから本当は初めたての初心者ってわけでは無いんだけどね。俺の身の上を知らない人にはこう見えてしまうだろう。だからと言って容易にネタバラシするわけにもいかない。色々面倒だから。
「さて、もうすぐ全体での最終リハーサルが始まる訳だが、君はどうするつもりなのかね?」
「俺は・・・参加します。皆さんにはご迷惑かもしれませんが。」
「迷惑なんてことはないさ。それに君がそう言うだろうと思って私も色々用意してきたのだよ。」
突然なんのこっちゃ、と言葉も出なくなっているとセルマンさんは唐突に「パチン」と指を鳴らした。
それにも呆気に取られていると、そこら辺の茂みの中から10人以上の市民楽団の服を着た人たちが色々持って現れた。この人たち気配消すのがうますぎるだろ。何者なんだ・・・
「セルマンさん、言われたものはすべて持ってきました。」
「うん、ご苦労様。ではそれらを設置した後、君たちは最終リハーサル会場で各々の準備をしたまえ。ああ、グリアさんとギロックスには作戦1の成功と作戦2の開始を伝えておいてくれ。」
「了解しました。」
そういって、手早く作業を済ませた何者か達は駆け足で離れていった。彼らが元軍人でなければ、この世界はどうにかしている。というか、この昼食会が始まってからというもの非日常的な驚きが続いている。
謎の人々はそこにゲルのような簡易的な小屋を建てていった。これは何なのだろうか・・・
「さて、この後の本番への参加意思を表明した君にはこれから特訓を受けてもらう。きっと今の実力のままでは君自身が何か違和感や不満を持って本番に臨むことになるだろう。だから君には最終リハーサルの代わりにここで特訓を受けてもらう。準備はすべてこの中に整っているよ。準備はいいかい?」
「唐突過ぎて驚きましたが・・・はい。準備はOKです。」
「うん。で、OKって何?」
こっちの世界にOKって浸透してないんだね。リハーサルとかは通じるのに。
というわけで本日2回目のペレッタ特訓スタート。
深夜練を忘れたとは言わせない。
***
リハーサルをパスして会場脇で木々に囲まれた即席の小屋の中で、セルマンさんにマンツーマンでペレットの特訓を2時間。
もう自分でも何言ってんのかよくわかんない。
ちなみに、謎の市民楽団員によって作られた仮設テントは防音がしっかりできる素材でできているようで、この中でガンガン演奏しても外には音が漏れづらいようになっているようだ。
謎(以下略)は俺が音楽隊から借りているペレットも持ってきていて、それを用いてひたすらに練習をし続けた。
深夜の練習は寝ているオジサンの横で自主練だった。これだと客観的なことは分からない。ここだと録音とかできないしね。結局は自分の満足するところを目指すことになって、イコール上達にならないことがある。今回はこれ。
セルマンさんの指導は本当にうまかった。こっちに来る前にお世話になっていた音楽教室の先生に勝るとも劣らない教え上手だった。
うーん、なんか納得いかねぇ。おっちゃんと狭い小屋の中でマンツーマンでレッスン。俺ってこっち来てからというものオジサンばっかとつるんでいる気がする。こういう設定のある異世界なのだろうか。
閑話休題
そんなわけで特訓を経た俺はセルマンさんと一緒に本番の会場に向かうことにした。
「君の実力は、君自身が思っている以上に成長している。それは長年音楽に携わってきた私が保証しよう。だから本番は自信をもって演奏するといいよ。」
「はい、ありがとうございます。俺も少しは自信が付きました。」
「ああ、私も指揮台の上から君の活躍を見ているよ。」
「頑張ります。」
そんな励ましを受けながら、本番少し前の会場に入っていく。
会場の公園からは立派な王城が見える。それが国王の演説する舞台の背後に来るように設営されている。舞台の前には既に多くの民衆が押しかけていて、まだ少し時間があるというのに熱気が伝わってくる。ライブとかスポーツの試合の前みたいな雰囲気が少し離れたところからでもヒシヒシと伝わってくる。俺らの演奏する場所は民衆から見て舞台の右側になる。もう既に半分くらいのメンバーが制服を着て席について準備を整えていた。
セルマンさんと舞台の裏にある準備スペースで別れた後、自分の演奏する席に向かう前に、まずはギロックスさんとグリアさんの元へ向かった。2人はまだ時間がしばらくあるからか、ステージの端っこでお話をしていた。
「よぉ、元気は取り戻したか?」
「君はきっと機嫌を取り戻して、ここにやってくると思っていたよ。」
「本当にご迷惑おかけしました。セルマンさんに色々教わってさっきよりも成長したと思いますので、頑張りたいと思います。」
「セルマンに教わったなら間違いないだろう。俺もグリアもあの人に音楽隊に入隊を半ば強要されて、楽器を教わったんだよ。」
「いやはや、懐かしい思い出だね。あれは10年以上前だったね。」
「また3人で飲みに行きたいもんだな。エイジも一緒に行くか。」
「機会があったら是非、誘ってください。まあ、俺の任地がこのあたりにならない可能性もありますけど。」
2人ともさっきまで俺が駄々こねていたのに、そんなこと無かったように接してくれる。
さっきはそんな感じで俺を受け入れてくれるのが嫌な気分に繋がっていたけど、今はこの雰囲気が居心地よく感じる。
「エイジ君、本番まではあと少しだ。リハーサルに参加していなかったから、簡単にこの後の流れだけ確認しておこう。」
そして、どういう流れがあって演奏をして、そのあとどうするかという流れを簡単に説明してくれた。
「大体こんな感じだよ。本番で、いざ分からなかったら周りの人たちに聞くと良いよ。なんか分からないことはあったかい?」
「いいえ、大丈夫だと思います。」
「そうか。じゃあいよいよ本番だね。緊張しすぎないようにリラックスして本番頑張ろうね。」
「はい!」
さあ、いよいよ本番だ。異世界転生5日目、運命の初任務スタートだぜ。
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